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透明街の人喰い獏 (2)  作者: 葉里ノイ


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186-死後も共に


 柔らかな草に寝転がり、木の実や茸を摘んで食べ、時折人間を脅かして遊んでいれば、それで充分だった。

 人間の街には定期的に夜が来る。昼と夜を繰り返す。けれど時折、昼を夜にする日蝕、夜を闇にする月蝕にしてやれば、人間は驚いて怯え、恐怖で震えた。世界の終わりだなどと大袈裟なことを言う人間が大勢いた。

 昼を夜に、夜を闇に、それがスコルとハティの能力だった。

 ある日、花街(はなまち)に募集の貼り紙がされた。大きな門の横にただ一枚、ひっそりとだ。ただ一言『王と共に働く獣、募集中』とだけ書かれていた。誰かの悪戯だろう、と最初は皆思ったが、王が交代したと噂が流れると、強ち悪戯ではないのではと試しに応募する獣は意外と多かった。

 ある者は極めて単純に、新しい王が誰なのか興味があったから。

 またある者は、簡単に王が交代するのだから自分にもできると野心を抱いた。

 王と共に働く、という条件を呑んで応募した者は果たしてどれ程いただろうか。本心は誰にもわからない。

 何人が採用されるとも明記されていないが、城の大きさから考えるに相当な人数が採用されるのではと予想された。

 あの大きな城に棲んでみたい。スコルとハティは只それだけの理由でそれに応募した。獣は殆どが定住などしないが、城に棲むのは憧れのようなものだった。

 花街には城より大きな建物を建ててはいけないという規則がある。城の権力を示すためであり、広大な花街で方向を見失わない目印でもある。うっかり城より大きな建物を建ててしまうと、即座に城の獣が問答無用で破壊するらしい。何物にも遮られない城からの眺めは嘸かし素晴らしいだろう。

 スコルとハティは一度で面接を通過したわけではない。城に棲みたいと言う単純明快な理由しかなかった二人は、何度も不採用を言い渡された。面接を通過できたのは、単に執拗だったからだ。だがそれが買われた。野心の無さが寧ろ安心だと思われたのだ。二人が城に棲むことになる頃には、他の大公は既に揃っていた。

 城に棲めるようになってからは、大公の仕事もちょっぴりするが、与えられた部屋を自分達好みに飾り付けて好き放題に遊んだ。大公の仕事は決して多くない。城外から助けを求められた時に対応するため動く、それだけだった。後は放置して自由だ。

 只それだけだ。それだけで良かったのだ。

 それから随分と時が流れた。殺されなければいつまでも生きている獣は、時の経過などあまり考える機会が無い。スコルとハティもまた、毎日同じ調子で現在まで暮らしている。

「……ロクからとりあえず貰ったお詫びの品、リボンしか無いんだけど」

 ハティは自室のベッドの上でズラトロクから受け取った紙袋を引っ繰り返す。色取り取りのリボンが転がった。

 ズラトロクは突然二人の部屋に遣って来て喧嘩を売った。そして二人の自室の壁には大きな穴が空き、集めたリボンが舞い散り、熊のぬいぐるみの首を落とした。この新しいリボンの山はその詫びだと言う。

 あれはズラトロクが一方的に悪かったのだ。スコルとハティが苦労をして人間の街で手に入れた、大きな熊のぬいぐるみを引き裂こうとしたのだから。未遂ではあったが、引き裂いたように見せ掛けた。ズラトロクは酷い獣だ。

 そのぬいぐるみは簡単に手に入る物ではないので簡単に持って来られても腹が立つのだが、詫びがリボンだけと言うのも癪だ。

「とりあえず適当に買って来たって感じのリボンだな。でもロクがリボンを買う所を想像すると面白い」

 スコルはソファの上に転がって脱力しながら、色取り取りのリボンを見て笑う。

「う……。それはわかる。絶対面白い。見たかった」

 外に舞い散って土塗れになったリボンはもう使えない。アルペンローゼがいれば繊細なリボンの洗濯も丁寧にしてくれるのに、彼を置いてこいと言ったのは二人だ。

 大きなぬいぐるみの首にズラトロクから貰ったリボンを取り敢えず結び、ハティは溜息を吐いた。本当に散々だ。

「ねえスコル――ぼく達って悪いことしてるの? 大事な物を壊されそうになるくらい」

「何も知らない人が見れば、悪いことに見えるのかも」

「……。全部あの変な虫の所為だよね。何であんなのが湧くようになったの? ……あ、わかった。変転人はシャワーを浴びてないんだ。不潔だから虫が出て来たんだ」

「人間じゃあるまいし、無い無い。けどいつまでも隠せないから、そろそろ誰かに相談した方がいいのかも」

「立ち入り禁止の塔に誰か入ったんだよね? 用があるのは五十年に一度だし上の部屋に放り込んでるけど、もうどう始末すればいいかわからないよ。発動に少し時間は掛かるけど、廊下に血が落ちた時のために隠蔽する幻覚を張ってるから、簡単に見つからないと思うけど」

「うん……僕達で虫の正体を突き止められればと思ったけど、慣れないことはするもんじゃない。虫のことなんてさっぱりだ」

「ヴイーヴルはあんなだし相談ならアイトかロクだけど、ロクは嫌いになった!」

 彼女が先王だということは勿論知っているが、彼女はあまりに怯えている。身分は申し分無いと言うのに。

「ミモザの犠牲も止められないし、そろそろ新しいミモザに入れ替えるのも間に合わなくなるよな……」

「取り敢えず貰ったリボン全部巻いた。どう?」

 突然話題が切り替わり、脱力していたスコルは頭を起こしてぬいぐるみに目を向ける。大きな熊が首に何色ものリボンを巻き付けられていた。

「クラッカーの直撃を受けたみたい」

「それは主役ってことね」

 顔を見合わせて笑い、二人は誇るようにぬいぐるみを見る。正に主役に相応しい風格だ。


「――いる?」


 笑い合う声に混ざり、ノックの音と呼ぶ声が聞こえた。

「この声は……」

 リボンを整えるハティの代わりにスコルが立ち上がり、ドアを開けてやる。想像した通り、アイトワラスが立っていた。

「何か用?」

「用と言うか、壁にどデカい穴が空いてたら気になるだろ」

「あー……適当に塞ぐよ。どデカいカーテンとかで」

 庭に瓦礫を降らせ、古城の壁に大きな風穴が空いてしまった。ズラトロクが空けたのだが、ハティも煽られて癇癪を起こしてしまった。八割はズラトロクの所為だが、彼に穴を塞げとは頼み難い。

「ノームに依頼しようと思ったんだけど、いいのか?」

「え? アイトが依頼してくれるのか?」

「ん? まあいいけど」

「じゃ、じゃあお前が穴を空けたことにすれば、後ろめたくないな! な、ハティ!」

 ベッドの上で聞き耳を立てていたハティは、狼耳と尾をぴんと立て、大きな熊を抱き締め立ち上がった。

「アイトの所為にすれば万事解決ね!」

「いやオレの所為にされるのは嫌だけど」

 苦笑いで身を引く彼に、スコルとハティは尾を下げ口を結んで渋い顔をした。

「ノームが修理する間はこの部屋に立ち入れなくなるから、二人は適当に空き部屋に泊まって」

「どのくらい掛かる?」

「まずはノームを見つけて捕まえる所からだから……」

「数日掛かりそう」

 スコルとハティは顔を見合わせるが、壁の穴が塞がるのなら我慢しようと渋々承諾する。殺風景で伽藍堂な空き部屋は退屈そうだ。

「アイト、何か面白いことない?」

「面白いこと? ……何か遣ることあったかな。宵街(よいまち)からの客人が多いから、こっちからもまた挨拶に行かないといけないかなと考えてるくらいか」

「宵街……宵街か」

「宵街の奴ら、蝿みたいに飛び回ってるからさ」

「蝿は叩き落とさなくちゃ」

「んー……ま、オレは行く気が無いから何もしないけど。――それじゃ、ノームを探して来る」

 アイトワラスはひらひらと手を振り、ポケットに片手を突っ込んで行ってしまった。その背中を数秒ほど見送り、スコルはドアを閉める。

「ハティ、壁の修理をしてる間に宵街に遊びに行ってみるか?」

「蝿叩き大会?」

「要はこっちが舐められてるから、宵街を脅かしてやれってことだと思う」

「面白そう。真っ暗にして泥人形を徘徊させてあげよう」

「泥人形だと殺傷力が低くないか?」

「蝿を叩くだけなら泥人形で充分。翻弄して慌ててる所を見て楽しむの。すぐに皆叩き潰してしまうのは、つまらないし」

「それもそうか」

 二人は笑い合い、早速身支度を始める。身支度と言っても必要な荷物は無いが、翻訳機だけは必須だ。翻訳機がないと宵街の連中と話ができない。話をする機会があるかはわからないが。

「宵街の人って、(ぬえ)しか顔がわからないな」

「ああ……一人で乗り込んで来た時に暗くして揶揄った獣? あの獣は騙し易かった」

「あの程度の獣しかいないのかな? 宵街は」

「だったら宵街って弱くない?」

 二人は宵街の獣の前に出て応対したことがない。数人の名前は報告を受けているが、顔がわかるのは鵺だけだ。鵺が一人で花街に来た時、スコルとハティは彼女に幻覚を見せて揶揄した。最中にズラトロクに見つかって力を解除させられてしまったが、面白い程に騙されてくれる獣だった。

 そういったことが先にあったため、二人は宵街を格下だと思い込んでしまった。宵街の獣は鵺だけではない。それがわかっていても、どんな獣がいるのか考えなかった。長年、城で平穏を享受し過ぎたのである。


     * * *


 床面積は狭いが天井は高く、薄闇が見下ろしている。

 真ん中に置かれた椅子に座らされ鎖で縛られた夜色の髪の少年は、魂が抜けたような虚ろな顔を床へ向けて呆然としていた。

 此見よがしに隅に置かれた拷問道具に、少年は恐怖や動揺など無く微動だにしなかった。

 いや――恐怖や動揺はあるかもしれない。いつも傍らにいた、彼と同じ狼耳と尻尾を持つ夜色の髪の少女が突然いなくなってしまったのだから。

 少年の前には一人の女が立っていた。少女を殺した女ではなく、背の高い赤髪の強気な目をした知らない女だ。彼女は拷問官らしい。先程そう言っていた。喪失感に蝕まれながらも耳は聞こえた。

「ではこれから、宵街を混乱に陥れた獣の拷問を始める!」

 赤髪の女は牙を剥き出し、にやりと笑って短い杖を召喚する。

「まず名前の確認だが、貴様がスコルで、もう一人がハティか?」

 少年の肩がぴくりと動く。自分の名前ではなくハティの名前に反応した。

「同じ顔だからな。間違っていたらいつでも訂正しろ」

 赤髪の女――睚眦(がいさい)は杖をスコルに向けて見回す。何処を切り落とそうかと四肢を眺める。

「まずは――」

「……殺せ」

 放心していたスコルは、力無く一言だけそう呟いた。ハティを喪った世界に意味など無い。半身を喪ったようなものだ。どうして残りの半身だけで生きるのか。

「ほう。潔いな。だがそれを決めるのは私だ。すぐに殺すわけがないだろう。拷問なんだからな。――よし、尻尾から切り落とそう」

 彼女が見回している間に、天井近くの小窓から見学していた狴犴(へいかん)は急ぎ階段を駆け下りた。睚眦がスコルの尾を切り落とす前に、拷問部屋のドアを開け放つ。

「!」

 背後から予定外の音がし、睚眦もぴたりと動きを止める。首だけを回して背後を確認する。ドアの陰から狴犴が視線だけで彼女を呼んだ。

「……?」

 睚眦は怪訝に思いながらも杖を下ろし、スコルを一瞥してドアに駆け寄った。拷問を中断してでも伝えたいことがあるようだ。それを無視するわけにはいかない。

「……狴犴が拷問していいって言ったんだから、今更中止なんて言わないよな?」

 スコルには聞こえないよう、小声で尋ねる。狴犴は部屋の中央で項垂れるスコルの姿を確認し、睚眦に向かって頷く。

「中止ではない。だが、いつもの拷問では意味が無い」

「? ……前に贔屓(ひき)に言われた通り、情報を吐かせるためにじっくり甚振るつもりだが。獣だから尻尾を落としたくらいで死なないよな?」

「あの獣は『殺せ』と言った。あの様子だと、虚勢ではなく本心だろう。死にたがっている者に痛みを与えて拷問をしても無駄だ。全て話せば殺してやる、と拷問しろ」

「……。それだと只の尋問か?」

「そうなるな。もし痛みを与えるなら最小限にしろ」

「そんな温い拷問で吐くか?」

「宵街を襲った理由、そしてそれは誰かの命令なのか。虫に関しても聞きたいことは尽きない。尋問なら私でもできる。お前が疲れたら交代しよう」

「その言い方……長丁場になりそうだな」

 狴犴は一旦ドアを閉め、上階の小窓へ戻る。

 面倒な拷問になりそうだと睚眦は小さく溜息を吐いてスコルの前へ戻った。

「拷問を始める。まず聞きたいことは、何故宵街を襲ったかだ。聞かせてもらおう」

「……聞いてどうする」

 呆然として何も答えないのではと考えていたが、予想に反してスコルは口を開いた。消え入りそうなか細い声だが、辛うじて聞き取れる。これなら尋問でも何とかなりそうだ。何らかの反応があるなら、それが拒絶でも構わない。最も困るのは何も反応が無い場合だ。

「貴様は宵街の住人を襲った。宵街には理由を聞く権利がある。貴様は変転人を殺しただろ」

 現時点で科刑所に報告が上がっているのは、有色の変転人が三人死亡したことだけだ。調査を進めれば今後も増える可能性はあるが、死亡した三人は、空に花火が打ち上がった付近で発見された。何れも体に泥が付着していた。

「……僕はもう生きてる意味が無い……ハティのいない世界なんて、意味が無い……!」

 スコルは俯いたまま、力無く漏れていた声が徐々に荒くなる。早く殺してほしい、その願いが焦りとなる。

「宵街を襲った理由? そんなの、お前達が僕達を舐めて……滅茶苦茶にしようとしたんだろ! 苦労して手に入れた家を……何で奪われなくちゃいけないんだ!」

 振り上げた頭を揺らし、スコルの両の目からぼろぼろと落涙する。もう感情が滅茶苦茶だ。スコルは何故自分の口からそんな言葉が出ているのかわからなかった。縛っている鎖が手足に喰い込み、震えて不快な音を立てる。

「アイト……違う、僕達は……僕達は、独断でここに来た……。早く殺せよ! 早く……僕をハティの所へ……それから一緒に……一緒に化生するんだ……何も覚えてなくても……きっとまた一緒にいられる……」

 湿った声が振り絞られ、訥々と切実な言葉が漏れる。一人で生きる選択肢など無かった。喪った半身が戻らないのなら、死ぬしかない。

「まだだ。まだ殺さない。貴様は虫をどの程度知っている? 宵街と共有していない情報はあるか?」

「虫……? 何が共有されてるかなんて、僕は知らない……。知らなかったら殺してもらえないのか……?」

「では、花街で最近……虫に関して進展や新情報はあるか?」

 睚眦も狴犴から情報を貰っているが、何と質問すれば良いか言葉に詰まった。花街で撮影したと言う写真は見たが、やはり知らない街のことを理解するのは難しい。情報も細切れで、まるで難解なパズルを見ているようだった。

 スコルの言葉も理解できない。宵街は花街を滅茶苦茶になどしようとしていない。家を奪ってもいない。

(こいつ……誰かに騙されてる? それとも花街では宵街がかなりの悪者にされてるのか)

「進展……」

 言葉が脳に染み込んでこない。スコルは項垂れながら、目を泳がせる。そんなことを言われても、古城の大公達は律儀に情報共有を行わない。スコルとハティもそうだ。

 皆に言っていないことならある――それをふと思い出す。それが聞きたいのかと、涙が零れ続ける虚ろな目で拷問官の鋭い目を見上げた。

「虫のことは……僕にはよくわからない……けど、ミモザが冒されてる。原因がわからないし……どうすればいいかわからない……だから、塔の上に隔離した。僕達には助けられない。だから……犠牲にして、新しいミモザを作って……それを……ずっと……」

 訥々と言葉を零すが、上手く話せているのかスコルにはわからない。

 彼らがヴイーヴルに相談を持ち掛けたのは最近だ。最近は犠牲になるミモザが多く、明らかに数が減っている。そのことを悟らせないために、ミモザに人の姿を与える役を担っている彼女に事情を少し話した。虫の正体は不明なのでどう説明すべきかわからず、虫のことは話していない。アルペンローゼを宵街に置いてくるよう言った時、ヴイーヴルは途惑っていた。ミモザばかりでなくアルペンローゼにまで影響が及ぶものなのかと愕然とした。

「ずっと、とは、いつからだ?」

「獣が年数なんて数えるのか? 永遠の時間があるのに……あるはずなのに……ハティは……! 早く殺せよ! もう充分話しただろ!」

「永遠は無いだろ……」

 スコルは身を捩り、椅子と鎖を揺らす。逃れようとしているわけではなく、早く殺してほしくて踠いている。

 睚眦は壁の小窓を一瞥する。狴犴の顔色を窺う。尋問はこれで良いのかと。狴犴は眉一つ動かさず、スコルに目を向けたまま動かない。

 花街では碌に情報共有がされていない――その情報は既にある。スコルから聞き出せる情報も多くはないだろう。

「虫は人工的に作り出された物だということは知ってるか?」

「!?」

 こいつは駄目だ。睚眦はそう悟った。やはり彼の持つ情報は少ない。虫に関して花街は情報の共有に慎重になり過ぎているか、仲間を信用していない。

「質問を変えよう。これなら貴様も知ってるだろ。宵街にどうやって入った?」

「どうやって……?」

「一度でも宵街に自力で転送した奴じゃないと、正確な位置がわからないはずだ。今まで花街の奴は全て宵街の奴に導かれて入ってる。今は特に警戒していて、勘で辿り着くこともできない。誰かの手引か?」

「そのことか……それはアイトワラスに教えてもらった。花に虫を潜ませて実際に転送させて、経路を覚えさせたらしいね。宵街は気付かなかったのか?」

 睚眦は壁の小窓を一瞥する。狴犴の眉がぴくりと動く。彼女は知らないが、狴犴には覚えがあった。花街から持ち帰った薔薇に付いていた小さな虫に狻猊(さんげい)が怯えていたと椒図(しょうず)が話していた。徒の虫だとばかり思っていたが、どうやら故意に付けられていたようだ。あの薔薇には、他に虫は付いていなかった。

 狴犴が理解したなら後で共有すれば良い。睚眦は質問を変える。

「じゃあ次で最後にしよう。これに答えたら殺してやる」

「!」

「貴様、及び城の獣全ての能力を余さず言え」

 空虚な涙は零れ続けるが、スコルの表情が固まった。

 自分の能力に余程の自信があったとしても、他人に全てを語ることは無いだろう。宵街や花街のような獣が棲む街は存在するが、獣は基本的に群れない。群れて協力し合って生きる人間や変転人とは違う。そのため自分の手の内など明かさないし、余程の信頼がない限り話さない。

 だがこれから殺されるスコルにはもう後ろめたいものは無い。何を話そうが、死んでしまうのだから。

 涙を拭う手も上げられないスコルは、赤くなった目元と涙でぐしゃぐしゃになった顔で拷問官を見上げた。やっと殺してもらえる。やっと、ハティを追うことができる。それが口の端に笑みとなり、ぎこちなく歪んだ。


「ば――か! 幾ら死ぬからって話すわけないだろ! 化生後に同じ能力が備わってる可能性が無いとは言い切れないんだからな! 城の奴らも皆、言うわけない!」


 その理性は残っていた。城に棲むことになった日から、能力の情報は売らない。それは決めていたことだ。規則である。尤も、全ての能力を明かしている獣はいないだろうが。

 自分の、特にハティの能力は、殺されても言うつもりは無い。

「言えば殺してもらえる、でも言わなければ拷問だ! 僕はどのみち死ねる! すぐに死ぬか少し時間が掛かるか……それだけだろ!? ハティ……もうすぐ行くから……あと少し、待って……ほら、早く始めろよ! 僕を殺せ!」

 獣の拷問は難しい。睚眦はそのことを改めて痛感した。痛みの耐性が強く、頑固だ。無名の弱い獣ならともかく、名の有る強い獣は屈服させられない。拷問は弱者にしか通用しない。半身を喪って尚、虚無に襲われながらも彼は強くあろうとしている。

「さあ早く! 僕を殺せ! 殺してくれよ!!」

 彼にとって一番の拷問は、こうして何もせず生かされることだ。質問もされず、無意味に時間だけが過ぎる。焦燥と憎悪だけが募る。

「このまま少し休憩し、その後、殺してやる」

「は……?」

 死までの無駄な猶予、彼にとって最大の拷問だった。硝子玉のように空虚な目から、最後の希望まで擦り切れて失われてしまう。ぎこちない笑みが残っていた口の端がひくりと震えた。

 睚眦は飽きたわけでも諦めたわけでもない。

(……少し狴犴と相談しよう。殺す前に何かすべきことがあるか……)

 人間相手に罪を犯した獣なら、すんなりと拷問を終える所だ。だが宵街を襲い、変転人を殺した罪人に睚眦は当惑していた。殺した後で聞きたいことが他にもあったと後悔を口にされては堪らない。

 睚眦は罪人をそこに置いたまま拷問部屋を出た。小窓からそれを見下ろしていた狴犴は一度深く息を吐く。慣れない拷問の遣り方に睚眦は疲れてしまったようだ。

(このまま地下牢に収容するのが、最も惨い拷問だろうな)


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