117.解呪の支度
二時間後、フェイが「準備できたで~」と呼びに来た。
四人で客間に戻ると、元々あったテーブルと椅子は隅に寄せられており、部屋の中央には魔法陣が描かれていた。人が大の字になって寝転がっても余裕がある大きさの魔法陣である。
中央にある魔法陣だけが淡く発光しており、光は真上に伸びて円柱型になっていた。魔法陣全体は薄い黄緑色で、その光景は幻想的にもおどろおどろしくも見える。
「ルーナさん、こちらへどうぞ」
クリスはにこやかな表情を崩さず、魔法陣の中に入るようにルーナを促してきた。
まごついているとレミが行く手を阻むように手をルーナの前に広げる。
「待て。必要な説明はすると言っただろう?」
「おっと、失礼しました。では、説明させていただきますね」
言いながらクリスは魔法陣に近付いていき、自ら魔法陣の中に入っていった。
「この魔法陣は複合型で、中から発生する力を無効化する効果、外からの影響を遮断する効果、『呪い』を浄化する効果があります。ちなみに浄化能力はまだ発動していません。『呪い』を見てから発動させるかどうかは決めます。──フェイ」
「はーい」
魔法陣の傍に立っていたフェイが両手を翳す。
ふわりと優し気な光が溢れだしたかと思えば、薄い黄緑色だった光が黄色に変化をしていた。中にいるクリスに特に変化はなさそうだ。
「まぁ、私は呪われているわけではないので浄化の力は意味がないんですけどね」
「……呪われてるようなもんじゃないの?」
おどけた調子で言うクリスにジト目を向けるルディ。クリスは生徒を見るような目でルディを見つめ返した。
「あはは。だと話が楽だったんですけどね、違うようなんですよ。ルーナさんの『呪い』にこの浄化が効けば一番楽なんですが、これは効いたらラッキー程度のものです。効かないことを前提に対応していきますよ。フェイ、切ってください」
もう一度フェイが魔法陣に手を翳すと、光の色が黄緑に戻った。
クリスが魔法陣の中から出て、レミ、ジェット、ルディ、そしてルーナを順に見つめていく。
「さて、ここで相談なのですが……『呪い』を解く前にですね、ルーナさんの血を頂きたいのです」
「何のためだ?」
「嫌ですね、知ってるでしょう? 吸血鬼を殺せる呪いの血──欲しいに決まってます」
レミの訝し気な問いかけにクリスが肩を竦める。
言葉を濁すあたり、あまり良いことに使うつもりはなさそうだ。自分の血が誰かを殺すかもしれないと思ったら、ルーナとしては断りたかった。
クリスは優し気にルーナを見る。
「悪用はしませんよ。純粋な研究と個人的な実験のためです。断っておきますが、他人に使ったりしませんのでご安心を」
「……。それなら、えぇと、大丈夫です」
嘘はついてないように見えた。心理的な抵抗感はあるが、解呪との引き換えのようにも聞こえたので渋々頷く。
「他人に使わないとか物は言いよう過ぎるだろ」
「本当のことですよ。──では、ルーナさん。他に質問や不安がなければ、こちらへどうぞ」
「は、はい」
戸惑いながら魔法陣の方に近付いていき、入る手前で足を止めた。不思議そうな顔をしているクリスを見て口を開く。
「……あの、痛かったりしません、か?」
「検査の段階では痛みはありませんよ。本当に見るだけなので」
「わ、かりました」
では他の段階では痛いかもしれないということか。緊張するが、現段階で痛みがないのであればと思いながらゆっくりと魔法陣の中に足を踏み入れた。
魔法陣の中は不思議な空間だった。これまで感じたことがないような空気が流れている。なんというか水槽にでも入れられている気分だった。
後からクリスが入ってこようとして、何かに気付いてフェイを振り返る。
「すみません、フェイ。椅子を持ってきてください」
「珍しく抜けとるやん」
「まぁ、そんな時もありますよ」
フェイがぷっと笑って隅に追いやっていた椅子を二脚持ってくる。クリスはそれを魔法陣の中に入れ、対面するように設置した。片方にルーナが座るように促し、自分はもう一つの椅子に腰かける。
レミ、ジェット、ルディの三人がその様子をじっと見守っている。これはこれでこそばゆいと思っていると、クリスが手を差し出した。
「左手を貸してください」
「は、はい」
「いい子ですね」
本当に不思議な雰囲気の人間だった。これまでルーナの周りにはいなかったタイプである。
物腰は非常に穏やかで柔らかく、声はどこか誘うような響きがあり落ち着いている。加えて常にニコニコしているので敵意や害意は全く感じない。レミたちから話を聞いてなかったら、彼のことを完全に信じ切っていただろう。
彼はルーナの手をしげしげと眺めた後、薬指に嵌っている指輪に触れた。
「外しますね」
「だ、大丈夫、ですか?」
「この魔法陣の中にいる限り、昨日のように外に『呪い』の影響が漏れ出すことはありませんよ」
「わかりました……ど、どうぞ」
昨日指輪を外した時、ものすごく嫌な感じがした。全身寒気に襲われて、ルディが「もっかいして」と言われなかったら気を失っていたかもしれない。
そんな気持ちとは裏腹にクリスは躊躇いもせずに指輪を引き抜いた。
が、昨日と違って何の変化もない。魔法陣の中にいるからだろうか。クリスは指輪を掲げてしげしげと眺めている。
「……なるほど。随分手が込んでますね。指輪は本当に『呪い』を抑え込むだけですか。フェイ、少し預かっていてください」
「はーい」
クリスがフェイを見ずにぽいっと指輪を投げる。フェイはそれをキャッチしていた。「あ」と声を出してしまったが、クリスは笑って「後でちゃんと返しますよ」と言った。
クリスが左手を掴んだままルーナを見つめる。
「あちこち触ります。触られて嫌なところがあれば教えてください」
「はい。わ、かりました」
緊張のままに頷いた。クリスの手が左手を離れ、ゆっくりと体に触れる。頭に触れたかと思ったら頬、首、鎖骨、体のラインを確かめるように触れられていき、胸を触られた時は流石に驚いた。
「っ……?!」
「ちょっ、ど、どこ触ってんの?!」
ルディが焦ったような声を上げる。
が、実際は胸ではなくその下にある骨を確かめているような手つきで嫌な感じは一切しない。
「胸というか胸骨ですね。ルディさんは人間の血がどこで造られるか知っていますか?」
「えっ。し、知らない、けど……」
クリスがぐっと近付いてきてルーナの背中に手を回す。背骨に触れられてくすぐったさを感じたが、ぐっとこらえた。
触れながらルディたちへと顔を向けて、「知らない」というルディに微笑んだ。
「骨髄──骨の中ですね。胸骨だけではなく椎骨、骨盤などでも造られています」
「それで胸を触ってるのか」
「胸を触ろうという意図はありませんよ。確かめたいのはあくまで骨です」
ジェットのやや不機嫌そうな声が聞こえた。見れば、レミもルディも不満そうな顔をしている。
背骨を触っていた手が太ももの付け根あたりに触れる。手つきに嫌な感じはないものの、やはり妙に恥ずかしさを感じた。恥ずかしいのとくすぐったいのとで声が漏れそうになるのを何とか堪える。
他人に触れられているのを三人に見つめられているというのも非常に気まずかった。自分が良いと言ったこととは言え、こんな風に触られるなんて思ってもみなかったからだ。
「ぱっと見たところルーナさんの体に『呪い』の痕跡は見られません。ならば、体の中──血が呪われているのならば、血が造られている部位が怪しいと踏んだ訳です。概ね当たりのようですね、この感じは」
クリスは満足げに頷いて手を離す。そして、にこりと笑ってルーナを見つめた。
「さて、ルーナさん。質問です」
「は、はい」
「貴女に『呪い』をかけた術者から、寿命について何か言われませんでしたか?」
目を見開く。
どうしてそんなことがわかるのかと驚くのと同時に、寿命のことを三人に告げてなかったのを思い出した。




