141.言葉に宿らぬ真実②
困ったような雰囲気のジェット。 「そうだよ」とでも言われるかと思っていたので、すぐに答えがないのが不思議だった。
じっと見つめているとまたジェットの手が伸びてくる。何をするかと思いきや、普段のようにルーナの前髪を編み出した。
「……その方がお前にとってはいいと思うだけ」
「ジェットがそうして欲しいわけじゃ、ない、ってこと……?」
ジェットがそう望んでいるわけじゃないのかと聞いてみるが返事はなかった。
無言のまま慣れた手つきでルーナの前髪を編み込みにしていくだけだ。
左右ともに編み込みを作っていき、後ろをリボンで留められる。自分で前髪を巻き込んで編み込みをしようとするとどうにも綺麗にできないので、ジェットの手は魔法みたいだった。
答える気がないようだったので、躊躇いがちに口を開く。
「私、普通って言われてもよくわからないよ。村にいた時だってジェットの言うような普通の生活じゃなかったし、今だって普通じゃないと思う。お父さんとお母さんと暮らしていた時が多分普通の暮らしで、思い出すとすごく幸せだったけど……あの時の私はもっと子供だったから、ジェットの言う普通とは違うし……」
「でも、お前は普通の人間で、普通の人間の少女なんだよな」
そう言ってジェットが薄く笑う。
感情の読めない表情だ。楽しそうにも見えるが、寂しそうにも見える。
「だから、普通に暮らせ、ってこと……?」
昨日とは少し違うが、またモヤモヤする。いっそ「そうだ」と言ってくれればいいのに、ジェットは言わない。言葉にすることを避けているようだ。
ぎゅう。と、握りこぶしに力を込める。
「……ジェットが本当に望むならそうしてもいいと思う。でも、私にとってはそれが良いことだって言われるのは……なんかモヤモヤする」
「なんで?」
「だってそれってジェットの本心じゃないんでしょ?」
静かに見つめて言うとジェットが目を細めた。そして、意地悪そうに笑う。
「昨日俺らに嘘ついたお前がそれを言う?」
「え──」
昨日の嘘。平気じゃないくせに「平気だよ」と言ってしまったことだ。
嘘が見破られているとは思わなかった。そんなの、ちょっと考えればわかることなのに思い当たらなかった自分がひどく恥ずかしい。
かーっと顔が赤くなり、ジェットを正面から見ていられなくなる。
視線から逃れるように俯いたところで、頭に何かが乗っかった。
「ちょおおおっっと待ってください!!」
何かと思えばアインだった。ルーナの後頭部に張り付くようにして乗り、ジェットに向かって喋っている。
アインが頭に乗っているせいで俯いたまま顔が上げられないが、ジェットの顔を見ることができないのである意味助かった。
「んだよ、急に」
「ルーナは普通に暮らした方が良いとか! そんな重要なことをこんなところで二人で決めないでください! 少なくともイェレミアスさまのご判断を仰ぐべきです! 本当にそれがルーナにとって最良なのか! そもそもルーナがそれを望んでいるのか!」
「っつっても、魔物と人間が一緒に暮らしてるのは異常だろ。あ、魔物ってお前らも入ってるからな?」
アインが黙ってしまった。悔しそうなのが伝わってくる。
「でっ、ですが! ナイトハルトでだって──」
「ナイトハルトは国単位での共存だから話が違うだろ。しかもあそこの魔物ってほとんど吸血鬼だから前提が違うんだよ」
再度アインが黙る。
ルーナはナイトハルトという国の内情をよく知らないが、吸血鬼と人間が共存している国らしい。今はレミが傍にいるものの、吸血鬼が普通に歩いている国というのは想像がつかない。
ルーナは頭に乗っているアインをそっと撫でた。アインはルーナの頭に乗りっぱなしだったことに気付き、慌てて肩に移動していく。
肩に座るアインを見て小さく笑う。
「アイン、ありがとう」
「い、いえ……」
「なんでアインには礼を言うんだよ」
「だって、ジェットの言うことはなんかおかしいもん」
昨日の嘘のことを言われたことが尾を引いており、まともにジェットの顔は見れないままだ。ふいっと横を向いて言うと、ジェットがため息をついた。
「おかしいって何が」
「……ジェットらしくない」
「らしくない……?」
「ジェットは普通とか異常とか拘らないと思ってた」
顔を背けたまま言えば、ジェットが微かに動揺した。
急に「普通に暮らした方が良い」と言うなんて、ジェットらしくない発言だった。レミやルディが言うならまだ理解できるが、「普通」という言葉からは一番遠い存在がジェットだと思っていたのだ。何せ彼は悪魔なのだから。
ルーナの発言に対し、ジェットが何か言い返す気配はない。
肩にいるアインを腕に抱え、ジェットの横をすり抜ける。
「おい、ルーナ」
すれ違ったところで名を呼ばれ、ぴたりと足を止めた。振り返らないまま小さく深呼吸する。
「……嘘、ついたことも、ごめんなさい。
でも、さっきのジェットの言葉には……私、納得できない」
今更普通になんて暮らせないのに。
そんな気持ちのまま、着替えもせずに部屋を後にした。
ジェットに出ていってもらうのが筋だが、何故かそうできなかった。
◆ ◆ ◆
ジェットは普通とか異常とか拘らないと思ってた──。
確かにそうだ。悪魔にとっての常識などはあっても、人間基準の普通だの異常だのに気を配ることはなかった。考えることはあっても、必要だから考えるのであって、ルーナにするように「そうした方が良いだろうから」なんてあやふやな考え方や誰かのことを慮ることはほとんどしないのだ。
そう考えてしまった自分が不思議である。
使い魔たちはジェットから逃げるようにルーナを追って出ていってしまったため、部屋に残されたのはジェットだけだ。
「……アホちゃう?」
ルーナが出ていった扉からフェイがひょこっと顔を出した。
「うるせぇな、どっか行け」
「いやいや、ここは元天使として言わせてもらうで。
──変な親目線みたいなのやめろや。勝手に想像力働かせて、『その方が良い」とか考えるとかアホすぎやろ。したいようにさせたれや。君らが優先せなあかんのはルーナちゃんの気持ちであって、人間として普通の暮らしをさせることやないわ」
フェイはひたすら呆れて憤慨していた。
彼の言わんとすることもわからないでもない。
だが、どうしても気が咎める。──気が咎める、だなんて悪魔として感じたことがないものだったので余計に混乱する。
「年の差とか種族差とか、この際どうでもええやん」
「天使がそれ言う?」
「元天使。自分は人間が幸せならええもん。悩むのは君らの仕事。──ああ、幸せにする自信がなくて普通に暮らせって話ならわからんでもないけどな」
悪魔、吸血鬼、魔獣が不幸になろうがどうでも良いという考えがひしひしと伝わってくる。
フェイが言う幸せというのは、本人の望む幸せだ。それが人間の枠から外れていようが、倫理観が崩壊していようが意に介さない。しかも近くいる人間、自分が気に入った人間を優先するものだから、そこ公平性などあるはずもない。多分に私情を含むために煙たがられていたのだ。
「とにかく、一回拾ったならちゃんと最後まで責任持てや。大切にしたいなら尚更や。
本当に本気で、人間としての普通の暮らしがルーナちゃんのためやと思うなら、嘘でもなんでも突き通すくらいの意地を見せろ」
ビシッと人差し指を突きつけてくるフェイ。
あまりにも堂々としていて、普段から感じている苛立ちやムカつきが微かに薄らいだ。
結局、彼は天使ではなく、元天使。今は堕天使だ。自分本位な考えを振りまき、周囲を混乱させていく。それは悪魔とて例外ではなかった。
「そんじゃ、自分はこれで」
そう言ってフェイは去っていった。
言いたい放題で気に食わなかったが、言われてもしょうがないくらいにジェットの考えが普段と違っていたのは事実だ。小さく舌打ちをしてからルーナを部屋を後にした。




