128.それは勘違いだと
どこかそわそわするルディを見たジェットが目を細めてからため息をついた。
そしてルディの頭を後ろからべしっと叩く。突然のことにルディはバランスを崩してつんのめっていた。
「いった?!」
「おい、クリス。お前勘違いしてるぜ」
叩かれた後頭部を押さえて恨めしげにしているルディをよそにジェットはクリスへと声を掛ける。
クリスは不思議そうに首を傾げてジェットをじっと見つめた。
「勘違い?」
「そ。お前、俺らがそういう関係だと思ってるんだろ?」
「そういう関係とは?」
「馬鹿にしてんのか、てめぇ。人間で言うところの恋愛関係とか恋人だよ」
淡々と、呆れ混じりに言うジェットに対してクリスは目を丸くしていた。
ジェットとルディが感情を露わにして攻撃したり、ジェットが抱きしめたり、ルディはルーナが服を脱ぐことに対して強い拒否をしたり、レミが肩を抱いたり──誤解されるような言動は多々あった。
ルーナが特別な存在であることは間違いないにしても、「そういう関係」ではない。ひたすらレミたちのルーナへの距離感が著しく近いだけでそういった事実は一切ない。
クリスはジェットの口ぶりから「勘違い」に思い当たったらしい。
「……え。相思相愛じゃないんですか?」
「そんなわけあるか。老眼か? よく見ろ」
ジェットが吐き捨てるように言うと、クリスが嬉しそうに微笑む。
「老眼……。私、以前お会いした時より老いてますか?」
クリスの目がまるで少年のように輝いた。
ジェットは明らかに嫌味のつもりで「老眼」という言葉を投げつけたのだが、死を望むクリスにとって老化現象は歓迎すべきなので嫌味になってなかったようだ。「何歳に見える?」と聞いてくる女性のようにも見えた。
「クリス、話が逸れてんで。あと残念やけど老いてない。見た目は全然、全く変わってへんよ」
「……ああ。……そう、ですか……」
フェイにきっぱりと言われてしまい、がっくりと肩を落とすクリス。
彼は本当に死にたいのだとわかる反応だった。しかし、未だに誰もその術を持たない。
肩を落として憔悴したように見えていたが、程なくいつも通り穏やかな笑みとともに顔を上げた。
「失礼しました。私はてっきりそういう関係なのかと勘違いしてました。フェイ、違うそうですよ」
「えー? うそやん。レミ君たちがこんな過保護にする相手なんてこれまで見たことないし、ルーナちゃんだってどー見ても意識してるやんけ。まぁ、時間の問題なんかな。あ、くっつけんの手伝う? 恋のキューピッドやろか?」
「余計なお世話だ」
けろっと言うフェイの言葉を言下に拒絶した。どういう方法で手伝ってくるのかわかったものじゃない。
ちょっと話をするだけだと思っていたのにとんでもない話になってしまった。ルディはいまいち納得してないというか、クリスの話に興味がありそうで困る。
もういい加減退散したいと思ったところで、クリスがレミを見つめてきた。
「……なんだ」
「貴方がたがそこまで慎重になるのも珍しくて。余計に興味が湧いてしまいすよ、彼女に。
まぁ、人間と魔物という壁をどう超えるのか……楽しみにしていますね」
そう言ってクリスは余裕たっぷりに笑った。
いつの間に空になっていたワイングラスをテーブルに置くと、ゆっくりと立ち上がる。
何を思ったのか胸に手を当てて、ゆるゆると大げさに首を振った。
「ですが、ゆめゆめ忘れないでくださいね。人間の寿命はあっという間です。
ペットのように可愛がってルーナさんの生涯を見届けるというのなら良いと思います。
しかし──」
そこでクリスが立ち上がって両手を広げる。
彼の仕草はやけに演技がかっていて、鬱陶しいと思うのに何故か目が逸らせない。
さっさと出ていけばいいのに、クリスという人間の声や仕草には不思議な力があった。まるで聞くもの全てを誘うような、奇妙な誘引力が。しかもそれは人間だけに留まらず、魔物にも効き目があるのだから始末に終えない。
「自分ばかりが老いていくルーナさんが、姿かたちが変わらないであろう貴方がたと共に居て何を思うんでしょうね。
自分だけが醜く老いていく。こんな自分はあの人達の傍にいる資格なんてない──なら、もう死んでしまおう。
……なんて、不幸が起きないことを祈ってますよ」
舞台のワンシーンのような言い回しと身振りだった。最後に含みのある言い方をして薄く微笑んだ。
「お前に何がわかるんだ」
「わかりますよ。同じ人間ですから」
苛立ちを込めて言えば、しれっとしたセリフが返ってくる。
同じだ、なんて。
不老不死の人間と、『呪い』をかけられて寿命が一年もなかった人間を同じだとは思いたくない。
「もういい。お前と話していると頭がおかしくなりそうだ」
「そうですか? 私は貴方がたとお話するのは好きですよ。ユーモアと棘のある返しが気に入ってます」
ため息をついて踵を返す。このまま延々クリスと話をするつもりはない。
見れば、ジェットは興味を失ったように暇そうにしていた。フェイが近くにいるだけで苛々するようなので大人しくしているだけ良かったのだろうか。
問題はルディだ。
さっきジェットが話を無理やり終わらせたのだが、未だに名残惜しそうにしていた。しかも最後のクリスの言葉が引っ掛かっているようだ。
後できちんと話をしなければと思いながら二人を呼んで客間を出るのだった。
部屋から廊下に出たところでルディを見る。視線が合うと、どこか拗ねたように顔を背けた。
「ルディ」
「……わかってるよ」
「その顔はわかってないだろう。オレが何を言いたいのか」
「わかってるよ~。クリスの言うことを間に受けるなって言いたいんでしょ~」
むうっと頬を膨らませながら言うルディ。
廊下を歩きながらの会話なのでクリスたちが聞いているかもしれない。しかし、今は聞かれても良いと思いながら話している。
「違う。悔しいが、クリスの言うことは一理ある。オレが言いたいのは一人で考えて突っ走るな、ということだ」
「え。さっき村を焼いてくるって言ったレミに言われたくないんだけど……?」
「そういう意味じゃねぇってわかるだろーが」
ジェットがまたルディの後頭部を軽く叩く。ルディが「いたっ」と声を出していたが、言うほど痛そうには見えない。
何も考えずにルーナと一緒にいたら、クリスの言う通りあっという間に年を取って死んでしまう。それこそ、体感では瞬きをするくらいの時間で。レミたちの時間軸でじっくり考えている暇などないが、だからと言ってルディが事を急くのも違う。
ルーナにはルーナの時間軸、考えがある。
とにかく全ては『呪い』を解いてからになるだろう。
「何をするにも解呪が先だ。そうじゃないとルーナだって不安だろう。今はそれ以外の余計なことは考えない方がいい」
「……そりゃそうだけど~」
本人は何故かのほほんとしているが、当事者なので内心では不安に違いない。知られることを恐れて逃げ出すくらいに不安だったくらいなのだから。
その時のことを思い出すと苦い気持ちになる。
気持ちを切り替えるように軽く首を振り、まだ不満そうなルディを見た。
「逆に、どうしてそんなに焦る?」
聞いてみるとルディが少し俯いた。
「……昔みたいに、僕は何も知らないままなんじゃないかって不安になるんだよ。今知っておくべきことやできることが何かあるんじゃないかって……」
レミとジェットは目を丸くしてしまった。ルディが昔のことと今とを同一視しているとは思わなかったからだ。
状況は全く違うと言いそうになって口を噤んだ。
抱えているトラウマなど、簡単に解消できることではない。
ルーナに対してはもちろん、ルディの気持ちも考える必要がある。ちゃんと見てないと突っ走っていきそうで不安だ。
そして、パウラ。
まさか彼女が関わっているとは思わなかったので非常に気分が悪い。
容姿だけで人間に好意を持たれることは多々あったが、パウラのそれは好意どころではなかった。姿を変えてレミに近づき、毒を仕込んだ血を飲ませた張本人である。
おかげでこうして療養が必要な体になってしまった。少しずつ毒の排出と分解は進んでいるが、とにかく治りが遅い。
しかも原因が血ということもあり、血を飲むのに拒否反応が出るようになってしまったのだ。一度、ルーナの血を飲もうとしたことがあったが、パウラの血を飲んだ時の気持ち悪さを思い出して全く駄目だった。
彼女に対して情け容赦するつもりはない。
だが──彼女の好意を捻じ曲げてしまったのが自分なのだとしたら、気が咎めるのは否定できなかった。




