140.言葉に宿らぬ真実①
ルーナの脳内ではありもしない映像がぐるぐると再生され続けている。
レミが、ジェットが、ルディが、それぞれ綺麗な或いは可愛い女の人と一緒にいて、とても幸せそうにしているシーンだ。
誰が一番嫌かと聞かれても、三人とも嫌だという答えしかない。
しかし、その答えは口にしてはいけないと感じていた。
ウサギたちは丸い目をルーナに向けて返事を待っている。どこか楽しそうだ。二人ともルーナより精神年齢は幼めだが、所謂「恋バナ」に興味津々のようだった。ルーナはこれまでそういう相手はおろか、「恋バナ」をできるような相手もいなかったので、急にこんな話になって混乱していた。
困っているルーナを見て、アインが慌てて間に入ってくる。
「だ、駄目です! そんな話は──」
「えー? ないしょのはなしだもん、いいんだもん」
「そうよ。アインも聞きたいでしょ? 内緒の話だから言いふらしたりしないよ」
アインが二人を止めようとしているが、アインもルーナの話が聞きたいらしく止め方はどこか控えめだ。アインの心情を正しく理解しているウサギ二人は「内緒」を強調してアインを黙らせていた。
それでもなお二人を布団の中に押し込もうとしたアインだったが、それまでずっと静かにしていたタヌキとキツネがアインの腕をガシッと掴んだ。
「まーまーまー、いいだろ。別に」
「内緒って言ってるんだしなー」
「こ、こら! アナタたちまで……!」
傍から見るとぬいぐるみたちがじゃれ合っているようにしか見えない。
ひどく混乱していたが、その様子を見ていくらか気持ちが落ち着いた。さっきも話してしまったし、本人たちは「内緒」と言っているし、そこまで気にすることではないかもしれない。
少し気持ちが落ち着いたところでウサギたちを見つめると、彼らは並んでルーナを見上げた。
「うーん、誰が一番嫌なのかわからないのかしら」
茶色のウサギが困ったように首を傾げる。白のウサギが同じように首を傾げた。とても可愛い。
「じゃあ、ルーナはだれとぎゅっとしてちゅーしたい?」
「ええええっ?! っげほ、げほげほっ……!」
落ち着いたのも束の間。白のウサギの方からとんでもない発言が飛び出す。
驚きすぎて変な声を上げた直後にむせた。
白と茶色のウサギがルーナの目の前で手を取り合ってくるくると回りだす。楽しそうだ。
「こーやって、ぎゅーってして」
二人はぎゅうっと抱き合う。ぬいぐるみ同士の可愛らしいじゃれ合いにしか見えないのだが、微笑ましく見ていられる気分ではない。どちらもぬいぐるみには違いないのにうっすらと三人が重なるのだ。
「ちゅって」
抱き合ったまま茶色のウサギが白のウサギの頬に口元を押し付けた。
その様子をじっと見つめる。
ルディに抱きしめられたことを思い出していた。未だにどうしてルディが「抱きしめてもいい?」と聞いてきたのかわからない。だが、嫌ではなかった。ただただドキドキしていた。
ぼんやりとそんなことを思い出しているとウサギ二人がぱっとこちらを向く。
「どう? ルーナ」
「誰としたい?」
「……や、やっぱりわからないよ。そういうの考えたことがないし、……ピンと来ない……」
そう言って視線を伏せた。ウサギ二人は「そっかー」と言っている。
そんな中、アインだけがルーナのことをじっと見つめていて、その視線をひしひしと感じた。
「ルーナ。ワタクシはアナタに幸せになって欲しいと思っていますが、世の中には超えられないものがあります。アナタが何に思い悩んでいるのか、なんとなく想像はつくんですが……後押しはできません」
白のウサギが首を傾げて「なんのはなし~?」と無邪気に尋ねているがアインは「秘密です」と答えるだけだ。アインはルーナの横に立つと「もう寝ましょう」と言って、布団の中に戻るように言う。
もぞもぞと布団を被り直すとウサギたちが左右に入ってきた。
アインは枕元に立ち、ルーナの頭を優しく撫でていく。
「……イェレミアスさまがお決めになったことなら何も言いませんけどね。あの方にも幸せになって欲しいので。
ささ、もう寝ましょう。寝不足になってしまいますよ」
独り言のような言葉だった。
レミの幸せとは何だろう。全く想像がつかない。自分の将来と同じくらいに想像がつかない。
何も言えず、ただ目を閉じた。
「アイン、話を聞いてくれてありがとう。……おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
明日は謝らなければ、と思う。
嘘をついてしまったことを正直に言えるかどうかはさておき、ルーナの態度はよくなかった。笑われたのが釈然としなくても謝ることはある。
悶々とした気分のまま、しばらく眠れない夜を過ごすのだった。
◇ ◇ ◇
翌朝。よく眠れなかったせいでいまいちすっきりしない目覚めだった。
三人に謝らなければと言う気持ちと、そう言えば解呪はどうなるんだろうという気持ちを抱えたままゆっくりとベッドから降りる。眠い目を擦ってふらふらと部屋を歩き、クローゼットの前に立つ。
頭がすっきりしない。まだ寝ていたい。
クローゼットの前で瞼を閉じたり開けたりを繰り返し、やがて閉じる時間が長くなっていく。
ふらりとバランスを崩し、「あ、危ない」と思ったところで誰かに体を抱きとめられた。
「おい、倒れるぞ」
慌てて顔を上げるとジェットがいた。
「……え。……ええっ?! ジェ、ジェット!? な、ななな、なんで、部屋、に……」
これまでも無断で部屋に入ってくることはあったが、最近はいちいち確認してくれていたので突然の登場に驚く。驚きのあまりすっかり目が覚めてしまった。
「ノックしようとしたけど、変な気配がしたから?」
「へ、へんな気配……?」
「誰かさんがふらふらして転びそうな気配」
「うっ……そ、そんなことまでわかるの……?」
部屋の外にいてもわかるものなのかと驚くのと同時に恥ずかしくなってしまった。
昨日のことを思い出して、慌ててジェットから離れる。ジェットはじっとルーナを見つめていた。
「あの、ジェット」
「何?」
「……き、昨日は、その、か、勝手に怒ったりして、ごめんなさい。私、すごく態度悪くて……」
そう言って静かに頭を下げる。緊張しながら顔を上げ、ジェットを恐る恐る見上げると不意に手が伸びてきた。
「わっ」
ジェットは何か言うでもなく、ルーナの頭を少し乱暴に撫でていった。
寝起きで乱れている髪の毛を手櫛で整えていき、前髪を横に流して耳にかける。耳に触れる指先がくすぐったかった。
どうして急に髪の毛を触るのかが謎でジェットを控えめに見つめる。ジェットは髪の毛に触れたままルーナを見つめ返し、ふいっと目を逸らしてしまった。
「……俺も悪かった」
「えっ」
「笑ったりして」
ジェットが謝るなんて──。
意外な出来事だったのでぽかんとジェットを見つめてしまった。ジェットは気まずそうにルーナを見つめ返し、また視線を逸らす。その仕草が何故か子供っぽく見えてしまい、一層まじまじと見つめるのだった。
「……何だよ、その目」
「え。あ、ジェットが……謝るのが珍しくて」
「それは……まぁ、色々あんだよ」
「色々……?」
何があったんだろうと思ってジェット見つめ続けてみるが答えはなかった。
代わりに髪に触れていた手が離れ、デコピンをお見舞いされてしまう。
「いたっ?!」
「ったく、能天気なやつ。……本当は普通に暮らすのが一番良いんだろうな」
最後の一言はなんだか淋しげだった。
しかし、今更「普通」と言われても、ルーナにはその「普通」が最早よくわからない。強いて言うなら両親が生きていた頃の暮らしだろうけれど、一緒に暮らしたい両親はもういないのだ。かと言って一人で生きていけるとも思えない。
「……ジェットの言う普通ってどういう暮らし?」
「ん? このへんは田舎すぎるからもう少し都会の町で仕事して同い年くらいの人間の男と結婚して、子供作って育てるような暮らし」
ピンと来ない。というのが正直な感想だった。ぐっと握りこぶしを作り、ジェットを見つめる。
「ジェットは、私にそういう暮らしをして欲しいの……?」
やや緊張しながら尋ねてみるとジェットは驚いたようにルーナを見つめ返す。
すぐに貰えるかと思っていた答えはなく、ジェットの躊躇うような間だけがあった。




