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透明街の人喰い獏 (2)  作者: 葉里ノイ


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181-道連れ


 逃げたと言われると癪で心外だが、逃げるようにと表現するのが的確だろう。窮奇(きゅうき)饕餮(とうてつ)は逃げるように花街(はなまち)圏から離脱し、(ばく)の牢へと転がり込んだ。

 獏の居る透明で小さな街は平素の通り暗く静謐、人気(ひとけ)も無い。その中で一つだけ明かりの灯る古物店へと遠慮無く騒がしく入店し、何事かと顔を出した監視役の灰色海月(クラゲ)が頭を下げる。

「おい、獏は?」

「二階にいますが……」

 苛立ちを含んだ声に不安になりながらも灰色海月は居場所を答える。もし窮奇に敵意があるなら、わざわざ店に入らず外から吹き飛ばすはずだ。店に入って獏を訪ねるのだから、何か話があるのだ。

 それでも心配なので、階段を上がる二人の後に灰色海月も付いて行く。これも監視役の仕事だ。

 ノックもせずに獏の部屋のドアを開け放ち、ベッドに仰向けに転がっていた獏の肩がぴくりと動く。獏はいつもの黒い動物面を枕元に置き、代わりに黒猫がその顔を覆うように脚を伸ばして張り付いていた。

「何してんだ獏!」

「わっ!?」

 急に大声を出され、獏は慌てて飛び起きた。座布団が突然動き出し、黒猫も驚いて跳び退く。

「な、何? 善行……?」

 金色の目を真ん丸に瞬き、部屋に入って来た二人を見て善行では無いと思い直す。

「面白いことしてるね。猫のお腹に敷かれてた」

「猫に舐められてんのか? お前」

狴犴(へいかん)と喋ったら気が滅入っちゃってね……もう、こうするしかなくて」

 意味は理解できなかったが、饕餮と窮奇は憐れむ目をした。

「それで、君達はどうしたの? 何か用?」

「聞け獏! 私達も花街に行ってきた!」

 よくぞ聞いてくれたとばかりに饕餮は元気に叫んだ。花街が話題に上がるとは思わず獏はきょとんとする。

「え?」

「それから無様に逃げ帰って来た! 窮奇はコテンパンに遣られた!」

「え!?」

「おい、悪い方に盛るな。オレは負けてない。戦略的撤退って奴だ」

 戦略的撤退だとしても良い言葉ではない。とにかく花街で揉めたらしい。それを何故ここに報告に来たのかは定かではないが、獏は話を聞く体勢を作る。

「何しに行ったの? 喧嘩を売りに?」

「そんな目的じゃねーよ。ただ知らない街を見に行っただけだ。只の観光だな。そこで出会った獣から金を貰って、肉をたらふく喰った」

「親切な獣だね」

「それから花街の城に入って、いけ好かねぇ獣に追い出された。あいつは次に会ったら殺す」

「狴犴が頭を抱えそうな問題を起こしてるね」

「それで仕切り直そうと思って一旦離脱したんだ。一発ぶちかましたけど避けられた。それから……離脱した先で、金をくれた獣が死んでた」

「!?」

「濡れ衣を着せられそうな悪い予感がしたから帰って来た。だから逃げたわけじゃねぇ」

 辿々しくはあるが状況を説明し、窮奇は饕餮を一瞥する。彼女が理解したかはわからない。何も考えていない顔をしている。

「獣が死ぬって……勝手に死ぬなんて無いんだから、殺されたってことだよね?」

 逃げただのということはどうでも良い。獣の死の方が余程重要だ。獏はベッドから足を下ろして座り直し、新たな座布団を見つけた黒猫が膝の上に跳び乗った。

「最初に会った時から怪我してたけどな。言葉が通じたから手当てしてやったんだ。そしたら使いを頼まれた。花街の王の様子を見て来てくれってな。その礼に金を貰ったってわけだ。足りなかったけどな」

 欲しい物があったとは言え頼まれた使いを律儀に遂行するとは義理堅い面もあるのだと思いながら、獏は首を傾ぐ。

「花街の王の様子をって……君達、一体誰に会ったの?」

「ユニコーンだとか言ってたよ」

 饕餮もその時のことを思い出し、横から口を挟む。獏は一瞬、頭の中が真っ白になってしまった。

「ユニコーンが殺されたの!?」

「知り合いなの?」

「知り合いも何も……宵街(よいまち)を助けてくれた獣だよ! 宵街の大切な客人だって言ってもいい。それ、狴犴に報告した方がいいよ!」

 思わぬ名が飛び出し、獏は布団を握り締めた。ユニコーンとは獏も交戦したが、彼女は決して弱い獣ではない。巨大な虫に対しても全く遅れを取っておらず、寄生者を救ってくれた。その彼女が殺されたなど俄には信じられなかった。

「何かそんなことも言ってたな……おい獏、何でお前は布団に戻るんだ」

 再び足をベッドに上げて横になろうとする獏に、窮奇は目を細める。

「報告は君達だけで行くでしょ。だから僕はもう少し休む」

「お前が報告に行くんじゃねーのか?」

「何で? 僕は罪人だよ。ここで大人しくしてるのが仕事なの」

「急に罪人らしくしようとするな」

 窮奇はずかずかとベッドに歩み寄り、布団を引き剥がした。罪人だと言うなら、寝心地の良いふかふかのベッドはいらないだろう。

「一緒に行こうぜ、獏ぅ」

 窮奇はにやりと悪そうな顔で笑う。狴犴に報告すれば面倒なことになるのは目に見えている。だが黙っていて、後に花街に行ったことが露顕しても面倒なことになる。後者は何故早く言わなかったのかと文句を言われるだろう。前者の方がさっさと話が済みそうだ。

 狴犴の妹である饕餮が共にいる以上、何れ露顕する。獏も道連れにすれば、代わりに良い感じに話してくれるはずだ。窮奇はそう考えてここに来た。

「やだよ! 僕は関係無いんだからね! 猫と寝るの!」

「猫か……美味そうだな」

「や……やめてよ……食べ物じゃないよ……」

 笑みを消して本気の目をして言う冗談ではない。獏は黒猫を抱き締め、布団の中に突っ込んだ。獏が二階へ上がる時に黒猫が付いて来たので一緒に寝ていたが、一階には階段を上がるのが苦手な子猫もいる。子猫のことも心配だ。

「蜃も可愛がってた猫だから、食べたら蜃も悲しむよ……君のこと嫌いになるよ。一生、口を利いてくれないかも」

「…………」

 窮奇は徐ろに目を閉じ、天井を仰いだ。蜃に嫌われることは避けたい。

「オレは家畜と愛玩動物の違いはわからねぇ……だが蜃には嫌われたくねぇ」

 肉食の窮奇には、動物は全て等しく食料に見える。野生の肉食獣もきっとそうだろう。獏にはわからない感覚だ。


「――宵街に確認を取りました。ユニコーンさんの死について窮奇さんと饕餮さん、獏も共に報告に来るようにと」


 ドアの陰から静かに聞こえた言葉に、獏は瞬きを忘れて停止した。

 事が事なのでドアの陰で狴犴に連絡を取っていた灰色海月は、携帯端末を手に口を挟んだ。獏は愕然とし、窮奇は目を開けて「よし」と拳を握った。

「やだよ……最近は善行より宵街に行く方が多くない? 僕は罪人だよ……」

『罪人なら大人しく従え』

「通話切ってないなら言って!?」

『こちらも忙しいんだ。手間取らせるな』

 今度こそぷつりと通話が切れるが、獏は暫く口を噤んで携帯端末を睨んだ。灰色海月が端末を畳んで仕舞うと漸く安心した。

 統治者本人に呼び付けられれば、罪人は断ることができない。灰色海月は監視役の仕事を全うするために獏の首にしっかりと首輪を嵌め、宵街へ行く準備をする。

 窮奇と饕餮が獏の所ではなく直接宵街へ行っていればこんなことにはならなかったのに、動物面を被りながら獏は恨めしく思う。

 灰色海月は三人を連れ、宵街へと灰色の傘をくるりと回す。赤い酸漿提灯が並ぶ薄暗い石段を上がり、狴犴の待つ科刑所へ向かった。

 白花苧環(シロバナオダマキ)はまだ入院しているので狴犴の部屋の扉を開ける者は無く、返事を待って灰色海月が開けた。奥の定位置に狴犴の姿を見つけて頭を下げる。呼び付けたのは狴犴だが、彼は書類から顔を上げなかった。

 獏達はその手前のソファに腰を掛け、誰が口火を切るかと目配せし合う。獏が話せという無言の圧がある。

「いつでも話し出して構わない」

 顔を上げない狴犴に催促され、仕方無く獏は窮奇から聞いたことを話し出した。窮奇と饕餮も口を挟み、先程より詳細に語る。ユニコーンの最初の負傷はアイトワラスの仕業だが、殺したのは誰なのか不明だ。アイトワラスが止めを刺しに来たとも考えられるが、確証は無い。

 ユニコーンに頼まれて花街の古城へ行った窮奇と饕餮は地下へ、そこで(いん)が施されたドアを見つけた。その中にいたのが王ではないかと窮奇は推測している。

「……花街の中のことには首を突っ込まないつもりだが、もし窮奇の推測通りフェルニゲシュが監禁されているなら、最後に城へ攻撃したことで誤解されなければいいが」

「誤解って何だ? オレは遣り返しただけだぜ」

「宣戦布告だと思われていなければいいが」

「はあ? そんなに頭が悪いのか? 花街の奴は」

「頭の良し悪しの話ではない。花街の視点から状況を見てみろ。面識の無い獣が無断で侵入し、監禁している王に接触して王を出せと喚く。慈悲を見せて生かして追い出してやったのに、お前は攻撃をして去った。不審者が暴れているようにしか見えない」

「…………」

 窮奇は一旦口を閉じ、腕を組んだ。言われてみればそう見えなくもない。

「監禁しているなら、フェルニゲシュは悪事を働いたんだろう」

「宵街で言う所の反省室みたいな感じかな?」

 窮奇が黙り込むので、獏は反省室に閉じ込められていた狴犴を思い出して何気無く呟いた。狴犴は眉一つ動かさなかったが、不快な空気が漏れていた。罪人がそれに触れるなと言いたそうだ。

「聞こえた音からして、おそらく鎖で繋がれているのだろう。獏が立ち入り禁止の地下で聞いた音と同じではないか?」

「!」

 ここに呼ばれた理由を獏は漸く察した。窮奇と饕餮が獏の所に来たからではない。獏も花街の古城に入ったことがあるからだ。

「確かに……。地下に下りる階段は結構探し回ったから、地下室がそんなにたくさんあるとは思えない。僕達の行った場所と同じ可能性はある。……でも僕達は声は聞いてないよ」

「印にも気付かなかったのだろう? ドアに向かって攻撃することで視認できる物のようだからな」

「フェルは何をしたんだろ……花街から抜け出すのは禁止されてるから、抜け出し過ぎてお灸を据えられてる?」

「それは花街の問題だ。宵街は関与しない。だが誤解があるなら解かなければならない。拗れない内に謝罪すべきだろう」

「謝りに行けってか? 頭を下げるなんて御免だが? 謝ったらユニコーンを殺した冤罪を吹っ掛けられそうだしな」

「説明も無く逃げていれば怪しまれる一方だと思うが。こういったことは早期に謝罪する方が誠実さを感じる」

「獣に誠実を求めるなよ。寒気が走っただろ。何度でも言うが、オレは遣り返しただけだ。向こうから先に手を出してきたんだからな」

「無断で侵入し、監禁している王に接触して、『先に』は無いだろう。今回のことは私も謝罪文を出してやる。こちらの獣が粗相をしてすまなかったとな。私はお前の飼い主ではないんだが」

「腹立つ言い方だな。饕餮の前じゃなければ吹き飛ばしてる所だ」

 退屈そうにソファに凭れていた饕餮は自分の名前が耳に入り、はっと意識を戻した。夢の中に落ちそうになっていた。

「……小難しい話ばっかり……もう一回花街に行くならお金ちょーだい、狴犴」

「必要なら出す」

「本当!? 窮奇、また食べに行こうよ! まだ食べてない物たくさんある!」

「おい狴犴! 懐柔するな!」

 饕餮は無邪気な子供のように燥ぎながら窮奇の袖を引く。彼女はまだ事の重大さを理解していない。花街の大きさも獣の厄介さも、不穏な膜に包まれた城の不可解も、幼い彼女にはまだ難解だ。

「お前達を襲い、饕餮とだけ話そうとした獣はズラトロクだろう。その獣は女性としか話さないらしいが、二人揃って謝罪するのが礼儀だ」

「お前の妹だろ……下手すると殺されるぜ? オレはともかく、こいつはまだ不安定だ。体に付いて行けてないような……そんな感じがする」

 魂だけの化生をした饕餮は、体は以前のままだ。体と新しい魂が馴染んでいないのかもしれない。頻繁には起こらない現象ゆえに明言はできないが、とにかく一歳にも満たない今の饕餮はどのみち未熟だ。どれだけ能力の高い獣でも、最初は等しく未熟だ。

「よく観察しているな。それなら蒲牢(ほろう)を連れて行け。もしこちらの粗相以上に無礼を働かれた場合は、返り討ちにできる力がある」

「急に殺意が出たな」

 兄弟の死を何度も見たくないのは狴犴も同じだ。未熟な饕餮を送り出さねばならないことも胸中では不安なのだ。窮奇は能力だけを見れば充分頼りになるのだが、気の短さが玉に瑕である。蒲牢なら冷静な判断をしてくれるはずだ。狴犴は過去に贔屓(ひき)と大喧嘩をした所為で、彼に頼るのはまだ抵抗がある。

「謝罪はするが、下手(したて)には出なくていい。花街は最初から宵街を見下しているからな……これは好ましくない」

 花街に(ぬえ)達を使者として派遣した時も、ヴイーヴルが使者として宵街に来訪した時も、花街は舐めた態度を取っている。最初は警戒しているのだろうと様子を見ていたが、一向に歩み寄る気配が無い。フェルニゲシュは話を聞いてくれていたが、監禁されたとなれば今後が不安だ。

「だが花街の行動はどれも独断に見える。故に全員が見下しているとは限らないが……私も真意を読み取れない」

 つまり花街が何を考えているのかわからない。

「要は調子に乗るなってことだろ? そういうのはいいぜ。調子に乗るのはオレだけでいい」

「お前は対話に向かない。饕餮もあまり対話には慣れていない。蒲牢は男だ。ズラトロクとは話せない。獏、お前も以前と同様に同行しろ」

 無言で話を聞いていた獏は名前を出されて、鳩が豆鉄砲を喰ったような顔をした。喧嘩をして何百年も互いに謝罪をするでもなく距離を取っていた狴犴と贔屓を思い浮かべながら、早期に謝罪する誠実さなんて白々しい、と考えていたことが見透かされたのかと思ってしまった。

「また急に押し付けてきたね。知ってる? 僕って自由に外に出られない罪人なんだよね」

「知っているが」

「君って本当に面白味が無いよね」

諧謔(かいぎゃく)が聞きたいのか?」

「そういう所だよね」

「窮奇と饕餮の耳に装着しているのは翻訳機で間違い無いか? 獏が対話する時は貸してもらえ」

 獏は承諾していないが、花街に同行することを勝手に決められてしまった。罪人に自由は無い。只の観光なら獏も拒否せず快諾しただろう。前回花街に行った時は散々だったが、街自体は長閑で良い所だった。

「宵街には翻訳機は無いのかよ?」

「生憎だが。作れるか狻猊(さんげい)に尋ねておく」

 宵街は今まで言葉に困ることはなかった。花街という存在が現れなければ、これからも翻訳は必要にならなかっただろう。

「翻訳機はいいよ。僕も返し忘れた翻訳機を持ってるから。花街に行くなら、返す機会だと思うようにするよ……」

 狴犴は携帯端末で蒲牢に連絡を取る。現在携帯端末を持っているのは十歳以上の無色の変転人と灰色海月、贔屓と蒲牢、執行人の鵺、拷問官の睚眦(がいさい)、そして端末を作った工房の狻猊だけだ。試作機が仕上がるごとに、連絡が必要になる者に配布している。

 蒲牢を待つ間、饕餮と窮奇は獏に花街圏の食べ物の話をし、獏も興味深く耳を傾ける。前回、獏が花街へ行った時は、ゆっくりと街を回らなかった。古城観光の後に人間の街も少し見ようと考えていたが、そんな余裕は無かった。しっかりと堪能してきた饕餮と窮奇が羨ましい。

「ねえ、君達は立ち入り禁止の地下に行ったんだよね。上には行った?」

「上? 何かあるのか?」

「何かと言われると……暗い部屋?」

「何だそれ。下に面倒な獣がいたからな。次は上を見に行ってもいいぜ。そう言われると気になる」

 蠢く虫を見ていないなら話を広げるつもりはない。そうして話す機会を逃している気もするが、獏は話を戻す。

「面倒ではあるけど、ズラトロクって結局見逃してくれるよね。杖は構えるけど、僕達にも攻撃はしなかった」

「舐められてるのかもな。お前らなんかいつでも殺せる、とか思ってんじゃねーか? 次はあの澄ました顔を苦痛に歪めてやる」

「折角話をしてくれるんだから、いきなり手を出さないでよ」

 対話ばかり要求され、窮奇は眉を歪めて『面倒臭い』と言う顔をした。対話より一発殴る方が言うことを聞くだろう。暴力で捩じ伏せることで全てが解決する。宵街に関わると、まずは対話だと言われて面倒だ。

 蒲牢が科刑所に遣って来たのは、想定よりも随分と時間が経過してからだった。待ち草臥れた饕餮は転た寝を始めていた。

「……ごめん。急いでるのに遅れた」

 謝罪をしながら部屋に入った蒲牢は、頭に白いリボンを結んでいた。服装はいつものままだが、リボンを結びたい気分だったのかもしれないと皆は適当に解釈した。

「花街に行くんだから女装だよな? どんな服を着ればいいかわからなかったんだけど」

 どうやら頭のリボンは女装のつもりらしい。狴犴は女装しろとは言っていない。前回は獏達が女装をして花街に乗り込んだので、今回も女装をして行くのだと思い込んでしまったようだ。

「蒲牢、女装の必要は無い。迎合してばかりではこちらが下に、舐められてしまう。獏も着替えなくていい」

「早く言ってほしかった……。獏、このリボン返す。君の所から持って来たから」

「え? 僕の店から? 貸し出しはしてないんだけど。今度から買い取りだよ」

「……店なんだっけ」

 獏の牢に行けば棚に色々な物があったと思い出して立ち寄ったのだが、着られそうな服は無かった。布製の物はと言うとテーブルクロスや身を飾る装飾品、服の形をしている物は薄い上着や精々割烹着しか無かった。あそこにはまともな服が無い。

「蒲牢、こちらへ。詳しく話そう」

「話し合いは得意じゃないから一方的に殴る方がいいな」

 狴犴に呼ばれ、蒲牢は獏にリボンを返して奥へ行く。蒲牢は人と話すことは得意ではなく、寧ろ苦手な方だ。幼い頃に兄弟達だけで過ごしていた時に他人との交流が無かったため、兄弟以外と何を話せば良いのかわからないままだ。獏にはもう慣れたので話しているが、慣れるまでは最小限のことしか話さなかった。

 狴犴と蒲牢が花街の写真を見ながら話し合う間、獏達は退屈そうに待つ。蒲牢が同行するのは頼もしいが、渾沌(こんとん)と対峙した時に彼は無茶な戦い方をしていたので少々心配だ。今回は椒図(しょうず)が同行しない。無茶をすれば止められないかもしれない。

 二人はじっくりと話し合い、終わって振り向いた蒲牢の顔は少し陰っていた。あまり気が乗らないという顔だ。

「獏、これ持ってて」

 蒲牢は獏の前に細い小瓶を差し出す。中には小さな花と無色透明の液体が入っていた。獏にも見覚えのある物だ。

「それ……水抽花(すいちゅうか)、だっけ……?」

 人間の街の牧場で寄生虫が現れ鮮血が流れた時に、長実雛罌粟(ナガミヒナゲシ)が教えてくれた物だ。蓋を開けると延々と水が溢れ続けるという代物である。

「うん。戦うとなったら俺は両手を使うから、水を撒いてくれたら利用する」

「凍らせるの? 僕に判断できるかな……」

「どんな状況になるかわからないから、俺が判断を誤ってると思えば水を撒くな。撒かなくても戦えるけど」

「それ罪人が判断していいこと……?」

「獏とは前に共闘してるし、大丈夫だと思う」

「それ、僕の理性が飛んでる時だよね?」

 渾沌と対峙した時のことだ。あの時の獏は平静を失っていた。

「もし本当に必要だったら声を掛けてよ。蒲牢がどんな風に水を使うのか、よく知らないから」

「うん。その時は合図する」

 小瓶を仕舞い、獏は言われたことをもう一度咀嚼した。水を撒く必要があるということは、蒲牢は自力で氷を出力できるわけではないようだ。

「戦闘で使ったことはまだ無いから俺も手探りだけど」

「何か不安だなぁ……」

 獏は眉を顰め、狴犴の方を一瞥する。彼はいつも通り眉一つ動かさない。戦闘に関しては口出ししないようだ。

「準備が整ったなら出発しろ」

 狴犴は追い払うように書類に目を落とした。もう構う時間は無いらしい。

 狴犴が(したた)めた謝罪の手紙を持ち、四人は部屋を後にする。灰色海月は獏の首輪を外し、また留守番だ。

 忘れない内に獏は蒲牢にも翻訳機を渡し、彼は既に耳に付けている耳飾りとは逆の耳に装着した。

「謝りに行くなんて足が重いけど、トランプしながら行こ」

 部屋の扉を閉める時に聞こえた獏の言葉に微かに眉を顰めつつ、狴犴は書類に集中した。


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