110.許されざること②
わかっていた。知っている。
そうやって事実を軽く受け止めるのは容易い。
しかし、ルーナは自分が「呪われている」という事実は三人から隠したいものだったのは明白だった。それくらいに本人にとっては重い事実だったし、罪悪感と後ろめたさを感じるものだったのだろう。
だから「責めたりしない」と繰り返し言っていたのだ。残念ながらルーナには信じてもらえなかったけれど。
軽く扱えない事実であるがゆえに、三人とも少し黙り込んでしまった。
が、ここで黙っていてもしょうがないと思ったのか、ジェットが息を吐き出してルーナの体を抱えた。
「ひゃっ……?!」
「とにかく屋敷に戻るぞ。こんなとこでうだうだやってても埒が明かねぇ」
「で、でも、わたし……」
ルーナが涙目になってジェットの胸を押して降りようとしている。当然ジェットはルーナを離したりしなかった。
「話は後で聞く。逃げるのも何も言わないのもなしにして。……思いの外キツいんだよ」
最後の一言は独り言のよう。やけに人間味があり、苦しげに聞こえる一言だった。
ジェットがそんなことを言うとは思わずレミもルディもジェットを見つめてから顔を見合わせる。
ルーナが何も言わずに逃げ出したショックは三人とも同じらしい。そもそもルーナが屋敷から一人で出ていくとか三人が嫌になって逃げるなんて考えたこともなかったのだ。好かれているとも懐かれているとも思っていたから、余計に。
ルーナは驚いたようにジェットを見上げてから気まずそうに俯いた。
短い帰り道は無言だった。
屋敷に戻ったところで、アインとトレーズが厨房の裏口から出迎える。
「ルーナ!」
トレーズの腕の中にいたアインがぴょんっと飛び跳ねてルーナの腕の中に入っていく。黒いボタンの目はどうしてだか泣いているように見えた。普段からずっとルーナについていたので親心のようなものが芽生えているのだろう。
「良かったですーーー! 屋敷を出たと聞いた時はどうしようかと……!」
「ええ、本当でしてよ?! アタクシたちが心配するのですから勝手に出ていかないでくださいまし! ああもう顔も汚れて……」
「……ご、ごめんなさい」
そう言ってトレーズがルーナの頬を撫でる。涙で固まった砂がほろりと取れた。
トレーズはどちらかと言うと姉のような雰囲気だ。
見た目から、使い魔は奉公に来ている少年少女の弟や妹役、自動人形は兄や姉役を務める傾向が多かったものの、ルーナにとっては二人とも保護者のようだった。アインもトレーズも久々に屋敷に来た少女なので特に大切にしていたのは伝わってくる。
それ含めて二人とは良い関係が築けていたが、レミたちとは今日までその関係が築けなかったのが悔やまれる。
レミは二人の盛り上がり落ち着くのを見計らってから声をかけた。
「アイン、トレーズ。悪いがルーナを浴室へ。その後オレの部屋に連れてくるように」
「はい、かしこまりました!」
「お任せくださいまし!」
ジェットがルーナを下ろしたところでそんな会話になったので、ルーナの表情が若干ひくついた。何か言いたげにトレーズを見るが、トレーズはニコニコしているだけだ。
とにかくルーナには一度体を清めて落ち着いてもらう必要がある。
そのまま寝かせるとまた逃げ出す恐れがあるので、今日中に話を聞いてしまいたかった。
ルーナが風呂に入って着替えをしてから、アインとトレーズに連れられて部屋にやってきた。カリタも一緒にやってきて、人数分のお茶を用意する。
普段、夜勉強を教えているように四人はソファに座った。アインとトレーズは出ていくつもりがないらしく、部屋の隅で大人しく立っている。ルーナのことが気になるのだろう。
ルディがルーナの横を譲らなかったので、ルーナとルディ、レミとジェットという組み合わせてソファに座っている。
ルーナはさっきから緊張した面持ちで俯いている。
尋問するようで嫌だなと思いながら、それでも聞かなければ話が進まないのもわかっている。小さく息を吐き出してからルーナを真っ直ぐに見つめた。
「ルーナ」
「は、はい……」
「……何度も言うが、オレはお前を責めない。呪われている、と言ったが──自分で自分に『呪い』をかけたわけじゃないんだろう?」
びく。と、ルーナの肩が震える。
ルディは何を思ったのかルーナにぴたりと寄り添い、肩に頭を置いてしまう。多少視界の邪魔だが我慢できないほどではない。見れば、ジェットは面白くなさそうな顔をしていた。
ルーナはぎゅうっとスカートを握りしめる。
「……自棄に、なってたの」
震えながら呟かれる言葉に耳を貸し、目を細めた。
どういう意味だろうと不思議に思いながら続きを聞く。
「お父さんとお母さんが死んでから、いいことなんか何もなくて、生きている意味もわからなくて……毎日毎日辛いばっかりだった。そんな時、吸血鬼が戻ってきたって噂になって……知らない間に、勝手に『生贄』にされての。わ、私の血を飲んだ相手を殺す『呪い』をかけるって、もう全部決まってて……。
自分の命がお金でやり取りされるのを見たら、もう、本当に全部どうでもよくなってきちゃって……」
こんな人生なら、誰かを巻き込んで死んでやる、って……思って……」
そこでルーナは顔を覆って静かに泣き出してしまった。
血──。そうか、それで涙に触れられるのを嫌がっていたのかと納得する。涙と血はほぼ同じ成分だからだ。飲むのと触れるのとでは随分違うが、その判断がつかなかったに違いない。
ルディが心配そうにルーナの様子を窺う。ジェットは膝の上に頬杖をついてルーナをじっと見つめていた。
「ナイスガッツ」
「ジェット、茶化すな」
「茶化してねぇよ。だって、俺はそういうの嫌いじゃねぇもん。決死の自爆攻撃とか死なば諸共みたいなの」
「……お前が戦争に使われたのはその性格が祟ってるのもあると言っただろう」
人間の間でどう解釈されたのかわからないが『悪魔ジェット』の情報はかなり戦争に対して好意的に伝えられていたはずだ。だからこそ能力も相まってよく呼び出された。何度か注意しているが、本人は一向に聞く気がない。
少し話が逸れてしまった。ルーナはこちらの話など耳に入っていないようで、静かに泣いているだけだ。
「最初、オレに血を飲んで欲しいと言っていたのはそういうわけだったんだな」
ルーナは躊躇った後、控えめに頷いた。
ショックじゃないと言えば嘘になる。ただ、村人たちにそう言われたから、もしくはルーナは何も知らされてないと思っていたからだ。自暴自棄だったとは言え、ルーナがその気だったことに多少なりとも驚く。
ただ、境遇を思えば仕方ないとも感じられた。
そう思いたいだけなのかもしれないし、ルーナを特別視してるからかもしれない。
「……やっぱり」
ぼそ。と呟いたのはアインだった。何か考え込むように短い腕を顎に当てて考え込んでいる。
全員の視線がアインに向いたところで、アインがわたわたと周囲を見回す。トレーズがアインを冷たく見下ろした。
「アイン。やっぱり、ってどういうことですの……?」
「……か、川に遊びに行った時、ガフィアが……ルーナの足をつついて、……その後死んでいたんです。それで──」
瞬間、トレーズがアインをつまみ上げる。首を両手で握りしめてがくがくと揺さぶりだした。
「んぎゃっ?!」
「アイン! 気付いていて黙っていたのね?! イェレミアス様がルーナの血を飲んでいたらどうするつもりだったの?!」
「そ、それ、は……」
鬼気迫る形相のトレーズ。首を絞められていると言えど、アインはぬいぐるみなので窒息死することはない。
そんなことがあったとは知らなかった。アインが報告をしなかったのも引っかかる。
アインはトレーズに揺さぶられながら意を決したように続きを口にした。
「し、信じてたんです! 何か事情があるだけだって、ルーナはきっと自分から教えてくれる、って……!」
「っ……で、でも、それとこれと報告を怠ったのは──!」
「トレーズ、いい」
アインを責めるのを見てレミはトレーズを制止した。トレーズはぴたりと動きを止め、不満そうにしながらもアインを開放する。アインはほっとした様子だった。
「……そうだな。本当なら、オレもルーナから話してくれるのを待ちたかった」
一抹の寂しさを覚えながら言う。
ゆっくりとルーナが顔を上げて、レミを真っ直ぐに見つめていた。その顔を見てぎこちなく笑ってみせるとルーナの目から大粒の涙が零れ落ちる。
ルーナの唇が小さく震え、申し訳無さそうに俯いた。
「……本当に、ごめんなさい」
「謝らないでくれ」
「でも──」
「いいんだ。こんなこと、もう二度としなければ」
ジェットとルディがレミを見る。
声は普段通り、穏やかで優しいものだったはずだ。腹の奥で燻る感情も上手く隠せていたはずなのに、二人の何か言いたげな視線が刺さる。
レミは何も言わずににこりと笑う。ジェットとルディが呆れた顔をするのが不思議だった。




