131.悪魔と堕天使②
「ご、ごめんなさい。なんでもないの」
「何でもないのになんで笑うんだよ」
フェイやアインたちのいる前で、まさか「ジェットが気にしてくれるのが嬉しくて」とも言えず、それ以上は笑って誤魔化そうとした。
が、ジェットが一歩前に出たかと思いきや、ルーナの頭をわしゃわしゃ撫でる。
「わっ?!」
「……ったく。元気そうならいいけど」
結構乱暴に髪の毛をグシャグシャにされているのに手つきは優しい。
その様子をじっと見ていたフェイがゆるく首を傾げる。フェイの視線に気付いたジェットがルーナの頭から手を離した。
「ルーナちゃん、前髪長すぎん? 切った方がええんちゃう?」
手櫛で髪を直しているとフェイが不思議そうに言う。
確かに前髪は以前からだらだら伸ばしてい状態で、結うことはあっても切ろうとは思わなかった。目を覆い隠すほどに長い前髪をつまみ上げる。ジェットが結ってくれるので気にならなかったし、最近ではカチューシャで上げていることもあったので、前髪の長さはあまり気にならなかった。自分で結う練習もしている。
ちらりとジェットを見るが、彼は何も言おうとしない。
流石にフェイの前で「自分が結ってる」とは言い辛いのかもしれなかった。
「え、えーと、……髪の毛は、このままで大丈夫、です」
「ふーん? まぁ、昨日のカチューシャ可愛かったしええんかな。自分もクリスも髪切るの上手いから整えたかったら言うてや。どうせ、こいつらはそんなことしてくれへんやろ」
「……。……いえ、その」
ジェットは髪を結ってくれるし、ルディはいつも「可愛いね」と褒めてくれるし、レミはルーナに色々買ってくれてた特定のバレッタをつけているとどこか嬉しそうにしている。
決して何もされてないわけじではないし、むしろ与えられすぎている。
改めてそんなことを思い出したところで、かーっと顔が赤くなってしまった。
顔を赤くしたルーナをフェイが目を丸くして見つめる。そして、ジェットを見つめてニヤニヤしだした。
「へええええ、ふーーーーん? ……ほんまに随分可愛がっとるんやなあ?」
言いながら、フェイはジェットを肘で突こうとしていた。当然ジェットはそんなフェイから距離を取って触れられないようにしている。距離を取られたフェイはどこか残念そうにして、やれやれと首を振った。
「照れんでもええやん」
「そういうわけじゃねぇよ」
「……まぁええわ。可愛がるんはええんやけど、キスとかそういうことはせん方がええからな。口じゃなくても、他んとこもよーないで。『呪い』が解けるまでは我慢せぇよ」
キス? と首を捻る。
決してそういうことをするような間柄ではないのだが、何故そんなことを言うのだろうか。が、何となくキスをすることを想像してしまい、更に顔が赤くなってしまった。ジェットのことをまともに見れなくなってしまう。
しかし、そんなルーナの反応をよそにジェットがフェイを訝しんでいた。
「口以外も駄目ってなんでだよ」
「呪われとんのは血やけど、血って全身巡っとるやろ? 血だけ避ければええってわけちゃうねん。そりゃキスくらいでどうこうなるとは思わへんけど念の為や。用心するに越したことないわ」
フェイの言葉を受けてジェットが何故か黙り込んでしまった。
その様子を見たフェイは眉間に皺を寄せてまじまじとジェットを見つめ、何かに気付いたように目を見開く。
「あーーーー!!!! 君、もうし──むごっ?!?!?!」
フェイが大声を上げた瞬間、ジェットがその口を強引に塞いだ。正面から口元をがしっと掴んで口を押さえ込んでいる。
突然のことにびっくりして静かに成り行きを見守っていたアインと顔を見合わせてしまった。
藻掻くフェイを押さえつけてジェットはそれ以上彼が喋れないようにしている。フェイが手を離せと言わんばかりにジェットの手をべしべしと叩いているが、ジェットはびくともしなかった。
「もう用は済んだだろ。──ルーナ、今日はゆっくりしてろよ」
「う、うん……。あの、フェイさんは……?」
「こいつのことは気にすんな。邪魔して悪かったな」
そう言って来た時と同じようにジェットはフェイを引き摺って窓から出ていった。二人が出ていくとすうっと窓が静かに閉まる。
もう一度アインと顔を見合わせてしまった。
「……な、なんだったんだろうね?」
「さ、さあ? と、とりあえず、ルーナは今日は安静にしてましょう。ささ、もう一度寝てください」
アインに言われ、再度布団の中に潜り込む。
まだ朝なのにもう一度寝るなんて変な感じだった。
さっきまでは喉の違和感だけだったのに何だか熱も上がってきたような気がする。フェイは今日で落ち着くと言っていたので寝てればいいだろう。
白と茶色のウサギが夜そうしていたように一緒に布団に潜り込んでくる。二人とちょっとおしゃべりをしているうちに瞼が落ちるのだった。
◆ ◆ ◆
ジェットはフェイの口を塞いだままルーナの部屋を出て、裏庭まで離れたところでフェイを開放した。
「ぷはあっ?! あー、死ぬかと思った!!」
「死ぬわけねぇだろ」
フェイはこれみよがしにゼーゼーと呼吸を荒くしている。
が、天使は人間やその他の生き物とはそもそもの作りが違うので窒息死をするということはない。それは悪魔も同じだ。悪魔も天使も厳密に言えば『生き物』ではないのだ。肉体だけに縛られている存在ではない。
フェイはずっと掴まれていた口元をむにむにと触りながら恨めしげにジェットを見る。
「ったく。こっそりキスしてたなんて自分が知るはずないんやからしゃーないやんけ」
「うるせぇ。お前その口どうにかできねぇの?」
「おしゃべりで可愛いやろ?」
「どこがだよ」
フェイは両手の人差し指を頬に当ててにこーっと笑って見せる。
人間であればその笑顔を見て「可愛い」という感想を抱くのだろうが、ジェットはフェイに対して嫌悪感しか持たない。なんせ堕天使とは言え元天使であり、ジェットは悪魔だ。こうして傍にいて対話をしているだけでもすごいことで、普通なら一触即発で殺し合いが始まってもおかしくはない。
そうならないのはルーナがいるから。そして、フェイ自身が争いを好む性格ではないことも理由に挙がる。
ジェットの反応がつまらないからか、フェイは手を下ろして息を吐き出した。
「ギスギスするとルーナちゃんが嫌がるんちゃうん?」
否定は、できない。
彼らとやり取りの最中にルーナがオロオロしたり、居心地悪そうにしていたのは知っていた。しかし、仲良くするのは無理だ。ジェットがフェイに対して嫌悪感を抱くのはほとんど生理的なものでどうしようもない。クリスに対する不信感なども払拭できなかった。
「だからってお前と仲良くしようなんて思わねぇよ」
「吸血鬼や魔獣とは仲良うできるのに、自分やクリスは駄目やなんてなぁ……」
「むしろ駄目じゃない理由があんのかよ」
「自分はまだ天使のつもりやけど、実際は堕天使やん? 悪魔に近ない?」
「近いわけあるか。堕天使は堕天使で、悪魔とは全然違うだろうが」
「……そんなもんか。はー、世知辛いなぁ……博愛主義者には辛いわ……」
どの口がそんなことを言うのか。呆れて物も言えない。
ひとまず、ルーナの部屋に行きたいという用事には付き合ったのでこれでいいだろう。
ため息とともに踵を返し、肩越しにフェイを振り返る。
「良いか、勝手にルーナの部屋に行くなよ」
「はいはい、わかってますぅー。さっきやってジェット君呼びに行ったんやから、もうちょい信用してや」
「できるか」
吐き捨てるように言うとフェイが目を細めて笑う。嫌な感じの笑い方だった。
「……本人の知らん間に勝手にキスするような奴の方が、ルーナちゃんにとっては余程信用できんのちゃう?」
一発喰らわしてやろうか──。
そんなことを考えた瞬間、フェイの体がふわっと浮かび上がる。
背には灰色から黒にグラデーションしている羽毛の翼。灰色や黒の翼は堕天の証だ。いずれ彼の羽は黒く染まるだろう。
「ま、そんなこと知ったらルーナちゃんもショックやろうしな! 黙っとくから感謝してや! んじゃ、ちょっと買い物してくるわ」
そう言ってフェイは飛び立っていった。
チッと舌打ちをして彼を見送る。どこまでも気に入らない堕天使だった。




