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透明街の人喰い獏 (2)  作者: 葉里ノイ


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192-協力者


 薄青い空に見下ろされた花街(はなまち)は、常のように長閑だった。

 丸いランタンが空中を漂い、それが唐突に弾けた。

 古城に穴を空け、黒く太い光が走る。それは揺らぎながら城壁を砕き、地面に咲く草花を一瞬で焼いた。焦げて塵となり、黒い火の粉のような灰が空気に溶けて消える。

 万一のために、城の周囲に家は無い。何も無い野を焼く内は、城下町は平和だ。

 だが城の前まで遣って来た者達にとってはとんだ災難だった。

「今の……ふぇ……フェル……何だっけ、王のアレじゃない!?」

「ぽいな。おい、封印したんじゃねーのかよ」

 虫を始末していた饕餮(とうてつ)は慌てて城を指差し、窮奇(きゅうき)も眉を顰めて三つ目の女を睨む。フェルニゲシュの首輪は一時的に抑え付けられているはずだった。

「封印って程じゃないんだけど……。でも首輪を壊すのは早過ぎるわ! あんなに落ち着いてたのに……」

「ヴイーヴル様。もう一度抑えますか?」

「こんなに早いんじゃ、何度やっても同じよ……どうしたら……」

「ではロク様を御呼びしましょうか。まだ城内に居ますよね?」

「でも、危ないわ……」

 ヴイーヴルは城に近付くとどうしても畏縮してしまう。そうなるよう、もう脳に刷り込まれている。

「一旦離れて様子を見るのはどう?」

 煮え切らない彼女に(ばく)は提案する。誰であっても、今の城に接近するのは危険だ。躊躇するなら無理に背を押す必要は無い。

「これだけ派手に攻撃してるんだから、拘束は解けてるよね。だったら牢から出て外に姿を現すかもしれない。杖が見えれば攻撃を避けられるから、動き易くなるはず」

「ば、獏がたぶん良いことを言ってるわ……私が不甲斐無いばかりに……」

 つい先程、蒲牢(ほろう)と競いながら意気揚々と飛んで行ったと言うのに、ヴイーヴルの勢いはすっかり衰えて縮こまっている。宵街(よいまち)の獣の前でも本来の調子が出ない。

「でもこんな規格外な攻撃をする獣を外に出していいのか?」

「し、白い龍が尤もなことを言ってるわ……」

「何で君は急に性格が変わってるんだ?」

 蒲牢は角の生えた頭を重そうに首を傾ぐ。

 ヴイーヴルは助けを求めるように眉尻を下げてアルペンローゼを窺う。

「城が少し苦手なだけです」

 全てを省略して濁した。アルペンローゼは彼女から事情を聞いていたが、おいそれと話せない。花街と城の存亡に関わるあまりに重大なことなので、話すならヴイーヴル本人の口からだ。

「……苦手なら、一旦離れる方がいいか。そもそも何のために攻撃してるのかわからないんだけど……標的がわかれば、姿が見えなくても避けられるのに」

「何のために……? 首輪を付けられたことに怒り狂ってるんじゃないの?」

 呑気に話していると、また城壁に穴が空いた。離れていたため誰も足を動かさない。城の外に標的があるようには見えなかった。

「それなら怒りは相当なものでしょうね。一時的な抑制を拒絶するくらいに」

 アルペンローゼは畏縮するヴイーヴルの前へ立つ。直撃を受けても盾にもなれず消滅するだけだろうが、怯える獣を見捨てられない。

「と、取り敢えず撤退よね? ここから離れなきゃ……」

 あまりの態度の変わりように宵街の獣達も付いて行けないが、フェルニゲシュのことをよく知らない彼らだけでここに残っても何もできない。ヴイーヴルが撤退の意志を固めたなら従うしかない。フェルニゲシュと対等に遣り合える獣がここにはいない。

 城の周囲は転送不可能なため、接近し過ぎた彼らは踵を返す。

 だがそのまま易々と離れさせてはくれなかった。

 耳朶に破壊の初動が届く。

「!」

 ヴイーヴルは転送するために持っていた杖を咄嗟に城へ向けた。花街で最も城に長く棲む彼女は、城を熟知している。目を閉じていても歩ける程であり、何処が壊れる音なのか大凡の方向がわかる。


「退きなさい!」


 前に立っていたアルペンローゼの向こうへ杖を振る。叫んだ彼女の声は、後半が破壊音に掻き消された。

 杖の先の変換石が光り、見えない壁を築いて揺らぐ黒い光の塊の直撃を受ける。小さな黒い光が火の粉のように弾けた。

「っ……!」

 両手を使っても相殺することができない。杖が折れてしまう。ヴイーヴルは歯を喰い縛り、動きが止まってしまったアルペンローゼを一瞥する。

 彼が停止したのは一瞬だ。宵街の獣に手本を示すように、ヴイーヴルが張る盾から外へ飛び出した。

 ヴイーヴルはそう何秒も攻撃を受けて耐えられない。踵が地面に減り込み、土を抉り後退する。

 蒲牢と獏はアルペンローゼに倣って同じ方向へ飛び出し、窮奇も饕餮の腕を掴んで地面を蹴った。それを確認し、ヴイーヴルも杖を少し傾ける。揺らぐ光の塊は黒い火の粉を散らし、彼らとは逆の方向へ逸れて走り抜けた。

「きゃっ」

 攻撃を流した反動でヴイーヴルは蹈鞴を踏んで尻餅を突く。宵街の獣達は、あの強大な力を受け流した彼女に息を呑んだ。対等でなくとも、受け流すことができるだけで、ここにいる宵街の獣以上の力を有している。

「ヴイーヴル様、こちらへ」

 アルペンローゼは特に動じず、ヴイーヴルに手を貸す。彼女はまだ痺れる手で彼の手を素直に掴んだ。

「杖が折れるかと……あっ!」

 引き起こしてもらいながら、上を向いた彼女は唐突に声を上げた。アルペンローゼを見上げたことで、城壁の上のふてぶてしい黒猫が目に入った。

「アイト!」

 目が合い、黒猫はゆっくりと一歩下がった。アルペンローゼも視線を追って見上げ、高みの見物をしている彼を捉える。

「窮奇!」

 宵街の獣達も見上げ、獏は咄嗟に彼を呼んだ。

「あの猫、アイトワラスが変身してるんだよ! (しん)に抱き締められてた!」

「蜃に……?」

 唐突に何を言い出すんだと誰もが首を傾げたが、窮奇はすぐに重大なことに気付いた。蜃が抱き締めたと言うことは、常々彼が触れたいと思っているあの胸に埋められたと言うことである。

「よし、ぶっ殺すか」

「待って! 話を聞きたくないの!?」

「! 成程、感想か……捕まえる」

 窮奇は雷に打たれたかのように衝撃を受け、素早く背に鴉のように黒い翼を広げて飛び上がる。城壁の上で驚いて跳び上がるアイトワラスに狙いを定め、窮奇は弾丸のように飛んで杖を振った。

 激しい風が巻き上がるのを獏達は見上げて見守る。饕餮は「あいつ馬鹿ねぇ……」ぼそりと呟いた。

 小規模だが抗えない風の渦に巻き込まれ、軽い黒猫の体は簡単に舞い上がり目を回す。変身を解こうとしたが、フェルニゲシュの攻撃を躱すために面積の小さな猫に変身したのだから、フェルニゲシュが野放しになっている今は人型に戻るわけにはいかなかった。

「にゃああ!」

「よくも蜃を騙して良い思いしやがって!」

「羨ましいだけじゃないか!」

 宙を舞い目を回す黒猫の体を片手で掴み、窮奇は勝ち誇ったように笑いながら獏達の許へ戻った。着地して翼を畳んだ瞬間、黒猫が居た城壁の上が揺らぐ光に吹き飛ばされた。先程より細い光だが、威力は充分だ。

「何だよ、命拾いしたな猫」

「にゃ……」

「窮奇、城から離れるよ!」

 ヴイーヴルはアルペンローゼを抱いて翼を広げ、蒲牢は獏の腕を掴んで自身の杖に引き上げる。

 獏に呼び掛けられた窮奇は黒猫を手に、饕餮の腰を掴んで飛び上がった。これは戦略的撤退だ。

「この場を離れると言っても、この状態で街から去ると、城下町が心配だわ……」

「それなら森へ行きましょう。ロク様が来るかもしれませんし、城から距離があるのでフェル様の攻撃も届かないです」

「わ、わかったわ! アルの言う通り、森へ避難!」

 方向を変え、ヴイーヴルは遠くに見える森へ向かった。ズラトロクとエーデルワイスがよくキャンプをしている森だ。

 木々が密集する森の中では大きな翼は羽撃けない。ヴイーヴルと窮奇は飛び降りて翼を仕舞う。

 木の根と草が蔓延る森を少し歩いた所で、窮奇は黒猫を目線の高さまで持ち上げた。

「おいお前! ……どんな感触だった?」

 黒猫は煩わしそうに耳を寝かせ、目をじとりと細めた。

「発情する獣は珍しいな」

「発情じゃねぇ。オレには無いものの感触が気になるのは当然だろ」

「そういうのを人は発情って言うんだよ。ギモーヴくらい柔らかかった、とだけ言っておこ……にゃあああ!?」

 羨ましかった窮奇は黒猫を振り回した。

「ギモーヴって何だよ!」

「窮奇、一旦落ち着こう。俺達はそんなことを聞きたいんじゃない」

 冷静に制止する蒲牢を振り返るが、窮奇は追い討ちとばかりに黒猫を振り回す。アイトワラスは猫よりも小さな生物に変身することもできるが、一度人型に戻ってからではないと姿が変えられない少々面倒な欠点がある。

「ギモーヴはふわふわでふにふにの砂糖菓子よ。可愛くて美味しいの」

 横からヴイーヴルが口を挟み、食べ物に興味がある蒲牢は心が揺れた。アイトワラスが例えただけで、この場にその菓子は無いことを残念に思いながら頭を切り替える。

「アイトワラス。城に居たんだから、フェルの状態もわかるよね?」

 話が進まないので獏が問うことにした。今まで城に居た彼なら、フェルニゲシュの首輪がこんなに早く壊れた理由に心当たりがあるかもしれない。そしてズラトロクの居場所も知っているはずだ。

「フェルの状態? 見ればわかるだろ。首輪はもう駄目だ」

「私と貴方とロクがもう一度抑えることはできない……?」

 ヴイーヴルも焦りながら前へ出る。明確に駄目だと言われるほど首輪が壊れているとは、余りにも早い。これではゲンチアナを犠牲にせず首輪を維持する方法を考える暇が無い。生贄に疑問を抱いて、漸くそれを口にできるようになったのに、このままではまたゲンチアナを犠牲にするしかない。

「無理だよ。三人で抑えても、この様だ。フェルの力を抑制するなんて最初から無理な話だったんだ」

「じゃ、じゃあアイトはどうすればいいと思うの? やっぱりアナを……」

「どうすれば? このままでいいじゃないか! 王だからってフェルに自由を与えない、その遣り方が間違ってるんだよ!」

「え……アイト……?」

 想像していた回答ではない。ヴイーヴルはきょとんと目を丸くし、アイトワラスの言葉を咀嚼する。長年賛同してフェルニゲシュの首輪を維持してきたのに、今更間違いだと嘯くのか。

「フェルの遣りたいように……何人でも殺させてやればいいじゃないか!」

「ど、どうしたの……?」

 黒猫は足を振り、窮奇の手を引っ掻く。少し緩んだ手からするりと抜け、アイトワラスは人型へと変身を解いた。そして杖を召喚して笑う。

「オレはフェルに自由でいてほしい。やっとここまで来たんだ。もう二度と首輪を掛けさせない。邪魔させない」

「アイト……?」

「ヴイーヴル様、下がってください」

 アルペンローゼは掌から両刃のレイピアを抜く。ゲンチアナとエーデルワイスのように特定の個人に仕えていない彼には、アイトワラスもヴイーヴルも平等に主人だ。優劣も上下も無い。その上で、アイトワラスに刃を向けた。ゲンチアナを生贄にするのは以ての外だが、フェルニゲシュをこのまま放置するのは危険だ。

「へぇ……オレと遣ろうって言うのか? アル」

「その言葉、そのまま御返しします。ヴイーヴル様と敵対するんですか?」

「オレはフェルニゲシュの下に付いてるんだ! ヴイーヴルの下じゃない!」

 目を見開き、アイトワラスは杖を振った。アルペンローゼは姿勢を低く、地面を蹴る。

 まさかアルペンローゼが武器を取るとは思わず、ヴイーヴルも慌てて杖を翳した。

 ヴイーヴルはアイトワラスではなく、アルペンローゼに杖を向けた。

 アルペンローゼはヴイーヴルの力に弾かれ、木々を縫って幹へ叩き付けられる。彼の居た場所に揺らぐ黒い光が走る。それは森に届くはずのないフェルニゲシュの攻撃だった。

「何故……」

「ごめんなさい、アル……大丈夫? アイトの相手なら私……私がするから……」

「ヴイーヴルさんがオレの相手を? 幾らドラゴンだからって、ヴイーヴルさんには負ける気がしないな」

 アイトワラスは王の座に就いていた頃の彼女を知らない。彼が知っているのは、見えないものに怯えて畏縮する彼女だけだ。ドラゴンだということは既知だが、彼女が力を使う所など殆ど見たことがない。フェルニゲシュの首輪を維持するために力を合わせてはいるが、それならズラトロクも同様だ。彼女一人でフェルニゲシュを抑えられるのなら話は別だが、他の獣と並んで同等のことしかできない彼女は取るに足りない。アイトワラスは杖をヴイーヴルに向け、躊躇なく振り抜いた。

 ヴイーヴルは杖を一振りし、それの軌道を逸らす。城の前でフェルニゲシュの攻撃を流した時よりも軽い。

「…………」

 アイトワラスは眉を顰め、不快感を露わにする。彼の能力は模倣だが、対象の能力が高過ぎるとアイトワラスの力では再現し切れない。フェルニゲシュの強力な一撃を完璧に模倣することはできない。ヴイーヴルもそれに気付いているのか、いつもより強気に前に出ている。

「アイト……今のは、城を敵に回すってことよね……?」

「城を? 何を言ってるんだ? 王はフェルだ。フェルに逆らうそっちの方が敵だろ?」

「アナを犠牲にしないのは私も賛成だけど……フェルをこのままにはしておけないわ」

「フッ……そうは言っても、ヴイーヴルさんじゃ絶対フェルには勝てないよ。今のフェルは熱暴走(ヒート)を起こしてるからな」

「!」

「無駄な感情を排除して、フェルの頭には破壊することしか無いだろうな! 敵も味方も無い、何も感じない!」

「そんな……で、でも、先生の所に行けば解熱剤が……」

「ふ、ははは! 残念だったな! 先生はこっちの味方だ! オレの計画に賛同して……おっと、これは言わない方が……」

 気分が良くなってつい余計なことを言ってしまった。口を噤むが、ヴイーヴルはもう聞いてしまった。知らぬ内に水面下で画策していたのはアイトワラスだけではないようだ。他に協力者がいる。城に反旗を翻す者は一人ではないと告げられ、ヴイーヴルは三つの目を見開いた。

(先生が? いつから……?)

 疑問が駆け巡るが、考える暇を与えないアイトワラスの攻撃がヴイーヴルを襲う。フェルニゲシュの力を模倣し切れない攻撃は容易く躱せるが、このままでは森が更地になってしまう。

「あいつを捕まえるのか? それとも殺すのか?」

 敵対する意思は聞くことができたが、蒲牢は杖を手にヴイーヴルに問う。木が密集する森で身の丈よりも長い間棒を繰ることはできない。アイトワラスが派手な攻撃で木を圧し折り続ければ別だが。

「こっ、殺すのは駄目よ……審判を下して鐘を鳴らさなきゃ……」

 ヴイーヴルは慌てて釘を刺すが、罪人にされたアイトワラスは失笑した。

「はは、誰が鐘を鳴らすんだよ。ヴイーヴルさんとロクと……アナちゃんがいるとしても三つ、たった半分だ。死刑を執行するには足りな過ぎる!」

「! ……ど……どうしましょう……」

「ヴイーヴル様、それはアイト様を捕縛してから考えましょう。まず捕まえないと話になりません」

「そ、そうね、アル! アルがいて良かったわ!」

 獣が前へ出るなら変転人は邪魔になる。アルペンローゼはレイピアを構え直して後退する。

 アイトワラスは不敵に笑い、杖を振る。フェルニゲシュ程の威力は無い攻撃だが、一撃に全力を乗せない分、連続で打つことができる。アルペンローゼに向けて放った後、間髪を容れずに、目立つ角の蒲牢の方へも放つ。

 ヴイーヴルは杖を振ってアルペンローゼを突き飛ばし、蒲牢は近くに居た獏の腕を取って地面を蹴る。アルペンローゼは二度目ともなれば幹に激突せずに足で着地する。

 ヴイーヴルはアイトワラスの相手をすると言ったが、長年城で仲間として接してきた者と戦うのは躊躇いがあった。その小さな躊躇に、この場の全員が気付いただろう。もし即刻彼を捩じ伏せるなら、彼女は疾うに圧倒している。蒲牢達と交戦した時はこんなに動きが鈍くなかった。

 仲間とは戦い難いことは蒲牢にも想像できる。彼は獏を押し遣って距離を取り、空中に鋭利な氷の塊を幾つも作り出す。それをアイトワラスへ放った。

「!」

 アイトワラスは杖を振って空間ごと後退する。見覚えのある動きだ。ズラトロクの能力だ。氷の塊は空振りし、木や地面に突き立った。

「氷使いか……じゃ、ヴイーヴルさんの能力を使うのはやめておこ……」

 後退した瞬間を狙い、木々の間に突風が吹き荒れる。風は幹に当たらず、生き物のように木々の間を畝る。

「んっ……!」

 風は見えないが、木の葉や草の動きで風向きは明白だ。回避など容易い。ズラトロクの能力を使うまでもなくアイトワラスは地面を蹴る。

 木の幹の間を跳び、アイトワラスは目を細める。風の中に何かが光った。

 獲物を逃さぬよう目を見開き、幹に身を隠しつつ風に乗った饕餮は打刀を振るった。

 音も無く飛び出した饕餮にアイトワラスの空間切断は間に合わなかった。ここには身を隠す木が多過ぎる。

「っ!?」

 だが不覚を取ったのは饕餮の方だった。アイトワラスと合わせた目が見開かれる。何かをされた感覚は無いのに、全身から突然血が噴き出した。

「饕餮!?」

 窮奇は風を止め、杖の向きを変える。

「アル! 目を閉じて!」

 叫んだのは窮奇だけではなかった。ヴイーヴルも悲痛な声を上げ、アルペンローゼの視界を塞ぐために前へ出る。だが一歩遅かった。

「っ……!?」

 アルペンローゼの全身からも血が噴き出し、彼は口からごぼりと赤い塊を吐いた。

 アイトワラスは口の端を上げ、他の獣にも目を巡らせる。その眼前に、地面から伸びた根や木々の枝が絡むように纏わり付く。

「え、ちょ……」

 何かを言おうとするが、その前に根と枝は視界を埋め、壁のように覆った。

 根と枝が解けて再び視界が開けた時、そこにアイトワラスの姿は無かった。

「アル! 生きてる!?」

 血で汚れるのも厭わず、ヴイーヴルは地面に倒れた血塗れのアルペンローゼの傍らに膝を突く。彼はぼんやりとする目を薄く開けて微かに息を漏らすだけで、何も答えなかった。

「アル! 返事して! アル……!」

「おい! 今のは何だよ!?」

 窮奇も饕餮に駆け寄り、苛立ちながらヴイーヴルへ叫ぶ。攻撃された感覚が全く無かった。武器は見えず、炎や風でも無い。何をされたのかわからなかった。

 蒲牢と獏はすぐには駆け寄らず周囲を警戒するが、アイトワラスの気配は戻らず、他に怪しい気配も無い。二人に何かしたのはアイトワラスで間違い無いだろうが、最後に木の根と枝を伸ばしたのは彼ではない。意表を突かれた彼の表情がそう言っていた。

「きゅ……ぅ……」

 血に濡れた頬を軽く叩かれ、饕餮は吐息を漏らしながらか細く呻く。彼女は声を出せるようだ。

「! すぐ血染薬を呑ませて……いや先に傷を塞がないと駄目か!?」

 饕餮が死ぬ所など二度と見たくない。樹海で見た彼女の虚ろな姿が窮奇の脳裏を過ぎる。何故また森で饕餮が血を流すことになってしまったのか、理解が追い付かず呼吸が荒くなる。

「花街の医者は!? すぐに連れて行けば……」

 あの時とは違い、意識があることは救いだ。花街にも医者はいるはずだ。獏は狼狽するヴイーヴルに駆け寄る。彼女は冷たくなっていくアルペンローゼを抱き締めて温めようとし、何も考えられないようだった。

「アル……ごめんなさい……何度もこんな……」

 絞り出した声は消え入りそうだった。彼女の脳裏には先代のアルペンローゼの最期が浮かんでいた。死ぬ必要の無かった彼女は惨殺された。あんなことはもう二度と起こらないと思っていた。まるであれが始まりのように、何故また死が連れて行こうと蠢くのか。冷たい花になど戻ってほしくなかった。

「ヴイーヴル! 花街のことを知ってるのは君だけなんだよ!」

 肩を揺すると、ヴイーヴルは呆然としながらも獏を見上げた。今にも泣きそうな顔をしている。

「い……医者はいるけど……先生は……アイトの協力者だって……」

「! 先生って……医者の先生ってこと……」

「獏」

 饕餮の様子を窺っていた蒲牢は獏の許へ駆け寄り、首をとんと指差した。

「何……?」

「獏は止血ができるよな? 烙印を封じるから、二人の応急処置をして」

「封じるって……?」

「仕事印……だっけ。預かってきた」

「あの紛らわしい名前の……」

 灰色海月(クラゲ)が以前、烙印に捺した(いん)だ。それがあれば獏は一時的に烙印の制限を解除される。

 獏は襟の釦を開ける。蒲牢は仕置印に酷似した仕事印を取り出し、獏の首の烙印へ当てた。仕事印を当てられるのは二度目なので獏は落ち着いていたが、間違えて仕置印を持って来てはいないかと不安もある。

 心配を余所に烙印に痛みは無く、力を取り戻した獏は杖を召喚した。仕事印が無くとも手作りの杖で止血はできるが、烙印を封じた方が早く、そして厚く止血ができる。まずは変転人のアルペンローゼだ。幾ら治癒力が高くとも、死ねば蘇生しないだろう。人間の体に近い変転人は獣よりも脆い。彼に杖を向け、獏は止血を急いだ。

 止血しても失った血液は戻らないが、それ以上の流出は無い。アルペンローゼの傷を塞ぎ、饕餮にも同様に処置する。

「おい、止血したら動かしてもいいのか?」

「僕の止血は傷口に膜を張るようなものだから、応急処置の前の処置って感じだよ。だからできれば安静にした方がいいかな……」

 遠く破壊の音を聞きながら、起き上がりたいらしい饕餮に視線を下ろす。アルペンローゼは体を動かす余力も無いが、饕餮は獣ゆえか耐えているようだ。

「これ、どういう攻撃なの? 何をしたのか全然わからなかった」

「……たぶん、先生の……」

 人形を抱くようにアルペンローゼの体を抱きながら、ヴイーヴルはぽつりと呟く。その小さな声は、草葉を踏む音に掻き消えた。

 アイトワラスが戻って来たのかと一同は警戒し、木々と茂みに目を向ける。だがそこに現れたのは金髪碧眼の彼ではなく、白藍(しらあい)色の髪の青年だった。

「……カトブレパス……」

 その姿に覚えのあるヴイーヴルは譫言のように漏らした。獏達には聞き覚えの無い名だ。彼は黒衣を纏い、両目を隠すように黒い包帯で覆っていた。包帯には隙間も無く、完全に視覚を封じている。

 両目が覆われた青年は視覚を封じているにも拘らず、声を発したヴイーヴルの方を正確に向く。

「相変わらず墓から這い出て来たみたいな顔して……」

「そんなに精気に満ちているか?」

「逆だけど……。アイトの協力者って、どっ、どういうことなの……? 何の協力をしてるの……? 貴方は何のために……」

 その言葉で獏達も警戒を強めた。彼がアイトワラスに協力する医者の先生らしい。周囲の気配を探るが、他に気配は無い。一人で来たようだ。

「何のために? それが示す事柄が多過ぎる。ここに僕が居るのは、アイトワラスが無許可で僕の能力を模倣したからだ。勝手に使うなと言っているのに……僕は真似をされるのが嫌いだ」

 カトブレパスは神経質そうに吐き捨てた。

 ヴイーヴルが言おうとしていたことだろう。アルペンローゼと饕餮を襲った能力は彼のものらしい。つまり彼と対峙すると言うことは、完全なあの能力の相手をすると言うことだ。

 勝手に使用され、濡れ衣でも着せられたら最悪だ。カトブレパスはその燻りを始末しに来た。

「よって、僕の能力が使用された痕跡を消す」

「……つまり、アルを治してくれる……ってこと? 相変わらず話し方が間怠いわ……」

 獏達は話の成り行きを見守る。ヴイーヴルはカトブレパスのことをよく知っているようだ。医者だと言うなら、負傷者がいる今だけでも味方にできないか、皆は焦りを呑み込みながら同じことを考える。

 そうこう話している内にも失血の酷いアルペンローゼの体は冷えていく。饕餮もだ。獣の体でも時間の問題だ。

「おい! ごちゃごちゃ煩いが……痕跡を消すって、殺して始末するってことじゃねぇだろうな!?」

「……血の気が多い獣がいるな」

「医者なら、俺の腕を処置した奴か?」

 今にも飛び掛かりそうな窮奇を制し、蒲牢は意識の無い間に治療されていた腕に触れる。肩に残った腕は僅かだ。痛み止めは強力で、未だに無痛で動けている。もし彼が治療を施した医者なら、腕は確かだ。

「腕が吹き飛んだ獣か。腕を生やしてやってもいいが、後だな」

「信じていいのか? アイトワラスの仲間なら、何をするか……」

「仲間は適切な言葉じゃない。……君達の仲間は治療してやる。邪魔をしないなら殺しはしない。だが、生命力が足りずに治療中に事切れることはあるかもな」

 杖を召喚し、彼はアルペンローゼの傍らに立つ。杖の先の変換石を開き、中に粗目糖のような小さな粒をぱらぱらと入れた。普通の変換石は中身が詰まっていて、空洞ではない。彼の杖の石は中を刳り抜いて容れ物のように加工してある。蓋を閉めて振るとしゃらしゃらと音がした。

 ヴイーヴルは不安げにアルペンローゼを地面に置いて離れる。警戒は続けるが、彼を信頼する。そうでないとアルペンローゼは死ぬだけだ。

「……先生の杖は改造してあって、ああして治療薬を装填して治療するの。マラカスみたいよね」

 険しい顔をする宵街の獣達に、何も説明をしないカトブレパスの代わりにヴイーヴルが補足する。余計な例えを付け足したが、カトブレパスは反応しなかった。

「先生が作った特殊な治療薬だから、薬と言っていいのかわからないんだけど……でも腕は確かよ」

 皆が見守る中、彼の杖の変換石が光る。冷ややかな物言いとは裏腹に温かい光だった。

「自分の能力で瀕死になった人を治療するってどんな気分なの?」

「……厳密には僕の能力じゃない。僕なら即死させられる。獲物が生きているなら不完全な模倣だ」

 杖を翳しながら、カトブレパスはアルペンローゼから目を離さず答える。

「即死……!?」

 静聴するつもりだったが、余りに物騒な言葉が飛び出して獏は思わず声を上げてしまった。

「大丈夫よ、獏。カトブレパスと目が合うことが即死の条件だから、目が隠れてる間は安心よ。変転人が皆怖がるから、ああして目を隠してるの」

「そうなんだ……。でも目が合っただけで殺せるのは強過ぎない?」

「殺すかどうかは彼の意思によるわ。意思さえ無ければ死なないわよ。それに意思があっても、殺されるとわかっていれば、獣なら抗える」

「僕の能力だからと勝手に話すな。君の能力も暴露するよ」

「貴方の能力なんて、街の人達全員が知ってるでしょ?」

「だからと言って宵街にまで流すな」

 カトブレパスは冷静に苦言を呈す。他人の能力を無許可で語るヴイーヴルにも苛立たない。釘は刺すが、周知されても構わないのだ。無頓着なのか自信があるのか、奥の手でも隠しているのだろう。

 話しながらでも治療は進んでいる。余裕のある彼の背を見守る時間はそう長くはなかった。

 無言で杖を引き、次に饕餮に向ける。アルペンローゼの状態はどうなのか、全く口にしない。

「先生、アルはどう……?」

「損傷した臓器を必要分修復した。彼は例の治癒力が異常に高い個体だろ? 後は彼自身が治癒するはずだ。失血が多いから、暫くは寝かせてやった方がいい」

「死んでないのね? 良かった……」

「耳の傷は僕の能力じゃないから治療していないが」

「ケチね……。耳はフェルの攻撃を受けたみたいよ。フェルの攻撃って何なのかしら……私もよく知らないのよね。太い光線が走って……」

「君もドラゴンなら覚えがあるだろ。あれは炎、熱の塊だ。あの攻撃の周囲にシュリーレン現象が起こっている」

「しゅり……何?」

「この場合は陽炎と表現してもいい」

「ねぇ先生……。わかりやすい言葉をわざわざ難しい言葉で表現するのは、一周回って頭が悪いのよ」

「一周回れば景色は何も変わっていないが、一周回った経験は身に付いていないのか?」

「……私、この人と喋るの苦手だわ」

「僕も会話は億劫だ」

 出会ってまだ一時間も経っていないが、獏達はカトブレパスの性格を察した。鼻に付く獣だ。だが無視や嘲笑することはなく、会話はしてくれる。

 アルペンローゼが救われて安心したヴイーヴルは三つの目を細め、後退して獏達に囁く。

「あの人、変人と名高い人なの。変転人や人間に興味を示して、色々研究してるの。治療薬はその副産物よ」

「人間の作る物に興味を示す獣はいるけど、人間そのものに興味を示す獣は珍しいね」

「獣でも気を付けるのよ。興味を示されると解剖されるかも」

「えっ」

「そんなことより、治療が終わったら先生を捕まえるわよ。アイトの協力者なら逃がせないわ。捕まえて全部吐かせてやるんだから」

「解剖はそんなことって済ませるものじゃ……」

 物申したい所だったが、アルペンローゼよりも短時間で饕餮の治療は終わってしまった。ヴイーヴルは杖を構え、間髪を容れずに力を行使しようとする。

 それを見越していたのかカトブレパスはくるりと治療の杖とは異なる杖に持ち替え、両目を覆う黒い包帯を押し上げた。

「!」

 伏せた睫毛を上げて現れた特徴的な左右で異なる鮮やかな青と紫色の瞳は、目を惹きつけるに充分だった。殺される――死が脳裏を過ぎったが、意識はあるのに体が動かない。

「脳の信号を一時的に遮断しただけだ。介抱する者を殺しはしない」

 くるりと杖を回し、あっさりとカトブレパスは姿を消した。それと同時に一同の時が動き出す。

「何だ……?」

「先生は未知のものを未知のまま殺さないから。好奇心旺盛だもの。宵街は先生にとって未知のはず」

「いやビビってただろ、お前」

「そんなことないわ! それより、一時離脱しましょ。城下町は心配だけど、アルを安全な所に連れて行きたいの。君達がこのままここにいたいって言うなら止めないけど」

 傷に障らないように意識の無いアルペンローゼを抱え、ヴイーヴルは離脱の準備をする。カトブレパスを捕まえようと言ったが、深追いはしない。処置は受けたが、ここは診療所ではないため最低限の処置しか施されていないだろう。アルペンローゼの身の安全と安静が最優先だ。

「さすがにこの状況で城の調査は無理……」

 フェルニゲシュの破壊の音が止まない限り、城へは近付けない。彼の怒りが治まるか、彼を止められる者がいないと現状を打破できない。ヴイーヴルの案内も無しに無謀なことはできない。蒲牢も離脱に賛成する。

「はあ!? 折角花街に来たのに遣られ損かよ!」

「気持ちはわかるけど、饕餮を安全な場所に避難させたいだろ? 窮奇」

「っ……」

 窮奇はびくりと口を噤む。自分の気持ちを呑み込み、眠る饕餮を見下ろす。何かを掴もうとしているかのような半開きの手から目を逸らす。

「……そうだな。先に避難させて……それから、あの獣をぶっ殺す。居場所はわかるんだよな?」

 手は取らず、窮奇は饕餮を抱き上げる。目を合わせただけで重傷を負わせるなど、初見で避けられるはずがない。

「タイミングからしても、アイトは先生に連れて行かれたと思うんだけど……それなら先生の診療所じゃないかしら……」

 自信が無さそうに答え、ヴイーヴルは杖をくるりと回して転送を行った。一刻も早くアルペンローゼを安全な場所へ連れて行きたかった。

 その焦燥は結果として功を奏した。忽然と姿の消えた六人のいた場所は直後に、届くはずのない荒々しい黒い炎によって焼き尽くされてしまった。


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