106.記憶の隙間に落ちた灰③
翌日。
バルドは朝から町に出かけてケーキやら何やら、とにかくマルタが好きな食べ物を大量に買い込んできた。
普通、こんなにあからさまに特別感を出したらマルタに気付かれるのだが、もうマルタは今日が最後の日だと気付いている。バルドはそのことに気付いていないだろうけど、ジェットはマルタの告白を受けているので複雑な気分だった。
マルタは何も知らないふりをしてバルドが買い込んできた豪華な食料にはしゃいでいるのだ。
その日はどこまでも青い空が広がる気持ちのいい天気だった。
マルタの発案で外にテーブルセットを出して食事をすることになった。ジェットは給仕を買って出て、二人のいるテーブルにどんどん料理を運んでいく。
普段は肉類少なめなのだが今日は別だった。マルタが好みそうな肉料理と魚料理、色鮮やかな野菜料理が並ぶ。
「ねぇ、おじいちゃん。二人で川に行った時のこと、覚えてる?」
「ああ、もちろん。二年前だったかな?」
自然とバルドとマルタの間で思い出話に花が咲く。二人は殊更ゆっくりと食事をしながら会話を楽しんでいた。
まるでこの時間を惜しむように。
「マルタ、ケーキどれが良い?」
「選べるの!?」
「バルドが何が良いかわからなくて全種類買ってきたんだと。全部食いたいなら切り分けてやるけど」
「えへへ。じゃあお願い、ジェット」
「わかった」
マルタの要望通り買ってきたケーキを切り分けていった。
バルドから最後にケーキとお茶を出して欲しいと言われている。
そして、殺し方は任せる、とも。
残念ながらジェットは人間の穏やかな殺し方を知らない。武器を自由自在に精製できる能力ゆえ、大体首を落とすか剣や槍で心臓を一突きするかだったからだ。流石にそんなやり方で二人を殺すわけには行かない。二人の最期を血塗れにはしたくない。
だから、そこはレミを頼った。
レミはジェットの頼みに対して酷く渋い顔をしてから、どこからか毒薬を二種類手に入れてきた。 一つは睡眠薬、一つはゆっくりと心臓の動きを止める薬。調合すれば眠るように死ねるという話だった。
それをケーキの途中に出すお茶へ混ぜている。
マルタが美味しそうにケーキを食べ、バルドはそれを微笑ましく眺めていた。
「バルドは食わねぇの? ケーキ。余るぞ」
「爺にはもうきつくてなぁ……」
「おじいちゃん、一口くらい食べて欲しいわ! はい、あーん!」
マルタが一口分をフォークに乗せてバルドの口元に運ぶ。バルドは目を細めてからケーキを口の中に入れた。
「うん、美味しいな……」
「バルド、お茶」
「ああ、ありがとう」
毒薬を仕込んだお茶を入れ、バルドに差し出す。一緒にマルタにもお茶を追加した。
そして、三つ目のカップにお茶を注ぎ、手に持った。ジェットに人間用の毒など効かないのだが、何となく飲んでおきたかったのだ。
カップを口に運んだところで、マルタの視線を感じた。
手を止め、マルタを見る。
「何?」
「え。あ、……ジェットにはずっと給仕をお願いしてたから、今始めて座ったなって思って……ねえ、さいごに乾杯しましょ? 何だか今日はとっても良い日だったし、あたしすごく気分がいいの」
バルドの指先が微かに震えた。マルタはニコニコと何も知らなさそうに笑っている。
マルタがカップを掲げるのを見て、バルドも、そしてジェットも合わせてカップを掲げた。
「おじいちゃん、ジェット。あたし、とっても幸せだわ。本当にありがとう! ──乾杯!」
そう言って三つのカップが軽くぶつかる。
マルタは──まるでそれが毒であるのがわかっているかのように、一瞬だけ緊張した目をしてから、カップのお茶をゆっくりと飲み干した。
バルドはそれを見てゆっくりと、味わうように飲む。
「ジェット、このお茶美味しいわ。ありがとう」
「何回礼を言うんだよ」
「今日はたくさん言わなきゃって思っただけよ。本当にありがとう」
「大好き」とマルタが呟く。バルドがそれを聞いて「こら」と嗜めるが、マルタは舌を出すだけだった。
残ったケーキを食べお茶を飲み、くだらない話に花を咲かせる。
やがて、バルドとマルタの二人は眠り、ゆっくりと呼吸を止めた。
ジェットは二人の死を見届けてからそっと立ち上がり、マルタの頬に触れる。温かったはずの肌は徐々に体温を失い、冷たくなっていく。バルドに触れてみても同様だった。生気がなく、生きていた時よりも乾いている。
昼過ぎから始めた食事とお茶会。
もう太陽が傾き始めている。空を見上げたところで、いつの間にかレミが背後に立っていることに気付いた。
まだ日は出ているものの、万全の状態であるレミにとってはほぼ無害である。始祖の系譜に連なる吸血鬼のほとんどは太陽を物ともしない。例外はあるし、全く影響がないわけではないが、夕方に身を晒すくらいであれば全くの無傷でいられる。
「割のいい話だったな。たった二年足らずで膨大な魔力を持つ人間の魂を二つも手に入れることができたんだから」
「まぁな。……てか、お前が文句言わねぇのは意外だった」
「帝国に捕まって人体実験されるよりずっといい。……大体、あの二人は自分で最後をどうするかを選んだのだろう? なら、全くの部外者であるオレに口出しする権利などない」
話をしている間に、バルドとマルタの体から淡い色をした魂がゆっくりと出てくる。
ジェットが軽く手を揺らすと、二つの魂は掌の上に収まった。
悪魔や吸血鬼が見ればわかるが、魔力量が桁違いである。どんな悪魔も欲しがるレベルの魂が、二つ分である。
しばらくの間、ジェットはその魂を手の周りで遊ばせる。やや小さめの魂の方がジェットの手にじゃれつき、もう片方は離れてその様子を眺めていた。
「ま、見つからないうちにさっさと貰うわ」
独り言のように言い、二つの魂を捕まえようとしたところで小さい方の魂がするりと手をすり抜ける。
そして、ジェットの頬にちょんっと触れてから慌てて逃げていき、ジェットの掌に戻っていった。大きい方の魂に近づくと、その魂も小さい方の魂にそっと寄り添う。
その様子は二人がソファの上でくっついて本を読んでいる姿を思い出させた。
ジェットの掌の上で寄り添う魂はすうっと吸い込まれていき、魂が保有していた魔力がジェットに流れ込んでいった。
「喰わないんだな」
「アレはただのパフォーマンスだって知ってんだろ……」
ガクリと肩を落とす。人間の前でこれみよがしに魂を口の中に入れて見せたことはあるが、別にあんなことをする必要はないのだ。恐怖を与えるためのただのパフォーマンスに過ぎない。
「さて、最後の仕事だ」
「少し待ってくれ」
「は?」
レミが声をかけたかと思いきや、どこからか花束を取り出す。両手に抱えるほど大きな花束だった。
それをバルドとマルタの間に置く。
「餞だ。二人とも今日までよく生き抜いた。……逃げ続ける生活は大変だったろうに」
「……好きにして。この辺一体燃やすから離れろ」
言われた通り、レミが後ろに下がった。
ジェットは手を翳す。すると、家とその周りにあるもの、バルドとマルタの二人もあっという間に炎に包まれた。
その炎は燃え広がることなく、家とその周りを溶かすように燃やしていく。普通の炎とは違い、まるで生き物のように蠢いていた。煙も出なければ、音もない。不思議な炎だった。
揺らめく炎をジェットとレミは静かに眺める。
「……うん? これ、燃えてるのが見つからないか?」
「結界張ってるに決まってんだろ。誰にも見つからないよう、跡形もなく消してくれって契約だからな」
「研究はどうした? あれはあれで使えそうだったろう?」
「もうとっくに貰ってるよ」
そう言って自分の頭をトントンと叩く。
炎の中で二人の体がすうっと消えていくのが見えた。
これで本当にお別れだ。魂はジェットが貰ってしまったので二人が生まれ変わることもない。
魂を対価に出すというのは、そういうことなのだ。
「何を考えている?」
「別に。変な人間たちだったな、って。それだけ」
「……そうか。ジェット、お前は──……いや、悪い。やっぱりいい」
それ以上、レミは何も言わなかった。
何を言おうとしたのか気になるが、その時は聞く気にならなかった。
静かに燃え、そして崩れていく家を二人で眺めていた。燃え尽きるまで、ずっと。
家が燃え尽きた後、そこには本当に何も残らなかった。灰すらもない。
だが、地面がむき出しの状態で周辺とは明らかに違うのが見てわかるため、周囲の木々や草花を移動させた。レミもそれを手伝ったのであっという間だった。
そこには誰かが暮らしていた痕跡などはない。
バルドメロ・カルデロン、マルタ・カルデロンのことは誰かの記憶の中にしかない。
山の麓に小さな花畑があるだけの、よくある光景になったのだった。
──思えば、あんなに穏やかな生活はこれまで送ったことがなかった。悪魔と言えばもっと荒んだ生活を送っており、何なら戦いに明け暮れている者もいるくらいだ。
居を構え、朝昼晩規則正しく生活し、たまの買い物や遠出を楽しむ。
今の生活はあの生活を思い出すのだとわかった。
あの生活も、今の生活も、何だかんだで気に入っている。多分ジェットは──。




