100.小さなトラブルの種と予兆③
マチアスの様子を見て少しスッキリしたところでゆっくりと歩く。自分の姿を見せつけるようにして彼らの周り、そして扉の前を往復した。尻尾を気怠げに揺らす。
「で? どうするの? 僕は気が長い方じゃないからさっさと答えを出して欲しいんだよね」
何もせずに帰るなら見逃す。屋敷に入ろうとするなら死なない程度に脅す。その二択だ。
人間たちはルディを見て恐怖を覚えてるのは間違いない。一目散に逃げてもおかしくないのになかなか動こうとしないのはマチアスのことがあるからなのか。はたまた何か成果を上げて帰らなければいけないのか。
ルディは呆れたようにため息をつく。
「僕は悪いことしてないし、なんならこの辺にいた躾のなってない低級の魔獣を追い払ってあげたんだよ? 逆にお礼くらいあってもよくない?」
そう言うと人間たちは顔を見合せた。
低級の魔獣を追い払ったのは人間のためではなく、弱ったレミのためと自分の生活圏に邪魔者がいるのが嫌だったからだ。結果的に人間たちのためにもなったので文句を言われる筋合いはない。
不審そうな顔をしているのは先頭に立っている大男だ。不満そうな彼の肩を後ろにいた人間が叩く。
「も、もう帰ろう。何もしないそうだしいいだろ?」
「あぁ?! 化け物の言うことを信じるって言うのか?!」
「お、おい! よせ!」
化け物扱いにイラっとするが、大男を他の男が諌めたので黙っておく。
彼らは声を潜めてコソコソと話し出す。
いくら声を小さくしても聞こえてるんだけどな、と思いつつ彼らが結論を出すのを待ってあげた。
「だ、だが、これじゃ話が違う……」
「そうだ、あの人は吸血鬼がいると断言したじゃないか」
「駆除するために高い金を払って生贄を出したのに……」
話が違う? あの人? 駆除?
ただならぬ会話の内容に耳をピクピクと動かし、僅かに顔を顰める。
マチアスに視線を向けると悔しそうな顔をして俯いていた。大人たちの会話には入っていない。どうやら無理を言ってついてきただけのようだ。
ルディはずいっと前に出て彼らを威圧するように見つめた。
「ねぇ、さっきから何の話? コソコソしてるつもりかもしれないけど全部聞こえてるからね?
あの人って誰? この屋敷に詳しいヒトがいるの?」
そう尋ねると彼らは後ずさりながら顔を見合わせる。
どうやらルーナが生贄として送り込まれたのには裏がありそうだ。一人くらい捕まえて脅して吐かせようか、それとも今はまだ話の通じる魔獣として振る舞っておこうか。様々なやり方を考えつつ、ひとまずはこの質問に対する返答次第だと思い直した。
やがて、大男の次に背の高い人間がおずおずと前に出てくる。
「……お、俺達はよく知らないんだ。この屋敷に吸血鬼が戻ってきて、村がどうなるかわからないって不安になってた時に……魔術師だか何だかが村にやってきて……生贄を差し出せば、吸血鬼が確実に駆除できるって、言われて……それで──」
「それでルーナって子を生贄に? 金まで払って?」
「そ、そうだ」
「駆除ってどういうこと?」
「詳しくは知らない……ただ、生娘をやれば、吸血鬼は確実に血を飲むから、としか……」
(今時処女の血を好む吸血鬼がいるのかな~。あー、いや、ブラッドヴァール家は子供が好きなんだった……だから?)
明後日のことを考えながら彼の言うことを受けて考え込む。
どうして生贄の血を飲むことが吸血鬼の駆除に繋がるのかはわからないが、そこに何かあったのだろう。どうやら彼らは断片的にしか情報を与えられてないようだ。
しかも『魔術師』とやらが絡んでいるらしい。
厄介だなと感じたところで、他に話ができそうな人間を見繕う。
ルディが質問をしようとした瞬間。
ブォンと周囲の空気が重く震え、ルディと人間たちをドーム状の暗いベールが包み込んだ。
人間たちは虚ろな目をして立ち尽くしていた。
トン。と、ルディの横に降り立ったのはジェット。蝙蝠を一匹連れていた。
「ルディ、交代」
「え~? ダメだった?」
「よくやったって。ただ、無理矢理にでも吐かせたいことができただけ。──な?」
ジェットが横にいる蝙蝠に呼びかける。レミが伝達用に使っている蝙蝠だった。蝙蝠は何も言わずに静かにジェットの肩に止まる。
「さて、と……」
人間たちに向き合い、ジェットが彼らをぐるりと見回す。
彼らはぼーっとその場に立っており、少し突いたら倒れてしまいそうだ。意識はなく、眠っているような状態だった。
「《魔術師の姿を見たやつは? いる?》」
不思議な圧がある声だった。暗示と言うより洗脳に近く、彼らへの命令は絶対だ。魔に対する抵抗力がない者は抗えない。
ジェットの呼びかけに対して、一人の人間がふらふらと手を挙げた。
「《どんな容姿だった?》」
「……黒いローブに身を包んでいた。顔は隠していたから、男か女かも、わからない……」
「使えねぇな。《他に何か特徴は?》」
「覚えてない……」
「マジで使えねぇ……」
はぁ。と、ジェットのため息が聞こえてきた。しかし、聞きたいことはそれだけではないはずだ。
「《吸血鬼の駆除ってどういう意味?》」
「生贄を送れば、確実に吸血鬼を殺せると言っていた……何をしたのかは、知らない……」
確実に?
思わずルディとジェットは顔を見合わせてしまった。
てっきり生贄の血に満足して吸血鬼がこの血を去る──というストーリーかと思っていたのだが、そうではないらしい。
ジェットの肩にいる蝙蝠が顔を上げる。
「昔から自分の血に毒を仕込んで吸血鬼を殺そうと画策する人間はいた。別に珍しくはない。……最近もあった話だ」
蝙蝠はレミの声で喋っていた。単なる伝達係なので蝙蝠自身に意思があるわけではない。
「けど、相手は魔術師だろ? ……毒とは結びつかねぇな」
「詳しく聞かされてない人間の話でしょ~? 話半分くらいに聞いとくのがいいんじゃないの?」
「……それはお前の希望込みの話だろ。──続けるぞ」
ジェットの呆れ声を横で聞きながら、ルディは少し嫌な気分になっていた。
ルーナがただ生贄にされただけではなく、吸血鬼を殺すための装置にされた可能性があるということだ。苛立たないわけがない。今、この場でこの人間たちを喰い殺してやろうかとすら思った。
「《ルーナが生贄に選ばれた理由は?》」
「祖父母もルーナを疎んでいるし、言われたことすらも満足にできない役立たずだ。両親も亡くなってるし、いなくなっても誰も悲しまない」
空気が張り詰める。
彼らは意識がないことを感謝して欲しい。意識がある状態でこんなことを口にしていたら、我慢できていたとは思えない。
他の人間が更に続ける。
「生娘なのも丁度良かった。ババアが無駄に潔癖症でそういうことから遠ざけていたおかげだ」
瞬間、傍に立っていた木の上半分が突然ボッと音を立てて一瞬で灰になってしまった。
ジェットが燃やしたのだ。まるで八つ当たりのようだった。
彼がこんな行動をするとは思わなかったので、ルディは彼が無表情に手を下ろす様子をじっと見つめていた。肩にいる蝙蝠がジェットの顔を見る。
「ジェット、落ち着け」
「……落ち着いてるっての」
「とてもそうは思えない。だが、聞きたいことはこれくらいだな。……もう帰そう。これ以上聞いていたらお前たちのうちどちらかが彼らを殺しかねない」
レミの声はいつも通り怜悧な響きを持っていた。だが、内心がそうでないことはわかるし伝わってくる。
実際、ルディだってしれっとした顔をしているが、さっきジェットが木を燃やさなかったら何をしていたかわからないのだ。
ジェットが彼らに手のひらを向ける。黒い靄が彼らを包んでいった。
ルディと平和的に話をして何もせずに帰ることを決めた、という記憶を植え付けているのだ。話の流れとしては無理がないので村に戻っても疑問に思ったりすることはないだろう。
村ではきっと「吸血鬼ではなく魔獣が住み着いている。刺激さえしなければ襲って来ないので、屋敷には近付かないようにしよう」という話で落ち着くはずだ。
三人の胸に妙な引っ掛かりを残し、一旦は解決したのだった。




