130.悪魔と堕天使①
『……昔みたいに、僕は何も知らないままなんじゃないかって不安になるんだよ。今知っておくべきことやできることが何かあるんじゃないかって……』
ルディの声はクリスとフェイのいる客間にも囁くように聞こえてきた。
魔法を使って廊下での会話を聞いていたのだが、随分と不用心だと感じる。昨日は聞かれないようにしていたのを鑑みるに、恐らく聞かれてもいい、もしくは聞かせるための会話なのだろう。
フェイがルディのセリフを聞いて首を傾げた。
「別にルディ君が悪いわけちゃうのにな。なんもかんも戦争が悪い」
「だとしても、『何もできなかった』という無力感は消えないものですよ」
「……そっかぁ」
フェイは相槌を打っても納得した様子はなかった。
彼のこういうところが天使としては適切ではなかったのだろう。明るく屈託のない天使ではあったのだが、どうにも人間への寄り添い方がおかしい。だが、クリスはそういうちょっとおかしい部分が気に入ってるのだ。だから、別段彼の考えを諫めようとは考えてない。
グラスを置き、室内をゆっくりと歩き回るフェイ。
「ええとこやなー。自由に出入りしてええとか最高やわ。転移用の魔法陣作っとく?」
分厚いカーテンを捲って、窓から外を眺める。
二階と言えど、綺麗に整えられた庭園を見る分には十分な高さだ。庭園に等間隔に配置された外灯は高い石壁によって遮られて外に漏れることはない。屋敷を覆う山々も良く見えて、景色はとても良い。
半ば別荘として扱えるのはフェイが言うように「最高」と言って差し支えない。
「そうですね。でも、一応イェレミアスさんに確認しましょう。勝手に作ると怒るかもしれませんし」
「玄関から入ってこいとか言いそうやな」
「ええ、急に部屋にいたら誰だって嫌でしょうしね。ルーナさんもいますし」
「ルーナちゃんかわええよなー。いたずらしたくなるわ!」
「駄目です」
目を輝かせて振り返るフェイを見て苦笑する。
本人的に「女好きではない」らしいが、どう見ても女好きである。こういうところもまた天使としてはよくなかった。ルディが吠えていたが淫魔と言われてもしょうがない言動も多い。
天使名簿から除名され、堕天使となっても言動は一切変えてないらしい。それだけ自分の信念があるということだが、神や人間が望むような天使像とはかけ離れている。
「えー? そうは言うてもクリスやってルーナちゃんにちょっかいかけたいって思っとるくせにー」
からかうように言われ、クリスは何も言わずにただ笑った。
フェイの言うことは当たっている。
気になっているし、興味もある。
理由はさっきレミに向けて言った通りだ。彼らがあんなにも構う人間の少女というのものが気になる。
◇ ◇ ◇
まさかクリスとフェイに興味を持たれているなんて夢にも思わないルーナは昨晩と同じようにアインたち使い魔と一緒に眠りにつき、比較的穏やかな気持ちで朝を迎えた。
ルーナが「のほほん」としているように見えるのは、やはり『呪い』のことを洗いざらい話してしまったこと、『呪い』を解く手立てがあること、何よりも三人がルーナのことを心配してくれているからに他ならない。
要は気持ちが落ち着いているのだ。
何があっても三人が助けてくれる──とまでは流石に考えていないが、万が一解呪に失敗して死んでしまったとしても後悔はない。
それくらいルーナの心は凪いでいた。
「ルーナ、おはようございます」
「お゛はよぅ、ア゛イン。……? あ、あれ?」
穏やかな気持ちで目覚め、朝の挨拶を交わしたところで喉の違和感に気付く。
感覚としては風邪のひき始めのような感じだった。
アインが不思議そうに首を傾げる。
「ルーナ……?」
「ん゛ん゛っ……」
痛いとまではいかないが、やはり喉に違和感がある。イガイガしているという表現が一番近いだろうか。
ルーナは「あー、あー」と何度か声を出してからアインを見た。
「……喉の調子が、ちょっと、おかしくて……」
「えっ?! そ、それはいけません! 誰かに喉に良い飲み物などを用意させますので、ルーナはこのまま休んでいてください!」
喉に違和感があるだけなのに休むように言われて戸惑う。少々喋りづらいだけで体調は良好だし、熱があるわけでもないのに。
ルーナが大丈夫だと言おうとしたところで一緒に寝ていたアイン以外の使い魔がルーナの上に乗っかってきた。ぬいぐるみなのでさほど重くはないのだが、起き上がるに起き上がれない。
胸の上にいる白いウサギがルーナの胸をゆっくり撫でる。
「ねてなきゃだめだよ。かぜってね、こわいんだよ~」
「え。で、でも、」
「ルーナ、寝てましょう? 何事も楽観視は駄目ですよ」
枕元にいるカメからも言われてしまった。他の使い魔たちも「うんうん」と頷いており、ルーナは従うしかなかった。
ルーナが大人しくなったのを見てから、キツネとタヌキのぬいぐるみがベッドを降りて部屋を出ていく。アインの言う通り、何か飲み物を持ってくるように伝えるためだろう。
それくらい自分でできるんだけどなぁと思いながら、日差しが入り込む窓を見つめた。
少しの間ぼんやりと窓の外を眺める。
不意に不思議な力で窓が自然と開き、開いた窓からひょこっと顔が覗く。
フェイだった。
「喉大丈夫やろか?」
「……フェ、フェイ、さん? あれ? ジェット、も?」
フェイのすぐ背後にはジェットがいた。
ジェットはフェイのことを特に毛嫌いしていたはずなのにどうして一緒にいるのだろう。見れば、ジェットはとても不機嫌そうに腕組みをしており、フェイと一緒にいるのが嫌なのは一目瞭然だった。
驚いて起き上がり、フェイとジェットとを見比べてしまう。フェイはニコニコしているのでジェットとは対象的だ。
アインたちも驚いているがジェットが一緒なのもあって特に何か言うわけでもなく、ベッドの上で二人の動向を見つめていた。
「ルーナちゃん、入ってもええ?」
「え。……あ、は、はい。大丈夫です」
「んじゃ、お邪魔しまーす」
昨日ルディに注意された通り、ルーナの返事を待って窓から部屋に入ってくる。フェイの動きはまるで羽が生えているようにゆったりとしていた。
ジェットもフェイを追って部屋に入ってくる。
ベッドにいるルーナを見て、フェイが申し訳無さそうに眉を下げて笑った。
「ごめんなー。喉の調子が悪いの、多分昨日の夜飲んだ薬のせいやわ」
「えっ」
寝る直前に飲むように言われた綺麗で青い薬のことだ。『呪い』を中和する効果があるということだった。
驚くルーナをよそにフェイはあっけらかんと笑う。
「ゆーても想定の範囲内やから不安にならんでええよ。今は『呪い』と薬がちょっと喧嘩しとるだけやねん。多少熱も出たりするかもしれへんけど、症状は今日で落ち着くはずやから……アイン君の言う通り、今日は何もせんと寝とってや」
「は、はい。わかりました」
それは最初に説明があっても良かったのでは、と思ったのだが言えなかった。
まるでそんなルーナの気持ちを察したかのようにジェットがフェイを睨んだ。
「おい。それ説明したか?」
刺々しいジェットの問いかけ。フェイは笑ったままスーっと視線を逸らした。
「……ゴメンナサイ」
「解呪に必要なことは事前に説明するっつったよな? クリスが言ったことだけどお前にも適用されてんだからな?」
「わかっとるわ! ちょっと忘れとっただけやんけ!」
「うっせーな。そういう問題じゃねぇんだよ。──ルーナが不安がるだろ」
フェイは自分に非があると感じているのか、それ以上は何も言い返さなかった。
ジェットは本当にフェイが好きじゃないんだなと思いながら、二人の顔を交互に見つめる。
一緒にいるのが不思議な二人だった。
「……どうして二人で来たの?」
気になったので思わず聞いてしまったが、こほ。と、軽く咳き込んでしまった。あまり喋らない方が良さそうだ。
ルーナの質問にはフェイが楽しげに笑い、ジェットは呆れ顔をしていた。
「昨日ルディ君に無断で近付くな、勝手にルーナちゃんと二人きりになるなって言われたから、ジェット君についてきてもらったんや」
「君付けするなよ気持ち悪ぃ」
ルディに言われたことを律儀に守るフェイ。
そして、嫌いなはずのフェイに言われてルーナの元に来たジェット。
何だかちぐはぐで、それでいてジェットがルーナのことを気にしているのが伝わってきて、思わず「ふふ」と笑ってしまった。
ジェットもフェイも、ルーナが笑ったのを見て不思議そうに瞬きをした。




