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透明街の人喰い獏 (2)  作者: 葉里ノイ


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182-衝突


 (ばく)一行は謝罪と言う足の重い用のために宵街(よいまち)を出発した。

 四人は道中の暗い飛行機の荷物室で常夜燈(じょうやとう)を置き、暇潰しにトランプに興じる。だがそれほどトランプ遊びの数を知っているわけではないため神経衰弱やババ抜きと言った御馴染みの遊びを繰り返し、窮奇(きゅうき)は途中から欠伸を漏らしていた。

 最後に饕餮(とうてつ)が大富豪となって目的地へ到着し、一行はまずはユニコーンが死んでいたと言う忘れ去られた小さな教会へと向かった。

 木々に囲まれた古い小さな教会の他には何も建物が無く、人間が偶然通り掛かることも滅多に無いだろうことを窺わせる。そこは昼間なのに薄暗く、空気が止まっているように感じた。

「あそこにユニコーンが転がってたんだ」

「気配が無いね。誰もいないみたい」

「入ってみる」

 蒲牢(ほろう)は周囲を警戒しながら、軋む教会の扉を開けた。石造りの教会は人間がいなくなった後も崩れることなく、誰かが来るのを待っているようだった。何を信仰する教会なのか獣には想像が付かない。

 割れた窓から差し込む光の下に砂埃と、所々に生命力の高い草が生えている。雨が吹き込んだのだろう、木製の長椅子は腐っている物もある。

 窮奇の案内でユニコーンがいた長椅子を覗き、一行はそこに視線を巡らせる。そこには何も無く、血痕の一つも見当たらなかった。

「……本当にここだからな」

「私もここだと思う」

 記憶力を疑われている気がして窮奇と饕餮は言葉を添えるが、蒲牢は疑っているわけではない。教会の中の長椅子を全て確認して元の場所に戻る。

「まさか、もう化生したか……?」

 窮奇は思い付いたことを漏らすが、蒲牢はすぐに否定する。

「さすがにそれは早過ぎる。椒図(しょうず)の例はあるけど……掃除屋が片付けたんだと思う。死骸を放置してても化生すれば消えるけど、人間の目に着かないよう掃除する人もいるから」

「そんなに早く片付けるのか。綺麗好きか?」

「とにかく、掃除されてしまったら手掛かりは無い。獣に係わる痕跡は全て掃除されてるはず。花街(はなまち)に行こう」

 周囲には相変わらず何の気配も無い。掃除屋はいない。これ以上はここに居ても時間の無駄だ。蒲牢が教会を出ると三人もそれに続いた。獣の最期は孤独だ。

 扉を閉め、一行は花街へ転送する。一瞬で視界に広大で平坦な野原が広がり、その向こうに尖塔が聳える。花街に初めて足を踏み入れた蒲牢は、迷わず尖塔の方へと向かった。

「やっぱりわかりやすいよね、花街の城って」

「うん。狴犴(へいかん)に写真を見せられて教えてもらったし」

 金瘡小草(キランソウ)が撮影した写真は十二分に役に立っている。

 四人はあまりに長閑な花街に緊張感が薄れそうになりながら歩き、遠くを見詰めて何か気になる物はないかと探す。

「謝罪だし、お詫びの物とか持って来た方が良かったかな?」

「もし何か欲しがられたら、その時に考える。最初から用意して行かない。下手(したて)に出ないよう狴犴に念押しされたから」

「狴犴は今回は何か、舐められないようにって凄く気にしてるみたいだったよね」

「それはそう。もう舐められてるから。宵街圏に出現する虫の始末も何もしてないし。調査すると言った切り、ヴイーヴルは暴れるだけ暴れて帰った。花街にすぐに動かせる人員が無いのかと少し待ってはみたけど、変転人の保護とか、こっちの負担ばかりだ」

「もしかして謝罪なんてする気ない?」

「それは相手の態度次第だ。けど、まあ……獣が一番苦手なのは気持ちの譲歩かもな。狴犴はまずは謝罪したいみたいだけど、腹の中では相当怒ってる」

「殺し合いか? 面白くなってきたな」

「面白いな!」

「窮奇、饕餮。俺が先に出るから、先走るな。相手の能力もまだよくわからない内は」

 謝罪のついでに制裁をするなら、獣の数はある程度揃えておいた方が良い。古城には王と大公達、少なくとも五人の獣がいる。広範囲の攻撃が可能な窮奇は重宝することになるだろう。本人同伴の謝罪には意味がある。

「……遠いな。飛んで行く。獏は俺の後ろに乗って」

「オレは翼で飛んでいいのか?」

「目立つから饕餮の後ろに乗せてもらえ。饕餮、二人乗りはできるか?」

「任せろ! 窮奇の自転車より自信ある!」

 狭い宵街とは比べ物にならないくらい花街は何倍も広い。徒歩で古城までとなると時間が掛かってしまう。蒲牢と饕餮は杖を召喚し、それぞれ後ろに獏と窮奇を乗せた。饕餮は少し蹌踉めいたが、窮奇が重心を気遣うと真っ直ぐ飛ぶことができた。蒲牢の方は譬え獏が体勢を崩そうが安定して飛ぶことができるほど慣れている。

 屋根よりも高く上空を飛び、眼下を見ながら四人は古城を目指す。煉瓦造りの家々が増えると城下町が広がり、それを越えると古城は目の前だ。

「城下町は変転人の町みたいだけど、獣もいるみたいだな」

「え? いた?」

 蒲牢の呟きに獏も眼下を見回すが、それらしき気配は感じられなかった。上空を飛んでいるので距離の所為もあるだろう。蒲牢は目敏いようだ。

「無名の獣だと思う。無名は俺達有名より能力が低いから、獣の気配を感じ難い」

「無名……? 会ったことないかも」

「無名は弱いから認知されてない。獣は人間に名前を与えられたら一人前。だけど元々の力が弱いと人間相手にも返り討ちに遭うから、身を守るために人間から距離を取ることが多い。逃げるのは悪いことじゃないけど……人間の前に出て危険を冒さないと、いつまでも弱いままだ。獣は名が広まることで力を増すんだから。元々強い獣はすぐに有名になるけど、弱い獣は弱いまま。だから無名は取るに足りないし目立たない。宵街では殆ど出て行ったはずだから見掛ける機会は少ない」

 無知な獏のために説明するが、喋り慣れない蒲牢はたくさん喋って疲れた。

「無名は下級の獣とか言われる。地霊は下級精霊って呼ばれてるけど、それより下だ。自分で名付ける人もいるらしいけど、関わらないからよく知らない」

「へぇ……地霊より下の獣がいるんだ……。自分で名前を付けるとしたら、僕だったら何て付けるかなぁ」

白玉善哉(しらたまぜんざい)とかいいと思う」

「何で……」

 名付ける機会の乏しい獣や変転人は身近な食べ物の名前をよく出す。黒色海栗(ウニ)(しん)がそうなので獏もそこに疑問は持たないが、何故その食べ物が選出されたのかは気になる。

 だがそれを聞く前に古城に到着してしまった。高度を落とし、ぐるりと囲う城壁に沿って飛び、大口を開ける城門の前に降り立つ。外からでも窮奇の風の被害が見えた。城門から古城に向かって一直線に、美しい庭を分断するように花々が残骸となっていた。

 蒲牢は杖を消し、饕餮にも杖を仕舞わせる。ある程度の予想はしていたが、謝罪に来て正解だった。想像以上に美しく手入れされた庭の破壊振りに頭を抱えたくなる。大事な物を壊されて気分を害さない者などいない。

「……饕餮、窮奇。余計なことは言わず、とりあえず謝ろう」

 窮奇は心底嫌そうに顔面を顰め、饕餮も真似をして嫌そうにぎゅっと顔を顰める。

「呼び鈴が見当たらないけど、庭には勝手に入っていいのか?」

「そうなるよね。門番も留守みたいだし」

 城門脇にあった大きな傘と机が見当たらない。窮奇の風が吹き飛ばしてしまったのだろう。ウサギは一時的に席を外しているか、安全を考えて休暇を貰っているかもしれない。

「そら見ろ、お前だって無断で入ろうとしてる。お前も謝れよ」

「蒲牢兄も謝る」

「…………」

 まだ庭に足を入れていないのに謝罪は早い。

「僕が来た時は門番がいたんだけどね。窮奇の所為で怖がって出て来られないんじゃない?」

「この中で一番大きい声が出せる人。呼んで」

 獏と饕餮は同時に窮奇を見た。

「仕方ねーな。風は遠くまで音を届けるからな。呼んでやるよ」

 能力を褒められたのだと得意気になりながら窮奇は杖を召喚し、細い風の流れを作った。庭を破壊したような強風ではない。人間も立っていられる程度の緩い風だ。

「お邪魔しま――す!」

 古城の入口に向かって声を張り、暫し待つ。

 四人は古城にばかり注目していたが、花々の残骸の向こう、庭の中から二本の角が覗いた。長身の男が立ち上がり、城門を見てげんなりと溜息を吐く。

「……何の用だ」

 手に杖を持ち、一定の距離を保ったまま男は咲き誇る花々の中から出て来た。白い髪にシャモアの角――ズラトロクだ。

「侵入せず待つようになったことは褒めてやるが、見ない顔が増えたな」

 ズラトロクは女性としか話さない。今までは特例だと男が相手でも話してくれたが、二度目は無い。今回は中性的な服装だが、女装を一度見せた獏が相手をすることにした。

「彼は付き添いだよ。今日は謝りに来たんだ。この……庭のことを」

 動物面で顔が隠れている獏は窮奇と饕餮の背中を押して前に出す。窮奇は腕を組み、舐められまいと顎を上げる。舐められないような動きをするのが早過ぎる。謝罪をする態度ではない。

「その声……獏か? 謝りに? それは律儀なことだな」

 想定外だったのだろう、表情を変えないズラトロクの顔に微かに驚きが浮かぶ。

「気にしないわけじゃないが、謝りにとは……。失った物は戻らない。何故謝るのか俺にはわからない」

 過ぎたことは気にするなと言っているわけではない。謝るなら何故庭を破壊したのか、それが理解できない。

「庭に入ってもいいか? 渡したい物がある」

「?」

 男とは話さないが、蒲牢とは初対面である。懐から手紙を出す蒲牢に目を留め、ズラトロクは怪訝な顔をした。

「……そこから動くな。それをこっちに向かって投げろ」

「紙飛行機じゃあるまいし、届かないと思うけど」

 それでもできるだけ抵抗の無いよう水平に手紙を持ち、希望通りズラトロクへ向けて投げる。

 手紙が地面に落ちる前にズラトロクはサーベルの形をした杖を上げた。蒲牢はその動きに警戒して死角に片手を遣る。

 空中の手紙は転送されたかのように一瞬でズラトロクの前に移動し、上げた二本の指の間にすとんと落ちた。手紙を顔の前にぶら下げ、杖をペーパーナイフのようにして封を切る。便利な形の杖だ。

 四人を一瞥し、ズラトロクは手紙を広げる。四人の姿を見た時から必要だろうと翻訳機を耳に装着していたので、異国の言語も読むことができる。これは謝罪文だ。御丁寧に宵街の長が手紙を寄越した。

「……。君達はこれに何が書かれているか知ってるか?」

「謝罪文でしょ?」

「確かに謝罪だが」

「窮奇と饕餮も謝らなきゃ」

 獏が促しても謝る気配が無く嫌そうに顔を顰める二人の頭を蒲牢は鷲掴み、無理矢理に頭を下げさせた。ズラトロクにしか警戒せず油断していた二人は、背後から勢い良く頭を押さえられ首が地面に落ちそうだった。

「獏のことも書かれてる。無断で城に入ったことを謝罪すると」

「え? 僕も!? 一緒に行けって言ったのはそのため……? 僕は無断じゃないんだけど」

 門番のウサギに断って城に入ったのだが、狴犴には門番の話をしていない。歯軋りする獏も蒲牢に頭を押さえ付けられ、首が捥げそうだった。

「そこの白いの。名前は?」

「俺か? 蒲牢だけど」

「男なのに喋って申し訳無いと謝罪が」

「……絶対書かれてない」

「もしかして本当は僕のことも書かれてないんじゃ!?」

「獏のことは本当だ」

 獏は歯軋りした。

「謝罪と共に、耳の痛いことが書かれてある。要約すると、虫の調査はどうした? と」

「今度はそっちが謝罪する番だね」

「虫を広めた犯人は処分された。今寄生されている者を処置すれば、新たな寄生者が現れることはないだろう」

「え? じゃあ解決したの? 宵街にも早く報せてよ」

 幾ら距離があると言っても、被害があるのだから宵街も早く安心したい。怯える変転人を一刻も早く安心させたいのに、花街から使者は送られていない。窮奇と饕餮はすぐに二つの街を往復したのだ、花街にそれができないはずがない。

「獏、ちょっと」

 会話の相手をしていた獏は肩を叩かれ、後ろに下げられた。蒲牢の手の力は少し強く、獏は大人しく従った。

「ズラトロク……だよな。俺は男だけど、少しだけ話をさせてほしい。望むなら出来るだけ女の声を出すから」

「器用なことができるんだな。だが君とは初対面だから、少しくらいならいい」

「その処分した犯人って奴は、ユニコーンか?」

 静かに紡がれた言葉に、獏は眉を寄せた。窮奇もはっとし、饕餮は不思議そうな顔をする。

「ユニコーン……。ユニコーンと言うのか」

「名前は知らないのか?」

「額に折れた角が一本あったそうだ。その特徴から一角獣の可能性は考えていた」

「その言い方……()()見てないのか?」

「報告では、見つけた時は既に死骸だったそうだ。名前を知っているなら、君達の知り合いか?」

「さあ?」

「…………」

 蒲牢は素直に情報を渡さず恍ける。表情の変わらない蒲牢に、ズラトロクは微かに眉を寄せた。

(犯人から何も聞けないなら、こっちも親切に情報を与える義理は無い。ユニコーンを寄生虫の犯人と考えるのはおかしい。ユニコーンは宵街で虫を始末した。自分で用意した虫を自分で殺し、更に情報を与える意味は……? こいつは何処まで知ってる?)

「……話す気が無いならそろそろ帰ってもらおうか。こちらも多忙でな」

「庭で何をしてたんだ?」

「掃除だ」

「なんだ、そんなことか。人命に関することじゃないなら急がなくていいな。さっき渡した手紙にこう書かれてないか? 折角だから城も調査させてくれ、って」

「……ああ、君は手紙の内容を知ってるんだな」

「俺が知らないなら黙ってるつもりだっただろ」

 宵街で獏達を待たせている間、蒲牢は狴犴から花街の情報を叩き込まれた。彼が書いた謝罪文も事前に頭に入れている。相手が誠実なら、手紙の内容全てに触れるだろう。だがズラトロクは都合の悪いことは伏せようとした。宵街は誠実に謝罪をしたのにだ。

 庭を破壊したことを宵街は悪いと思っているが、その原因を作ったのは花街だ。

 獣は公平さを求めない。腹を探り合って、優位の天秤を自分へ傾けたがる。

 ズラトロクは目を細め、面倒に本腰が入ったと心中で舌打ちをする。獏と蜃、椒図、金瘡小草が城に侵入した時から嫌な予感はしていた――いや、アルペンローゼが行方を晦ませた時から懸念はあった。もしかしたらもっと前に、エーデルワイスが声を失った時から始まっていたのかもしれない。

「城の調査は俺達がする」

 城へは立ち入らせないと、ズラトロクは杖を蒲牢に向ける。それはまるで、何かを隠そうとしているかのようだった。

 蒲牢はまだ杖を出さず、淡々と会話を続ける。

「当初は任せるつもりだった。いつまで掛かるんだ?」

「宵街は待てができないのか?」

「立ち入り禁止だと言う地下、及びその塔の上階を調べさせてもらう。必要があると判断すれば随時調べる場所を増やす。お前は始末した犯人のこともよく知らないみたいだ。宵街に報告も無く、勝手に始末した。お前達は自分の首を絞めてる。宵街に知られたくない疚しいことがあるとしか思えない」

 蒲牢は身の丈よりも長い間棒(けんぼう)を召喚し、ズラトロクへ突き付けた。先に杖を向けたのはズラトロクだ。言い訳は幾らでもできる。

「謝罪と言いながら……本題は抗議か。込み入っている時に、客人の相手をしている暇は無いんだ」

 誠実な謝罪に対して誠実を返されなかった場合、力を使用して捩じ伏せろと狴犴は命じていた。罪人の獏や必要以上に被害を出す懸念のある窮奇の前では言えず、蒲牢にのみ本音の怒りを漏らしていた。

「強行する」

 もう充分だろう。宵街は充分耐えた。ズラトロクはヴイーヴルが宵街圏の人間の街を破壊した件にも触れず、直接問わないと何も話さない。黙っていれば責められないと思っているか、そもそも何も知らない。

 蒲牢は間棒を構え、砕いた氷のように鋭い双眸でズラトロクを睨む。花が吹き飛ばされ開けた庭は見通しが良く、標的を見失わない。

「何でいつも俺が相手をする羽目になるんだ……」

 ズラトロクも構え、地面を蹴る蒲牢を薙ぐように杖を振った。

「遣るの!? 遣っちゃえ蒲牢兄!」

「オレも参加していいなら言ってくれ。いつでも殺してやる」

 一気に距離を縮め、長い間棒をズラトロクの頭部へ向けて振るう。だが瞬時に再び距離が開いた。一瞬景色が引き伸ばされたような錯覚を覚える。

(……本当に錯覚か……?)

 ズラトロクは空間を切る。狴犴からそう聞かされていた蒲牢は、観察を止めずに間棒を構え直してもう一度地面を蹴った。捩じ伏せろと狴犴に言われているが、殺す許可は出ていない。殺してしまうと余計に拗れてしまう。現時点で花街は宵街の獣を殺してはいないからだ。怪我を負わせず、追い払うに止めている。それが厄介だ。

 蒲牢が何度近付こうとしても同じように距離が開き、ズラトロクに接近できない。

 様子を窺いながら、今度は間髪を容れずに舞うように畳み掛ける。

「――風を縫い揺蕩う 玉を貫き留む」

 小さく歌い、蒲牢の耳飾りの杖が光る。翻る間棒の先から木が枝を伸ばすように硝子の線が空中に走った。それはズラトロクが幾ら空間を切っても瞬時に伸びて遠ざけられず、手を伸ばすように前進を止めない。

 これは距離を取ることで避けられる物ではない。硝子の線は蜘蛛の巣のように無数に空中を走り、鋭い鋒がズラトロク目掛けて走り抜けた。

「!」

 ズラトロクは初めてその場から動く。地面を蹴り、攻撃を避けた。最初に獏達が来た時も窮奇と饕餮を相手にした時も自分の調子を崩さなかったのに、初めて焦りを見せた

 硝子の線は一斉に古城の壁を穿ち、厚い石の塊を抉る。華奢な見た目からは想像できない威力で突き刺さった。攻撃を躱すため何度も距離を取らされ、ズラトロクはいつの間にか壁の前まで押されていた。


「ロク様! 何の音ですか!?」


 庭の残骸を片付けるために箒を持って来たアルペンローゼは、大きな音を聞いて駆け付けた。

「離れてろ!」

「!」

 普段大声なんて出さない、静寂を好むズラトロクの怒号で、アルペンローゼの足は射止められたかのように止まってしまった。

 変転人では相手できない。それがわかっているから、ズラトロクは巻き込まないためにアルペンローゼを制止した。

 蒲牢は変転人にまで危害を加えるつもりは無い。アルペンローゼには気を取られず、ズラトロクへ攻撃の手を休めない。

(何だこいつ……? 空間を切断してるのに、干渉されない……?)

 錐のような硝子の刃は石壁や地面を穿ち続ける。それに気を取られて杖を振ることができない。空間の切断が間に合わず、蒲牢の接近を許してしまう。長い間棒も厄介だ。あれ程の長さだと何処かに引っ掛けて持て余しそうなものだが、まるで自分の手足のように嫋やかに操っている。

(杖が本物の剣なら受けてみる所だが……)

 形がサーベルと言うだけで、ズラトロクの杖の強度は普通の杖と変わらない。石壁を穿つ攻撃を受ければ杖も折れてしまう。

 獣の杖は只の木の棒のように見えるが、千年も生きれば自在に好きなように形や色を変えることができる物だ。千年も生きれば実力も申し分無い。なので杖を見て明らかに()()()()()とわかれば無闇に手を出さない。まず警戒して様子を窺うものだ。なのにこの白銀の獣は、明らかに弄っているズラトロクの杖を見ても躊躇が無い。

(あの長い棒は副次的な杖だ。主の杖は見てないからな……こいつも千歳(ちとせ)か?)

 顔を掠る寸前で硝子の刃を躱す。離れているとわからないが、微かに冷気を感じた。石壁に当たった硝子の刃を一瞥する。石壁を壊せると言っても、刃が欠けないわけではないらしい。欠けた小さな硝子の刃が地面に落ち、溶けるように消えた。

(……氷か?)

 一瞥だけだったが、その一瞬の隙に間棒がズラトロクの腕を突き、肉を刮ぎ血が舞う。

「っ……!」

 棒の先端に刃が付いていれば腕を持って行かれていたかもしれない。

(……成程。氷とすれば、凍らせる物がある……。空気中の水を凝固させて使ってるのか。切断しても攻撃が届くわけだ。俺も力を見せ過ぎた……そろそろ気付かれる頃か。俺の力は厳密には空間を切断してるわけじゃない。空気には切れ目ができず、引き伸ばすだけだ)

 蒲牢はそれに気付き、或いは当たりを付けて凍らせた。凍ったことで確信を得た。何度も宵街の客を退けたことで、ズラトロクは思い上がってしまった。

(氷なら切断できるが、おそらく目視できない物がある。空気中の水に力を伝導させ、その後で凍る。既に力が伝わった空間を俺が切断しても、あいつの力は空気に含まれたまま引き伸ばされるだけだ。それを凍らせてやがる。凍らせる速度も速い。……だが絡繰がわかれば問題無い。街に雨は降らない。湖も遠い。湿度もそこまで高くないだろ。この細い氷を作るのが限界、だな)

「俺の限界でも考えてるのか? 城を調査させてくれるなら、大怪我をせずに済むよ」

「手加減してくれてるのか?」

 口の端を上げるが腕の痛みで目元が歪む。氷の相手をしていれば、いつまでも距離を取ることができない。

 ズラトロクは後方へ身を躱しながら、既に負傷した腕を犠牲に杖を振る。身を引いた分、傷は浅いが、細い氷の刃はズラトロクの負傷した腕に突き立った。

 空間を切断して距離を開き、花の咲く庭へ身を潜める。長身の彼は身を屈める必要があるが、花々が姿を隠してくれる。

「逃げるのか……。やっぱり君は、こっちを傷付けないようにしてるんだな」

 双方、あまり痛め付けないように加減をして戦っている。このままだと埒が明かない。互いに手加減をしていては終わりが見えない。

「君が調査の許可をくれないと、庭をもう少し荒らすことになる」

 間棒の先から枝分かれする細い氷が一つに集束し、一枚の大きな刃を形作る。間棒を柄に大きな鎌となったそれをくるりと回して構える。重さを感じさせない軽やかな動きだ。

 ズラトロクから返事が無いので、蒲牢も無感動に花に飛び込み氷の鎌で花の頭を撥ねる。

(気配を消してはいるけど、消し切れてない……。庭に被害が広がらないよう標的をちらつかせてるのか)

「……傷付けないようにとは、誰が言ったんだ?」

「!」

 眼前に咽せる程の花が覆った気がして、蒲牢は頭を引いた。髪の先が切れ、はらりと宙を舞う。

「君達は俺が加減している内に退くべきなんだ」

 視界を花で埋めるような瞬間がある。その直後に皮膚を撫でるような痛みが走る。見なくてもわかる。脚が何かに削られた。ズボンにじわりと滲む感触がある。

(空間ごと体を切断しようとしてる……花が視界を埋めるようなこれは、空間を切って歪めてるから?)

 花は切断されず、空間だけが切られる。蒲牢の氷の線が切れないのだから、空気は切れていない。彼の切断能力は限定的である。

(もっと接近して切る隙間を無くせばどうなる? 一気に凍らせれば……空気中と土中だけじゃ水が足りないな。鎌の刃も小さい。そろそろ獏に水を出してもらうか……)

 力を抑えていると頭を使わなければならないが、圧倒する力があれば考える必要は無くなる。蒲牢は龍としては未熟だ。(みずち)なら水なんて無くても水を出せるが、蒲牢はまだ自力で氷を出すことができない。

 攻撃を避けながら、合図を送るために城門を一瞥する。

「……?」

 だがそこに獏の姿は無く、はらはらと見守る饕餮と暇そうに欠伸をする窮奇しかいなかった。

(え……? いない? いつから!?)

 戦闘と思考に集中していて全く気付かなかった。

 その一瞬の焦りは油断と言うほど大きなものではなかったが、想像もしない方向から突如熱い光が一閃し、蒲牢は避け切ることができなかった。

「――ッ!」

 辛うじて身を傾けたが、鎌を握っていた左腕が熱い光に呑まれて吹き飛んだ。

「ぅぐっ……」

 蒲牢は声を呑み込んだが、遠くで小さく別の声が上がった。古城の方からだ。古城の壁は二階も巻き込んで、刹那の内に崩落して大きな穴が空いていた。出入口からは少し逸れているので中へ入る隙間はあるが、中にも破壊された石壁が転がる。何処から放たれた光線なのか、焼けるような痛みが邪魔をして蒲牢は上手く思考できなかった。古城の中からであることは確かだが、放った者の姿が見えない。

 炎で炙られたかのように傷口が熱く、ばたばたと熱を帯びた鮮血が地面を打つ。失った腕の傷口を押さえるが、手で塞げる大きさではない。飛びそうな意識は辛うじて繋ぎ止める。

「蒲牢兄!」

 痛みで饕餮の声が遠い。手を離した間棒と氷が静かに消えた。

 それはズラトロクにも想定外の一撃だった。息を呑み、急いで立ち上がる。

「アルペンローゼ!」

 彼にしては珍しく焦燥が滲む。先程の小さな呻き声はアルペンローゼだ。

 崩落した石壁の陰から、左耳を押さえて顔を歪めるアルペンローゼが現れた。言い付けを守り、離れて様子を窺っていたのだ。押さえた手から止め処なく血が流れている。

「耳を……掠っただけです……」

「手当てして避難しろ。二人では力を抑えられないらしい。俺も行く」

「承知……しました」

 話すために顎を動かす度、耳に響いて激痛が走る。深く短い呼吸を繰り返し、アルペンローゼはズラトロクを気遣う余裕も無く踵を返した。

 蒲牢を狙ったのか、変転人が負傷しようと構わないのか、攻撃はアルペンローゼまで貫いた。とにかく今は考えるより止血だと、蒲牢は耳飾りの杖を利用して氷を作り腕の傷口を固めた。

 光線の延長線上にはいなかった饕餮と窮奇は見境の無い攻撃に唖然とするが、どんな意図の攻撃であれ蒲牢の腕が吹き飛んだことは事実だ。饕餮は眉根を寄せて太刀を抜き、窮奇も杖を召喚した。

「蒲牢兄の仇!」

「さっきオレ達の方を見たってことは、参加していいんだよなあ?」

 城の中へ駆け出そうとしていたズラトロクへ、花々を凪いで荒れた突風が届く。

 獲物を簡単に逃がすはずがない。二人の瞳は餓えた獣のようにぎらついていた。


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