14.ルディのアドバイス
月が明るい夜である。
淡いクリーム色の大きな月、小さめの青白い月が二つ仲良く並び、こちらを見下ろしていた。
大きな屋敷の屋根の上で、ルディがごろごろしていた。山の見回り、もとい遊んできたと言う割には汚れていない。ルディの毛並みはいつも綺麗に整えられていた。本人がまめに毛づくろいをしているからである。そういうところは猫のようだった。
屋根に立ち、ひっくり返ってごろごろしているルディを見下ろす。
「ルディ」
「どうしたの~?」
呑気に返事をするルディを見て小さく溜息をついた。そして、屋根の上に腰を下ろす。
「俺あいつダメかも」
「え? ルーナのこと?」
「変に思い切り良いくせにどうでもいいことでウジウジ悩んでイライラする」
ルディが楽しそうに「太らせてから食べる」と言っていたので興味が湧いたし、ルーナとコミュニケーションを取るのは新鮮だったが、たかだか一日でそれだけではないということを思い知った。
はっきり言って面倒くさい。
疲れた様子で溜息をつくジェットがおかしいのか、ルディが寝転がったまま笑う。
「あはは、人間ってそんなもんだよ~。そういう子はね、いい子だね、偉いね、可愛いねって褒めてあげるのがいいよ」
イライラしてもそんなことを言わなければいけないのか。
ジェット自身、そこまで積極的に魂を食べたいわけでもないので面倒が続くなら手を引こうかとも考えてしまう。トレーズにあんなことを言った手前ではあるが、ルーナの面倒はアインやトレーズ、そしてルディに任せてしまいたい。
「面倒くせぇー……それでどうなるんだよ」
「ふふ~、お肉が美味しくなるよ~」
「……本当かよ」
「父さんと母さんが言ってたから間違いないってば! 魂の味が変わるかどうかはわかんないけど」
肉が美味しくなるという与太話に呆れた。しかし、ルディの両親が言ってたというのは多少気になる。
ルディ自身も彼の両親も、長年に渡り人間と共存していたのだ。そして、ルディは両親のことが大好きだった。見知らぬ相手ならまだしも、付き合いの長いルディの「父さんと母さんが言ってたから間違いない」という言葉は、少々否定しづらかった。ルディの両親は二百年前の戦争に巻き込まれて命を落としているので、余計に。
時折、ルディとも、レミとも、こんなに長く付き合うんじゃなかったと思ってしまう。
こんな自分自身が馬鹿馬鹿しくて、呆れるのだ。
「食べ比べするにも比較対象がねぇしな……」
「どっかから似たような子を調達してくる?」
「面倒」
「あはは、言うと思った~」
ルディが起き上がって屋根の上に座り直した。
そして、意味ありげにジェットに視線を向ける。
「……ジェットさぁ、今日ずっとルーナと一緒にいたでしょ? それは流石に疲れるし、イライラしちゃうよ~。ちょっとずつ一緒にいる時間を増やすのが良いと思うな。……アインやトレーズは元々人間と一緒にいるように作られてるけど、僕らは違うでしょ? それにジェットがいるとアインもトレーズも気を使っちゃうし、ルーナはきっと緊張しちゃう。だってジェットって怖いしね!」
獣のくせによく見てると思いながら耳を傾けた。
なんだかんだでルディも両親とともに人間と共生を続けてきた実績があるのだ。メインの交流は両親に任せっぱなしだったようだが、それでも生贄を貰いながら持ちつ持たれつでやってきていた。二百年前の戦争で全てなかったことにされてしまったけれど。
ルディと比べれば、ジェットが人間といた時間は長いとは言えない。
「だから僕はずっと一緒にいないんだよ~。お互い疲れちゃうし、全然違う種族だしね。ちょっとずつ、様子を見ながらやってこーよ。すぐに太って食べ頃になるわけじゃないから」
悔しいが一理ある。ルディにこんなことを教えられるのは癪だったが、今は大人しく聞いておいた。
ルディを見ると彼はにこりと笑う。
人懐こい笑みだ。
「わかった?」
「まぁ一応」
「それから……なんて言うか、ジェットって観察したがるじゃん。自分で勝手に観察しといて勝手にイライラするの、どうかと思うよ~」
「うるせぇな」
ふいっと顔を背ける。しかし、嫌なところを突かれた。
確かにルーナがどんな人間なのか、何か嘘をついてないかを確かめたくて、観察するつもりで傍にいたのだ。結果として失敗だったので、今後はルディの言う通り距離感を見定める必要があるだろう。
ルディが夜空に視線を戻す。
「レミはもう少し関わって欲しいけどね~。あのまま人間の血が飲めないのは困るだろうし」
「っつっても……またずっと寝てるんだよ、あいつ」
「そっか~……レミ、なかなか魔力が回復しないね」
回復させたくても、その源である血を飲もうとしないのだから回復しようがない。他の方法もあるだろうが、目立った行動になるのであれば避けたいのだ。
こればかりは待つしかないのが現状だった。
ルディの耳がぴくりと動いたかと思いきや、屋根の上から降りるために立ち上がる。
「僕、ルーナのところに行ってくるね。今日も一緒に寝てあげるんだ~」
そう言えば昨日は同じベッドで寝たと言っていた。ベッドはそう大きくなかったが、大丈夫なのだろうか。
「……寝辛くね?」
「ルーナって寝相がいいんだよ。それにあったかいから、これからの季節は丁度いいかな」
あっけらかんと答えるルディ。寝ている間は別に喋るわけでもないので、寝相が悪くない限りはルディにとっては傍にいてもいい時間らしい。
睡眠を必要としない悪魔からするとよくわからない基準である。
ルディは「じゃーね」と言って屋根から降りていってしまった。それを見送ってから、再度月を見上げる。
何をするでもなく、その夜は屋根の上で過ごすことになった。
◇ ◇ ◇
トレーズが言っていた通り、部屋には新品の衣類などが置いてあった。
他にもパンや調味料などを買ってきてくれており、それらは厨房に置いてくれている。やはりここまでしてもらう必要はないような気がするのだが、ジェットの言葉を思い出すと断るということができなかった。
用意して貰った寝間着に着替え、ベッドに腰を下ろす。
小さく溜息をつき、手の中にあるくすんだピンクのリボンを見た。
謝らなくてはと思うものの、上手く謝ることができるかどうか不安である。
「……ちょっと怖い、かな……」
村のことを少し思い出してしまったのが良くなかった。
リボンを握りしめ、ゆっくりと深呼吸をする。村とは違う、と言い聞かせた。
不意に、扉がノックされる。
「え、」
「ルーナ、僕だよ~。入るね~」
ルディの声だ。彼はルーナの返事を待たずに、昨日と同じように器用に前足を使って扉を開けて中に入ってくる。扉を閉めるのも忘れなかった。
とっとっと、と歩いてきて、ベッドに飛び乗ってくる。
「もう寝るんでしょ。寝よ」
「……ルディも一緒に、ですか?」
「うん。一緒に寝た方があったかいしね。ほらほら」
ぐいぐいとルディに押されるような形でベッドに寝転んでしまう。手の中のリボンは枕元に置いておき、もそもそと布団の中に潜り込んだ。
ルディも一緒になって布団の中に潜り込んでくる。ふー、と息を吐き出して、リラックスした表情を見せていた。
「……ねぇ、ルーナ。ジェットのこと、怖い?」
さっきまで思っていたことを確認されるように聞かれたことに驚き、そして言葉に詰まった。
ルディに対して本当のことを言っていいのかどうか悩んでしまうのだ。
ルーナの気持ちを察したのか、ルディは続けて話す。
「態度はでかいし口悪いし気紛れだし、そもそも悪魔だし……人間とは違うから多分怖いよね」
「……い、いえ、」
「でも、だからこそハッキリ言っちゃって大丈夫だからね。怖いって言っても別に傷付かないし、むしろ言わない方がジェットはイライラしちゃうから」
そう言われても──と言うところである。
そもそもルーナは村での扱いのせいで自己主張が苦手になってしまい、本心を上手く話せなくなっていた。そんなルーナの困惑を感じ取ったのか、ルディは続ける。
「違うからこそ、ちゃんと言って伝えないとね。……疲れちゃった、おやすみ~」
「……おやすみ、なさい」
そう言ってルディは目を閉じてしまった。その横顔を見つめてから、天井を見上げる。
違うからこそ。
そんなこと考えもしなかったなぁと思いながらゆっくりと目を閉じた。
ルディのぬくもりのお陰ですぐに睡魔に襲われ、ジェットの怖さなど忘れたように寝入ってしまった。
この世界には月が二つ。太陽は一つ。




