135.狂気に触れる声
フェイに渡された薬を三本飲み終えた翌日。
朝からクリスがルディと一緒に部屋にやってきて、ルーナの様子を見に来た。
クリスもフェイも三人に信用されてないからか、ルーナの元を訪れる時は必ず誰かと一緒に来るようになっている。二人から誰かしらに声をかけているようで律儀だし生真面目である。が、そこまで信用されてないということだ。
クリスはルーナの顔色、そして少しだけ背中に触ってから「今日の夜に解呪をしますので部屋に来てください」と言って出ていった。
どうやら中和は上手く進んでいたようだ。
ルディに「よかったね」と言われて嬉しくなる反面、本当に『呪い』が解けるのかと緊張してきた。
そして夜。
いつぞやのように三人と一緒にクリスたちのいる部屋を訪れた。
「さて、では解呪について説明させていただきますね」
クリスはにこやかに笑い、魔法陣の前に立つ。魔法陣は薄い黄緑色に発光しており、浄化の効果があるという話だった。
「まず、以前説明させていただいた通りこの魔法陣の中に入って頂いて浄化の力を発動させます。ちょっとした『呪い』ならそれで解呪できますが、ルーナさんの『呪い』は多分無理でしょうね。ただ、これは人体への負担の少ない方法なので試させてください」
人体への負担。余計に緊張してきてしまった。
ついつい「痛くないか」と聞いてしまう程度には痛いのが嫌だ。祖母から殴られてきた影響が強く、身が竦んでしまう。仮に痛みがあったとしても、それは祖母からの暴力とは違うのだと頭ではわかっている。けれど、恐ろしいことには変わりがない。
ぎゅう。と、両手を握りしめる。
クリスがルーナを見てにこやかに笑いかけてきた。
「ルーナさん。ご納得いただけましたら魔法陣の中へどうぞ。他の方法はきちんと説明をしながら行いますので大丈夫ですよ」
「は、はい」
緊張した面持ちで頷く。三人の顔を順に眺めてから魔法陣の中へと入っていった。
指輪を外すように言われたので指輪を外してクリスに渡す。
「フェイ」
「はーい。ルーナちゃん、ほんのちょっとだけくすぐったいかもしれへんけど我慢してな」
「う。は、はい……」
またくすぐったいのかと身構えた。
フェイが魔法陣に両手を翳すと、薄い黄緑色だった光が黄色に変わる。
同時にふわりと髪やスカートがほんの少しだけ浮き上がった。魔法陣から少しだけ風が出ているような感じだ。フェイが言う「くすぐったさ」は感じなくて、代わりに体の奥がじんわりと温かい。嫌な感じは一切しなかった。
両手を開いて手のひらを見てみるが、特に変わったことはなさそうだ。
クリスを見ると困った顔をしていた。
「うーん。やっぱり駄目ですね」
「……解けてない、ですか?」
「ええ、残念ながら。というわけで次の方法に行きたいと思います」
クリスがそう言うとフェイがもう一度魔法陣に手を翳す。すると、色がまた黄緑色に戻った。
「ルーナさん」
「は、はい!」
「いくつか方法がありますので選んでください」
「え?」
そう言ってクリスはにこやかに指を三本立てた。つまり、三つ方法があるということらしい。
しかし、ルーナが選ぶ意味があるのだろうか。不思議に思いながらクリスの言葉に耳を貸す。
「まず一つ目、貴女が受けた『呪い』をそのまま呪術師に返す方法。呪詛返しと呼ばれています。
二つ目、『呪い』を別の人間にそっくりそのまま移す方法。
三つ目、もっと強い浄化で『呪い』を消し去る方法。この三つです」
ルーナはきょとんとしてしまった。
本当に何故それをルーナに選ばせるのかわからない。こんなのどう考えても三つ目しか選びようがないのに。何か意図があるのは間違いないだろうが、残念ながらルーナにはその意図が読み取れないのだ。
困惑しつつレミたちを振り返ると、驚くことに三人とも「一つ目を選べ」と言わんばかりの顔をしていた。
まさかの反応に驚き、慌てて三人から顔を背けて目の前にいるクリスを見る。
「あ、あの! 私は、三つ目がいいんですけど……どうして、他の選択肢があるんですか?」
やや強い口調で言うと背後からがっかり感が伝わってくる。
三人の気持ちには気付かないふりをしてクリスを真っ直ぐ見つめると、クリスは目を細めて微笑んだ。
「それはですね、三つ目が貴女に一番負担があるからです」
「……え」
「『呪い』というのは厄介で、怨みつらみなどの執着心の集大成です。それをなかったことにするのは難しいんですよ。強い『呪い』であればあるほどね。ですが、『呪い』をそっくりそのまま返す、もしくは移すのはさほど難しくないですし、負担も少ないんです」
言葉を失った。
消すことよりも返したり移すことの方が難しくないだなんて思わなかったのだ。
「ちなみに二つ目の場合は私が引き取ります。一年後、ひょっとしたら死ねるかもしれませんしね」
「まー、体に『呪い』の影響が出て少ししたら自然解呪されとると思うわ」
どくん。どくん。と心臓がうるさい。
クリスとフェイの言葉はひどく軽い。二つ目の方法で自分に『呪い』が移されることを何とも思ってないようだ。
うるさい心臓の音を押さえるように胸に手を当てる。
「う、移した場合、クリスさんの体調は……?」
クリスはただ笑うだけで答えなかった。
フェイが言った「体に『呪い』の影響が」というのは体調に異変があるということだろう。クリスが死にたがっているのはレミたちに聞いた。だが、死に至るまでの時間を苦しまないわけではないのを目の当たりにしている。自分のせいで、と思うようなことはしたくなかった。
緊張が体を支配する。すぐに答えは出せそうにない。
「……三つ目の方法で私の体に負担って、どういう負担ですか?」
「浄化の炎を使うので熱くて痛いという感じでしょうか。無理やり消滅させるので、お勧めはしませんね」
クリスが微笑む。その顔を直視できず、俯いてしまった。
熱いのも痛いのも嫌だ。だが、自分の負担を他人に押し付けていいのか──?
そんな迷いが生まれ、どれも選べなかった。
「ルーナ、迷うな。一つ目でいい。『呪い』なんかを扱う人間に問題がある。自分の責任は自分で負うべきだ」
背後から怜悧な声が届く。
恐る恐る振り返るとレミがやけに冷たい表情でルーナを見つめていた。その視線にゾクリとしてしまい、またも俯いてしまった。
「そーだよ、ルーナ。どうして迷うの? 『呪い』はルーナのせいじゃないんだし、術者に返しちゃえばいいよ」
「呪詛返しくらい相手だって多少は想定してるだろ」
三人の言うことも理解できる。
だが、吸血鬼が怖くて『生贄』を差し出した村人たちの気持ちもわかるのだ。同じ人間だから。そして、呪術師はそんな村人たちに依頼されただけ。
──ルーナは呪術師のことを知らない。レミと関わりがあるとは考えてもいない。
だからこそ迷っていた。
本当に『呪い』を術者に返して良いものなのか、と。
「……『生贄』にされて『呪い』をかけられて、辛かったし悲しかったけど……でも、だからって、誰かに同じ目に遭って欲しいとは思えないよ……」
「──ルーナ。そういうことじゃない。『呪い』自体が問題なんだ。本来なら外法で、禁呪扱いされていることもある。そんなものを他人にかけるような人間は呪詛返しを食らってもしょうがない。因果応報だ」
諭すようにレミが言うが、ルーナはふるふると首を振った。
「『呪い』を返したら、また呪術師の人が他の人に移すかもしれないでしょ? 自分のせいで同じ目に遭う人がいたらやだよ。
それに、クリスさんの望みが本当に叶うならいいけど、……そうじゃないなら苦しんで欲しくない」
他の人に移す可能性。それを口にするとレミが小さくため息をついていた。あり得る話なのだろう。
自分に負担があることを良しとするわけではないが、やはり他人が同じ目に遭うことには抵抗がある。きっと「自分のせいで」と気に病むだろう。クリスがルーナの血を飲んで苦しんだ時もそう感じたのだから、自分自身の決断によって誰かが苦しむのであれば更に気に病むに違いない。
やはり三つ目で、と思ってクリスを振り返る。
しかし、クリスの表情を見て目を見開き、ひどく焦ってしまった。
泣いていたのだ。
ルーナをじっと見つめて、静かに涙を零している。
泣くクリスを見て驚いたのはルーナだけではなく、レミもジェットもルディも、そしてフェイも驚いていた。




