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透明街の人喰い獏 (2)  作者: 葉里ノイ


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188-隠し事


 あちらこちらに穴が空いてしまった古城の中を、アイトワラスは黙々と歩いていた。

 フェルニゲシュが放った攻撃で城の中はゴミ置き場のように散乱し、壁の穴から夜になった空が見える。人間の街のように雨は降らないので早急に塞ぐ必要は無いが、穴だらけでは格好が悪い。

「…………」

 廊下に攻撃の跡とミモザの上半身が落ちていた。もう動かない眼球が虚空を見詰めている。有色の変転人であるミモザにフェルニゲシュの攻撃が避けられるはずがない。獣でも回避が困難なのだから。

(下半身が完全に消し飛んでる……やっぱりフェルは強い……)

 王は強者であるべきで、強者であるフェルニゲシュが王の座に即くのは必然であり当然だ。

(これでまだ首輪が抑えてるって言うんだから……)

 抑えてはいるが、辛うじてだ。あと少し感情が押せば首輪は壊れるだろう。今まで太い鎖で繋いでいたとすれば、今は徒の細い糸になってしまっている。

「……ん?」

 ミモザの上半身を観察していると、ふと視線を感じた。瓦礫の陰から瞬きもせず覗いている黄色頭が見える。

「ミモザか?」

「アイト様」

 黄色い少女は瓦礫からは出ず、その場から返事をする。壁に穴が空く程の攻撃が何処からか突然飛んで来て警戒をしている。自分と同じ容姿をした少女の半身が突然無くなったのだから、他人事ではない。

「今は脅威は無いから、出て来ても大丈夫だ」

「そうなんですか? これは一体……?」

「獣の襲撃みたいなものかな」

 王が暴走したとあっては城の存続が危ぶまれる。誰だってそんな危険な獣の下で生活したくはない。城は安全で、生命に危険の無い平和な場所、だからこそ変転人は仕事に集中できる。

 ミモザが納得するかはわからないが、王以外なら誰の所為でも良い。

「最近、客人が多いですね」

「そうだな。あんたも掃除を手伝ってくれるか? 通常業務は後回しでいいから」

「わかりました。廊下を歩き易く掃除します」

「他のミモザはどうしてる? 他のミモザにも……」

 アイトワラスが話している途中で、ミモザは無感動に走り去ってしまった。箒を取りに行ったのだろうが、獣の話は最後まで聞くものだ。

(他のミモザの居場所がわからない……何なんだ? 何度かミモザに尋ねてみてるけど、誰もミモザの居場所を話さない。と言うか、無視されてる?)

 まるで隠されているような。質の悪い隠れん坊のようだ。

 アイトワラスは首を捻り、落ちているミモザの半身を見る。光の無い虚ろな瞳が彼を睨んでいる気がした。


     * * *


 人間の街の古い小さな教会の地下で、アルペンローゼはゲンチアナに秘書の本当の役目を語った。ゲンチアナはフェルニゲシュの首輪を維持するため、死ぬために城に迎えられていると。

 ゲンチアナは驚きはしたが、何故かすんなりと嚥下することができた。彼女はアルペンローゼのように料理や仕事が堪能ではなく、エーデルワイスのように偵察や戦闘に長けているわけでもない。無能な自分に用意されている役目があったことに、ほんの少し安心した。死にたいわけではなく寧ろ怖いと思うが、咲ける蕾が存在することに安堵を覚えた。

「私ができること……あったんだね。それで……アイト様は私を城から遠ざけたんだね」

「直接聞いたわけじゃないが、そうだと思う」

「私の前からゲンチアナは皆、その役目があったんだよね? 私だけが逃がされたの?」

「それは……。ワイスが言うには、アナの前のゲンチアナは助けようとしたみたいだ。ワイスの行動はロク様しか知らないはずだが、もしかしたらアイト様も知っていて、ワイスに感化されて手を貸そうとしてくれたのかも……」

「何もわからない、ってことだね」

「憶測ばかりになってしまうな。尋ねようにも、もし知らなかった場合を考えると迂闊に発言できない」

 二人は口を閉じ、椅子に背を預ける。誰が味方なのか確信が持てない。エーデルワイスの言うことを信じているが、それも証拠があるわけではない。彼女の喉の傷だけは事実だが、それも彼女から聞いただけの話だ。せめて誰かもう一人だけでも話を聞きたい所だ。

 沈黙が流れ、俯くゲンチアナを一瞥してアルペンローゼは小さな部屋を振り向く。やや不揃いな石が積まれている壁は相当古い。用途は不明だが、隠れ家のように見える。ゲンチアナがここに隠れるのは、もしかすると正しい使い方なのかもしれない。

(出入口があれだけ小さいからな。日常的に使用する部屋じゃないことは確かだ)

 少女の姿であるエーデルワイスでも引っ掛かってしまうのだから、大人、特に男は通れないだろう。

 アルペンローゼはガーゼを当てた耳に手を遣り、静かに立ち上がる。血が滲んでいる湿った感触がある。

(傷が閉じるのが遅い……。欠けた部分も再生するかもしれない)

 疼痛が止まず、思考に集中できない。傷をただ塞ぐだけなら早いのだが、欠けた部分を再生するなら塞がらずに再生に力が割かれてしまう。

 静かな部屋に、唯一のドアの向こうから音が聞こえた。複数の足音が聞こえる。

 ドアが開くまでは安心できないと構えるが、想像した通りエーデルワイス達の帰還だった。それを視界に捉えてアルペンローゼとゲンチアナは肩の力を抜く。(ばく)達と、宵街(よいまち)から来た三人の獣も一緒だ。

「何か牢屋みたいだな」

「おやつはある?」

 窮奇(きゅうき)饕餮(とうてつ)は軽い調子で呑気な声を上げる。緊張感が無い。

 左腕を失った蒲牢(ほろう)に椅子を譲り、獏は包帯の巻かれたそれを見て眉尻を下げた。

「蒲牢、腕……」

 獏が攫われていなければ、蒲牢は小瓶の水を利用して腕も無事だったかもしれない。彼は怒っているか、獏への信用を無くしただろう。

「ごめん……」

「? ……もしあの場から姿を消したことを謝ってるなら、謝らなくていい。自分の失態を他人の所為にするほど落魄れてない」

 蒲牢は淡々としていて、感情が読み取れない。どちらかと言うと他人ではなく、彼は自分自身に怒っている。

「注目されるのは苦手だから、あんまり見るな」

 負傷は恥だ。蒲牢はあっちを向けと言うように獏から目を逸らした。

 各々腰を下ろした所で、アルペンローゼとゲンチアナは労いの言葉を掛ける。誰も欠けることなく無事に戻って来て安心した。

「お帰りなさいませ。心配していましたが、獣には野暮でしたね」

「アイトワラスに助けられたみたいだけどね……」

「アイト様に? アイト様は本当に味方をしていると……?」

 ズラトロクの目を余所に向けたと言っていたことが真実でも嘘であっても、アイトワラスが脱走を見逃してくれたことは事実だ。

「味方をしてくれるなら、逸らかさないでちゃんと話してほしいよね」

 獏は壁に背を預け、小さな出入口を潜るために外していた動物面を被って天井を仰ぐ。

「もし味方なら、フェルの首輪を維持する別の方法がないか相談するんだけど」

「えっ、宵街の方にそこまで気遣われると……」

 ゲンチアナが犠牲にならない方法を模索してくれるとは思ってもみなかった。ゲンチアナ一人のために動いてくれる仲間や獣がいてくれることは嬉しいが、何かを失う危険が余りに大きい。逃がそうとしてくれているだけで充分なのに。きっと彼らの迷惑になる。目も合わせられない。

(でも……そっか。私がここにいる限り、フェル様を抑える別の方法が必要だもんね……)

 椅子と机以外は何も無い狭い部屋の中を見回していた蒲牢は、俯いて居た堪らなくなっているゲンチアナの様子を窺う。道中に獏から話を聞いたが、一般的な無色の変転人にしか見えない彼女が王の首輪の維持に必要だとは信じ難い。

「幾つか質問してもいいか?」

 視線を感じてゲンチアナは顔を上げるが、有るはずの腕が無い蒲牢が視界に入ると彼女はぴしりと硬直した。平和な城しか知らない彼女は、獣の一撃の惨さを見るのは初めてだ。これが獣の力なのだ。話を聞くだけではわからない、普段は首輪で抑制されているフェルニゲシュの力を目の当たりにし、今後はもうどんな規則を犯しても王の顔など殴れないだろう。

「フェルニゲシュの首輪を維持するためにはゲンチアナが必要らしいけど、具体的な条件は何だ? アルペンローゼやエーデルワイスでは務まらないのか?」

 そんなことを尋ねられてもゲンチアナは答えられない。そんなことは教えられていない。彼女は近くに立つアルペンローゼを窺う。

「それは僕も知りませんね。ワイスは?」

 視線を向けられたエーデルワイスは、ペンと紙切れを取り出す。

『ゲンチアナは龍の胆の名を持つ者。胆は重要な役割を持つ物。龍であるフェルニゲシュに作用できる』

 ゲンチアナは竜胆(リンドウ)の仲間だ。龍属のフェルニゲシュの秘書をしているのは偶然ではない。

「……成程。他には?」

『最低でも十歳以上のゲンチアナが必要。十歳は変転人の成熟を意味する。植物に例えると、果実が実った状態。未熟な果実は美味しくないから、満足できない。熟した果実だけがフェルニゲシュを抑えられる』

「つまり現在、条件は満たしてるのか。他に条件を満たせる人はいないのか? 万が一、ゲンチアナが事故で死んでしまったら、フェルニゲシュはもう抑えられないのか?」

 ゲンチアナが重要だということは理解できたが、不慮の事故などは想定しないのだろうか。喪えばすぐに代わりを用意できるものではない。最低でも十年必要なら、たった一人しか用意しないのでは心許無い。

『ゲンチアナ、アルペンローゼ、エーデルワイスの花探しはアイトワラスの仕事。状態の良い最高の株を見つけるの。枯れてないことは勿論、萎れてもおらず折れてもなく穢れもない、美しい完璧な個体を探す。それは大変なことで、幾つも見つけるのは骨が折れるらしい。人間の街に近いと空気が汚れていたりするから、山の上なんかがお勧め。わたし達の咲く場所は険しい高山だから』

「変転人を作る時、病気が無いかは俺も確認するけど、そこまで拘って探したことはないな。変転人にした時、そんなに違いが出るものなのか?」

『比べたことが無いからわたしには差はわからないけど、拘ると強い変転人が出来上がるらしい。強いと言っても色々あるけど、突出した特技が付加される可能性が高まるとか。一般的な変転人に比べて仕事がよく熟せる。アルの治癒力が一番わかりやすい例だと思う』

 アルペンローゼの治癒力は変転人の枠を超えている。獣と比べても遜色無く、何なら並の獣以上かもしれない。そういった稀有な特技や体質が発現し易くなるため、拘って花を探していると言うわけだ。城に従事する変転人は獣の我儘を聞かなければならない。すぐに折れてしまう柔な花では仕事が務まらないのだ。

「そんなこと、考えたことなかった。面白い話だ」

 宵街でそんな拘りを持って変転人を作り出す者はいないだろう。だが偶然はある。白花苧環(シロバナオダマキ)は半獣となる前も、並の変転人より身体能力が高かった。最後は毟られてしまったが、処置が早かった御陰だろう。高山植物である彼は穢れの無い美しい花を咲かせる個体だったようだ。

 獣達は興味深くエーデルワイスの紙切れに目を通す。花街(はなまち)の方が宵街より変転人に詳しそうだ。

「でも益々ゲンチアナの代わりを探すのが難しそうだな」

「なあ、」

 黙って紙切れを読んでいた窮奇は、一つ疑問に思うことがあった。

「首輪の維持がどうとかって話だが、そもそも首輪なんて無くていいんじゃねーか? 無いとそんなに手が付けられないのか?」

 首輪なんて無ければ、維持なんて考える必要も無い。誰も犠牲にならなくて済むのに、何故維持に拘るのか不思議だった。

『王になる前は首輪は無かった。幾つか村とか町を吹き飛ばしてたみたいだけど。立ち入り禁止の書庫でアナが描いた絵本を見たでしょ?』

「何のことだか知らねーけど、オレは見てないな」

「最後が破れてたあれ? だったら窮奇には話してないね」

 横から口を挟む獏に、蒲牢は情報共有を求めた。ゲンチアナが描いたなんて獏も初耳だ。徒の御伽噺だと思っていたが、重要な情報を含んでいたらしい。

 獏は絵本の内容を掻い摘んで話し、フェルニゲシュの過去は思いのほか獰猛だと認識を改める。とにかく贄を与えて鎮めないとどうにもならないくらい凶暴な存在だったようだ。

「まあでも、オレ達には関係無い話だろ? 今回花街に来たのも謝罪が目的だ。それは終わったし、もう帰っていいよな」

 すっかり忘れていたが、窮奇と饕餮が勝手に古城に入り、庭を荒らしたことを謝罪するために花街に来たのだ。舐められないように蒲牢も力を見せつけ、少々不満は残るが目的は達成されている。

「それはそう……じゃない、城の調査がまだだ。それ所じゃないけど」

 狴犴(へいかん)に頼まれた仕事はもう終わったと思っていたが、肝心の調査をしていないことを思い出した。牢から解放され気が抜けてしまっていた。

「宵街に行った視察の獣とやらが殺されたとか言ってたらしいけど、それはオレ達とは関係ねーよな」

『その獣、たぶんスコルとハティだ。城に棲む大公よ。二人は宵街に行ったらしいから』

 饕餮は理解していなかったが、彼女以外の獣に冷汗が流れた。知らない内に妙なことになっている。こちらは城の獣をなるべく傷付けないよう奮闘したと言うのに、宵街では大公を殺したとは、冗談だと言ってほしかった。花街は一枚岩ではないが、宵街も人間の組織のように団結しているわけではない。もっと緩い関係だ。獣に団結などむず痒い話だ。

「不味い……物凄く不味い。狴犴が簡単に殺しを許可するはずが……いや容認はするか……。でも殺したら花街が黙ってるはずがない」

「今は動かない方がいいんじゃないかな……隠れて遣り過ごそうよ、蒲牢」

「オレ達には謝罪とか巫山戯たこと()かしておいて……宵街は楽しんでるみたいだな」

 蒲牢と獏は顔を青くするが、殺された大公の下で働く三人の変転人は顔色を変えなかった。ただゲンチアナはもう罰を受けずに済むのだと安堵を浮かべ、アルペンローゼは無茶な注文に振り回されることも無くなると肩の荷を下ろし、エーデルワイスは獣が死んだことに歓喜を覚える。


「――姉様兄様、焼かれたパイはいかが?」


 焦燥と困惑と複雑な気持ちの中、不意にその場の誰とも違う少女の声が部屋にすっと差し込んだ。

 その元を辿り、一斉にドアに目を遣る。きちんと閉めたはずのドアには隙間があり、瞬きをせず見開いた目が暗闇からぬるりと覗いていた。

「黒焦げミモザは囀って、出た鼻も見る目も啄みましょう……」

 そこに誰かがいることに誰も気付かなかった。油断をしていたわけではないが、花街から無事に離脱できたことで警戒は薄れていたかもしれない。

 ドアが軋んで鳴き、ゆっくりと隙間が開く。見開いた目は虚ろに嗤い、彼女は腕も出さず真っ直ぐ地面に落ちた。

 その姿に部屋の空気は凍り付いた。じわりと地面に広がる赤黒い染みに息を呑む。それは何処かに背面を忘れた死体だった。

「ミモザ……?」

 呆然とアルペンローゼの口から零れた名で、半分を失った少女は古城に従事しているミモザだと獣達も察した。

 同じ容姿をした少女が複数人おり、通常なら廊下を歩くだけで擦れ違う。だが獏達は廊下でその姿を見られなかった。数が減っているとのことだったが、こんな所でこんな姿を見ることになるとは思わなかった。

「この子って……」

「連れて来ていたのか? ワイス……」

 獏の呟きには気付かず、アルペンローゼは言葉を重ねる。エーデルワイスも首を横に振って彼に答える。近くにミモザがいるなど彼女も気付かなかった。

「ミモザは自力で転送できない」

「じゃあ転送に巻き込まれたのかも……」

 有色のミモザは転送を行う傘を持たない。一行が花街から離脱した時に偶然、付近にいたのだろう。瀕死の彼女は気配が薄れ、存在を察知できなかった。

「フェル様の攻撃に当たって焼かれたんでしょうね。焼かれたパイなんて自虐的な……」

 ゲンチアナは無惨な死体に言葉も出なかったが、アルペンローゼとエーデルワイスは然程動じていない。ドアを閉めるために死体に接近する二人を、ゲンチアナは固唾を呑んで見守る。

 ミモザを端に避けようとし、アルペンローゼとエーデルワイスは同時にぴくりと止まる。耳を澄ませ、暗い通路の奥へ意識を向ける。物音が微かに聞こえた。地上からだ。

 ミモザをそこに置いたまま、二人はゆっくりとドアから離れる。ゲンチアナは怪訝な顔をするが、獣達は警戒した。

 最初に音が聞こえてから、一同へ音が届くのに一秒も掛からなかった。瞬きが終わるまでに頭上の天井が地面ごと一瞬で吹き飛んだ。降る瓦礫や土に埋もれそうになりながら足下を掬われる。視界が回り、夜の闇に投げ出されて勢い良く木や地面に叩き付けられた。

 何が起こったのか、その一瞬で理解できる変転人は少ないだろう。

「おいおい、誰だ? 喧嘩を売りやがった奴は」

 くるりと杖を振り、空中から木の上に着地した窮奇は地面に飛び降りる。突如襲った攻撃は天井を落として彼らを生き埋めにしようとしたが、窮奇の風が瓦礫を吹き飛ばして一同の体を掬い上げた。蒲牢も杖を出していたが、窮奇は彼を制した。氷で盾を作って瓦礫を防いでも、埋められることに変わりはないからだ。

 獏と饕餮は着地に失敗して地面に転がる。後方に転がり、攻撃を放った者から距離を取れた。

 ゲンチアナも木に引っ掛かったが、アルペンローゼとエーデルワイスは着地を成功させていた。二人は獣以上の反射神経だ。


「ちょっと話を聞きに来たの」


 穴の空いた小さな教会の中から、長い髪を一本の三つ編みにした三つ目の女が現れる。彼女は優雅に瓦礫の上に立ち、杖を向けた。

「ヴイーヴル様……!?」

「あら……アルもいたの?」

 アルペンローゼはレイピアを取り出そうとしたが留まる。大公に武器は向けられない。

「ちょっと話を、って態度じゃないと思うけど」

「いい度胸だな。切り刻まれたいみたいだなぁ!」

 蒲牢と窮奇は杖を構え、アルペンローゼとエーデルワイスを下がらせる。獏は走り出しそうな饕餮を押さえて宥めた。そして死角で、蒲牢から預かった小瓶の蓋を開けた。傾けなければ水は湧き出さないため、蓋を開けたまま待機しておく。

「誤解なのよ。入口が狭くて入れなかったから、壊すしかなくて」

「豪快だな……」

「宵街の獣……よね? 捕まえたってロクが言ってたんだけど……逃げた? 捕まえておくべきか……でも今はアナを優先しないと」

 ヴイーヴルが突き出した杖の先の変換石が光る。

「オレが遣る!」

 窮奇が前へ出、暗い木立の中で風を巻き起こした。

「切り刻め――疾風(はやて)

「んんっ!」

 その風がヴイーヴルに届く前に、背後で呻き声が上がった。地面に小瓶が落ち、水が溢れる。その水が触手のように伸びて獏を縛り上げていた。動物面が地面に落ち、水が鼻と口を覆う。

「獏!?」

 風を操る窮奇はヴイーヴルから目を離せない。蒲牢が後退し獏に絡む水に手を伸ばした。

「触れない……」

 巻き付く水には形があるのに、掴むことができない。まるで悪夢だ。悪夢はこちらに触れられるが、こちらは悪夢に触れられない。それと同じだった。獏は水に口と鼻を押さえられ踠いている。水中に引き摺り込まれたように息ができない。

 蒲牢は焦りを呑み込み、まずは元凶らしき小瓶を封じる。窮奇の風を避けるヴイーヴルを横目に、落ちている小瓶に蓋を閉めた。出た水は戻せないが、これ以上増すことはない。

(良かった……閉まらなかったら、もっと酷いことになってた)

 だが誤算だ。ヴイーヴルは獏と蒲牢を見て笑っている。水を操っているのは彼女だ。蒲牢が使用するために水を持参したのに、敵に利用されるのは想定外だ。彼女が水を操る情報なんて無かった。

「獏、少し我慢しろ」

「んっ!? んんっ」

 獣には人間の常識が通じないが、水中で息ができないのは同じだ。獏も水に手を掛けようとするが、指が水に浸かるだけで掴むことはできない。このままでは陸で溺死する。

 蒲牢は杖を構え、小さく歌う。慣れれば歌わずに能力を引き出せるだろうが、修行中の彼にはまだ歌という手を引くものが必要だ。

「憂い潤む滴よ 凍え積もらせ――」

 杖の変換石が光り、流動する水が小刻みに震える。

「っ……」

 ヴイーヴルの力が加わった水は堅く、蒲牢の力が入り込む隙を与えない。凍らせられれば割って剥がすことができるのに、それが許されない。

「そこの白い人、力比べをするの?」

 窮奇の見えない鋭利な風を躱し、攻撃を去なしながら木立を舞うように、ヴイーヴルは余裕のある笑みを浮かべる。

「いいわ。全員、相手してあげる」

 ヴイーヴルが杖を振ると、木々の小枝が切り落とされる。落ちた枝は発火し、揺らぐ二本の足を生やした。

 全員とは言ったが、対象は獣だけだ。城に従事する変転人は無傷で連れ帰りたい。

 複数の燃える枝が一斉に走り出す。窮奇は風で押し、様子を窺っていた饕餮も打刀を抜いて構える。蒲牢は獏に絡み付く水に自分の力をぶつけながら、ヴイーヴルの能力の豊富さに焦燥を滲ませた。

「一気に吹き飛ばしてやる――はや」

「待て窮奇!」

「て」

 制止の声が間に合わなかったのか無視をしたのか、窮奇は鋭い風を方々から燃える枝に打ち付けた。風を受けた火は益々燃え上がり、周囲の木々にまで燃え移る。

「お?」

「馬鹿! 酸素を糧にする火に風を当てるな! 火を熾したことがないのか君は!」

「窮奇は馬鹿ねぇ!」

 饕餮は何も理解していなかったが、蒲牢が言うのだからきっと間違い無いと便乗する。

 刀で攻撃するのは問題無いだろうと饕餮は跳び掛かる枝を斬り、それでも足を止めない枝を更に斬り刻む。斬る度に火の粉が散り、炎が広がった。

 翻弄される獣達を見てヴイーヴルは楽しそうに笑う。

「アル達はもう少し下がってね。火に呑まれないように」

 言われなくとも炎には近付けない。焜炉の火や焚火どころではない炎の塊は生物にとって恐怖でしかない。獣の殺気は遣り過ごせるが、炎は本能的に避けてしまう。アルペンローゼとエーデルワイスはゲンチアナを木から下ろし、庇いながら後退する。

「うるせぇ! 蝋燭の火は吹けば消えるだろ!」

「君はこれが蝋燭に見えるのか!?」

 いつも冷静で感情に波が立たない蒲牢だが、焦燥が口を衝いて出る。このままでは木立が火の海だ。暗い空が赤く染まり、人間に気付かれるのも時間の問題だ。

「面白いわね! もっと火に抱かれて踊りなさい」

 子供のように無邪気に燥ぐヴイーヴルを睨み、蒲牢の息が上がる。まだ足元に炎は届いていないが、離れていても顔を顰める程の熱を感じる。

(寒さは耐えられる……でも、熱いのは……)

 雪を降らせ氷を操る蒲牢は、高温が苦手だ。頬が熱に染まり、頭が目眩を起こしたように煮えている。失血の所為もあるだろう。あまり長くは耐えられない。

「蝋燭の火よりでかいことはオレにだってわかる。要は、火の大きさに合わせて風も強くすればいいんだろ!?」

 杖をくるりと振り、味方を巻き込まない程度の小規模な竜巻を起こす。燃える枝は風に巻き込まれ、炎の柱になるべく火の粉を撒き散らした。


「――――ッ!」


 言葉で止められないのなら。

 その声は全員の動きを一瞬にして止めた。言葉では表せない、強いて言えば黒板を爪で引っ掻くような不快な音が蒲牢の口から吐かれた。敵味方関係無く鼓膜を突き刺し、空気が震え、水が痙攣した。生物が出す音ではない。彼は言うことを聞かない窮奇と耐え難い熱さに怒り、双眸を紅く染めた。

「な、何……? 耳が痛い……」

 ヴイーヴルも堪らず耳を押さえる。その動きで生まれた隙に、蒲牢の頭から白珊瑚のような角が生え、獏に絡む水を一瞬で凍らせた。氷は蒲牢の意思で砕け、獏は抵抗無く地面に落ちる。解放に時間が掛かり、獏の肌は色が抜けたように白く、意識が無くなっていた。

「――――!」

 蒲牢は更に不快な音を重ね、窮奇の手に氷の塊をぶつける。彼の手から杖が弾かれ、体内へ戻る。

「あっ、おいお前……!」

 窮奇も超音波のような声に耳を塞ぐ。後方から味方に刺されたような気分で苛立った。

 だが蒲牢に文句を言う前に空から大粒の氷が降り、今度は頭を押さえる。拳ほどはあろうかと言う雹が勢い良く雨のように降り出した。

「おい饕餮、木の下に行け! こんな物、当たったら頭が割れる!」

 指示通り饕餮は慌てて、頭上に葉が茂り太い枝が伸びる木の下へ避難する。変転人達も倣って木の下へ飛び込んだ。小さな雹なら転送をする傘を差せば防げるが、拳大の氷が当たれば穴が空く。

 雹は燃える枝を打ち、溶けた氷が火を濡らす。落下した雹が地面にぼこぼこと穴を空け、木々に防ぎ切れない雹が獣と変転人達を傷付けた。窮奇は突風を上空へ巻き上げるが、大きな雹を打ち上げる程の風となると地上にも被害が出てしまうため全力が出せず、風の隙間から雹が零れる。不充分な風に煽られ、雹の落下地点が読めない。

「あ……ちょ、ちょっと……アル達にまで攻撃しないで!」

 ヴイーヴルは頭上に水で屋根を張るが、大きな雹は重い。それに徒の雹ではない。

 頭上に気を取られ、地上への警戒が疎かになる。変転人、特にゲンチアナはこんな所で死なせてはならない。その焦りが気配に気付くのを遅らせてしまった。気付いた時には紅い目を燃やす蒲牢がヴイーヴルに接近し、氷の鎌を喉元に突き付けていた。

 首を落とされる――その覚悟を刹那してしまった。だが氷の鎌は首の皮一枚で止まった。

 視野が狭くなったのは蒲牢も同じだった。ヴイーヴルを刈ろうとする蒲牢の首に、細いレイピアの刃が当てられていた。

「…………」

 三人は動けず、雹が止んだ空間に沈黙が流れる。蒲牢に両腕があれば、まだ動けただろう。だが今はもう右腕しかない。

「……お願いします。ヴイーヴル様から離れてください」

 エーデルワイスは獣の首が刎ねられれば寧ろ喜ぶが、アルペンローゼはそうではない。城の獣に仕えるよう躾けられた彼は、幾ら身を危険に晒しても、彼女を見殺しにはできなかった。

 蒲牢はヴイーヴルから目を逸らさず、氷の鎌を彼女の首へ押し付ける。アルペンローゼもレイピアの刃を蒲牢の白い首に当て、赤い一筋が流れる。

「ヴイーヴル様も退いてください。僕達の話を聞いてください。僕達は覚悟をしました。返答次第で貴方を敵と見做します」

「…………」

 ヴイーヴルは目を丸くし、三つの目を悲しそうに細めた。杖を握り締め、途惑いながらも静かに杖を消す。そして怯えるように一歩退いた。敵になりたいわけではない。

 アルペンローゼはレイピアを当てたままゆっくりと蒲牢を引き離し、鎌を下げさせる。獣同士の戦闘を続ければ、街外れのここだけでなく、人間の住む場所にまで被害が及ぶだろう。騒ぎを起こせば、今後獣が人間の街を歩き難くなる。

 鎌が届かない距離まで下げ、蒲牢はかくりと力が抜けたように膝を突いた。目が紅く染まるのは、自分の力に体が付いて行っていない証拠だ。体が発熱し、暴走している。ゆっくりと肩で息をし、感情を抑え付ける。無茶な力の使い方をした。

「ヴイーヴル様はアナを連れ戻しに来たんですよね? 連れ帰って殺すんですか?」

「!」

 ヴイーヴルは目を見開き困惑した。彼は何を言っているのかと。何故それを知っているのかと。エーデルワイスとゲンチアナにも視線を向けるが、二人はその言葉に動揺していない。何処から漏れたか知らないが、大公しか知らない秘密を彼らは知っている。ヴイーヴルは愕然とした。

「どうして……」

「フェル様の身を案じてはいますが、アナが死なない方法を模索していただきたいです」

「全部……知ってるの……?」

 震えるヴイーヴルの声を聞きながら、蒲牢の鎌が消える。漸く戦意を落としたようだ。アルペンローゼもレイピアを引く。

「現在、アナを殺そうとしているのは、ヴイーヴル様とロク様だけですか?」

「え……? 何言ってるの……? アイトも……スコルとハティも……」

「スコル様とハティ様は確認できてませんが、アイト様はここにアナを逃がしました」

「アイトから全部聞いたの!?」

「アイト様は何も言いませんでした。ここにアナを連れて来ただけです。死なせないように、とだけ言ってました」

「嘘……アイトは……アイトだけは絶対裏切るはずない! フェルのこと……一番慕ってるはずだもの……」

 ヴイーヴルは動揺し、穴の空いた地面に視線を落とす。鼓動と呼吸が速く、乱れていく。これまでのアイトワラスのことを考え、やはり裏切るなんて有り得ないと結論を出す。

「アイトは昔、フェルに助けられたことがあるから……絶対に裏切らないと思って大公に採用したのに、どういうこと……? フェルの服に似た服を見つけたなんて言って喜んで着たり……なのにフェルのこと、嫌いになったの……?」

「助けられた?」

「ええ……そうよ。詳細はフェルしか知らないけど、命を助けられたって言ってたわ。恩人の下で働きたいって」

「フェル様の首輪がもし外れてしまったら、どうなるんですか?」

「えっ。それは……長年抑え込んでるから、自我が吹き飛んで街が壊滅するかも……」

「では何故首輪を付けたんですか? 最初から抑え込まなければ、ここまでにはならなかったのでは?」

 それには答えが出ていたが、確認のために問う。

「フェルの性格が元から穏やかだったら、何も制限なんてしないわよ! 気性の荒さ、短絡的な発想、気紛れな破壊衝動……王になるって言うのに、これを野放しにしたら街は滅茶苦茶よ。抑えるのは先王の私の役目……私が不甲斐無いばかりに……」

「じゃあ王の座を譲らなければ良かったんじゃねーか?」

 話を聞いていた窮奇は呆れながら呟いた。フェルニゲシュがそんなに危険なら、そもそも王にしなければ良かったのだ。

「……だって……だって、私が……私が負けたんだから、しょうがないじゃない! 私だって望んで王の座を渡したわけじゃないんだから!」

 長年溜まっていたものが、涙となって三つの目から溢れた。美しい顔にぼろぼろと滝のように零れる。

「アナを犠牲にして、何も感じてないはずないじゃない! でも情を移せば辛くなる……だから弔うことは禁止って規則を作った! それでも……やっぱり辛くて、内緒でお墓を作ってあげた……」

 自分も規則を犯している。そのことを涙と共にぽろりと吐き出した。ずっと心の中に仕舞っていたが、もう我慢ができなかった。

「私がいけないの……私が弱いから……」

 古城の獣の前ではいつも怯えて謝罪を繰り返す。ヴイーヴルは敗北したことをずっと謝っていた。

「……少し、落ち着くまで待って……涙が止まるまで。そこの白い人、その風貌って龍よね……? 龍はトラウマなのよ……近付かないで……。落ち着いたら、ちゃんと話すから……」

「承知しました」

 アルペンローゼはハンカチを取り出し、ヴイーヴルへ差し出す。彼女は焦げた冷たい地面に座り込み、ハンカチを広げて顔面を覆った。

「……その前に一つ……獏は死に掛けてない?」

 確認のようにヴイーヴルはぽつりと漏らす。水で襲ったのは彼女だが、放置していて良いのだろうか。獏は解放されたが、水を呑み溺れていた。地面に落ちたまま動かず、意識が戻っていない。

『人工呼吸する』

 獣を嫌うエーデルワイスが先に駆け寄り、獏の傍らに膝を突く。獏を攫ったのはエーデルワイスだ。協力者に死なれては困る。指先で獏の顎を上げ、鼻を抓んで冷えた唇に口付けた。万一のために人工呼吸の仕方も教えられている。それでも躊躇無く実践できる彼女は凄い、何もできないゲンチアナはそう息を殺しながら見守った。

 獏以外には見えていないが、エーデルワイスには常に黒い靄が立ち上り纏わり付いていた。城内で初めて会った時にも、獏にだけそれは見えていた。

 ゆっくりと息を吹き込まれながら、獏は悪夢の気配を感知する。闇の中できらりと光る、甘美な負の感情が黒い手を伸ばしていた。

「!?」

 何かがおかしい。エーデルワイスは口を離そうとしたが、獏は離れなかった。薄らと開く金色の双眸が恍惚に揺れる。

 エーデルワイスはぞわりと寒気を感じ、獏を突き飛ばした。濡れた黒髪から満たされた月が覗く。

「美味しい……もっと……」

 縋るようにゆっくりと身を起こす獏に、エーデルワイスは堪らず手を上げた。平手を一発、気付けにと思い切り頬を叩いた。

 重い音が鳴り響き、怪訝な顔をしつつその場の皆は獏の方を見た。蒲牢はまだ動けず振り向けなかったが、音は耳に届いている。体重の乗った音が聞こえた。

「痛い……」

 エーデルワイスは忌々しげに眉を寄せ、紙切れに書き殴った。

『最低!』

「……あれ……僕……どうしたんだっけ……気を失った……?」

『最低!』

 見えていないようなので、もう一度目の前に紙切れを突き出した。

「え……? ……あ、さっきの悪夢の味……あ、あっ! あぁ……」

 漸く何をしたか気付いた獏は月を瞬かせて頭の中を整理し、勢い良くエーデルワイスに謝った。

「ご、ごめん! 悪夢の気配を感じたから、無意識に……。えっと、悪夢は体に悪い物だから、無くなれば頭がすっきりするよ。だから、悪夢を食べるのは良いことで……ごめん」

 エーデルワイスの表情が一向に許す顔にならないので、言い訳は止めてもう一度謝った。

「勝手に食べてごめん……美味しかった……」

『記憶を食べたの?』

「そんなことしないよ! 悪夢は飽くまで夢だから、もし夢が現実と同じ内容だったとしても、記憶が消えることはないよ」

 彼女はまだ腑に落ちないようだったが、不満そうに紙切れを出した。

『それならいい』

 どうやら記憶を奪われたと誤解をしてしまったようだ。

 餓えていた所為で説明も無しに悪夢を食べてしまった。獏は咳き込み、視線を感じて顔を上げる。獣と変転人達が憐れむような目で見ていた。

「み、見ないでよ……」

 獏以外には黒い靄など見えないため何を揉めているのかわからず、泣いていたヴイーヴルもハンカチを少し下ろして怪訝な顔をする。その姿を見て、争いは終わったか休戦中なのだと獏は察した。焦げた臭いが周囲に漂い、木々は折れ、地面に幾つも穴が空いている。蒲牢は角まで生えている。獏が気を失っている間に激しい戦闘が繰り広げられたことだけはわかった。

 そして何を言っても注目を浴びてしまいそうだったので、誰かが口を開くまで獏は居心地悪く口を噤むことにした。


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