102.足りなくて、余計で①
結局、ルーナは何も知らないままその日を過ごした。
ジェットとルディの様子がおかしかったのには気付いていたが、それとなく聞いてみても曖昧に笑うかはぐらかされてしまった。自分に話せないこと、もしくは関係のないことなのだろうと割り切ってあまり考えないようにした。
ゆっくりとした昼食の後、使い魔の修復を行う。
これまでは自動人形の修復作業を行っていたのだが、専門の修理が必要な自動人形ばかりになってしまったので一旦保留になっていた。代わりに、ミミのように「やぶれちゃった~」と自主的に修復を依頼してくる使い魔の修復がメインになっている。それ以外の時間は購入した布を使って新たに手足を作ったり、補修が無理な部分の布を変えたりしていた。
いつものようにその日を終えたが──。
やはり、ジェットとルディの様子がおかしかったこと。
夕食を用意する際にレミは一人で食べると言ってみんなで食べることはなかったこと。マフィンは受け取ってもらえたがどこか違和感があった。
いつもと違うことが多く、首を傾げてしまった。
気にしないようにしたいが、気になるものは気になる。
ベッドで本を読んでいる間も三人のことばかりがぐるぐると巡ってしまい、集中ができなかった。
「……はぁ、もう寝ようかな……」
本を閉じて呟く。このまま読み進めていても、頭に全く入ってこないのだ。
本を胸に抱いてベッドに倒れ込む。
このまま寝ようとしてもきっと気になって眠れないんだろうなぁと思いながら、どうしたものかと悩んでしまった。しかし、三人が何も答えてくれないならルーナにはどうしようもない。
「ルーナ、起きてる?」
「え? ジェット?」
ジェットの声がしてきょろきょろと周囲を見回すと、窓の外に人影があった。ジェットだ。
慌てて本を置いてベッドを下り、窓を開け放つ。冷たい空気が流れ込んできて、思わず目を細めてしまった。
「ど、どうしたの? こんな時間に……」
「月」
「え? ……あ。今日は月が並ぶ日なんだね」
ジェットが夜空を見て指を指す。釣られて開いた窓から見上げれば、二つの月がまるで寄り添うように並んでいた。
数日かけて重なって片方が隠れてしまい、また数日かけて片方の月が姿を現すのだ。並び合う月は芸術家がよくモチーフにするらしい。仲良く見える様子が想像力を掻き立てるのでは、とのことだった。
だからどうしたのだろうと首を傾げたところで、ジェットがルーナの手を掴んだ。
「な、なに?」
「屋根の上に行こうぜ。──いいだろ?」
「うん、いいよ……でも、どうしたの?」
「……ただの暇つぶし」
ジェットがこんな風に誘ってくるのが珍しくて理由を聞くが、いつものような答えがあるだけだった。
どうせすぐには眠れそうになかったので渡りに船だと思うことにして窓から軽く身を乗り出す。ジェットが掴んだ手を引いて、そのままルーナの体を抱きかかえた。
横抱きにされる、というのが未だに落ち着かないのだが、これが一番安全だろうというのもわかっているので文句が言えない。
ジェットは軽く笑って、ゆっくりと浮遊した。冷たい空気の中、屋根の上に辿り着く。
「……やっぱり屋根の上から見ると、月が近くて綺麗に見える気がする」
言いながら、ジェットの手に捕まって屋根に降りる。
暗くて足元が暗いので、転んだりしないよう慎重にその場に腰を下ろした。ジェットもルーナの隣に腰を下ろす。
「そんなに変わるか?」
「気分的な問題かな? 一番高い場所だし、周りに何もないから……開放感があるっていうか」
「ふーん」
コートを持ってくるんだったと思い、自分で自分の体を抱き締める。空は澄んでいて綺麗なのでずっと見ていたいが、あまり長くはいられなさそうだ。屋敷の中は適温に保たれているので、外に出る時は忘れてしまうことがあった。
ふわ、と肩に何かが乗せられる。
何かと思って肩を見ると、いつもジェットが着ている黒いコートがかけられていた。
「……え゛ッ?!」
まさかジェットがコートを貸してくれるとは思わず、コートとジェットを見比べてしまった。
ジェットはいかにも「気分を害しました」と言わんばかりの顔をしてため息をつき、ジト目でルーナを見つめる。
「貸してやったんだから言うことがあるだろ?」
「あ、ありが、とう……」
どう考えても無理やり言わされた言葉である。が、この場合感謝をするのは当然のことだ。驚きの方が勝ってしまったことをこっそりと恥じる。
ルーナが着るには大きいコートだった。ずり落ちてしまわないように押さえて、ジェットをじっと見つめる。
「何だよ、その目は」
「……ジェットがコート貸してくれるんだ、って思って……」
「お前がコート忘れてくるからだろ」
「そ、そうじゃなくて……」
「じゃあ何?」
ジェットがこうして何かを無理やり言わせたり、詰問口調になるところは良くないと思う。以前はこういうところが特に怖かったのだ。今はこういう性格なのだと理解しているので、恐怖はほぼなくなっているけれど。
「や、優しいなって……思った、だけ」
こんなことを言って怒らないだろうかとちょっとビクビクしながら控えめに言う。
ルーナの予想に反して、ジェットは目を丸くして驚いていた。ほんの少しだけいつもより幼く見える。
「……優しい? 俺が?」
「う、うん。だって、ジェットも寒いでしょ?」
「あー、俺は暑い寒いはあんまり感じねぇんだよな……」
「そうなの?!」
なるほど、だから簡単にコートを脱げたのか。驚くとともに納得した。
とは言え、ジェットが簡単にコートを貸してくれる相手じゃないのはわかっている。そういうことも含めて「優しい」と言ったのだけど、あまり通じてないのかもしれない。
気付かないなら気付かないでいい。そんな風に思いながら月を見上げる。
「綺麗だね」
「……そうだな」
しみじみと言い、小さく息を吐き出した。息が白くなって消える。
とん。と、頬に何か触れた。何かと思えばジェットの指だった。人差し指と中指の背が頬に触れている。相変わらず、温かくも冷たくもない手。ただ触られているという感覚だけがある。
何かを確かめるようにルーナの頬をゆっくりと撫でていった。
行動が謎だったので頬を撫でられたまま、ジェットを見つめてしまう。
ジェットもルーナを見つめていたので必然的に見つめ合うことになった。
「あ、あの……?」
月を見ようと誘われたのに、ジェットはちっとも月を見ない。以前「月の良さなんていまいちわからない」と言っていたので当然かもしれないが、ならば何故誘ったのだろうと不思議だった。
指先が離れたかと思えば、今度は右の掌が頬に触れる。まるで頬を包み込むように触れられて、その触り方が何とも言えずに落ち着かない。
「ジェット……?」
本当にどうしたのかと思って名を呼ぶが、ジェットは反応を返さない。
だが、不意に頬に触れている手がじんわりと温かくなった。冷えた頬に心地よい温かさだった。思わず頬が緩む。
「……ふふ、あったかい」
「温かい方が良い?」
「今日みたいに、寒い時なら嬉しい、かな?」
そう答えるとジェットが目を細めた。ジェットに温度がないのは分かりきっているので、もし無理をしているなら要らないと思う。
しばらく頬を撫でられる羽目になった。
触り方に慣れなかったのも少しのことで、段々と自分が動物にでもなったような気がしておかしかった。くすぐったさも感じてしまい、思わず笑ってしまう。
「なんで笑うんだよ」
「ご、ごめん。……なんか飼い猫か飼い犬にでもなった気分で」
ジェットが構ってくれるのが嬉しいのだ、きっと。だから猫か犬のように感じてしまう。なのに、それが嫌じゃないから不思議だった。
ルーナの言葉にジェットが奥歯にものが挟まったような変な顔をしていた。
変な意味じゃなくてと慌てて弁解しようとしたところで、さっきまで頬を撫でていたジェットの手が止まった。
「《ルーナ》」
「え」
妙な厚みと響きを持った声だった。
名を呼ばれた瞬間、霧の中に迷い込んだような感覚に陥る。頭の中に靄がかかり、思考が鈍っていく。
そして何故か目の前にいるジェットに抱きつきたい衝動に駆られた。




