109.許されざること①
その日、レミたちは普段通りに過ごしながらもルーナのことを気にしていた。
特にレミは昨夜泣くルーナと話をしていたので余計に。
夕方。既に周囲が暗くなっている時刻。
ルーナが夕食の準備を始めるまでの間、レミ、ジェット、ルディの三人はレミの部屋で話をしていた。
内容は「どうやってルーナに隠し事を打ち明けさせるか」だ。不思議と「暗示をかけて無理やり打ち明けさせよう」という意見は出ず、どうにか本人が納得する形で打ち明けることができないかという話題だったが、結局堂々巡りをしている状況だった。
結局、夕食時にでもルーナにそれとなく話を振って様子を見ながら進めようかという消極的な方法に落ち着きそうだった。
不意に、魔獣姿になっていたルディが耳をぴくりと動かして立ち上がる。
「ルーナが外に出ちゃったんだけど?!」
「「は?」」
レミとジェットはルディの言葉に頓狂な声を上げた。
流石にそのまま話を続けるわけにもいかず、レミとジェットも立ち上がった。
「ルディ、どこ?」
「裏庭から森の中に入ってったみたい。えー、もう夜なのになんで~?」
「流石にこの時間に森に入るのはまずいな……連れ戻そう」
ルディのおかげで低級の魔獣の数を減らしているが、減っただけだ。ゼロになったわけじゃないし、野犬や夜行性で人を襲うような獣はまだいる。何の力も持たない少女が徘徊するには危険すぎた。
三人は各々部屋を出て裏庭へと向かう。
レミとジェットが転移で裏庭から森に続く扉の前に立った。錆びた扉は無理やり押し開けられ、ルーナが通れるだけの隙間ができていた。
「こっちから出てもどこにも行けねぇのに、なんでこんなところから出るんだ?」
「……さぁ? 早く後を追おう」
レミにもジェットにも、ルーナが出ていった理由が皆目見当もつかない。
二人を尻目にルディが高い石壁を飛び越えて敷地外に着地する。優れた聴覚と嗅覚を使いながらぐるりと周囲を見回した。
「ルディ、どっち?」
「あっち! まだ遠くには行ってないからすぐ追いつけるよ」
ジェットの問いかけにルディはルーナの向かった方向へと走り出す。ジェット、レミもそれに続いた。
暗く歩き辛い森の中、人間の少女が魔獣から逃げられるはずもない。それくらいは簡単に考え付きそうなものだが、ルーナが何を考えて出ていったのかが全くわからなかった。
とにかく連れ戻さなければ、という気持ちで三人とも動いていた。
やがて、そう時間も立たないうちにルーナの後ろ姿を捉える。寒そうなワンピースだけでコートも羽織ってない。一体どういうつもりで外に出たのか益々わからなくなってしまった。
「いたー! ルーナ、森の中は危ないよ~! 戻って!」
ルーナの肩が震えるのが遠目からもわかった。
振り返って「ごめんね」と言いながら出ていった理由を言うかと思いきや──ルーナは走るスピードを上げた。
一瞬不思議に思ったが、すぐに自分たちから逃げているのだと気付く。
逃げる? どうして? 何故?
──今更?
負の感情が一気に煽られる。そして感情の動きをそのまま行動に移したのはルディだった。
まるで風のように木々の間を抜けて走り、あっという間にルーナに追いつく。すぐ背後に迫り、タイミングを見て背中に飛びかかった。
「きゃあっ?!」
どさ。と、ルーナが地面に倒れ込む。それを見たジェットが顔を顰めた。
「ルディ、乱暴にするなよ」
ルディは背中に乗りかかるような形でルーナを地面に押し倒したのだ。かなり乱暴なやり方だったが、ルディが怒っているのは確認せずとも伝わってくる。ジェットが呆れながら注意するが聞いているかどうかはわからない。
ルディはルーナの上から退いて、倒れ込むルーナの正面に周り、その顔を覗き込む。
「ねぇ、ルーナ。逃げようとしたよね? なんで逃げたの?」
声はいつも通りだが、どこまでも冷たい響きだった。
ルーナの目には恐怖が宿り、震えながらルディを見つめ返している。蛇に睨まれた蛙とはこのことだろう。
普段なら、ルディの物言いを注意してルーナを助け起こしているのだが、今はそういう気分になれなかった。ジェットも同様なようで、静かにルーナを見つめている。
自分たちからルーナが逃げ出した。
その一点だけに怒りと落胆、虚しさ、そして言いようない悲しみを感じる。
ルーナは怖々と顔を伏せ、地面に額を擦り付けた。
「……ご、ごめん、なさい」
「謝罪が聞きたいんじゃないよ。逃げ出した理由が聞きたいの」
ルディが静かに問う。静かな声の中には怒りと苛立ちがありありと滲み出ているせいでルーナは簡単に口を開けないだろう。
「何かまずいことしちゃった? 何か嫌なこととか、怖いことがあったの? 僕らがそういうこと、した?」
それ以外にもルディが質問を重ねたが、どれも違うとルーナは首を振るばかりだった。
やがて、ルディが悲しそうな顔をする。
「……じゃあ……僕のこと、嫌いになったの?」
さっきまでの怒りや苛立ちが抜け落ち、悲しみだけが残った声だった。
「っち、がう! それは、ちがうよ……!」
そこで初めてルーナが顔を上げる。土に汚れた顔で、目には涙が溜まっていた。
涙がゆっくりと零れ、頬についた土と一緒に流れ落ちていく。
痺れを切らしたようにジェットがルーナに近づき、その場にしゃがみ込む。
「じゃあ何でだよ。逃げたりする必要ねぇじゃん。安全だし、食べ物もあるし、欲しいものはなんだってやるのに」
「……っ」
「ああ。それともルディは好きだけど、俺かレミが嫌いって? 逃げ出したくなるくらいに?」
「ちがう、ちがうよぉっ……!」
嗜虐じみた言い方をするジェットに対し、ルーナがぼろぼろと涙を零しながら首を振る。
彼女を哀れだなんて思いたくはないのに、この時ばかりは憐憫の情が湧く。それくらいに何かを思い詰めていたということだろう。
このままの状態で問答を続けるの双方にとって良くない。
そう思い、レミはルーナに近付いた。
手を伸ばして彼女の体を起こした。
「ルーナ。何かあって逃げ出したのだろうが、もう帰ろう。夜の森は冷えるし危険だ。一人でいたら獣に襲われてしまう」
ルーナはその場にしゃがみ込んだまま、口を少し動かした。
「……そうなればいいって、思ったのに」
「何……?」
ルーナが再度黙り込む。一体どういうことなのかわからず、三人で顔を見合わせてしまった。
ルディが軽く鼻を鳴らす。不思議そうに首を傾げていた。
見れば、ルーナは膝を擦りむいている。ルディに飛びかかられた時に擦りむいてしまったのだろう。血が僅かに滲み出ていた。
「……なんか、変な匂い」
「何が?」
「ルーナの血。──微かに、腐ったような……?」
弾かれたようにルーナが立ち上がり、逃げようとした。
それをジェットが片腕で受け止め、腕の中で藻掻くルーナを呆れ顔で見つめる。
「俺らに囲まれてなんで逃げられると思うんだよ」
しかも人間が。と、ジェットが肩を竦めた。
なのに、ルーナは藻掻くのをやめない。よほど逃げ出したいのだろう。しかし、一体どうしてそれくらいのことで逃げ出したいのか、やはりわからなかった。
ルーナが思い詰める理由も、その気持ちも、人間でないレミたちには推し量ることができないのだ。
だから、ルーナの口から聞くしかない。
できれば穏便に聞き出したかったし、話して欲しかった。
「ルーナ、もういい加減白状したらどうだ。お前が何か隠してるのはわかっているんだ。血に関わることだろう? 怒らないし、責めたりしないから、話してくれないか。……オレたちは人間じゃないから人間的な信頼関係などはさほど重視しないが……お前から信用も信頼もされないのは──流石に悲しい」
静かに言えば、ルーナがハッと何かに気付いたように藻掻くのをやめた。恐る恐るといった様子でジェット、ルディ、そしてレミの顔を順に眺めていった。
怒りは最初だけ。
三人とも、今はただただ悲しかった。
好きな相手に信じて、大切なことを話してもらえないことが。
ルーナは三人が何を思うのかを察したらしく、ジェットの腕の中で項垂れた。そしてゆっくりと口を開く。
「……わ、わたし、呪われてるの。それで……『生贄』に、なったんだよ……」
まるで死刑台を前にしているかのような悲痛な言葉だった。
ルーナにとってはそれくらいに重い事実だったのが伝わってきた。




