122.運命の外側をなぞって②
フェイはルディの様子をじっと見つめて小瓶を持つ手を下ろす。
「……なんや。ルディ君、変わったな。前はなーんも考えんと感情のまま気の向くままって感じやったのに」
さっき感じたがっかり感は勘違いではなかったようだ。フェイはルディに何故かがっかりしている。
それは当然ルディにも伝わっている。あまり好ましくない相手とは言え、勝手にがっかりされることには苛立つらしい。
「僕が変わったからってフェイには関係ないでしょ」
「ないな。せやけど、そうなるとちゃんと頼まなあかんなん」
「? 何を?」
訝しげな質問にフェイがふっと笑う。目を細めてルディをまっすぐ見つめた。
「君の能力でクリスを殺せるか試してください、って」
ルーナもルディもぎょっとする。
ルディの能力──それは、間違いなく天候を操る能力のことだ。ルディが制御できなかったのはたった一日のことで、しかも周辺一帯にしか影響がなかったはず。雷雨に暴風は、このあたりではかなり珍しい天候だったが、それが誰かの能力によるものだなんてわかるのだろうか。
ルディの警戒心が一気に上がったのがわかった。
「頼まれても嫌だよ」
「そうやろな。正しくは、頼まれてもできないんやろ? まだちゃんと制御できへんから」
「んなっ?! な、なんでそんなこと知ってるの……!?」
どこか確信を持った言葉にルディが明らかに動揺した。だが、その態度でフェイの指摘が正解だと証明してしまっている。
「気になる相手の動向は常に追っとるんや。どうやってんのかは秘密やけどな。……能力の練習したいんちゃう? 周囲を気にせんでもいい場所をいくつか紹介できるで? もちろん見返りは貰うけど」
練習させてやるからクリスを殺せるかどうか試して欲しい。という心の声が聞こえるようだった。
本人であるクリスが拘るのはわかるが、何故フェイまでこうもクリスを殺させようとするのだろうか。堕天使と言えど元天使で、彼自身「人間のために尽くしたい」と言っていたので、その言動がどうしても不可解だ。『不老不死』というのが確かに歪であっても、自死を手伝う天使というのは理解不能だった。
フェイの言葉にルディが僅かに揺れたがわかる。使いこなせるようになりたいのだから、当然周囲に迷惑がかからない練習場所は欲しいに決まっている。
しかし、そんな考えを振り切るようにルディはふるふると首を振った。
「要らない。自分でなんとかするし」
「ふーん。あっそ、何とかできるとええな。──で、本題」
フェイはあっさりと引き下がり、もう一度青い液体の入った小瓶を持ち上げてルーナを見る。
「ルーナちゃん。これを夜寝る前に飲んで欲しいんや。今はストックが一個しかないから、これは今日の分な」
「は、はい」
「待って! それ何が入ってるの? 何のために飲まなきゃいけないの?」
手を差し出したところでルディがストップをかける。びしっと小瓶を指さして、フェイを睨む。
フェイはどこか呆れた顔をしてルディを見つめ返した。
「なんちゅううるさい騎士や……何が入っているかなんて、君に説明してわかるん? わからへんやろ、君。成分とか仕組みとか説明するんやったらレミ君にするわ」
「む、むかつく……! 何のために飲むのかくらいは言えるでしょ!」
フェイは思いっきりため息をついた。面倒くさそうに。
「知っての通り、ルーナちゃんの血は呪われてる。勝手な想像やけど、『呪い』をかけられた時、まともに動けるようになるまで数日かかったやろ」
「えっ。は、はい、……普通に動けるようになったのが六日後、でした」
「せやろ? 呪われた血が体に馴染むまでの時間が必要やったはずなんや。で、今度は逆をやらなあかん」
呪術師に呼ばれて、『呪い』をかけられた時の記憶は曖昧である。ずっとぼんやりしていた。ただ、時折苦しくなったり熱が出たりした。三日間は魔法陣の中で寝かされて、四日目と五日目はベッドの中でずっと寝ていて、六日後にようやく普通に動けるようになった。
その逆をやるのと、青い液体とが結びつかずに首を傾げる。
「数日は魔法陣の中で寝たきり、ということですか?」
「……よう生きとったな、君」
「え。そ、それは、どういう──」
「いや、こっちの話。自分らはそんな乱暴なことせぇへんから安心してや」
フェイがにこりと人懐こい笑みを浮かべる。乱暴なことと言われてもピンと来なくて眉を寄せた。
「つまり、や。これは薬みたいなもんなんやけど、これで体内の『呪い』を少しずつ中和する。とりあえず三日間は飲み続けてもろて、そこで一旦検査するわ。ええ感じに中和されとったら解呪に入るし、足らんかったらもうちょい飲み続けてもらう。
いきなり『呪い』を解くと、順応しとった体から『呪い』が消えて、ショック状態になるかもしれへんからな。ルーナちゃんが健康なまま解呪できるようにするための準備やと思ってや」
ゆっくりとフェイの言葉を自分の中に落とし込む。魔法や呪術に関しての知識などさっぱりだが、何となく言っていることはわかる。
「冷たい水に急に入るとびっくりするから少しずつ慣らす、みたいな?」
「あー……うーん。どっちかって言うと、ルーナちゃんは今冷たい水に浸かっとる状態なんよ。はよお湯に移さな寒さで死ぬんやけど、いきなりは移されへんから冷たい水を少しずつ抜いて、温かいお湯を入れてくって感じやな。
まぁ、着眼点はええで。賢いな、ルーナちゃん。……そっちのと違って」
見れば、ルディがぶすっとしている。何故不機嫌になっているのかわからずに、わたわたと立ち上がってルディの顔を覗き込んだ。
「ル、ルディ?」
「……あ、ごめん。ちょっと別のこと考えてた」
「別のこと?」
今の話で別のことを考える余地があったのかと目を丸くした。
怒ったような顔をしていたルディだったが、ルーナを見ると「大丈夫」と言いたげに笑う。
それを見たフェイがすっと目を細めた。
「……あんな、ルディ君。そもそも二百年放置した屋敷に急に帰ってきて、周囲にスジ通さんかったレミ君にも問題があるんやからな。だから人間たちはこういう手段に出たっちゅう視点は持っといた方がええで。そんくらい吸血鬼が怖かったんや、人間たちは」
淡々とした言葉だった。僅かながらに諦念が見え隠れしている。人間とはそういうものなのだ、と噛んで含めるようにゆっくりとルディに言い聞かせていた。
どこか悔しそうにしながら、ルディがフェイを睨んだ。
「でもさ、ルーナは何も悪くないじゃん」
「そうや。ルーナちゃんは全く悪くない。まぁ、強いて言えば、ルーナちゃんはただただ運が悪かっただけやな」
「運が悪かった、ってさ……」
それが問題なんじゃないかとルディは不満そうだ。
二人のやり取りを聞きながら、ルーナは若干混乱していた。確かに『生贄』にされて『呪い』をかけられたこと自体は運が悪かったとしか言いようがない。
しかし──。
「……で、でも、結果的にルディに会えたよ?」
言いながらルディの手をそっと握った。
ルディのみならず、フェイまで目を丸くして驚いている。
『生贄』も『呪い』も良いことではない。確かに不運だった。
しかし、そのおかげでルディたちに出会えたことは、不運だったのだろうか。ルーナはそこだけが自分の中で整理がつけられない。
「勝手に『生贄』にされてなかったら、ルディには会えなかった。その時はすごく辛かったし悲しかったけど、……今はそうじゃない。私の不運がなかったら、今という時間はなくて……自分でもよくわからないんだけど、悪いばかりじゃなかった、と思う」
苦しかった気持ちも辛かった気持ちも消えない。
だが、それを慰められるくらいに嬉しいこともあった。
自分の短い人生の中で起きたことを責めて悲観するにはまだ早すぎるのだ。




