111.『呪い』①
「ま~、でもおあいこってことでいいんじゃないの?」
不意にルディが明るい声を出す。隣で俯いているルーナを見ながらニコニコしていた。何を言っているのかわからないと言わんかばかりにルーナが顔を上げてルディを見つめ返す。
「おあいこ」という単語に疑問を思ったのはルーナだけではない。レミとジェットも同じだ。
ルディが能天気そうに笑うのを見つめていると、三人の疑問に答えるべく口を開いた。
「だって、僕らだって最初はルーナのこと太らせて食べよ~って思ってたよ?」
あっけらかんとしたルディの言葉にレミとジェットがぎょっとした。ひた隠しにしようとしていた事実なので驚くのは当然だ。
「「ばっ!?」」
「だからさ~、おあいこだよ。おあいこ。僕たちおんなじように考えて、おんなじような気持ちでやめたんだよ。食べたり殺したりするの」
馬鹿と言いかけたレミとジェットを無視して、ルディは呑気に続けていた。ルーナの顔を覗き込んで笑っている。
ここにいる三人、いやレミは直接関わってなのだが──少なくともルディが自分を食べようとしていたという事実にルーナがショックを受けないわけがない。あんなに仲良くしていたのだから。
何かしらフォローをしなければと焦ったが、ルディは二人の焦りなど知らん顔でルーナの手を取った。
「ルーナ、あんまり気に病まないで。同じ気持ちで思い留まれて良かったよ、僕たち。……ね?」
そう言ってルディはルーナの手を軽く揺らした。
ルーナは目を丸くしてルディを凝視している。何を感じているのかわからない表情だったため、やや気まずさがあった。
やがて、ルーナがもう一度俯いてルディの手をそっと握り返すのが見えた。何か響くものがあったらしい。
「……。……ありがとう。優しいね、ルディ」
「えっ。あ、いや~……そういうつもりじゃないんだけど、……まぁいいや」
それは間違いなく事実だったのだが、どうやらルーナは嘘だと思ったようだ。有り合わせの言葉に感謝をしていた。
ルディは当然戸惑う。しかし、わざわざ「本当だから」と念を押すのも違うと思ったらしく、それ以上強くは言わなかった。
ルーナの手を離したところで、ルディがお茶を飲んで一息つくように促す。
一度気持ちを入れ替えてから他の話をしたいのだ。
正直、薄っすら感じていたことでもあったのでルーナの『呪い』は些末な話だった。
もう少しマシな形で本人の口から聞きたかった、逃げるという短絡的な発想に至る前に何らか相談が欲しかったという気持ちはあるにはあるが、もう終わったことだ。今更掘り返すつもりはない。──この先ずっと心に残り続けるとしても。
ルーナがティーカップを持ち上げてゆっくりとお茶を飲む。
それを眺めながら、左手の薬指に光る指輪を見て目を細めた。視線を動かしてみるとジェットもルディもその指輪を見ている。あれがただの『お守り』ではないと薄々勘付いている。単純にお守りならばペンダントにしたっていいはずなのに、わざわざ誤解を招く位置にしていたのは気になっていた。
指輪に気付いた時はルーナ自身にさして興味もなかったので「そんなものか」とスルーできていたが、現時点では不自然さしかない。
お茶を半分ほど飲んだルーナがカップをテーブルに置いたのを見計らって指輪について言及することにした。
「ルーナ」
「あ、な、なに?」
「怖がらせるつもりはないんだが……その指輪について聞かせて欲しい」
ルーナの肩が震える。
何を言っても何を聞いても怖がらせてしまうのが歯がゆい。
「お守りだと言っていたが、実際は『呪い』に関係あるものなんじゃないか?」
「……う。……は、はい」
「どういうものなんだ?」
ルーナが薬指に嵌っている指輪に触れる。
銀色に鈍く輝く指輪である。少々嫌な感じがするので銀製だろう。
吸血鬼であるレミは銀製のものを苦手としているのためできれば触りたくなかった。触るだけなら焦げたり溶けたりするだけだが、単純に銀による傷は治りが遅い上に消耗しているレミにとっては気楽に触れられるものではない。触れる機会があればジェットかルディ頼むことになるだろう。
三人の様子を気にしながら、おずおずと口を開くルーナ。
「……『呪い』を閉じ込める指輪だって言われました。この指輪をしている限りは私に『呪い』がかけられているとは気付かれないらしい、です。怪我をしないようにとは言われましたけど……」
罪悪感や気まずさのため、また敬語に逆戻りだ。今はしょうがないと割り切ることにした。
ルディが血の匂いで違和感に気付いたのを思い出す。とは言え、ルディでないと気付かないレベルなので恐らく指輪の効果はかなり高いものと推察される。
一体誰が、何の目的で?
考え込んでいると、今度はジェットが質問を口にする。
「ルーナ。お前に『呪い』をかけたやつがどんなやつだったか見た?」
「み、見ま、した」
「どんな奴だった?」
ジェットの問いに、ルーナが少々戸惑いを見せた後、口を開いた。
しかし──。
「 」
確かに喋っているのに声が聞こえない。
ルーナ自身不思議に思ったようでもう一度ぱくぱくと口を動かすが、さっきと同じだった。何も聞こえない。まるで声が遮断されてしまったかのようだ。
レミ、ジェット、ルディの三人は顔を見合わせた。
ルーナは自分の喉を押さえ、ひたすら不思議そうにしていた。
「ふーん、バラされると困るのか」
「そのようだな」
「……あー、あー。……あ、あれ? 普通に喋れる……」
ルーナが驚いたように目を丸くしている。
特定の情報を喋らせないような魔法は存在しているのでその類だろう。ルーナが普通に喋っているのを見ると、喋ることで何らかペナルティを受けるような術式ではないようだ。ただ喋れなくなるだけ。
そのことに僅かに安堵し、もう一度指輪へと視線を向ける。
「ルーナ、その指輪を外せるか?」
「えっ?! で、でも、……あの、」
静かに聞いてみるとルーナが指輪をぱっと押さえてしどろもどろになる。視線があちこちに忙しなく向けられていた。
「指輪について他に何か言われたか? 外すと『呪い』がバレる、ということ以外」
「い、言われてない、です。……外しても死なないけど外したら死んだも同然、とは、言われて……」
「なるほど。『呪い』がバレるからだな。──念の為に聞くが、『呪い』を解きたいか?」
真っ直ぐな問いかけにルーナが目を見開く。
万が一にも「呪われたままでいい」という答えはないと想定しての質問だった。
頷いてくれさえすれば手を尽くす。
生憎と呪術の類はここにいる三人とも門外漢だったが当てがないわけじゃない。それこそフリーデリーケに聞けば何らか情報が得られるだろう。身内を頼るのは抵抗があるがこの際どうでもよかった。
ジェットとルディもルーナの答えを待っている。
「……と、解きたい。ずっと、ずっと苦しかった……みんなにも申し訳なくて、自分のことがどんどん嫌いになって、許せなくなるから……『呪い』が解けるなら、解きたい、です……」
ぼろぼろと涙が零れ落ちる。最後の方は涙のせいでほとんど声になってなかった。
頬を伝い、手の甲にぽたぽたと涙が落ちていく。それを慌てて拭い、グスンと鼻を啜っていた。
期待通りの答えが聞け良かったと目を細める。
「ルーナ。なら、その指輪を一度外してくれるか? どんな『呪い』なのか確かめたい」
顔を上げて、レミ、ジェット、ルディの三人を順に見つめるルーナ。それぞれが小さく頷いて見せると、ルーナは緊張した面持ちで指輪に触れた。親指と人差指で指輪をつまむ。
少しだけ動かしてから、もう一度レミを見る。
本当にいいのか、と聞きたそうな表情だった。
とにかく『呪い』がどんなものかを確かめなければ話は始まらない。
頷いて見せると、ルーナがゆっくりと指輪を引き抜く。
銀の指輪が指を僅かに抜けた。
その直後。
ルーナの体からどす黒い霧のようなものが吹き出した。
それはまるで蛇のようにとぐろを巻き、あっという間にルーナの体を覆い隠してしまう。同時に室内いっぱいに毒ガスのように満ちていく。
ヒュ。と誰かが息を飲む音と、何かが倒れる音がした。
「ルーナッ! 指輪もっかいして!」
「えっ?! あ、う、うん!」
悲鳴のようなルディの声にルーナが慌ててもう一度指輪を嵌める。
すると、ルーナを覆い隠していた蛇のような霧も室内に満ちていた真っ黒な霧もあっという間に霧散した。
『呪い』──という言葉で済ませていいのかわからない。
それほどまでにどす黒い何かだった。
負の感情をどろどろになるまで煮込んだような、吐き気を催すほど醜悪な『呪い』だった。




