187-後悔
薄青い空に見下ろされる美しい庭でまるで夢のように、白銀の獣の片腕が吹き飛ばされた。
待機を命じられていたが、彼らはそれを見て見ぬ振りはできなかった。
古城の壁に空いた大きな穴、山になる瓦礫、消し飛んだ花々。悪化する状況に苛立ちながら城内へ帰ろうとするズラトロクを、窮奇は呼び止めた。
「おいお前、ここから逃げられると思うなよ!」
杖を構え、シャモア角が生える頭に先を向ける。ズラトロクは足を止め、横目で邪魔者を睨み付けた。
「蒲牢兄をこんなにして、只で済むと思うなよ!」
饕餮も太刀を構え、いつでも動けるよう脚を開く。城の中から放たれた攻撃で蒲牢の左腕が吹き飛び、二の腕より先が肉片になった。腕はもう繋げることができない。目の前にいたのに動けなかったことが、饕餮は悔しかった。
「饕餮は下がってろ。オレが遣る」
「な!? 私も遣る!」
ここまで来て足手纏いだと言うのか。饕餮は太刀を構えたまま窮奇の横顔を一瞥する。冗談ではなく、彼は真っ直ぐにズラトロクを見据えたまま目を逸らさない。
「別にお前が弱いとか思ってねーよ。蒲牢の方に行け。ちゃんと止血できてるか? だらだら垂れ流して失血死なんて一番格好悪い死に方だからな」
「! わかった……」
窮奇の言わんとすることを漸く理解した。敵を討ちたい気持ちは強かったが、重傷を負った蒲牢を放置するわけにはいかない。饕餮は素直にそれを受け入れ、太刀を握ったまま後ろへ下がった。戦っている間に失血死していたなど洒落にならない。
「君も下がっていろ。避難した方がいい。体を吹き飛ばされない内にな」
ズラトロクの忠告は無視し、窮奇は杖を一振りする。彼の周囲を荒々しい風が吹く。
「こっちに一発かまして、はいそうですかって下がるわけねーだろ。秘密主義の野郎共が、舐めた態度しやがって。吹き飛ばしてやるぜ」
饕餮を先に下がらせたことにはもう一つ理由がある。二人で城に乗り込みズラトロクの能力に翻弄された時、何度も転がされて気付いた。ズラトロクが突き飛ばす距離には限界がある。もし無制限に突き飛ばせるなら、二人を一気に城壁の外へ放り出すはずだ。つまりあの時に突き飛ばした距離がズラトロクの限界である。饕餮の刀だとその距離の内側へ入らなければならず、ズラトロクの餌食となってしまう。そうならないために彼女を下がらせた。窮奇の風なら、その範囲外から攻撃することができる。
窮奇は風を巻き上げ、ズラトロクは溜息を吐きながらサーベルの形の杖を構えた。宵街には何も話していないとは言え、花街の事情も汲んでほしいものだ。とズラトロクは無茶な願望を抱く。
「今度は避けさせねぇ。切り裂け――疾風」
見えない風の刃は庭の花々を切り裂き、風で舞い上がった花弁が不自然な動きをする。
杖を振るズラトロクの動きに合わせて空間が切られ、彼は風から引き離される。空気は切れないため風を切ることもできないが、彼自身が空間を切って距離を取れば風を避けられる。
舞う花弁は容易く風の通り道を知らせ、空間の切れ目を視認させる。双方にとって花は面倒な障害物だった。
窮奇は風の塊を連射し、背に白鳥のように白い翼を生やす。黒い翼だと、この明るい花街では目立ってしまう。ズラトロクの領域の外側から風の塊を打ち込み、離れた場所にも風を発生させる。そして大きな白い翼を羽撃き、砂や花弁を巻き上げた。
ズラトロクは目で窮奇を追うが、砂埃が目に入る。目を細めるが、完全に閉じてしまうと風を見失ってしまう。地味だが厄介な攻撃だ。
(何か調子出ねーな……風のキレがあんまり……。チッ……肉以外を喰った影響がまだ抜けてねーのか?)
ズラトロクの瞬きの瞬間を狙い、窮奇は翼を消して彼の背後に飛び掛かった。背の高い花々に身を隠し、背後から脚を振り上げる。饕餮には危険だからと距離を取らせたが、彼は切り替えて間合いを詰めた。
「!」
それをズラトロクは腕で受け止める。脚を弾かれる前に窮奇は彼の腕を掴み、くるりと腰を捻って今度は頭を狙った。
能力では無い。単純な腕力だ。窮奇は自身の杖を咥え、ズラトロクに拳と足で挑んだ。風は離れれば離れるほど簡単に避けられる。ズラトロクの能力により接近は難しいが、一度懐に入ってしまえば攻撃が届く。
「お前みたいな能力の奴は、鈍臭いって決まってんだよ!」
身軽に跳び上がる窮奇に対して、ズラトロクは地面に足を付けたまま攻撃を受け流す。
その二人の攻防を、安全な距離を保ちながら饕餮は興奮を隠し切れない。誰が見ても窮奇が押しており、ズラトロクは防戦一方だ。
蒲牢の止血は饕餮がするまでもなかった。蒲牢は自力で凍らせて止血していた。
「饕餮……君だけでも、先に宵街に帰れ……」
地面に横たわったまま、蒲牢は土に頬を擦りながら訴える。城内から飛んで来た強力な攻撃がまた放たれるかもしれない。饕餮を何度も死なせられない。
「嫌だ! 皆で来たんだから、皆で帰る。獏は何処行ったか知らないけど」
「饕餮」
「ほら見て、窮奇の奴、風を使わなくても強いよ。知らなかった」
「攻防が長い……これは、窮奇が押されてる」
「……え?」
窮奇は手加減をしているわけではない。ズラトロクは攻撃を返さないが、窮奇の攻撃を全て受け流すか回避している。翻弄しているのはどちらか、窮奇も次第に察する。
このままでは埒が明かない。ズラトロクも焦っていた。早く城内へ戻らなければならないのに、こんなに接近されては空間の切断ができない。ズラトロクが巻き込まれるか、窮奇が欠損してしまう。ズラトロクはこんな状況でも、彼らに大怪我をさせたくないと考えていた。何故ならエーデルワイスの喉を裂いて声を奪ってしまった後悔と罪悪感が脳裏を過ぎるからだ。
(宵街は敵じゃない……ただ不満が溜まっているだけだ。不満の原因はこちらにある。こちらから手は出せない)
相手が男だろうと、無慈悲に殺しはしない。以前に古城に侵入した椒図には、うっかり殺すかもしれないと言ったが、男であろうとうっかりで獣を殺すはずがない。少し脅かしただけだ。人間なら殺しているが。
(フェルニゲシュが厄介過ぎる……)
苛立ちながら考え、気が散漫になる。窮奇の拳が腹に叩き込まれそうになり、咄嗟に力を使ってしまった。
(しまっ――)
腕を切断してしまった。もしくは体を縦に半分にしてしまった。
そう思ったが、窮奇は素速く身を引き攻撃を躱した。ただ頭だけは避け切れず、牛のような角の先が欠けた。
「っ……!」
角に痛覚は無いが、衝撃は頭蓋に伝わる。窮奇は一旦距離を取った。額に冷や汗が流れる。首が飛んだと錯覚してしまった。
長々と相手をしていると血が流れそうだ――ズラトロクは血気盛んな獣の頭へ狙いを定めた。
「君の拳は軽い。風を使えばいいのに」
窮奇が体勢を整える前に、彼の頭部に体重を乗せた踵の重い一撃が振り下ろされた。
「!」
視界に火花が飛び散るようだった。世界がぐるりと回った。窮奇は脳を揺さぶられ、呆気無く地面に落ちた。咥えていた杖も地面を叩いて消える。
「窮奇!? 窮奇!!」
優勢だと思っていた窮奇が花々に埋もれて見えなくなってしまい、饕餮は焦燥を隠せず立ち上がった。
「大丈夫だ、殺してない。だが……君達は少し、暴れ過ぎたな」
「これから殺すってこと!? 私が相手をしてやる!」
「君はおそらく、若いな? 女性に手荒な真似はしたくない。大人しくしていてくれれば誰も殺さない」
「信用できない!」
「じゃあしなくてもいいが、もし君まで暴れたら、こいつかそこに転がってる白い奴か、君以外の誰かが死ぬかもしれない」
「……!」
饕餮は悩んだ。この場で今、動けるのは饕餮だけだ。だが蒲牢と窮奇が敵わなかった獣に勝てるのだろうか。饕餮は自分を弱いと思っていないが、蒲牢と窮奇より強いとも思っていない。化生したばかりの彼女は経験が乏しく、戦い方をあまり知らない。よく動く体だけがあっても、体を動かす頭が追い付いていない。
「聡いな。迷えるなら君は強くなる」
ズラトロクはぐったりと動かない窮奇を肩に担ぎ、蒲牢を庇って立つ饕餮を押し退けようと手を伸ばす。
「饕餮に触れるな」
腕を失った痛みに脳が支配されそうになりながら、蒲牢は掠れた声で低く唸った。自分が生きている内は、饕餮を前に出したくなかった。
止血に力を注いでいては抵抗できない。蒲牢は一切の躊躇無く間棒を召喚した。耳飾りの杖と両方を使用する体力は無いため、腕の断面から鮮血が再び落ちていく。
「蒲牢兄!? そんなことしたら死んじゃうよ! 私が遣るから!」
饕餮は蒲牢の前で太刀を振る。止血に集中しないと蒲牢は死んでしまう。饕餮が戦えるなら、蒲牢は安心して止血ができる。
ズラトロクは最小限の動きで身を捻り、脇にその決意の刃を挟んで止めた。刃の切れる箇所は糸よりも細い一辺だけだ。それ以外の箇所はどれだけ触れようと何も切れない。
「え……」
腕に押さえ付けられた太刀は饕餮の力では動かなかった。
武器を取られた時は一旦手を離して離れろ、と窮奇に予め教えられていた饕餮は手を離して距離を取る。手から離れた太刀は消え、饕餮の中に戻って来た。
「何もしない。止血してやるから付いて来い」
それでも蒲牢は警戒を止めない。ズラトロクは杖を軽く振り、仕方無く落ちている岩を彼の死角から飛ばして頭を強打した。蒲牢は痛みの止まない脳を揺すられ、ごとりと地面に落ちる。
「蒲牢兄!」
気絶した蒲牢の足を掴み上げるズラトロクに、饕餮は為す術も無かった。
勝てない、そう思った相手は深追いするな。饕餮はそう教えられていた。圧倒的な敵には観察が有効だと教わっていた。窮奇や兄弟達から、死なないための知恵が授けられている。その所為で今世の彼女は前世よりも迷いが多かった。一歩踏み出すことに躊躇してしまう。
饕餮は落ち着き無く視線を動かして狼狽し、もう一度太刀を構えることも考える。二人を手に、ズラトロクの両手は塞がっている。背後から一突きすれば、脚を切断すれば、二人を取り返せる。
だが『止血してやる』という言葉が頭から離れなかった。明らかに経験豊富な彼に止血してもらえるなら蒲牢は助かる。このまま血をだらだらと垂れ流していれば死んでしまう。
「…………」
饕餮は唇を噛み、結局はその言葉に縋った。力無く手を下ろし、黙ってズラトロクを追い掛けることを選択した。
* * *
人間の街の忘れられた教会の狭い地下で、獏とゲンチアナとアルペンローゼは机を挟んで座っていた。エーデルワイスが花街へ偵察に行き、落ち着かない気持ちで待つ。
「……アル、気になってたんだけど……」
誰も話し出さないので、遠慮がちにゲンチアナが声を出した。護るだの何だの、ゲンチアナはまだ現状を理解できない。突然飛び込んで来たアルペンローゼと獏は理解しているのだろうか。会話の取っ掛かりとして、見えているものを先ず尋ねることにした。
「何だ?」
「その耳……ガーゼに血が滲んでるけど、どうしたの?」
大きなガーゼを耳に当て、そこに血が滲んで目立っている。血が滲んでいることに気付いていなかったアルペンローゼは目を逸らすように視線を下げ、少し黙考してから口を開いた。
「城で……フェル様の攻撃が掠ったんだ」
「!? それ、私の所為……? 私がフェル様を怒らせたから、それで、アルまで……?」
「違う。フェル様はただ力を制御できないだけだ。何かを狙ったわけじゃない。偶々僕が攻撃の先に居ただけだ」
「でも、私が怒らせなかったら……こんなことにはならなかった」
「僕の怪我はすぐ治るから、気にしないで」
すぐに治ると言っても、痛みは等しくある。今は激痛がある。ゲンチアナは目を伏せ、何故こんなことになってしまったのだろうと遣る瀬無い気持ちで口を閉じた。
二人が黙ってしまい、再び沈黙が流れる。獏は二人を交互に見るが、話題が浮かばない。牢で日々を過ごす罪人に世間話とは難しいものである。
余りに静寂が続いて気が滅入りそうになった頃、今度はアルペンローゼが遠慮がちに口を開いた。言うか言うまいか考えていたことだ。
「……アナ。自分に関することなら、知りたいと思うか?」
「自分に……? それは気になるけど……何? 急にどうしたの?」
「ワイスが戻って来たら話すよ」
「?」
「一人で規則違反をするわけじゃない。皆で違反するんだ」
何かが吹っ切れたように、アルペンローゼは口元に薄く笑みを乗せた。
ゲンチアナに規則を破るべからずと教えたのはアルペンローゼだが、その彼が今度は規則を破ると言う。ゲンチアナは意味が理解できず混乱し、助けを求めるように獏の方を見てしまった。宵街の獏が花街の規則など知るはずがないのに、一度匿ってもらったために再び頼ろうとしてしまった。
「僕は花街の現状を詳しく知ってるわけじゃないけど、たぶんもう大分綻んでるんじゃないかな。今までに無かったことが起こって、それで今までと同じように過ごすのは難しいよ。君も君の判断で良かれと思うことをすればいいんじゃないかな。周囲が変わって、自分だけが変わらないままでいることはできないよ」
「迎合……ですか」
「迎合でも反発でもいいよ。君が大事にしたいのは規則なのか、アルさんやワイスさんなのか。よく考えてみるといいね」
どちらかしか選べないのなら、答えは疾うに出ている。
王の秘書として規則を守ることは絶対だ。だが王の首輪が揺らいでいる今、秘書も決断を迫られているのだろう。
「私は、ワイスのことはよくわからない。けど、アルのことなら信じます。アルは私に仕事を教えてくれた先生なので」
まだ迷いがあり、困惑しているような複雑でぎこちない微笑を浮かべた。
「アルも獏さんも……ごめんなさい。こんなことになってしまって、こんなに迷惑掛けて……」
「アナが悪いわけじゃない」
「そうだよ」
「でもやっぱり……私が懲罰の傷を見られた所為なので。誰に遣られたのかって問い詰められて……言わなかったですが、怖かった……フェル様があんなに怒る所、初めて見ました」
その時のことを思い出し、ゲンチアナは目に薄らと涙を溜めた。殺されると思うくらい、全身に恐怖が荊のように絡み付いていた。
「アルは庇ってくれるけど、ずっと不安で……」
肩を震わせるゲンチアナの手に、獏は驚かさないようゆっくりと手を重ねる。ゲンチアナはびくりと肩を跳ねさせるが、手から伝わる温もりに徐々に安心感を覚えていく。ただ手が触れただけではない、不思議な感覚だった。
「アルさんは本当のことを言ってるんだよ。フェルは君に怒ってるんじゃない。君を傷付けた人に怒ってるんだ。フェルの怒り方はちょっと不器用だと思うけどね。だから君が責任を感じる必要は無いよ」
「…………」
ゲンチアナは俯いた目を瞠り、仄かに湧いた安堵でほろほろと涙の粒が溢れた。重ねられた手の上に温かい滴が落ちる。
「フェルの首輪の構造は知らないけど、怒り過ぎることも仕方無いのかなって思うんだよね。長年封じたものって、変質することがあるから。僕も覚えがあるからわかる」
見世物小屋に囚われていた時、獏は我慢を強いられた。悪夢を喰うこともできず、人間の好奇の目に晒され続けた。力が歪んだことや急に鉄屑を食べ始めたこと、これは異常なことだ。鉄屑の方はすぐには理由がわからなかったが、今ならわかる。体が悪夢の代替物を求めたのだ。血は鉄の味がする。血の印象は多くが痛みを伴い、痛みは負の感情に繋がっている。負の感情の塊である悪夢を喰うことができず、代わりに最も近くにあり、いつも視界に入っていた鉄の檻に体が助けを求めた。檻を破るためではなく、ただ食事を求めていた。蜃の創った透明な街で悪夢に貫かれた時に口内に広がった血の味、それでふと気付いた。
求めた物は今でも消えていない。鉄屑を美味しいと感じるのは、悪夢の影を追っているからだ。
「アナさんもフェルも、責められないよ。フェルにはもうちょっと耐えてほしいけど」
安心させるために微笑み、獏は手を離した。子守唄のように優しい声はゲンチアナの精神を落ち着かせた。
無言で見守っていたアルペンローゼも、ゲンチアナが落ち着きを取り戻すのを見て安堵する。獏の声は説得力以上に、他の獣や変転人の声とは異なる特有の力を持っている。
「長時間封じて変質とは、チーズやワインの熟成と似たことでしょうか?」
「え? そう例えるとは……。そんな良い物じゃなくて、徒の腐敗だと思うけどね。黴が生えて駄目になる、みたいな」
「チーズだと黴は良い物ですよ」
「何でチーズに例えちゃったかな」
確かに黴も使いようだ。獏の変質した力も使えないわけではない。獏は説明に困り果て、腕を組んで唸る。
お面越しでもわかりやすくころころと表情を変える獏を見ていると、疲れていたゲンチアナとアルペンローゼも可笑しくなってきた。
だが笑ってはいられない。獏の耳に小さな物音が届いたからだ。閉まっているドアの向こう、通路の奥からだ。小さな穴から着地する音が聞こえた。だがその後の足音が聞こえない。獏は表情を引き締め、立ち上がって二人の前に移動した。
突然立ち上がった獏にアルペンローゼも警戒し、掌に指を掛ける。いつでも武器を取り出せる体勢を作る。ゲンチアナは二人を交互に見、視線の先のドアへ目を遣った。彼女の日常は城の中に居ることが多く、そして城内で危険なことは起こらない。城の中は平和だ。外で仕事をすることもあるアルペンローゼと比べて危機感が欠如している。
三者三様に構えたが、ドアを開けたのは無表情のエーデルワイスだった。彼女の他には誰もおらず、無事に一人で戻って来た。
「ワイス……さん? 一人で穴を通れたの?」
『気合一発』
「気合でどうにかなるんだ……」
エーデルワイスは無感動に紙切れを下ろし、獏へ水の入った小瓶を差し出した。獏が彼女に預けた小瓶だ。
「……蒲牢達には会えなかったってことかな。僕を置いて離脱してた……とか?」
逃げたならそれでも構わない。蒲牢は片腕を失ったのだ。態勢を立て直すために一旦退くのも悪くない。寧ろ退くべきだ。
『獏と一緒にいた三人は捕まってた』
「……ん!?」
『牢を開けてまで瓶を渡す義理は無い』
「ちょ、ま、待って! 捕まったってどういうこと!? 牢に? 何で!?」
『城を襲ったから、罪人の扱いなんだと思う』
「何で……蒲牢が動けないとしても、窮奇と饕餮は!? 二人共、負けたってこと……?」
『そういうことじゃない?』
想定外だ。獏は愕然とした。逃げる隙も無く囚われるなんて、考えもしなかった。饕餮は化生して力量が不明だが、蒲牢と窮奇は申し分無く強い獣だ。蒲牢が負傷して動けなくても、窮奇なら打開できるはずだ。
「まさか……皆、フェルの攻撃の直撃を受けた……?」
何処へ飛ぶかわからないあの攻撃を避けることは困難だ。龍属の蒲牢ですら避けきれないのだから。獏は青褪め、エーデルワイスの次の言葉を待つ。
『現時点では三人共生きてる』
「良かった……!」
『でもフェルニゲシュの牢の前に囚われてるから、今頃死んでるかも』
「やめてよそんな運任せの死刑! ……そ、そうだ死刑! 花街では罪人は死刑だよね? 殺されない内に助けに行かないと!」
狼狽する獏の頬に、落ち着けと容赦の無いエーデルワイスの平手が飛んだ。
「痛い……」
『今は死刑なんてできない。判決の鐘が鳴らせないから。アナはここにいるし、フェルニゲシュも冷静な判断ができない。おまけにスコルとハティも不在』
「そ、そっか……」
獏は一先ず安心した。宵街のように一人が独断を下しているわけではないのだ。花街の体制に胸を撫で下ろす。
「ワイス、スコル様とハティ様は何処へ? すぐに戻って来るのか?」
『スコルとハティは宵街に行った』
「え!?」
一旦冷静さを取り戻した獏だったがアルペンローゼとエーデルワイスの会話を遮って再び声を上げ、手を上げて構えるエーデルワイスに首と手を振った。
『遊びに行ったんじゃない? すぐに戻って来るかは二人の気分次第。宵街の不快を買ってないといいけど』
「遊びに……か。あの二人なら悪戯を……騒動を起こしてる気がする……。報復がないといいが……」
『獣同士が殺し合うなら願ってもないこと。殺し合え、獣共め』
「そうなる前に、獏さんの仲間は助けてあげた方がいいんじゃないか? 僕達は獏さんに助けられた。恩がある」
落ち着き無く視線を彷徨わせる獏を一瞥し、アルペンローゼはエーデルワイスを説得する。獣同士が殺し合うことになるなら、甚大な被害が出るだろう。牢に閉じ込められていては巻き添えを喰らうことになり、呆気無く死んでしまうことだろう。フェルニゲシュの攻撃がいつ正面の牢に飛ぶかもわからない。恩人の仲間を見す見す見殺しにはできない。
『アルがそうしたいなら構わない。でもわたしが案内する。アルはここでアナと隠れてて』
「ワイスさん、いいの!?」
アルペンローゼより先に獏が返事をし、エーデルワイスはまた手を上げるがその手は獏に掴まれた。握手のために出した手ではないのに。
『わたしは案内だけ。それ以外は手伝わない。もし獣が出て来たら、相手をするのは獏だから』
「僕は獣だから、獣の相手はするよ」
獏は烙印で力を封じられているが、三人を助け出せば転送で離脱できる。誰に遭遇しても逃げられるはずだ。
『城は今フェルニゲシュが破壊した後片付けに追われてるから、牢から目が離れてる。助けたいなら今すぐ行く』
「うん。ワイスさんがいてくれると心強いよ」
『アルの頼みだから。わたしは獣が嫌い』
早く行けとエーデルワイスは獏の背を押す。初めて会った時、獏は一目見て彼女の悪夢に気付いた。彼女に蟠る憎悪と虚無の感情に気付いたのは獏が初めてだった。ズラトロクは数に入れない。あいつは敵だ。
「ワイス」
アルペンローゼに呼ばれ、エーデルワイスは立ち止まって振り向く。彼はゲンチアナを一瞥し、エーデルワイスに切り出した。
「アナに真実を話したい。王の秘書がどういう存在なのか。今のアナは安定してる。話しても問題無いと僕は思う」
もし自分だけが自分のことを知らなかったら、知りたいと思うだろう。どんなことでも、知らないままでいるより後悔することはない。そうアルペンローゼは思う。
アルペンローゼは強い。死んでしまった先代のアルペンローゼもそうだった。エーデルワイスは眩しそうに目を細める。その心の強さはどうすれば手に入るのだろうか。九十年以上生きていても、アルペンローゼには敵わない。
『アルの好きにしていい』
エーデルワイスは先に出口へ行ってしまった獏を追い、音を立てずに走った。ゲンチアナがもし澱んでしまったとしても、アルペンローゼなら支えられるだろう。
* * *
暗く狭い石の部屋の隅に小さな明かりを置いたのは、少しばかり残っていた情けなのだろう。
この場所のことを饕餮は知っている。窮奇と共に古城に侵入した時に覗いた、地下の狭い部屋だ。部屋には何も無く、隅に鎖が落ちているだけ。その鎖の使い道を身を以て知ることになった。
手足に鎖を繋がれ、冷たい石の上に転がされ、動かない窮奇と蒲牢を不安な目で見詰める。彼女と同じように手足を鎖で繋がれ、彼らは微動だにしない。窮奇も蒲牢も目を覚まさない。蒲牢は応急処置を受けて血が止まっているが、失血量は相当だ。この牢の中では杖が召喚できず力を使えないので、蒲牢が自身の力で止血しなくても済むようにズラトロクは情けを掛けた。
固く閉ざされた鉄扉は開かず、為す術が無い。牢の中で大人しくしているだけでは解決できない。だが何をすべきなのか、饕餮一人では頭が回らない。
(どうしよう……やっぱり刺し違えてでも私が戦うべきだった……)
窮奇と兄弟の教えなど守らなければ良かった。その後悔がどうしても胸中に渦巻く。
腕力で扉が開かないなら頭を使うしかない。饕餮は必死に考え、頭から煙が出そうになりながら、混乱して硬い鉄扉に頭突きを喰らわせた。
「――おっと」
期待などしていなかったが、扉の向こうから小さく声が聞こえた。誰かいる。それは一縷の希望だった。
「だ、誰!? たっ、助けに来た人!? 獏!? 早く出して!」
扉の向こうの誰かは数秒間黙り込み、饕餮は首を捻りながら扉に耳を当てた。鍵を開ける音は聞こえない。
「悪いが、君達を解放するわけじゃないんだ」
「その声……角が生えた人!?」
「角は生えているが、君も生えてるだろ」
「確かに」
「雑談をしに来たわけでもない。少し面倒なことになってな。こっちの獣が宵街に……視察に行ったんだが、殺されたと報告を受けた」
「! 遣るね!」
「そこでだ。一方的に殺されてはこちらの面皮を欠く。ここには三人も居るから――一人、殺すことにする」
「え……?」
「少し時間を遣るから、誰が死ぬか選んでおいてくれ。どのみち全員死ぬことになるかもしれないが、もう少し待っていてくれ。こっちも忙しいんだ」
「何で……」
「俺は男のどちらかが死ぬことを勧めるが――はあ、盤上を引っ繰り返す奴しかいないのか?」
後半は徐々に声が遠ざかる。返事は待たず、要件だけを伝えに来たようだ。
「どっ、どうしよう! 窮奇! 起きて! 殺される!」
鎖が擦れて音を立てる。慌てて足を動かした饕餮は鎖に引っ掛かり、意識の無い窮奇の腹に頭を減り込ませてしまった。
「――……っ」
空気の塊が押し出され、白目を剥いた窮奇は腹に突っ込んで来たそれを叩き落とした。
「……え? 暗……」
「窮奇いぃ……!」
「うわ、饕餮……? 泣くな泣くな」
「泣いてないが!?」
泣きそうな顔をしていたが、涙は出ていない。饕餮は窮奇の腹にもう一度頭を埋め、鼻を啜った。
「さっぱり状況がわからねぇ……」
「敵の角野郎が、私達の誰かを殺すって!」
「捕まったってことだよな? 繋がれてるし。ここは何処だ?」
狼狽と焦燥に染まった饕餮とは違い、窮奇は冷静だった。何百年も生きている窮奇はこんなことでは動じない。と言いたい所だが、慌てふためくほど状況を理解していない。
「ここは城の中で……前に見た地下のトイレみたいな場所……」
「ああ、あそこか。いいじゃねーか。作戦勝ちだな。目的の城の中に入れたってわけだ」
「窮奇は阿呆だな……」
饕餮も冷静になった。阿呆を見ると冷静になるらしい。
「こんな場所、さっさと出ればいいだろ。あ? 蒲牢も寝てるのか。しょーがねぇな、貸しにしといてやるか」
「一人で盛り上がってるところ悪いけど、ここは宵街の地下牢みたいな場所だから杖を出せないよ」
「は!?」
獣を捕らえているのに、力が使用できるはずがない。窮奇は詰めが甘かった。
「じゃあどうすんだよ!」
「私が聞きたいの!」
「煩い……」
大声で言い合う傍らで、地面からか細い声が漏れた。眠っていた蒲牢も喧しさに目を覚ました。
「蒲牢兄!」
「ごめん……頭がぼんやりする……。これ、どういう状況だ?」
饕餮は窮奇に話したことも含め、ぎこちないが順を追って状況を説明した。窮奇がズラトロクに敗北し、古城の地下牢に閉じ込められてしまった。そして宵街で花街の獣が殺され、その代償にこの三人の内の誰かが殺される。
蒲牢と窮奇は横槍を入れずに饕餮の慣れない説明に耳を傾け、漸く現状を理解した。要は窮地である。
「……敗因は慢心だな」
蒲牢は残った右腕を地面に突き、壁を利用して何とか座る。能力を使用していないが傷口は止血されている。傷を気にせず動けるようになっている。
「もう少し遣れると思ったんだけど……氷に頼り過ぎた。もっと修行しないと……」
反省を口にし、確認のために小さく旋律を口遊む。耳飾りの杖が反応しない。やはりここでは力が使えない。
「蒲牢兄は強いよ。押してたよ。あの大きい光線が無かったら勝ってた!」
「もう少し短時間で片付けられると思ったんだけど。窮奇も慣れないことをして敗北したから、急な思い付きを実戦で行うのは今後控えよう」
「上手く遣れそうな気がしたんだよ……たぶんあいつ、筋骨隆々だぜ。贔屓みたいな」
「贔屓は特殊な体だから、見た目は別に筋骨隆々じゃないよ。無いわけじゃないけど」
「へえ……どうでもいいな」
「窮奇は阿呆だから、蒲牢兄しかここから出る方法を考えられない。チョコで頭動く?」
饕餮は宵街から持って来たおやつ袋をポケットから取り出し、人間の街で市販されているチョコレート菓子の小箱を蒲牢に見せる。傷や体力の回復には睡眠と食事が効く。
「大丈夫」
出した右手の上にころころと四粒の丸いチョコレートが転がり、蒲牢は一粒ずつ口に放り込んだ。饕餮も自分の手にチョコレートを四粒転がし、纏めて口に放り込む。
「力は使えないし贔屓みたいな腕力も無いから、開けてもらうのを待つのがいいと思う」
「は? 待ってたら殺されるんだろ? 誰かが死ぬのを待つってことか? お前が犠牲になって、オレと饕餮を逃がすのか」
「死刑の場所がここだろうとなかろうと、牢の扉を開けないと殺せない。だから開いた隙に逃げようと思ったんだけど」
「扉を開けることに体力を使わず、開いてから使うのか。じゃあこの鎖は?」
両手に繋がれた太い鎖を持ち上げ、並の腕力では切れないそれを顔の前にちらつかせる。鉄の扉と同じくらい厄介な物だ。
「相手の出方によるけど、誰か一人でも牢から出られれば、杖を召喚して鎖を切れる。この部屋には印らしき物が仕掛けられてるけど、鎖には何も仕掛けられてないから。繋がれたままでも杖が出せるはずだ。もしこの場で殺されそうになった場合は、鎖を盾にすればいい。相手に切ってもらえば自由になれる。上手くいけば、だけど」
「確かに、それなら遣れそうな気がする。鎖の強度がわからねーから、体は避ける方が良さそうだな」
「俺か窮奇がその役を遣るのがいいな」
「私は?」
「もしズラトロクが来た場合、饕餮は選ばれない可能性が高い」
「私だってできるよ。たくさん文句を言ったら、イラッとして私が選ばれるはず」
「いや標的は奪い合うものじゃないから……」
饕餮はまだまだ経験が浅い。それに男性を嫌うズラトロクが女性を狙う可能性は低い。饕餮が狙われないのならその方が安心なのだが、彼女は納得が行かないようだ。花街に来てから饕餮だけが敵から遠ざけられているので、彼女はそろそろどうにか役に立ちたい。
「……やっぱり俺が標的になろう。俺が上手く遣れなかった所為だから……。面倒な相手なのに、殺さないように戦うのは難しい。動きを止めるために手足の一本くらい奪うんだった」
自分の腕を失ってから後悔するのでは遅い。宵街で制裁者として動いていたのはもう何百年も前の話で、やはり多少は頭も体も鈍っているのだろう。
三人は反省を抱え、暗い地面に目を伏せた。その耳に微かに金属が擦れる音が聞こえる。扉の鍵を開けている音では、と蒲牢がはっとした時、饕餮と窮奇も同時にはっと顔を上げた。
「来たな!? 巫山戯るのはもう終わりよ肉団子!」
「今度こそ澄ました顔面かち割って地面に埋めてやるからな!」
誰が標的になるか、二人は同じことを考えていた。二人は同時に叫び始めた。予測できなかった蒲牢は唖然とし、咄嗟に言葉が出なかった。
「ばーかばーか! お前の知能、小石以下!」
「お前の脳味噌、腐敗臭!」
三人に見守られながらゆっくりと鉄扉が開き、そこには動物面を被っていない獏が金色の双眸を丸くして泣きそうな顔で立っていた。
想像とは違う人物が現れ、饕餮と窮奇は口を開けたまま停止してしまった。
「助けに来たのに……物凄い罵倒された……」
「獏だ!」
「おう、悪い、人違いだ」
「小石に知能なんて無いよ……」
獏の背後に無言で立っていたエーデルワイスは、知能の低い罵倒を獏と共に聞いていた。その中でよく鍵を開けたものだと感心する。
「獏、今まで何処に……」
罵倒に参加していなかった蒲牢もつい謝りそうになってしまうが、何も言っていないのだからその必要は無い。それよりも敵ではなく獏が先に来てくれたことを感謝すべきだ。
「話は後でいい? ゆっくりしてたら不味いでしょ……?」
「ああ。だけど君は力が……。俺達は鎖を切らないと、ここから出られない」
「うん。君達もこの中だと力が使えないんだよね?」
獏はエーデルワイスから借りた合鍵を返し、四肢が一本少ない蒲牢の傍らに蹲み込む。彼の残った腕に繋がれた鎖に顔を寄せた。動物面は鼻が邪魔なので予め外している。
「獏……?」
「動かないで」
口を開け、獏は太い鎖に噛み付いた。鉄と歯が強く接触する音がし、歯ではなく鉄に罅が入る。太い鎖は一度では千切れなかったが、何度も歯を打ち下ろして噛み切った。鉄屑を食べる獏の歯は、他の獣に比べて頑丈だ。肉食の窮奇のように鋭い牙は生えていないが、硬質な物を叩き切ることができる歯だ。
砕いた鎖を吐き捨て、両足の鎖も同様に噛み砕く。囚われの三人は異質なものを見るように目を瞠ったまま、何も言えずに見守った。
手足の鎖を砕かれて解放された蒲牢は残った手で壁を突いて立ち上がり、牢から出ることができた。杖はすんなりと召喚できた。
「ありがとう、獏。その……歯は大丈夫なのか?」
「平気だよ。でもちょっと硬かったね」
「ちょっと、なのか……」
ここまで頑丈な歯を見たのは初めてだ。蒲牢は牢の中へ杖を向け、空気中の水分を集めて鋭い氷の塊を作り出す。窮奇と饕餮の鎖も順に砕いた。
「向かいがフェルの牢……なんだよね? ワイスさん」
振り向く獏に、エーデルワイスは無表情で頷く。
「今は静かだね。ガス欠かな? 落ち着いてる間に退散しないと」
「……獏か?」
封じられて話せないはずの扉の向こうから、疲れた男の声が聞こえた。皆は一斉に警戒を強め、閉ざされた向かいの扉に目を遣った。
「……フェル?」
「ああ……やはり獏か」
「話せるの?」
「お前の声は何故だか安らぐ……。話せるのは、それだけ抑え付ける力が不足している証拠だろう」
「僕の声は安眠効果があるからね。今はそう意識してる。君に攻撃されたくないから」
こんな近距離で攻撃されれば、皆消し飛んでしまう。怒る獣にどれほど効果があるか不明だが、無いよりは良いだろうと意識している。これがあるから、エーデルワイスもここから離れず待機してくれている。
「……そうか」
「随分落ち着いてるけど、具合はどうなの? そこから出せ、なんて言う?」
「いや、いい。一時的に抑え付けられているだけ、という気がする。オレより、アナはどうしてる?」
「無事だよ。君に怒られたって凄く怯えてたけど」
「怯えさせてしまったのか……悪いことをしてしまった。……だが、早く傷のことを話してくれなかったのは、少し怒っている」
「……そっか」
「当分、感情を抑えられそうにない。アナの声を聞けば……幾らか緩和されるかもしれないが……また理性が飛べば、殺してしまうかもしれない。アナはいつも五十年ほどしか生きられない弱い体だというのに……もっと長く生きてほしいのに、オレの所為で短くしたくない」
「フェルは本当に……」
余計なことを言いそうな気配を察知し、エーデルワイスは獏の口を平手で叩いて塞いだ。小気味良い音がした。フェルニゲシュは本当に、首輪の維持のために自分がゲンチアナを殺していることを知らない。
「呼び止めて悪かった。誰かが来る前にお前達は行け。逃げるんだろう?」
「……うん。君も……気を付けて」
それ以上はもう、扉の向こうから声は無かった。疲れてしまったのだろう。
自分では力を抑えることができず、いつ理性が吹き飛ぶかわからない。理性の無い間に誰かが傷付いてしまうかもしれない。
アルペンローゼが攻撃を掠ったことや、蒲牢が片腕を失ったことは黙っていることにした。そんなことを話せば、また感情が揺さ振られる。
獏は皆に目配せし、来た道を戻る。暗く細い階段を上がり、地上のドアを開けた。
「!」
飛び出したドアの横に、金髪碧眼の青年が壁に凭れながら腕を組んで立っていた。待ち伏せされていることに気付かなかった。
「アイトワラス……!?」
獏以外は臨戦態勢を取る。獣は杖を召喚し、エーデルワイスはメイスを生成した。
「待って。オレはあんた達を牢に戻しに来たわけじゃないから。こっちに来そうなロクの行き先を変えてあげたんだよ」
「何なの……何のために?」
「フェルに何かしたか?」
「してない」
「じゃあ別にいい。さっさと出て行って」
「いいの?」
「いいから」
まるで追い出そうとしているかのようだった。ズラトロクとアイトワラスの行動は正反対だ。本当に城の獣は思考も行動も揃っていない。
だが見逃してもらえるなら願ってもないことだ。これ以上の問答をして気が変わってしまわない内に離脱する。
エーデルワイスだけはアイトワラスを睨み付けたが、彼はひらひらと手を振るだけで、彼女を咎めたりはしなかった。




