120.死を望む者
客間を出た後、どこに行くのかと思っていたら三人の足は自然とレミの部屋へと向かっていた。
さっきからレミに肩を抱かれたままで少し落ち着かないが手が離れる気配はない。
歩きながらそっとさっき切られた左腕を見る。肘と手首の間くらいを浅く切られただけで、傷自体はさほど深くなかった。なのに、まるでざっくり切ったように血が流れるものだから驚いたの。今はすっかり綺麗でどこを切られたのかわからない。
そして、左手の薬指には銀の指輪が嵌まっている。
「……ったく。あいつら相変わらずだな」
ジェットが苛立ただしげに吐き出す。彼の顔を見上げるとセリフと声音通りに苛立っているのがはっきりとわかった。
「あいつらにお願いしよって言ったの僕だけど、ちょっと後悔してる~」
「ちょっとかよ」
「能力的には信用できるもん。フェイが言質取らせてくれたから、『呪い』は解いてくれるでしょ?」
「……そうだけど」
言質。時折、フェイは不思議な声を発していた。そのたびに三人が仕方ないと言いたげに黙るのが不思議だったが、あれが言質だったのだろうか。
やがて、最上階にあるレミの部屋に辿り着く。
バタンとジェットが大きな音を立てて扉を閉めると、レミが「乱暴にするな」と注意をしていた。
普段、夜に勉強しているようにソファに腰掛けるように言われる。不思議に思いながら腰掛けた。
「あの、レミは起きてても大丈夫なの?」
正面に座っているレミを見つめて聞いてみるとレミは軽く笑って肩を竦める。大丈夫だと言わんばかりだったが、彼が何らかの理由で療養しているのは知っていたので、申し訳ない気持ちになった。
「ずっと寝ている必要があるわけじゃないんだ。寝ている方が楽というだけで」
「じゃあ──」
「多少は問題ない。それよりも、あの二人、もといクリスのことを一応説明しておくべきだと思ってな」
寝ていた方が良いのではと言う前にレミが首を振った。
クリスのこと。
気にならないと言えば嘘になるし、何故クリスがいきなりルーナの血を飲んだのかは知りたい。そう思って黙った。
「わざわざ歩かせてしまったが、オレの部屋ならあいつらに何か聞かれることもないからな」
「そう、なの?」
「ああ。いくつかの部屋は防音魔法や盗聴防止魔法がかけられているし、屋敷内で滅多なことはできない。……そういう作りになっていて、今の主はオレだから」
すごいなぁと感心していると横に座っているルディが笑う。
「そうそう。特定の部屋の声は全然聞こえないからすごいよ~」
「まぁ、屋敷についてはまたいずれ教えよう」
「先にあいつらのことだろ」
部屋の壁に背中を預け、どこか不機嫌そうにしているジェットが「さっさと話せ」と言わんばかりに刺々しく言う。フェイが堕天使だからかジェットはずっと不機嫌だ。気に入らないのがひしひしと伝わってくる。
ジェットの態度に押されてか、レミが小さくため息をついた。
ルーナを真っ直ぐに見つめて話しだした。
「クリスが不老不死だという会話は聞いていたな」
「う、うん。びっくりした」
「オレの知る限り、あいつはもう五百年はあの姿のまま生き続けている。本人も言っていたが魔力の質や魂の色は人間でしかない。──なのに、あいつは年を取らず、どんな方法を用いても死なないんだ。いや、死ねないと言っておこうか」
五百年──。ルーナにとっては途方もない年月だった。五百年生き続けることがどういうことなのか全く想像がつかない。今の自分がこの姿のまま五百年生き続けると仮定してみても、どういうことなのか全く考えられなかった。
「人間が五百年も生きるなんて異常だ。寿命でも何でも種族の限界を大きく超えると、大体精神に異常を来す。……正直、クリスは既に狂ってると思う」
ルーナの血を飲む姿は確かに異常だった。目は虚ろなのに何かを渇望していて、周囲が何も見えていなかった。「狂っている」という言葉が適当だとしても、穏やかで優しげな相手をそう評することに抵抗がある。
だが、自分よりもずっとクリスを知るレミが言うのであればきっとそれは真実なのだろう。
ルーナがいまいち納得してないのを察したのか、ジェットが首を傾げる。
「……ルーナ。あいつがなんで急にお前の血を飲んだかわかる?」
「え。わ、わからない……」
「死ぬためだよ。あいつはもうずっと死ぬ方法を探してるんだ」
言葉を失った。目を見開いてジェットを凝視する。
「呪術に詳しいのは自分が不老不死である原因が『呪い』じゃないかと疑ったから。医者や研究者になったのは、人間がどうやって生きて、どうやって死ぬのかを知りたかったから。……あいつの行動原理はずっと変わらねぇんだよ。全部自分が死ぬため。
あいつがわざわざ訪ねてきたのは十中八九お前にかけられてるのが知らない『呪い』でワンチャン死ねる可能性を見出したからだな」
穏やかで優しげなクリスの背景を聞き、微かに手が震える。そんな理由で行動しているとは思わなかったし、死ぬために生きている人がいるとも思わなかった。
何も言えずにいるとルディが「あれ?」と声を上げる。
「なんで宗教やってたんだっけ?」
不思議そうに首を傾げるのを見てレミが気まずそうな顔をした。
「その話は──」
「教祖やりながら自分のことを罪を背負った存在だって吹聴して信者に殺させまくったんだよ、自分を。殺せたら天国に行けるとか何とかってホラ吹いて。結局、誰もあいつのことを殺せなくて狂う信者も出てきて王国に危険視されて終わり」
しれっと答えるジェットのことをルディが変な顔をして見つめ、レミが肩を落としている。
妙な沈黙の後、ルディが申し訳無さそうにルーナを見た。
「……。……ごめん、ルーナ。変な話聞かせちゃったね」
ルーナは無言で首を振るしかなかった。
クリスに関しては想像すらできないことが多い。恐らく彼のことは理解できないだろう。理解したいとも思えなかった。
やがて、レミが肩を落としたままルーナを真っ直ぐに見つめた。
「……怖い思いをさせて済まない。あいつは、クリスは人間の体についてはそこらの医者よりも絶対に詳しいし、これまで何人もの人間を救ってきた。だから能力的には間違いがないし、無闇に周りを傷つけたりはしないが……全て自分のための実験でしかない。自分が死ねるかもしれないと思うと歯止めが効かなくなる。
ルーナの『呪い』も血も効果がないとわかったので流石にもう大丈夫だと思うが、気をつけてくれ」
厨房で聞いた時よりもより具体的な話ばかりで、ルーナの理解のはるか外の話だった。だが、三人が彼の何が気に入らないか、何を警戒しているのかがより鮮明になったのも事実。
自分の中でゆっくりと咀嚼をしてから、レミ、そしてジェットとルディを見た。
「……私、クリスさんとフェイさんが悪い人には見えなくて……三人がどうして警戒してるのかわからなかったの。だから結果的には良かったかなって」
「? 良かった?」
「三人のことをもっと信じなきゃだめだし、……今の私には三人しかいないのがよくわかったから」
レミもジェットもルディも驚いた顔をする。
ルーナが頼れる人間はこの世にはもういない。頼るしかないと言うとやや語弊があるが、信頼できるのはレミでありジェットでありルディだった。
依存かもしれない。都合の良い幻想かもしれない。
だとしても、彼らを信じて頼りたいという気持ちが強かった。
フェイが怒ったように言っていた「不健全」という言葉が脳裏をちらつくが、他の誰に何を言われてもこの考えは変わらないだろう。
「そーだよー。僕が絶対ルーナのこと守ってあげるから、もっと信じてね」
横からルディが嬉しそうに抱き着いてくる。
ルディとの距離感が以前よりも近くなったり遠くなったりしていて不思議だった。今ならそのことについて聞けるかもしれないと思い、抱き着いてくるルディをじっと見つめる。
「? どうしたの、ルーナ」
「ルディに、ちょっと聞きたいことがあって……」
「うん、いーよ。なんでも聞いて」
「夜一緒に寝なくなったのもそうだけど、なんで部屋に入る時とかノックするようになったのかなって」
不思議に思ったことをそのまま聞いてみるとルディがぴしっと固まる。
直後に「ぶっ」とジェットが吹き出すのが聞こえた。




