137.「もしも」と嘘を重ねて①
部屋を出た瞬間、ルディにがしっと両肩を掴まれた。
ものすごく真剣な顔で見つめてくるものだから何事かと思って動揺する。
「クリスと結婚なんかしないよね?」
「し、しないよ? 結婚なんて考えたことなかったし、クリスさんのことだってよく知らないし」
「その返事だとクリスに希望があるってことになるじゃん!? クリスがいいやつだと思ったら結婚考えてもいいってこと?!」
「えっ?!」
肩を掴む力が強くなる。
そういうつもりは全くなかったのだが──ルディの顔があまりに真剣だったので言葉に詰まった。ルディは黙っていることを肯定と捉えたのか、表情が険しくなる。肩に指先が食い込んできて痛いくらいだった。
ルディに手を離してもらおうとしたのだが、びくともしない。
「ル、ルディ、痛いよ……」
「おいバカ。離せ」
痛いと訴えたところで、ジェットがルディの額を押さえてそのまま反対側に押し返したのでようやく手が離れた。ルディは額を押されてややのけぞり気味になり、口を尖らせてジェットを見つめている。
「先走るなって何度言わせんだよ」
「だ、だって……」
「しないって言ってんだからそれでいいだろ。ルーナ、そうだよな?」
「う、うん」
強い口調で念押しのように聞かれてこくこくと頷いた。
正直、どうして二人がルーナの結婚に拘るのか謎である。結婚なんてあまりに遠い話で両親が生きていた時くらいしか考えたことがない。しかも当時だって「お父さんみたいな優しい人と結婚する!」という子供にありがちなことしか言ってなかった。具体的に結婚など考えたことがあるはずがない。
レミは会話には入ってこないが、難しい顔をして腕組みをしている。ルディやジェットと同じく不機嫌そうにも見えた。
「……あの」
遠慮がちに三人を見つめて声を掛ける。不機嫌そう表情のまま視線だけが向けられた。
「どうしてそんなに不機嫌そうなの……?」
ドギマギしながら聞いてみると、三人は顔を見合わせて──これでもかというほどに大きなため息をついた。
何か変なことを聞いてしまったのかと更にドギマギしているとジェットがずいっと近付いてルーナに顔を近づけてくる。滲み出る不機嫌さもあって圧倒されてしまい、思わず一歩後ろに下がってしまった。
金の目がルーナを真っ直ぐに射抜く。
不機嫌になったのは決してクリスだけが原因ではなく、ルーナにも原因があるのだとその時気付かされた。
「ルーナ。俺らがお前じゃない女を連れて可愛がってたら平気?」
「……え?」
頭が真っ白になった。
その後、レミ、ジェット、ルディそれぞれが自分以外の──彼らにルーナがお似合いだと思うような女性、もしくは少女と仲良くしているシーンが脳裏に浮かんだ。しかもルーナが近くにいるのに見向きもせずに見ず知らずの女の人と去っていってしまう。そんな光景が広がる。
面白くない。
非常に面白くない。
胸の中がモヤモヤしてムカムカする。
それでいてひどく悲しい。
こんな気持ちは初めてだった。
それ以上考えたくなくてふるふると首を振る。そして、胸元を押さえてジェットから顔を逸らしてしまった。
「……ジェットが誰といて、誰を可愛がってても……わ、私が何か言える立場じゃない、と思う。……私は、別に平気だよ」
本当は「平気じゃない」「そんなの嫌だよ」と言いたかったのに言えなかった。
それを伝えるほどには思いきれない。ジェットが誰といても、誰のことを可愛がっても口出しする権利などない。こんなにもしてもらってばかりで、甘やかしてもらっている身で、どうしてそんな勝手なことが言えるだろう。
自分以外の女の人に目を向けないで欲しい、なんて。
本心など言えるはずもなく、「平気だよ」などと嘘をついてしまった。
「ふーん?」
ジェットの金の目が怪しく光る。さっきとは打って変わって楽しげな表情になっていた。
楽しげな表情のままレミとルディに視線を向ける。すると、レミとルディは少し驚いた顔をしてから、肩を竦めて笑っていた。
「平気、ねぇ? 本当に?」
「……本当だってば」
「絶対?」
「ぜ、ぜったい……」
楽しげに笑うジェットの顔をまともに見ていられない。まるでルーナから「本当」「絶対」という言葉を引き出すための会話に思えてしまう。応えれば応えるほどに嘘が露呈しそうで恐ろしい。
気まずくてジェットから顔を背けたままでいると、不意にジェットの手がルーナの頭に乗る。
わしゃわしゃとかき混ぜられ、あっという間に髪の毛がぐしゃぐしゃになってしまった。
「今はそういうことにしといてやるよ」
「な、なにそれ。そういうことって……べ、別に私は──」
「俺がお前以外の女とイチャイチャしてても平気なんだもんな?」
「いっ……?! へ、平気! 平気ったら平気!!」
「はいはい」
今までになく意地悪だと思った。平気だと言っているのにまともに聞いてくれていない。しかも適当にいなされている。
さっきまではジェットたちが不機嫌だったのに、ルーナが不機嫌になっていた。
イチャイチャだなんて──そんな言い方しなくてもいいのに。
しかも、ジェットとのやり取りを黙って見ているレミとルディは声を殺して笑っている。ルディに至っては声を殺したままお腹を押さえ笑っている始末で、余計にムカムカしてしまった。
自分が笑われているのだと気付いて、顔がかーっと赤くなる。
ぎゅっと握りこぶしを作ってぶんぶんと上下に揺らした。
「本当に平気だったら!!!!!!」
叫ぶように言うと、三人とも一瞬だけきょとんとした。
が、すぐほぼ同時に「ぷっ」と吹き出して今度は声を上げて笑い出す。本当にどうしてこんなに笑われているのかわからず、一層ムカムカする。そのムカムカのやり場がなく、握りこぶしを揺らすしかなかった。
もう一度何か言おうとしたところで、バンッ! と勢いよく客室の扉が開け放たれた。
扉の向こう側にはこれまた不機嫌そうなフェイがいる。
「ちょっと。さっきから部屋の前でギャーギャーうるさいんやけど? こっちは結構深刻に説教中なんやから痴話喧嘩は余所でやってくれへん?」
不機嫌かつ呆れ顔。
シッシッと追い払うような仕草までされてしまっては、それまで楽しそうだったジェットたちのテンションが一気に下がるのが見て取れた。
「痴話喧嘩じゃねー……」
「じゃあ何なん? ルーナちゃんをからかって楽しむような性格の悪い真似しとらんと、さっさと言うこと言えや。君たちはそれで楽しいかもしれへんけど、ルーナちゃんはちっとも楽しくないんやからな、それ。嫌われても知らへんで」
「お前には関係ねぇだろ」
ジェットはひたすらうざったそうだ。しかし、フェイはすっと目を細めて三人を睨んだ。
「ある。自分の目の届く範囲で人間が不幸になるんは見逃せへんわ。しかも悪魔相手に」
きっぱりと言い切るフェイ。その言葉にジェットが黙り込んでしまった。「悪魔相手に」という言い回しが引っかかったのは明白で、更に不機嫌になってしまった。
自分が大声を出したからと焦ってフェイを見る。
「ごめんなさい。うるさくしちゃって……」
「ああ、ええよ。こっちの大人げない三人に言うただけやから。ルーナちゃんは気にせんでや」
「で、でも──」
ルーナの言葉を遮るように、フェイがゆるゆると首を振った。笑みを浮かべてルーナを見つめる。
「自分はルーナちゃんが幸せになってくれたらええんや。せやけど、嫌なことは嫌って言わなあかんよ。こいつらに人間の常識や年頃の女の子の繊細な気持ちなんてぜーったいわからへんから」
「……色魔みたいなやつに言われたくない~」
「全くだな……」
ぼそ。と、ルディが呟き、それにレミが同調していた。
堕天使とは言え、フェイも三人から散々な言われようである。ルーナから見ると人懐っこい存在にしか見えないのだが、クリスもフェイがどさくさに紛れて触るだの何だの言っていたのでルーナの知らない一面があるのだろう。
「ったく。ルーナちゃんの前で誤解招くようなこと言わんでや。──ちゅーか、もう解散解散。ルーナちゃんを夜ふかしさせんと、はよ寝かせぇや。じゃな」
そう言ってフェイは部屋に戻って扉を閉めてしまった。
静かになった廊下に残された四人。
顔を上げたところでジェットの顔が目に入り、さっきのムカムカを思い出してしまった。
「おやすみなさいっ!!」
まともに誰の顔も見られず、慌てて顔を背けて走り出す。そのまま逃げるように部屋に戻るのだった。




