107.この罪を見ないで①
真夜中、ふっと目を覚ました。
いつの間にベッドに入っていたのだろうか。ぼんやりと天井を見つめて、ベッドに入るまでのことを思い出そうとしてみる。
珍しくジェットに月見に誘われて、屋根の上に行って、それで──。
その時、すごく妙なことを感じた気がする。
ジェットと一緒にいるのが嬉しくて、視線や手が向けられるのが嬉しくて、何故か舞い上がっていた。これまでに感じたことがない高揚感だった。反面でものすごく戸惑ってしまい、段々と混乱していった。
これが本当に自分の感情なのか、確信が持てなくて。
最後にジェットが「もういい」と言ったのだけ覚えている。突き放されたようにも、ジェット自身の自嘲にも聞こえた。
あれはどういう意味だったのだろう。
そんなことを少し考えているうちに、またウトウトと眠気が襲ってきた。
次の目が覚めた時、何故か祖父母と暮らしていた家の中だった。「いつまで寝ているんだい!」と叫ぶ祖母の声と扉を叩く音で慌てて飛び起きた。
「ごめんなさい」と謝りながら部屋を出たところで頬をぶたれる。バランスを崩し、床に倒れこんでしまった。
怖くて顔が上げられず、頭を押さえて身を守るようにぎゅっと小さくなる。舌打ちが聞こえて祖母が離れていくのがわかり、安堵してしまった。
足早に起き上がったところで、椅子に座ってお茶を飲んでいる祖父と目が合う。
祖父は我関せずと言わんばかりだったが、向けられる視線は体にまとわりつくような粘着質なもので、ぞわりと鳥肌が立つ。
慌てて顔を伏せると祖母がずかずかと近付いてきた。身を竦ませて顔を伏せ、手で頭を庇いながらしゃがみ込んだ。
「また! この子は! 色目を使って! ああいやらしい! いやらしい!」、そう言って祖母はルーナをひどくぶった。否定しても聞いて貰えないのはとうの昔にわかっていたので、ただ耐えた。何がどうこうよりも祖母の暴言と暴力が嫌で怖くて、ずっと俯いていた。
引き取られてすぐの頃は助けようとしてくれる人もいたが、祖母が「サボるんじゃない!」とルーナを叩き、相手にも「甘やかすな!」「いかがわしいことをする気だろう!」と暴言を吐いて追い払うので、みんなルーナを遠巻きにしていき、やがて祖母と一緒になってルーナをこき使うようになった。
祖母が立ち去ったのを確認し、そうっと腕の間から周りを見る。
見れば、祖父母の家ではなく、今現在ルーナが生活をしている屋敷の一室だった。
ああ、ただの夢だったのかと思ったのも束の間。
しゃがみ込むルーナを誰かが見下ろしている。恐る恐る顔を上げると、ジェットがルーナを静かに見下ろしていた。
「ジェ、ジェット……?」
ルーナを見る金の目はいつになく冷たい。
助けてくれるのかと期待したのも一瞬のことだった。
「もういい」
そう言ってジェットは姿を消してしまった。「え」と声を上げる暇もない。
慌てて立ち上がると、今度は背後にルディが立っていた。振り返ると、ルディもジェットと同じく冷たい目でルーナを見ている。
「ルディ? な、なんでそんな目で、私を見るの?」
「ねぇ、ルーナ。僕があの時ルーナの涙を舐めてたら、僕ってどうなってたの?」
全身冷水を浴びせられたみたいに指先から体の芯まで冷えていった。
質問には答えることが出来ず、小さく首を振りながら「違うの」と言い、数歩後ろに下がる。
とん。と、後ろにいる誰かにぶつかった。
レミが二人同様冷たくルーナを見下ろしている。一番最初に向けられた時よりもずっとずっと冷たい視線だった。
「お前はオレを殺すために来たのか」
ぐにゃりと世界が歪む。
弁解したくて口を開くが、うまく声が出ない。レミの冷たい視線が突き刺さり、は、は、と短く呼吸を繰り返すだけになった。
言わなきゃと思いながら手を伸ばす。
手を伸ばし、掴もうとした先には何もなかった。
薄暗い天井が広がっているだけ。
屋敷にあるルーナの部屋の天井だ。
ルーナは何もない空中に向かって手を伸ばしていた。
(ゆ、夢……)
やけにリアルな夢だった。
まるで予知夢のようにルーナを追い詰める。
伸ばした右手をゆっくりと下ろして額に当てる。顔を隠したくなって左手を持ち上げたところで、薬指にはまっている銀色の指輪が鈍く輝いているのが見えた。
全部自分のせいだというのに罪悪感に圧し潰されてしまいそうだなんて随分と勝手なことだ。自分で自分が嫌になるが、自分から逃れる術など知らない。
「うっ、く……」
耐え切れずに泣き出し、布団の中に潜り込んだ。布団を頭から被って潜り込み、声を殺して静かに泣く。
『生贄』になんてならなければこんな思いをすることはなかった。あのまま村で一人で死ぬべきだった。無意味な人生だったと諦めてしまえばよかった。
なのに、彼らに会えない人生なんて嫌だと思うのだ。
どうしようもなくてただ泣くしかできない。
しばらくそうやって泣いていると、控えめに扉がノックされる。
びくっと体を震わせて、ぎゅうっと布団の端を強く掴んだ。
「──ルーナ」
レミの声だ。扉越しに聞こえてくる声は少し遠い。
「泣いているとルディが言っていたので様子を見に来たんだが、……入ってもいいか?」
「……だ、だめ」
被った布団を少しだけ持ち上げて声を上げる。声はひっくり返るし涙声で、情けない声だった。
少し前までだとレミもジェットも勝手に部屋に入ってきたのだが、何故か一言声をかけてくれる。ルディも一緒に寝ることをやめてしまって、一体どうしたのだろうと不思議に思った。
夢のせいで「距離を取られているのかも」「嫌われてしまったのかも」という考えが過る。
そのせいで今は誰とも顔を合わせたくない。
「そう、か。何か、あったのか……?」
少し遠くても不思議とはっきり聞こえてくる。心配してくれているのだろうけど、今は上手く受け止められない。
そんな自分が嫌で、また涙が零れてしまった。ぐすんと鼻を鳴らして枕に顔を埋める。
「……怖い夢を見ただけ」
「怖い夢……?」
「ぜ、全部、私が悪いんだって、夢が思い出させてくれただけ」
何を言っているんだろう。こんなことをレミに告げたって困るだけなのに。
罪悪感を抱えて言わなきゃいけないと焦りながらも、三人に嫌われてしまうのが怖くて言えないでいる。夢で見たような冷たい視線を向けられるかと思ったら、何もできなくなる。
避けようがなかったとしても「やりますよ、やればいいんでしょう!?」と『生贄』を受け入れてしまったのはルーナ自身。
自暴自棄な自殺に他者を巻き込もうとした。
心配してもらう理由なんてない。
そう思ってしくしく泣いていると、不意に頭の辺りに何かが触れた。
「ルーナ」
声がさっきよりもずっと近い。レミが部屋に入ってきたのだと気付き、布団の中で硬直してしまった。
レミの手は布越しに触れるだけだった。頭のあたりをゆっくりと撫でている。
「お前は悪くない。何も、悪いことなんてしてない」
優しい声だった。しかし、その優しさがルーナには辛い。
「……したの! 悪いこと、しちゃったの! 私が悪いの!!」
「だとしても、オレはルーナを責めたりはしない。何をしたとしても」
「嘘だよッ……! ぜ、ぜったい、私が何したのか、知ったら……せ、責めるに、決まってる!」
「ルーナ」
子供を叱るような声とともに、布団が剥がされてしまった。
涙でぐしゃぐしゃの顔を見られたくなくて顔を伏せて枕に抱きつく。が、そんな枕すらもレミが引っ張って退けてしまい、ルーナはベッドの上でうずくまるしかなくなってしまった。
背後でレミのため息が聞こえる。こんな態度では呆れられて当然だ。
しかし、レミはその場から動こうとしなかった。ベッドに腰掛けて、ルーナの頭を優しく撫でる。
「何があったのか、何をしたのか……無理に聞こうなんて思わない。だが、オレがルーナを責めることは決してない」
小さな子供に言い聞かせるような静かな声。
何も言えずに黙ったままでいると、レミが続ける。
「オレは、ルーナが悲しむ姿は見たくない……だから、そんなに辛いなら、ルディのように忘れさせることもできる」
「っ、だ、だめ!!」
声音に本気を感じ取って、咄嗟に顔を上げた。
拒否するなんて思ってなかったのか、レミが驚いた顔をしてルーナを見つめている。
忘れてしまったら、きっとルーナは喜んでレミに血を捧げてしまう。それだけは避けなくてはいけなかった。




