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透明街の人喰い獏 (2)  作者: 葉里ノイ


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191-箱の中の猫


 それは人間の西洋の街がまだ中世と呼ばれていた時代だった。

 石造りの灰色の街並みを陰から覗き、十歳にも満たない幼い容姿の金髪碧眼の少年は、布に包んだパンを抱いて森の方へ駆ける。少年の頭には猫のような黒い三角の耳が生え、尻には黒くて長い尾が揺れていた。

 人間の目を掻い潜って幼い少年は森へ滑り込み、木々の間を走り、茂みの陰に座り込んだ。

 包んだ布を解き、堅いパンを引き千切る。小さくなったそれを口に放り込み、ポケットから手製の小さな革袋を取り出す。

(貴族の所から盗んだ……何だっけ? シナモン?)

 貴族は平民よりも高価で美味い物を食べている。住む家も比べ物にならないくらい大きい。人間の暮らしには詳しくないが、見ていれば違いは瞭然だ。その貴族の家で台所を探し、食べ物を一つ失敬した。

 小袋から小さな棒切れのような、木の皮のような物を取り出し、試しに一口噛み付く。

「にゃっ!? っ……、げほ! ごほっ! な、何だこれ!?」

 今まで食べたことのない、形容し難い味が口内に広がり、慌てて吐き捨てた。口内に冷たい風が吹き込んだようだった。貴族が食べる物は口に合わないのかもしれない。少年は震えながら小袋を引っ繰り返して残りのシナモンも捨て、咳き込みながら空の袋を仕舞った。

「これはもういいな……やっと貴族の家から食料を見つけたのに」

 大きな貴族の家は、庶民の家のようにすぐに台所が見つからない。探し回るのは面倒なので、あまり行きたくない。

「まだ後味が……」

 三角耳と尾を下げ、少年は眉を顰めながら口直しにと堅いパンに齧り付いた。

(人間の味覚は獣と違うのかも……)

 金髪碧眼の幼い容姿の少年――アイトワラスは、森で木の実や小動物の肉を食べて生きていたが、最近は調理をして食す人間に興味を示している。野菜を切って作る料理はまだ理解できるが、パンなんて何をどうして作っているのか全く想像も付かない。森では見掛けない物が人間の街には多々あり、彼は興味津々だった。

 金は当然無いため盗みを働いているが、彼は気配を隠して盗むことが得意だった。耳と尻尾は目立つが、気配を隠していれば見つかることはない。もし万一見つかりそうな時は、猫などの小動物に変身すれば容易に人間の目を擦り抜けられる。人が動物に変身するなんて、人間には考えられない。

 だがアイトワラスは変身能力を完璧に使い熟しているわけではない。頭の三角耳と尻の尾を完全に消すことはできないのだ。完璧に変身できるのなら、完璧に紛れられる人間の姿になれる。今の彼では半端な変身が精一杯だった。もっと修行をすればいつかは完璧な変身ができるだろう、そう信じて彼は毎日変身の練習に余念が無い。

(僕はまだ生まれて数年しか経ってないし、これからきっと背も伸びて力も強くなるはず。……背、伸びるよな?)

 獣の容姿は何百年経っても然程変化が無いのが殆どだが、稀にある程度の成長が見込める場合がある。アイトワラスはそれを期待していた。きっと背が伸びる。そう信じて食事と睡眠は人間のようにしっかりと取っていた。

 そういう少し退屈な毎日を、アイトワラスは飽きずめげずに送っていた。

 修行して、盗んで、食べて――そんな変わり映えしない毎日は、ある日突然、唐突に打ち壊された。

 アイトワラスは完璧に隠れているつもりだったが、人間の数を甘く見ていた。人間の街を歩けば、何処かに人の目がある。そのことを少し甘く見てしまっていた。

 時代も最悪だった。不幸の原因を押し付け、悪魔と契約した魔女が狩られる時代に、黒い猫のような耳と尻尾を生やしたアイトワラスは異質なものにしか見えなかった。

 物を盗むための変身能力ばかり練習していた彼は、人間にすら抵抗できなかった。幼い子供の容姿だった彼は、無数に伸びる大人の人間の手に抗えず、逃げられなかった。獣の癖に、人間に敵わなかった。

「やっ……離せよ!」

「子供でも同情はできない。人間じゃないだろ、その姿は」

「ああ何て恐ろしい、悪魔の子……」

「早く来い! 早く聖なる火で焼かないと……」

 人間は未知のものや都合の悪いものを恐れる。そしてそれが目に入らないよう排斥しようとする。排斥すれば災いも消えると思い込んでいるのだ。

 獣一人が死んだ所で何も変わらないのに。アイトワラスが死んだ所で、食べ物がほんの少し盗まれずに済むだけだ。

「悪魔? 何なんだよ! 僕は悪魔じゃない!」

「魔女と契約をしている悪魔だろ? 恍けるな!」

「ああ悍ましい悍ましい……」

「その耳と尾……審議の必要も無い、どう見ても悪魔だ!」

 聞く耳を持たない人間に引き摺られ、アイトワラスは縛り上げられた。杖を召喚できれば黒猫に変身をして縄なんてすぐに抜けることができるのに、手に何も持てないくらい固く縄を巻かれた。

「火刑の準備をする間、牢で大人しくしてろ」

「火刑の準備……!?」

「そんなわかりやすい耳と尾が生えてるんだ、お前に拷問の必要は無いだろ」

「今は別の魔女が火炙りになってるはずだ。お前はその後だからな」

 遠くで微かに断末魔が聞こえた。熱い痛いと裂けそうな声で女が叫んでいる。

 あの人間のように惨めに叫ぶなど絶対に嫌だ。アイトワラスは眉根を寄せ、人間と同じになることに戦慄した。獣が人間と同じように、しかも人間に恐怖を与えられるなど恥曝しだ。

「先に少し見てみるか?」

 アイトワラスを連行する男の一人は、にやにやと気紛れに笑ってそう言った。先程まで悪魔に慄いていたのに、拘束して動けなくなった途端にこれだ。自分が優位に立ったと思っているのだろう。人間が獣より優位に立つなど有り得ないのに。

「お前も火に炙られる実感が湧くんじゃないか?」

 男はアイトワラスを引き摺り、集まる民衆から少し離れた場所へ連れて行った。民衆は火刑に処され燃える女に注目し、後ろは振り向かない。

 太い木の棒に括り付けられた女は、足元から上る炎に全身を包まれ、目を見開いて叫び、必死に頭を振って逃れようとしていた。長い髪も燃え上がり、焦げた嫌な臭いが周囲に漂っている。その中で観衆は険しい顔をしたり強張っていたり、安堵したように笑っている者もいた。

 こんな見世物にはなりたくない。アイトワラスは目を瞠り、瞬きも忘れた。轟々と揺らぐ炎の熱が、離れていても頬を嬲る。

(只の人間だろ……? 人間が人間を殺して、何で笑えるんだよ……そんなに悪いことをしたのか……?)

 あの焼かれている人間が何をしたのか、何かをしたのか、アイトワラスにはわからない。只の人間が何故魔女として殺されているのか、わかるはずがなかった。

 アイトワラスは火刑を目に焼き付け、縛られたまま小さな教会の地下にある石牢に放り込まれた。冷たい石の中で火刑を待つことになった。杖さえ召喚できれば変身して隙間から逃げ出すことができるのに。杖を出せない獣は無力だった。何故杖がないと力が使えないのか、彼は獣の体を呪った。

 為す術無く人間に殺される最期など最悪だ。運が悪いにも程がある。運だけなら、人間に負けているかもしれない。

 アイトワラスは目を閉じ、逃げるならきっと木の棒に括り直される時だと考える。どう括られるかは見ることができなかったが、きっと隙があるはずだ。それしか思い付かない。それに賭けるしかない。獣が人間に負けるはずがない。

(教会の下に牢屋があるなんて知らなかったな……悪いことをした人間用の牢屋は確か別にあったはず……ここは魔女とか悪魔専用の隠し牢屋なのかも)

 石で囲まれた牢の中では地上の音は聞こえず、石牢には見張りもいない。いつ準備が終わるのか、外の様子は全くわからない。

 時折地鳴りのような微かな揺れがあるが、火刑の準備をしているのだろうとアイトワラスは焦る。

「んっ……!?」

 まるで巨人が跳躍でもしたかのような大きな揺れがあり、アイトワラスは驚いて周囲を見回す。

(火刑の準備ってこんなに揺れるのか? 盗みを遣ってる時にこんなに揺れたことはないと思うんだけど……)

 疑問に思っても答えてくれる者はいない。その代わり、頭上から唐突に大きな破壊の音が降ってきた。

「いっ!?」

 砕けた石が頭に落ち、アイトワラスは床に倒れた。追い討ちのように砕けた石と土が降ってくる。

 衝撃が治まった時には彼は砕けた石と土に埋もれていたが、天井の全てが落ちてきたわけではなかった。天井の全てが襲い掛かれば、獣でも只では済まなかった。

 足で石を退かし、腕が動くことに気付く。縛っていた縄は、砕けた石を受けて切れたようだ。

「――げほっ! ごほっ……な、何なんだ……?」

 目に何かが入り、慌てて手の甲で擦る。そこには赤い物が付着していた。少し頭を切ったらしい。

 落ちた天井は半分以下だろう。地上の音が聞こえないほど深い地下ならもっと瓦礫が降るはずなのに、おかしい。

 では残りの天井は? そう怪訝に見上げると青空が見えた。ぽかりと穴どころか、天井がごっそり消え去っていた。

「にゃ……?」

 アイトワラスは目を瞬き、瓦礫の山を跳んで登る。一番高い場所へ行くと地上に顔を出せた。

「…………」

 そこには大きいとは言えないがそこそこの街があったはずだが、見渡す限り瓦礫の山になっていた。あちこち燻り、濁った煙が上がっている。ぱちぱちと火が爆ぜる音がする。

 瓦礫と共に人間も転がり、誰も動かない。遠くで火を纏いながら転げ回る人間が見える。

 アイトワラスを悪魔だと言い、火刑に処そうと言っていた男も黒焦げになって転がっていた。

 一瞬で街が引っ繰り返ったようだった。

(一体何が……?)

 これがまさか()()の手によるものだとは考えなかった。

 地下からそろりと頭を出し、ぐるりと一周見渡す。瓦礫の山の上に明らかに人間ではない影があった。アイトワラスの猫のような華奢な尾とは比べ物にならない太さの黒い鰐のような尾が生えている。金色混じりの長い黒髪を一つに束ねた頭が振り返り、周囲を観察する。

 長身のその青年は長い杖を持ち、遠くを見詰めて一振りした。黒い炎の塊が黒い尾を引き、まだ原型を留めていた家々を吹き飛ばした。半分ほどが瓦礫となって転がり、もう半分は木っ端微塵の砂塵となって消えてしまった。アイトワラスのいた石牢の天井を教会ごと吹き飛ばしたのはあの獣だ。彼は直感的にそう思った。

(何だあいつ……街を一つ壊滅させたのか? 強い……)

 長身の青年は辺りを見渡し、地面から覗く黒い三角耳を見つける。興奮する碧眼と目が合った。青年の杖はぴくりと動くが、それ以上は動かなかった。生きている人間がいると思ったが、頭に猫のような耳が生えている人間はいない。獣だと気付いて攻撃を止めた。

 青年は軽く杖を振って背に蝙蝠のような大きな黒い翼を生やし、一つ羽撃いて青い空へ飛び上がる。砂塵が共に舞い上がり、アイトワラスは思わず目を閉じる。再び目を開けた時には青年は空高く、あっと言う間に点となり消えてしまった。

(何だあれ……何だあれ!? 強い……格好いい!)

 大人の人間より高い身長も逞しい尾も強烈な能力も、全てがアイトワラスとは比べ物にならない。生まれて間も無いアイトワラスはまだ自分以外の獣を見たことがなかったが、自分もあの青年のように大きく強くなれるのだろうかと期待と興奮を滲ませた。それは鮮烈な憧憬だった。

 石牢を破壊してアイトワラスを外へ逃がしてくれたのは只の偶然だろう。だが偶然だとしても感謝はして良いはずだ。

 破壊され死体の転がる絶望の街の中で、彼だけは希望を抱いていた。高揚して目を爛々と輝かせ、青年の飛び去った先をいつまでも見詰めていた。



 その一件以来、アイトワラスは一層修行に励み、常に生えていた頭の三角耳と尻尾を遂に消せるようになった。何処をどう見ても金髪碧眼の人間の容姿を作ることができるようになった。そして身長も伸びた。あの長身の獣ほどは残念ながら伸びなかったが、幼い子供の目線よりもかなり高くなった。体が成長しない獣は多いが、彼はそうではなかった。修行を頑張った褒美かもしれない。アイトワラスはよく水鏡で自分の姿を見ては嬉しそうに微笑んだ。

(あの獣、あの強さはドラゴンだよな……あそこまで強くなるのは無理かもしれないけど、僕もどうにか近い所まで行けないか……?)

 変身の腕を磨くだけでなく、獣を見つけた時はよく観察するようにした。獣が力を使って見せた時は、アイトワラスは喰い入るように隠れて凝視した。

 変身はその生物に化けることである。それを応用し、アイトワラスは他者の能力を真似る『模倣』を手に入れた。


     * * *


 その強烈な出会いから何百年も経った。

 フェルニゲシュが放った攻撃で、古城は穴だらけだ。其処彼処に瓦礫が散乱し、吹き飛ばされて残った誰かの部位が時折落ちている。

 何とか彼の首輪を機能させはしたが、もう幾らも持たないだろう。時間と感情の問題だ。

 一旦距離を取っていたアイトワラスは瓦礫を越えながら廊下を歩く。

(次は……どうしようか。もう終わらせてしまうか?)

 アイトワラスは周囲を窺いながら黙考する。

(スコルとハティは宵街(よいまち)に行ったし、アナちゃん達は人間の街に待機してもらってる。ヴイーヴルさんは何処に行ったかわからないけど……いないなら好都合だ。あとはロク……城の破壊っぷりを確認するって言ってたけど、ロクだけなら止められないか? こんなに城の中に人がいない状況は今後もう無いかもしれない)

 アイトワラスは虎視眈々と機会を窺っていた。

 フェルニゲシュに憧れていたアイトワラスは、彼が花街(はなまち)の王になったことを耳にした時、歓喜に打ち震えて興奮を抑えられなかった。自分が認めた獣が花街で最も地位の高い存在となったのだ。こんなに喜ばしいことはない。やはり彼は強いのだ。花街で最も強いと認められた存在に救われたことを、アイトワラスは誇りに思った。

 それだけでも上機嫌になると言うのに、城は共に働く獣を募集した。共に働くと言うことは、共に城に棲むと言うことだ。城の外から王の様子を窺おうとしてその張り紙を見つけたアイトワラスは、すぐに応募した。

 面接でフェルニゲシュの姿を視界に捉えた時、アイトワラスは彼を直視できなかった。隣にはヴイーヴルとズラトロクも座っていたが、視界に入らなかった。緩みそうになる口元を押さえ付けて面接に挑み、だがフェルニゲシュはアイトワラスのことを覚えていなかった。アイトワラスは残念に思ったが、それも無理のないことだ。救われた時とは容姿がかなり変わってしまった。

 あの時は名乗ることもできなかったが、アイトワラスは面接で漸く名乗ることができた。そして彼が覚えていないあの出来事に感謝の意を表した。

 それが良かったのか採用されて城に棲むことになった。最初はあの強者と毎日顔を合わせることになるのだと意気揚々としていたが、力を抑制する首輪を施されていると聞き、首を捻ることになった。あれほど強いドラゴンなら抑制しないと生活できないのだろうと納得しようとしたが、時を経るにつれ、どうにもおかしいと感じるようになった。

 フェルニゲシュは力を無理に抑えられ、苦しんでいるのではないか。不当な扱いを受けているのだとアイトワラスは感じるようになった。


 ――今度は彼がフェルニゲシュを救って恩返しをすべきではないか。


(オレ一人で獣を何人も相手になんてできないから、敵対せずに追い出す必要があった。とにかく何か混乱でも起こさないと、皆が城から出て行く状況が作れない。混乱の種にしようと大きな虫を作ろうと考えたはいいけど失敗ばかりで……()()()()()()()()()()作れなかった。ユニコーンは目障りだったけど、虫の罪を擦り付けて殺すことができた。スコルとハティは誘導して宵街に行ってもらった。それから……やっとフェルを解放する手筈が整った。アナちゃんは近くにいないから、止めることはできない。アナちゃんも死なずに済むし、いいことだよな)

 フェルニゲシュの首輪を破壊し、彼に元の強者の威厳を取り戻させるのがアイトワラスの計画だった。強い彼に憧れたのに、腑抜けになっているのを見るのは耐えられない。アイトワラス一人では頭も力も限界があり、()()()が必要だったが、それも手に入れられた。

(オレがもっと強くて、頭が良くて、もっと手っ取り早く首輪を壊す方法があれば、こんな何百年も腑抜けにさせることはなかったのに……)

 悔やんでも仕方の無いことだが、フェルニゲシュの下で働けることに暫く浮かれていた。

 アイトワラスは瓦礫を跳び越え、早足で立ち入り禁止の塔の地下へ向かう。誰も接近する気配が無い今が好機だ。ずっと機会を窺っていたが、きっと今がその機会だ。

 地下へ続く明かりの無い細い階段を駆け足で下り、鉄扉の並ぶ牢の前へ、逸る気持ちを抑えて立つ。首輪の綻びで放った攻撃は地上を向いていたので、鉄扉の前は何事も無かったかのように綺麗なままだ。

 高揚して跳ね回る心臓を抑えるように胸に手を当て、アイトワラスは思わず緩みそうになる頬を引き締めた。

「……フェル」

 緊張で声が強張ってしまった。

 鉄扉の向こうから返事は無く、暫し待った後に鎖が擦れる音がした。

 首輪が綻んでフェルニゲシュは鎖を切ってしまったが、大公三人で抑えて繋ぎ直した鎖だ。

「その声は……アイトか?」

 声を覚えていることに笑みが零れそうになるが堪える。これからフェルニゲシュを解放するのだ、笑うのはまだ早い。

「ああ。気分はどうだ?」

「良くは無いな」

「ここから出たいか?」

「? 出てもいいなら出るが」

 フェルニゲシュをここに閉じ込めているのは大公だと言うのに、おかしなことを言う。そう思いながらフェルニゲシュは鉄扉を見詰めて首を傾いだ。

「……フェルはさ、アナちゃんのことをどう思う?」

「さっきから何だ? 暇潰しの雑談か? 確かにオレは暇だが」

「アナちゃんのために玩具を集めてただろ?」

「……。何故、アナのためだと?」

 立ち入り禁止の塔に、子供用の玩具が詰まった部屋がある。誰に渡すでも遊ぶでもなく埃を被ったそれらは、フェルニゲシュが集めた物だ。塔が立ち入り禁止になる前から、使用していない空き部屋が並ぶそこに彼が置いた。あれはゲンチアナに贈ろうとして贈れないでいる物だ。あまり長く生きることができないゲンチアナのために、生きている間はせめて楽しくあるようにと集めた物だった。獣は玩具で遊ぶことは無いが、人間の子供は玩具を与えると喜ぶ。人間に近い変転人ならきっと喜ぶはずだ。……そう考えたが、ゲンチアナは受け取らず、ただ空き部屋に放り込むだけになっていた。

「フェルの考えてることならわかるよ。短命なゲンチアナにプレゼントしたいんだろ?」

「……アナは何も喜ばない。一度聞いてみたことがある。欲しい物はあるかと。欲しい物は無いと言われた。毎日仕事に追われ、考える余裕は無いと」

「一番働いてるのはアルだと思うけど、アナちゃんは仕事が苦手みたいだからな。落ち込んでる所を何度か見たことある」

「そうか……」

「じゃあさ、ゲンチアナが何で短命かわかるか?」

「原因があるのか? 病気か?」

「病気じゃないけど、病気みたいなものかな。自分じゃどうにもできないし」

「? あの医者がそう言っているのか?」


「ゲンチアナは五十年に一度あんたの首輪を維持するために人の姿を与えられ、アナちゃんも殺される」


「…………」

 頭の中が真っ白になると言うより、フェルニゲシュはまず言葉の意味が理解できなかった。首輪で抑制されているためだ。思考が麻痺したように鈍い。

 彼が考える間、アイトワラスは鉄扉から離れて細い階段の前で待つ。こんな至近距離で攻撃を受けてしまったら存在が消し飛ぶ。先に杖を構え、唾を呑んだ。

(フェルは強くないといけないんだ……首輪なんかで繋がれて飼われるなんて、望まない……!)

 首輪はフェルニゲシュの力を抑制しているが、首輪の破壊は簡単だ。彼の感情を揺さぶるだけで良い。感情が大きく揺れないよう首輪が抑えているが、首輪を破壊できるほどの感情の動かし方ならわかる。だから規則で固めて厳重に蓋をした。これは時が経てば経つほど強力に作用する。時が過ぎるほどゲンチアナと過ごす日々は増え、殺されるゲンチアナは増える。只の変転人でも何度も死を見れば徐々に感情移入するものだ。

 フェルニゲシュがゲンチアナのために玩具を集めていると知った時の高揚をアイトワラスは今でも覚えている。長い年月を掛けて積み上げてきたものが漸く使えるようになった。感情を寄せていないとそんな物を集めたりしない。

 首輪なんて、どんなにきつく絞め上げられていても、強力な本人に壊させれば良いのだ。

「…………」

 フェルニゲシュも漸く言葉を呑み込めた。彼の力を抑えるために何人ものゲンチアナが犠牲になった。あまり長く生きられないことを哀れんで玩具を集めたり料理を覚えたりしたが、その原因が彼自身だったなど悪い冗談のようだ。

 今度こそ頭の中が真っ白になった。

 何故そんな犠牲が必要な首輪なんて付けられているのか、フェルニゲシュは瞠った視線を床に落とす。首がじりじりと焼けるように痛んだ。

 理性を失っていた彼に、ゲンチアナを殺した記憶は無い。誰がゲンチアナを殺したかは知らない。行き場の無い喪失感と怒りで、フェルニゲシュは自身を失った。

 鉄扉を凝視していたアイトワラスは、それがめこりと膨らむのを見た。ほんの一瞬のことだったが、何秒も見詰めていた気がする。鼓膜を殴るような音と目が眩む黒い光が視界と感覚を埋め、フェルニゲシュを入れていた牢の扉が向かいの壁を打って大穴を空けた。

 昔アイトワラスが悪魔だと言われて放り込まれた石牢のように、フェルニゲシュは再び穴を空けた。

 自分が直撃を受けて死ぬことも覚悟していたアイトワラスは、生きていることに安堵する。揺れと共に砂塵が降ってきたが、体は吹き飛んでいない。

「……はは……凄い……何人掛で(いん)を張っても、フェルニゲシュは抑えられない! それでこそフェルニゲシュだ! 首輪で飼うなんてできない、これで自由……」

 ふらりと瓦礫を踏んで現れたフェルニゲシュの姿に、アイトワラスは目を丸くする。

 鎖を千切り、細いパイプを継ぎ合わせたような奇怪な杖を提げた彼の双眸は、焼けた鉄のように真っ赤だった。普段の彼の目は青灰色だ。見間違えるはずがない。

「何だ……? あまりに長い時間、首輪を付けられてたからか……?」

 獣の目が紅く染まるのは熱暴走(ヒート)を起こしているからだ。自身の許容量以上の力を出力しようとした時や、滅多に使用しない能力を捻出する時などにこうして発熱して暴走する。暴走する程の高い力を出力する代わりに、視野が狭くなり思考が浅くなる欠点がある。

「何百年も抑えられてたらこうなるか……一旦離れた方がいいな」

 フェルニゲシュは紅い視線を瓦礫に落とし、何かを考えるかのように停止する。暴走状態ではあまり思考はできないはずだ。長年封じられてきた力の使い方を思い出しているのかもしれない。

「フェル! 落ち着いたら話そう! 首輪の無いあんたとはまだ話したことがないんだ! ちゃんと……あの時の御礼を言いたい!」

 アイトワラスの呼び掛けに、フェルニゲシュは顔を上げて紅い目を向ける。杖がぴくりと動くが、振られることはなかった。

「……!」

 あの時と同じだ。アイトワラスは歓喜を呑み込み、潤けそうな口を結ぶ。首輪を付けられても、フェルニゲシュはあの時から変わっていない。幼い獣を偶然救ったあの時から。

 アイトワラスは背を向け、全速力で階段を駆け上がった。花街から転送して離脱すれば安全だが、フェルニゲシュの本気を見ないなど勿体無い。

 生きて話すために、彼は暗い地下から逃げ出した。



 古城に何度目かの轟音が響き渡る。音が途絶えていたのは僅かな時間だけだった。綻ぶ首輪を抑えられたのはほんの刹那だった。

 外壁に大穴を空け、壁に張り付いていた巨大虫が宙を舞う。城はもうボロボロだ。長年花街を見守ってきた城は、たった一人の獣によって破壊されようとしている。

「アナは……オレを抑制するために殺されていた……? 短命を嘆いていたのはオレだけだったのか……? アナは…………そうか……それでオレが憎くて、勝手に街から抜け出すオレを殴っていたのか」

 きっと抜け出さなくても、毎日、毎分、殴りたい気分だっただろう。いっそ殺したかっただろう。獣の力を抑えるだけ、たったそれだけのために人の姿を与えられた。殺されるために、感情と痛みを感じる体を与えられた。フェルニゲシュが憎くて堪らないだろう。

「それなのにオレは哀れんで玩具や料理を用意した……さぞ滑稽で、憎かっただろうな。……憎いだろうとしか……言葉が出ない」

 理性が残っていたのは、その僅かだけだった。フェルニゲシュは杖を上げ、薙ぎ払うように振る。目の前の壁から細い階段、地上に向かって古城を穿つ。

 天井に空いた穴から、地上の光が射し込んだ。

 紅く染まった双眸からは、空虚な自責と誰にでもない怒りが滲んでいた。


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