101.知らぬは本人ばかりなり
一方その頃、ルーナは厨房で食事を作っていた。村人たちが屋敷に来ているなんて知る由もない。
いつも通り自分とルディ、そしてジェットも気まぐれに食べるかもしれないということで少し多めに昼食を作っていた。その最中、アインとトレーズがやけににこにこしながら近付いてくる。アインは表情が変わらないが、トレーズはわかりやすくにこやかだった。
不思議に思い、手を止めて振り返る。
「ルディさまは少しお戻りが遅くなるそうです。なのでちょっと別のことをしませんか?」
「ルーナ、お菓子は作れまして? よかったら一緒に何かを作りませんこと? 帰ってきたルディ様はきっとお疲れでしょうから、何か美味しいお菓子を作って驚かせましょう!」
急にどうしたんだと不思議に思ったが、二人からの提案は楽しそうだったので乗ることにした。
昼食用に作っていた料理は後で温め直せばいいので、多少放置しておいても問題はない。そう思って火を止めた。
それにしても、お菓子作りなんて久々だった。聞くだけでワクワクしてくるのは小さい頃、母親と一緒にケーキやクッキーなどを作った思い出があるからだろう。
「楽しそう……! あ、でもレシピがないと、分量とか……」
「ふふふ、実は図書室で簡単なケーキなど、お菓子が作れる本を持ってきておりますわ!」
じゃじゃん! とトレーズが自慢げに本を見せびらかした。後ろに隠し持っていたらしい。
「二百年前のものになりますが、昔奉公に来ていた少女たちがこの本を見てお菓子を作っていました。なので、恐らく問題ないと思います!」
「二百年前のレシピ……!!」
それはそれで惹かれる。昔のお菓子のレシピとはどんなものだろうか。
トレーズがにこにこと料理本を差し出してきたので、それを受け取って中を開いてみた。二百年前とは言え、全く知らないものではなかった。
調理台の上に本を開いて、ルーナとトレーズ、そしてアインで覗き込んだ。
「あまり凝ったものは作れないなぁ……材料もないし……」
「……あ、これなんていかが? 材料も少ないですわ!」
「マフィンですか。確かにこれなら今ある材料で作れそうですね」
「わぁ、これならルディが取ってきてくれた果物も使えそう!」
わいわい話しながら何を作るか決めるのは楽しかった。
料理中も一人で黙々と作業をするのではなく、ルディと喋りながらだったりジェットが文句を言いながらだ。たまにレミが様子を見に来てくれるのも嬉しかった。
ちょっとしたことが楽しいことや嬉しいことで上書きされていく。
どんどん死ぬのが怖くなる。
最初に屋敷に来た時は、あのまま生きているくらいならと死を覚悟していたのに。
今では死にたくなくなってしまった。
けれど、遠くない未来、自分で自分に決着をつけなければいけない。
──誰かを殺してしまう前に。
◇ ◇ ◇
マフィンが焼き上がりを待っている時、ルディが帰ってきた。人間の姿だった。
普段なら明るく元気に「ただいま~!」と言いながら厨房に入ってくるのに今日は何だか様子がおかしい。無言で厨房に入ってきたかと思ったら調理器具の片付けをしているルーナに突然抱きついてきたのだ。
「……えっ?! ル、ルディ……!?」
「……う~~~」
子供が不満を言う時のような呻き声だった。何か嫌なことでもあったかのと思い、腕を撫でながら少し焦る。
「ど、どうかした!? 何か嫌なことがあったの!?」
様子がおかしい原因を聞く出そうとしたところで、ルディの体が後ろに引っ張られていった。
何かと思えばジェットがルディの首根っこを捕まえて引っ張っている。ルディが離れたことに目を白黒させながら、ルディとジェットを見比べる。アインとトレーズは何とも言えない雰囲気で押し黙っていた。
「おい、勝手に抱きつくな」
「だって~! しょうがないじゃん!」
「しょうがなくねぇんだよ。自制心を身に着けろ」
「ジェットに言われたくない~……」
「……だ、大丈夫?」
とにかく嫌なことがあったのだろうと思い、ルディの顔を覗き込んだ。目が合うとルディは何故か気まずそうに視線を逸らしてしまう。それを見たジェットが肩を落としていた。
「ごめん、聞かない方がいいみたいだね……」
そう言って笑うとルディが顔を上げておずおずとルーナを見る。気まずそうな顔のまま視線を控えめに合わせてきた。
「……上手く話せないけど、嫌なことがあったんだよ」
「そう、なんだ。──あ、ルディのためにマフィンが焼いたの。もうすぐ焼けるから、一緒に食べよ? 甘いものを食べると気持ちが落ち着くかもしれないし……」
ルディに笑って欲しくてあれこれと言葉を重ねる。
言ってから、マフィンくらいじゃ元気になれないよねと落ち込みそうになったところでルディが驚いたように目を見開いた。
「……僕のため? レミじゃなくて?」
「え? う、うん。遅くなるって聞いたから、疲れてるかもって……トレーズが提案してくれて……」
「なんだもう~~~……トレーズの発案か~~~……」
一瞬嬉しそうな顔をしたかと思いきや、その場にしゃがみ込んでがっくりと項垂れてしまった。何かまずいことを言ってしまったのかとルディを見下ろす。反応がなかったのでアインとトレーズを見るが二人とも何故か顔を背けてしまったので、最後にジェットに助けを求めた。
さっきまで渋い顔をしていたジェットはルディを見てちょっと笑いそうになっていた。
「ジェ、ジェット……?」
「何でもねぇよ。……期待して空回してるだけだから気にすんな」
「か、空回り?」
何のことだかわからなかったが、ジェットがそれ以上答える気はなさそうだった。
謎に落ち込むルディを見つめ、困惑しながらもすぐ正面にしゃがみ込む。顔を伏せているルディをじっと見つめた。
「……ルディ? あの、発案はトレーズだけど、ルディのために作ったのは間違いないんだよ……?」
そう言うとぴくりと反応する。ゆっくりと顔を上げたかと思えば、その表情はぶすっとしたものだった。拗ねたような様子がおかしくてジェットと同じように笑いそうになってしまったが、何とか耐えた。
「僕のため、って……本当に?」
「本当だよ」
「……ジェットとレミはついで?」
「えっ。ついで、かな? 食べてくれたら嬉しいなって思ってるけど……」
ジェットが一緒に食べるならあげるし、レミには夕食後にでも出そうと思っていた。二人のことを全く考えなかったわけではないにしろ、一番はルディのためだ。
ルディが何故がっかりしているのかわからないものの、せめてその気持ちだけは伝わって欲しかった。
誰かのために何かをするのが、あとどれくらいできるかわからないのだから。
やがて、ルディがゆっくりと立ち上がった。ルーナもそれに合わせて立ち上がる。
「ごめん、変な反応しちゃって。すごく嬉しいよ。……食べてもいい?」
「うん、もちろん。もうすぐ焼けるから、もうちょっと待っててね」
「……うん」
ルディが嬉しそうに笑って目を細める。その表情にドキッとしながら調理器具の片付けを再開した。
昼食を食べるかどうか二人に聞くと「食べる」という返事だったので、作っておいた昼食を温め直す。ルディとジェットは厨房にある四人がけのテーブルについて、出来上がるのを待つことになった。温め直しと盛り付けだけなので「待っていて」とルーナが言ったのだ。ルディが普段より遅かったので休憩も兼ねてのことだった。
マフィンは好評だった。ルディが取ってきてくれた果物を混ぜ込んだもので、甘さが丁度良く、もっとたくさん作ればよかったと思うほどだった。
ジェットも珍しく文句を言わずに食べていたがやけに口数が少なかった。
どうかしたのかと聞いてみても、返事は濁されるだけでそれ以上は話しかけづらい雰囲気である。
ただ、時々、ルーナのことを何とも言えない目で見るのが不思議で──落ち着かない気分にさせられるのだった。




