133.微熱の向こうに見えた小さな春②
「ああ、いいお話ですね」
クリスのしみじみとした声が聞こえてきたのと同時にレミがすっと手を引いた。不機嫌そうな雰囲気が伝わってくる。
一瞬だけだがクリスの存在を完全に忘れていた。
「そうですね。ルーナさんの誕生日のお祝いができるよう必ず『呪い』を解きますよ。ルーナさん、誕生日のお祝いに何か欲しいものはありますか?」
「待て。どうしてお前がそんなことを聞くんだ」
ルーナも「何故?」と思ったのでレミが聞いてくれて助かった。かなり警戒心を持った聞き方だった。
「え? 折角屋敷に出入りする許可をいただきましたし、私もルーナさんの誕生日を祝わせていただきたいなと思っただけですよ」
そんな許可を、と思っているとレミが嫌そうな顔をする。
「確かに許可はしたが……」
「祝う人間は多い方が楽しいじゃないですか」
「人間……」
クリスは本人曰く人間だが、レミはそうと認めてない。世間的に不老不死と言うものをどう扱うのだろうか。そもそも不老不死などという特性を持ったものが珍しくて、世間的な扱いなどなさそうだ。
祝うという気持ちは嬉しいものの、レミが嫌がるなら嫌だなぁと思ってしまう。こんなことを口に出そうものならフェイがまた「不健全」と顔を顰めるのだろうか。
ルーナなりに認識を少し改めて、相手の顔色ばかりを窺っているつもりはないが──難しいものだ。
「ルーナさんだってお祝い事は賑やかな方がいいでしょう?」
レミから色よい返事が貰えないとわかるや否や、クリスがルーナに話題を振る。
ぼんやりとした視界のままクリスを見つめる。笑っているのはわかるが、その瞳がどんな感情を持っているのかはわからない。
なんて答えようか悩んでいると、レミがルーナの目元にそっと手を置いた。
「まだ先の話だ。そう答えを急がなくていいだろう」
「……わかりました。ルーナさん、体調が悪い中、失礼しました。今日はこのままゆっくりお休みください。明日になっても体調が戻らなければ教えてくださいね」
クリスが「わかりました」と言った時点でレミが手を離す。クリスは微笑んでいた。
何やら荷物をまとめていたので部屋を出ていくのだろう。
「クリスさん」
「なんでしょう?」
「……あの、ありがとう、ございました」
フェイからもらった薬の影響だとしてもわざわざ部屋に来て、容態を見てくれたのは事実だ。礼を伝えないのも気持ちが悪かったので礼を告げるとクリスの驚いた気配が伝わってきた。
じっと見つめられているようで落ち着かず、そっと視線を逸らす。
「いえ、お気になさらず。元はと言えば私の不手際ですからね。何かあれば遠慮なくどうぞ」
変わらずに穏やかな声だった。声や表情などを見聞きしている限り、死を渇望しているなんて思えない。普通に生きているように見えるからだ。
ルーナには想像もできないような苦悩があるのだろう。
あまり深追いしない方が良いと自分に言い聞かせた。
「では、私は先に失礼しますね」
そう言ってクリスは部屋を出ていった。
レミは室内に残り、ルーナが寝ているベッドに浅く腰掛ける。ゆっくりと瞬きをしてレミを見た。相変わらず視界はぼやけているが、距離が近い分さっきよりは表情の変化が見て取れる。
「……ルーナ」
「なぁに?」
「クリスが聞いてしまったが……何か欲しいものはあるか?」
レミが優しくルーナの頭を撫でる。両親に頭を撫でられた時のことを思い出して、目を細めた。
「か、考えたこと、なくて……思い、つかない……」
両親が亡くなってからというもの、誕生日を祝われることはなくなった。祖父母は当然のように無視をしたし、プレゼントなんてもらったこともない。それにルーナは一応成人しているのだ。プレゼントをもらうのは何だか違う気がした。
レミは手を止めず、ルーナの頭を撫で続けている。
「じゃあ、考えてみてくれないか? 何でも良いんだ。ドレスでも、宝石でも髪飾りでも、美味しい食べ物でも……ジェットとルディにも伝えておくから欲しいものが決まったら教えてくれ」
ドレス、宝石。髪飾り、美味しい食べ物。
最初の二つは憧れはしても使う機会のないものだ。髪飾りはもう十分買ってもらったし、食べ物も普段食べているもので満足している。
未来のこと、自分の欲しいものを考えるというのはひどく難しい。
「……レミがくれるものなら、何でも嬉しいよ……?」
おずおずとレミを見つめて言うと、レミの手が止まった。
しかし、すぐに困ったように笑いながらまた手を動かしだす。
「そう言ってもらえるのは嬉しいが──オレはルーナの欲しいものを贈りたいんだ」
「欲しいもの……」
「まだ時間はある。急がないからゆっくり考えてみて欲しい」
言い終わったところでレミの手が離れていった。
「あ」
思わず声を上げてしまう。レミが不思議そうにルーナを見つめた。
手が離れていくのが残念とか、このままレミが出ていくのが寂しい──そんな気持ちを伝えて良いものか、戸惑ってしまった。レミだって療養している身なのだから引き止めるのは申し訳ない。
もそもそと布団の中に潜り込み、もう寝ようと目を閉じた。
「……どうしたんだ?」
「な、何でも、ない。レミも、休んだ方が良いんじゃないかなって……」
「今はルーナの方が心配だから別にいいんだ。……傍にいて欲しいなら、眠るまで一緒にいよう」
まるで気持ちを読んだようにルーナがして欲しいことを口にするレミ。
そっと布団の中から顔を出してレミを見つめた。レミは軽く笑っている。
「どうして欲しい?」
楽しげな問いかけだった。やはりルーナの気持ちがわかっているのではないだろうか。
彼の手が伸びてきて、もう一度優しく頭を撫でていく。その手が気持ちよくて目を細めてしまった。
気付くと、レミの顔が至近距離にあった。
「ルーナ?」
この距離であればレミの顔がはっきりと見える。
赤い目に優しげな眼差し。
その目に自分しか映してないのだとわかった瞬間、かーっと顔が赤くなっていった。表情の変化を見たレミが目を細めて薄く笑う。
「顔が赤いな」
「レ、レミが、急に覗き込んでくる、からっ……!」
「それと顔が赤いのとどう関係するんだ?」
やはりルーナの気持ちを読んでいるとしか思えない。優しく見つめられてドキドキした、なんて簡単に本人に言えるわけがない。
「い、い、いじわるっ……!」
「意地が悪いのはルーナだろう? どうして欲しいかちゃんと言ってくれないと、オレも困るんだが」
ああ言えばこう言う。どう考えてもルーナの反応を楽しんでいる。ジェットのような一面を見てしまい、何か言い返したい気分になった。しかし、気の利いた返しなど思い浮かばない。
頭を撫でていた手がするりと頬を撫でる。
余計にドキドキしてしまい、熱が上がっていくようだ。
はっきり答えを言わないとただ楽しまれるだけだ。ジト目でレミを見るが涼しげな顔をしているだけで効果はなかった。
「……レミ」
「うん?」
「……ね、眠れなくなっちゃうから、あんまり触らないで……」
「ああ、わかった」
ルーナのお願い通りに手が離れていく。ドキドキが収まったのでほっとした。
「──でも、そ、傍に、いて、欲しい……」
改めて言葉にすると随分我儘な要求な気がした。
レミの気が変わったりしないだろうかと別の意味でドキドキしていると、ルーナを見つめるレミの表情が一層優しくなる。その表情に心臓の鼓動が跳ねるのがわかった。
直視していられなくて、そっと視線を逸らす。
「わかった。ルーナが眠るまで傍にいよう」
「……ありがとう」
レミが今どんな顔をしているのか気になったが、余計にドキドキするに決まっているので見ることができなかった。
ゆっくりと瞼を閉じる。
どうしてこんなにドキドキするのかわからない。
だが、考えれば考えるほどに眠れなくなってしまうので、ルーナは無理やり考えるのを止めるのだった。




