138.「もしも」と嘘を重ねて②
ルーナを怒らせてしまった──。
しかも横からフェイに口出しをされた挙句、「性格が悪い」などと言われてしまっては面白いわけがない。
ルーナをからかった結果怒らせてしまったことは、こっちの気持ちを微塵も察しないルーナにも非があると感じている。だからそこはお互いの感情で差し引きゼロのつもりだ。ルーナがそのことに一切気付いてなくとも、少なくともジェットたちの心情的には釣り合いが取れていた。
が、フェイに言われたことは別である。
若干の苛立ちを覚えつつ、三人は部屋の前から屋根の上に移動していた。
いつだったかルーナと見上げたような夜空が広がっている。
「……途中まで楽しかったのにあのクソ堕天使」
チッと舌打ちをしながらクリスたちの部屋を離れる。
同調するかと思っていたルディは微妙な顔をしてジェットを見つめており、レミも苦い顔をしていた。不思議に思いながら二人の顔を交互に見比べる。レミもルディもジェットをじーっと見つめていた。
「あのさ、ジェット」
「あ? ていうか、何だよその顔」
「……楽しんじゃった僕が言うことじゃないんだけどさ~……さっきの、やっぱり良くないと思う」
どういう意味かわからずに目を細める。見れば、レミもルディに同調しているようだった。
「ジェットが嘘ついてるかどうかわかるって僕らは知ってるけど、ルーナは知らないじゃん? なんかさ、フェアじゃないよね」
「フェア?」
一体何を言っているのか、ジェットには理解ができない。
フェアだなんて、悪魔と人間の関係が何の柵もなく対等であるなんてあり得ない。しかも相手は何の魔力を持たないただの人間である。人間とであれば『契約』をして初めて対等な位置に来るのだ。もちろん、人間の側が、である。
「……ジェットはルーナを下に置きたいのか?」
「特定の条件下の話であればそう」
「そういう意味で聞いているんじゃない」
レミが盛大にため息をついた。かなり遠回しな言い方だったがレミには正しく伝わっていたらしい。ルディは一瞬だけ訝し気な顔をした後で、発言の意図に気付いてむっとしている。
あまり風に乗せたい話題でもないなと思い、周囲に防音魔法を張った。防音魔法を張ったことを確認したレミが肩を落とす。
「お前がルーナに抱いているのは支配欲なのか、と聞いている」
支配欲──。
少し考えこんでしまった。だが、事細かにレミやルディに聞かせる必要はないと思い、軽く肩を竦める。
「それもある」
「も? 他にも何かあるのか?」
「何これ尋問? 答える義務あんのかよ」
睨むようにしてレミを見る。
レミが怯んだりすることはなかったが、苦い表情をしていた。ルディは口を尖らせている。
「ジェットがルーナのことを支配したいだけならもうルーナと一緒にいて欲しくない。……それ、多分村の人間がやってたことと一緒じゃん」
ルディの言葉に目を細める。村の人間と一緒と言われると非常に不愉快だった。
この屋敷に来た時のルーナはぼろぼろだった。最初こそ何とも思わなかったが、今となってはルーナをあんな風に扱っていた人間たちに怒りを覚えるくらいだ。済んだことだし、ルーナが表立って何も言わないので、とやかく言わないだけである。
そんな人間たちと一緒にされて面白いわけがない。
瞬間的に怒りはしないものの、いまいち釈然としなかった。
「なんだよ、急に」
「おんなじこと考えてたのかな~? って思ってたんだけどな。違うなら、僕もうジェットとは一緒にいられないかも」
「じゃ、フィロとの『契約』は終わりでいい?」
「いいよ。っていうか、もういつ『契約』は終わらせてもいいくらいだよ。……むしろ、続けてもらう理由がないよね」
そう告げるルディの目は真剣そのものだった。
フィロとの『契約』は「この先できる限り、ルディと一緒にいて欲しい」というものだった。最早『契約』などあってないようなもので、ただ一緒にいて苦じゃないからという理由で行動を共にしていたように思う。だから、もう『契約』なんていつ終わらせてもよくて、『契約』関係なしに一緒にいればいいだけだ。
ただ、まさかルディの方から「いいよ」と言われるとは思わず、驚いてしまった。
てっきり自分が先に放り出すと思っていたのに。
しばしルディのことを見つめていると、ルディが困ったように笑う。
「だって、『契約』があると二人とも僕の保護者みたいな顔するじゃん? ルーナの前でそういう態度取られるの嫌だし、ルーナもなーんか二人のことを僕の保護者みたいに感じてる気がするんだよね~。
そろそろ潮時な気がするよ。もちろん、レミもね。
それにさ~、このままだと二人とルーナの取り合いできないもん」
けろっと笑って言うルディ。
途中でレミへと視線を送っていた。当然レミは少し驚いていたが、彼自身ルディのことをずっと案じて、『契約』がなくとも個人的な約束としてルディの傍にいて、知識を与えたり必要な礼儀作法を叩き込んできた。それももう不要だと、ルディは言っているのだ。
レミが肩を竦めて小さく笑う。
ジェットは屋根の天辺に腰を下ろし、そのまま後ろにひっくり返った。
反対側の屋根の上に背中を乗せているので背が反り、人間として考えれば結構きつい体勢である。が、肉体的な制約を大きく受けないジェットにとっては大した体勢ではなかった。無論、人体が取れない体勢であればダメージもある。
景色が逆さまに見える。
暗い森が上に、月や星が浮かぶ空が下に見えていた。
本来なら独占欲などがもっと幅を利かせてもいいだろうに、何故かジェットの中ではそうならないでいる。
「……俺は別に取り合いしたいとは考えてねぇんだよなぁ」
「考えてない……?」
「??? どゆこと?」
レミが訝しげな顔をし、ルディが不思議そうに首を傾げる。
──それはルーナに恋愛感情を無理やり植え付けた時、ジェットだけに感情を向けるルーナを見て気付いたことだった。
ルーナがジェットを、ジェットだけを見つめるのは非常に気分が良かったが、物足りなさを感じてしまったのだ。我ながら馬鹿げた考えだと自嘲する。
「今のままでいい」
短く告げる。すると、レミもルディも目を丸くした。
「今のまま?! クリスとフェイもいるけど?!?!」
「そうじゃねー……」
ルディには真意が伝わらなかったらしく、的はずれなセリフには脱力してしまった。
しばし考え込んでいたレミがジェットの顔を覗き込んでくる。眉間に皺を寄せて険しい表情をしていた。
「まさかお前がそんなこと言うなんて思わなかったが……正気か?」
「さぁな。ただ、俺だけのものじゃなくていいって思っただけ」
ふ。と笑ってレミを見返す。
ルディは頭上に「?」を浮かべているような状態で、ジェットとレミのやり取りの意味が伝わってない。「ルーナの取り合い」と言っているのだ。ジェットが何を考えているのかなんて伝わるはずもないだろう。
「そういう意味ではしたいのかもな、支配。──お前らも含めて」
言いながらゆっくりと起き上がって、屋根の上に立った。
怪訝な顔をするレミ、わけがわからないと言わんばかりの顔をしているルディをそれぞれ眺める。
「え、えええ? 意味わかんない……僕、これまでで一番ジェットの考えてることがわかんないかも……」
「簡単だよ。俺の思い通りに動いて欲しいってだけ。でも、できれば自主的に考えて動いて欲しい」
「……まぁ、頭の片隅には入れておくべきなのかもしれないな」
「流石坊ちゃん。察しの良いことで」
「坊ちゃんは止めろ」
わかりやすくからかうとレミがジェットを睨んできた。視線に対しては少し笑うだけだ。
「えー? レミはジェットの言ってることがわかるの~?」
「わかるというか……ルディはルーナが『三人とも好きだから選べない』とでも言い出したらどうするんだ?」
問われた瞬間、ルディがぽかんと目と口を開ける。考えたこともなかったと言わんばかりだ。
直後、ルディは視線を彷徨わせて考え込む。
ルディの脳内でルーナが申し訳無さそうに顔を背けて「三人とも好きだから誰かひとりなんて選べないよ」とか「好きとかよくわからないから……」とか、そんなようなことを言っているのだろう。
そんなシーンがあまりと言えばあまりに容易に想像できてしまったからか、ルディはまたぽかんとしてしまった。
「えっ?」
ルディが間の抜けた声を発した。
「え、え?」と更に声を上げ、ジェットとレミを見比べている。ジェットもレミも「どうするんだ?」と視線だけで問いかけてみるが、ルディは一向に答えを言おうとしなかった。
そのまま三人は黙り込んだ。
答えが出ることはなく、静かな夜を過ごすだけとなった。




