139.胸のざわめきと長い夜
(もうもうもう~~~~~!!!!)
ルーナはムカムカしたまま部屋に戻った。
一緒に寝るために待機していた使い魔たちはこれまでに見たことがないルーナの苛立った姿を見て驚き、それぞれ顔を見合わせていた。
しかし、今のルーナに周囲を気遣うような余裕はない。苛立った状態のまま着替えてベッドに潜り込んだ。
アインがそーっとベッドの上がってきてルーナの顔を覗き込む。
「……あの、何かあったんですか?」
「……。……何もないよ」
決して何もなかったわけじゃないのは丸わかりの返事になってしまった。しかし、ルーナ自身が自分の苛立ちの正体をわかってないのに、それを誰かに説明できるはずもない。
不意に布団の中から何かがもぞもぞと動き出した。「え」と驚きの声を上げるのとほぼ同時に、ルーナの左右からひょこっと二人のウサギが顔を出す。茶色と白のウサギたちだ。
「イェレミアスさまとけんかした?」
「ジェット様やルディ様に意地悪されちゃった?」
喧嘩、意地悪。どっちも当てはまる。
何とも答えられず、というか答えたくなくて黙ってしまった。よくよく考えると自分の反応にも問題があったように感じる。一番はジェットの言い方で、その次にレミとルディが笑っていたことだ。何もあんな風に言わなくてもと思ってしまった。
しかし、最初に不機嫌だったのはジェットたちだったのに、別れる頃にはルーナの方が不機嫌になっていた。
そう言えば、彼らに対してあんな風に不機嫌さを露わにしたのは初めてだったかもしれない。
左右を見れば、ウサギたちがルーナの顔を覗き込んでいる。
「……わからない」
「どうして? おこってるのに、なににおこってるのか、わからないの?」
「こ、こら! もう寝ないと駄目ですよ……!」
白いウサギが不思議そうに問いかけてくる。アインが慌てて止めに入るが、いつもと違ってチラチラとルーナを気にしている。どうやらルーナの様子が普段と違うのが気掛かりらしい。
ウサギを順に見つめてから、最後にアインへと視線を向ける。
「聞いてくれる……?」
「いいよー!」
「聞く聞くー」
「え゛。あー……ルーナが話したいなら、聞きますよ……」
このモヤモヤやムカムカは自分ひとりでどうにかできそうにない。そう思って聞いてみると、ウサギたちは二つ返事で頷き、アインは困ったように頭を揺らしてから控えめに頷いた。カメ、キツネ、タヌキはさっきから黙って話を聞いている。
ゆっくりと起き上がって、ウサギたちを膝の上に乗せた。
「……自分でもよくわからないの。ジェットが、他の女の人を連れてても平気かって聞いてきて……私は、へ、平気って答えたんだけど、三人とも笑うんだもん……」
さっきの会話を思い出して口の中が苦くなった。
またジェットが、レミが、ルディが、自分じゃない女の人と一緒にいるところを想像してしまったのだ。面白くない気持ちが蘇り、口を尖らせてしまった。
ルーナの言葉を聞いたウサギは顔を見合わせている。
「ルーナは本当に平気なのかしら?」
茶色のウサギが不思議そうに尋ねてきた。
さっきのように「平気だよ」と言えればよかったのにすぐに答えられない。ぎゅ、と布団を握りしめて俯いてしまう。
「……平気、じゃ、ない……」
「どうしてうそついちゃったの?」
「……私に、そんなこと言える権利、ないから」
視界の端でアインが焦ったように手をばたつかせている。そんなアインを気にするでもなく、ウサギたちはもう一度顔を見合わせて首を傾げた。
「三人が決めたことに私が文句なんか言えないよ。それに、三人にしてもらってばかりだから、我儘言って困らせたくないし、……呆れられたり嫌われたくない」
嫌なことは嫌だと言え。と、幾度となく言われてきた。
さっきはフェイにだって言われてしまった。
しかし、言えることと言えないことがある。彼らが選んだ女の人に対して、「嫌だ」なんて口にはできない。笑顔で祝福せねばと思うのは当然だった。
「イェレミアス様は呆れたり嫌ったりしないと思うけどー……?」
「ルーナがうそつくほうがかなしいとおもうよ?」
「……でも、笑ってたよ」
拗ねたような言葉が口をついて出た。
それまで焦ったように手をばたつかせていたアインがウサギたちの間からにゅっと顔を出す。
「ル、ルーナ! お、恐らくですが、問題点が二つあって、ごっちゃになっていると思われます! 冷静に考えてみませんか?」
「……どういうこと……?」
アインが真っ直ぐルーナを見つめてくる。意味がわからず、首を傾げてしまった。
「まず、平気だと言ったルーナを御三方が笑った時に感じた感情の問題」
「うん……」
「そして、その前にジェットさまがルーナ以外の女性と一緒にいて平気かと聞いた時に感じた感情の問題。恐らくこの二つは別物ではないですか? 本当はどっちがより嫌だったんですか?」
アインに言われた通り、冷静になって考えてみる。
もう思い出したくもなかったが、発端になったジェットのセリフを思い出す。
──俺らがお前じゃない女を連れて可愛がってたら平気?
モヤモヤ、ムカムカ。面白くない気持ちが胸のうちに広がっていく。
同時に悲しくなってきた。
鼻の奥がツンとして、泣き出したくなってしまう。
アインの言う通りだった。モヤモヤやムカムカのその奥に悲しみがあった。悲しみは笑われたことで行方不明になってしまい、面白くない気持ちだけが残ってしまったのだ。
涙が溢れそうになり、思わず膝を抱えてしまった。
「……他の女の人と、一緒にいて欲しくない」
ぐすん。と鼻をすする。
言葉にすることであやふやだった自分の気持ちが明確になった。
「でも、私にそんなこと言う権利は……やっぱりないよ……人間だし……」
ぎゅうっと膝を抱える腕に力が籠もる。
三人のように友達でもないし、それ以外のどんな関係も当てはまらない。ただレミの屋敷に住まわせてもらっているだけだ。
彼らが決めたことに「嫌だ」なんて、やっぱり言えるとは思えない。
膝を抱えて泣くのを堪えているとアインがそっとルーナの頭を撫でる。
「まぁ、確かに難しいですよね……」
ルーナに同調するアイン。そっと顔を上げてアインを見つめた。
が、左右にいるウサギたちは不思議そうに首を傾げる。
「えー? そうかなー? いっちゃえばいいのに」
「そうそう。言っちゃえば良いのに。そうしたら笑わなかったと思うわ」
「だよねー。いっぱいあまやかしてくれたかもしれないのにね」
「ねー」と笑い合うウサギ。その様子をアインと一緒にぽかんと見つめた。
そんなに単純な問題でもないと思うのだが、どうしてこの二人は楽観的なのだろうか。しかもどうして「甘やかしてくれる」などという発想になるのかもわからない。
アインは二人のことを困惑気味に見つめている。
「ど、どうしてそう思うのですか……?」
「えー? だって、イェレミアスさまもジェットさまもルディさまもうれしいとおもうし」
「な、何が……?」
「ルーナが他の女の人に嫉妬してくれたら嬉しいんだわ、きっと」
ウサギは再び「ねー」と笑い合った。
嫉妬。──嫉妬?
馴染みのない単語が頭をぐるぐると巡る。
このモヤモヤとムカムカ、悲しいと思う気持ちが嫉妬?
唖然としているとアインがまた両手をばたつかせていた。が、それを気にする余裕などない。
「ねー、ルーナ」
「……ぇっ、な、なに?」
「ルーナは誰のことで一番嫉妬したのかしら?」
「誰、って……?」
ウサギたちは無邪気に聞いてくる。生まれて初めて「嫉妬」というものを経験したルーナはひどく混乱していた。無邪気なウサギたちの質問の意味すらすぐに飲み込めない。
だが、混乱するルーナなど気にせず、ウサギたちは左右から楽しそうにルーナを見上げた。
「女の人、誰と一緒にいるのが一番イヤ?」
「イェレミアスさま? ジェットさま? ルディさま?」
また頭が真っ白になった。
うまく思考できず、頭の中がごちゃごちゃしてくる。
誰が、だなんて。
決められない。考えられない。
だって三人のうち誰が知らない女の人と一緒に仲良くしていても──同じくらい嫌なのだ。




