127.呪術師の影
「では、交渉成立でよろしいでしょうか? ご納得いただけて良かったです」
「無理やり頷かせる気だったくせによく言うぜ」
変わらずにこやかに笑うクリスに対してジェットが嫌味っぽく言うが、当の本人は涼しい顔をしていた。
物事が自分の思い通りに進むのが当然と言わんばかりの表情だったので面白くないはずがない。彼はこうやって自分の思うがままに行動している。
だが、そうだとしても彼の最大の願いである『死』には至れない。
いい気味だとせせら笑うまでにはならないのが微妙なところだ。
「本来なら『契約』なり『宣誓』などをして条件を担保したいところですが、イェレミアスさんに限っては大丈夫でしょうね。信頼してますよ」
「……気色の悪いことを言うな」
うんざり顔で告げると、クリスが笑って肩を竦めた。
『契約』ならジェットの出番だ。『宣誓』はフェイがところどころで使っていた『言質』とほぼ同じだった。言葉に魔力なり何なりを込めて、証拠とするやり方である。『宣誓』は相手に対して、『言質』は自分に対してという違うがあるのみだ。
「気分がいいですし、先に呪術師のことをお教えしても良いですよ」
「後にしといたら? 聞いたが最後、こいつら何するかわからんで」
「それもまた一興です」
ワイングラスを空にしたフェイが言うが、クリスは涼しい顔をしていた。
クリスはフェイからワインを受け取り自分でグラスに注ぐ。
「とは言え、少しヒントを出せばわかっちゃいそうなんですよね。
イェレミアスさん、貴方にものすごく執着している人間はいませんか? 恐らく、今貴方が療養を必要としている原因になった者と同一じゃないかと思うんですが」
嫌な沈黙が落ちた。
ジェットとルディは顔を見合わせた後、レミをじっと見つめる。
レミの中にこれ以上なく嫌な記憶が蘇り、忌々しげに舌打ちをしてしまった。
「パウラ、あの女の仕業か……!」
怒りで体温が上がる感覚があった。握りしめた拳が微かに震える。
まさか半年前、自分に不自由を強いた人間だとは思わなかったのだ。
「ああ、やっぱり心当たりがあるんですね」
安堵したように言うクリス。それを見たジェットとルディが何とも言えずに微妙な顔をしていた。
「すごかったですよ、『呪い』の内容。よほど貴方のことが好きなんですね」
「そういう言い方をするな。吐き気がする」
吐き捨てるように言い放つ。一刻も早くルーナの『呪い』を解いてやりたい気持ちが逸った。
人間から恋情を向けられることはままあったが、あれほどの感情を向けられたことはない。思い出すだけで苛々してくる。仮にも好意を抱いている相手を害そうなんて発想はひっくり返っても生まれてこないから、余計に。
「クリス。ただの興味本位なんだけど、どういう『呪い』だったんだ?」
苛々しているレミを余所にジェットが尋ねる。本当に興味本位なのが伝わってきたので特に何も言わなかった。
「写し取ってない部分があるので一部憶測になりますが、血を飲んだ後に助けた相手に興味関心、或いは好意を抱くように術式が構築されてます。イェレミアスさんが血を飲み、術者自身が助けるというストーリーだったようです。もちろん、助けが遅れれば死にますし、助かっても何らか後遺症があるようでした。この部分は読み取れていません。
あと、イェレミアスさん以外が血を飲むと多分すぐ死にます。私は死ねませんでしたけど」
悪びれもなくけろりと言うクリスはどこか楽しげであった。どうせ暇つぶしができたとか、面白い見世物が始まるなどと思っているのだろう。
ふ。と、レミが笑う。どこか爽やかに。
無言でその場にいる全員に背を向け、部屋を出るべく歩き出す。
「おい、どこ行くんだ?」
「あの女ごと村を焼いてくる」
「人間一人のために村を焼くなって言ったのお前だろうが!!!」
すかさずジェットに肩を掴まれ、引き留められてしまった。怒りもあるが、呆れの方が色濃い。
チッと舌打ちをしながら振り返り、不機嫌さを隠すこともなくジェットを見つめ返す。確かに「人間一人のために村を焼くな」などと言ったのは自分だが、なんせルーナに『呪い』をかけた呪術師には個人的な恨みもあるし、何より危険人物と認識している。
村を焼く、というのはやや大げさだが、自分に害を為す相手を許すほどレミとて寛容ではない。しかも相手には前科がある。
──ジェットと出会う前の自分であれば「事情があるのだろう」と多目に見ていた可能性は大いにある。しかし、ジェットやルディと一緒のいるうちに利己的で排他的な輩など腐るほど見てきて、考えを改めた。
「……おもろ」
レミとジェットを眺めていたフェイが笑いを堪えながら呟く。
「レミ。なんであの女が村にいるって思うの?」
「ここから一番近い村はあそこしかない。オレがルーナの血を飲んだらすぐに駆けつけられるよう、村に潜んでいるだろう」
そうじゃなくても村に行けばルーナに『呪い』をかけた呪術師の話が何か聞けるかもしれない。情報は消されいる可能性もあるが、それよりもまだ村にいる可能性の方がずっと高いと踏んでいた。
やり取りを涼しい顔で見守っていたクリスが目を細める。
「イェレミアスさんの推測は当たっていると思いますよ。微かに村から『呪い』と同質の魔力が感じられますので。ですが、ルーナさんの『呪い』を解かないうちに襲撃するのはお勧めしませんね」
「なんで? 術者を殺せば効果も消えるんじゃないの?」
「確かにそのケースもありますが、逆の可能性もありますから」
ルディが不思議そうに首を傾げるのを見て、ジェットが小さくため息をついた。
「『呪い』が強まる可能性があるし、何よりルーナに害がないとも限らない」
ジェットの言葉にクリスが満足げに頷く。まるで生徒に満点を出す教師のようだ。クリスの正確な年齢は知らないが、まさかジェットよりも長く生きているなんてことはないだろう。
「ジェットさんの仰る通りです。術者とともに被術者も死に至る、なんてものもありますからね」
「『呪い』を解いて気付かれる可能性は?」
「当然解呪が終われば気付かれるでしょう。ですが、その前に気付かれるということはありませんよ。
ですので、術者の方に何かするのであれば解呪が終わってからをお勧めします」
呪術師を殺すつもりなのがわかっている上で善人ぶったことを言い、その行動を咎めることは一切しない。神官のような格好をしている割に言動は服装と一致しなかった。
長く話をしているとどんどんクリスのペースに引きずり込まれる。
「もう話は終わりでいいか?」
「あと一つだけよろしいでしょうか?」
部屋を出ようと話を切り上げようとすると更に引き止められた。
また交渉かと思ってうんざりしていると、クリスは「そんな顔しないでください」と眉を下げた。
「聞いておいて損はないと思いますよ」
「またそれか」
「多分余計なお世話になると思うんですが、貴女がたはルーナさんをどうするつもりなんでしょう?」
「たった二言で矛盾させるな」
聞いておいて損はないと言いながら、次の瞬間には余計なお世話だと言う。一体どういう思考回路をしているんだと心底呆れた。
しかも余計なお世話なのは本当にその通りで、部外者であるクリスと話すような内容ではない。
そう思い、くるりと背を向けた。
しかし、クリスは話をする相手をレミではなくルディに変えたようだった。
「ルディさんは?」
「はっ?! い、いや、別に関係ないじゃん、そんなの!」
「まぁ、そうなんですけどね。ルーナさんは人間なので、ほっといたらあと五十年くらいで死にますよ。けれどルディさんはまだ生きるでしょう? 寿命の問題をどう解決するつもりなのかと思いまして」
まずい。と、思ってしまった。
ルディはこの話題に必ず食いついてしまう。『番』という方法があるにしても、寿命の問題についての情報は欲しいに決まっている。他がどうだったのか、具体的な情報が。
今日何度目になるかわからないくらいにうんざりした気持ちで振り返ると、案の定ルディが話を聞きたそうにしていた。




