175-利害
誰もいない街外れの林の中、深閑とした小さな教会の窓から射し込む光が薄れていく。
人間がいなくなり、この小さな教会は忘れ去られてしまった。もうずっと昔の話だ。何を崇めていたのか獣にはわからない。
(もっと早く逃げれば良かった……血を垂れ流してまで相手するんじゃなかった)
額に一本の角を生やした少女は、血の止まらない脇腹を押さえて長椅子の上で横になっていた。傷口を押さえて出血を止めようとしているが、少女の手では塞がらずに漏れてしまう。
(このままじゃ、動けるようになるまで時間が掛かりそう……。気を付けてはいるんだけどな……どうしても生娘を前にすると隙が……)
むざむざ攻撃を受けてしまった反省点に自覚はある。幾ら反省しようともそれは性根に刻まれており、すぐに直せるものではない。
回復を促すために少し寝ようと睫毛を下ろし掛けた時、誰も来ないはずの教会に不意に足音が聞こえた。
もう陽は暮れ外は暗い。こんな時間に人気の無い場所に入って来る者など碌な者ではない。
一本角の少女は長椅子の下へ身を隠そうとしたが、それよりも早く足音が椅子の間を覗いた。
「…………」
少女は足音の主と目が合う。その白い頭にはくるんと巻いた羊のような二つの角が生え、少女を凝視する。外見の年齢が同じくらいの少女だった。
(獣……追手!?)
「――窮奇ぃ、寝てる人がいる」
ふわふわとした白い髪を二つに結んだ少女は振り返り、連れを呼ぶ。足音は一人ではないようだ。連れの方が気配を消すのが上手い。
「あ? 住人か?」
連れの少年も椅子の間を覗き込む。白黒頭に牛のような角が生えていた。
「角が生えてるな。獣か。怪我してんのか?」
「寄るな!」
一本角の少女は杖を召喚し、それを支えに半身を起こす。また傷口から血が零れた。この負傷で獣を二人も相手取るのは無理だ。
「お前……」
牛角の少年は羊角の少女を退かし、狭い椅子の間にずかずかと入って来る。一本角の少女が突き付けた杖を素速く払い、止血されていない傷を一瞥した。
「丁度いいじゃねーか。饕餮、ラクタから貰った薬を出せ。こいつを手当てする」
「薬?」
「忘れんな。血染薬だ。教えただろ、輸血効果のある薬だって」
「あー……あった気がする」
羊角の少女ははっとした顔をし、紐で結んだ小袋を牛角の少年に渡した。小袋から真っ赤な錠剤を抓み出し、一本角の少女の口へ狙いを定める。
「ちょ、ちょっと待って! 今、ラクタって……言った? ラクタヴィージャのこと?」
「あ? 知り合いか?」
「ってことは……貴方達、宵街の獣!? 何でこんな所に……」
「死に掛けてんのかと思ったけど、案外元気だな」
「追手じゃ……ないの……?」
「追手? 何でお前を追わないといけねーんだ。初対面だよな?」
「わ、私は宵街を助けてあげたのよ。感謝されたわ。何て言ったっけ……あ、そう、狴犴とか言う奴に」
「狴犴……」
牛角の少年は顔を顰め、椅子に乗って後ろから彼の肩に手を置いて覗き込む羊角の少女を見上げる。彼女は怪訝な顔をしている。
「お前、名前は?」
「ユニコーンよ」
「……薄っすら聞き覚えがある気がする」
追手では無い上に宵街の獣とは運が良い。ユニコーンは痛む脇腹も気にせず畳み掛けるように喋ってしまった。腹に力が入る度に血が流れるが、身の安全のためにここは無理をすべきだった。
「オレは窮奇だ。こっちは饕餮。お前を助けるのは別に宵街を助けた礼とかじゃねぇ。お前の言葉が理解できたからだ。ここら辺の奴は何喋ってるかわからねー。だから言葉が通じるお前を助けて、美味い飯を教えてもらおうと思ったんだ」
「美味い……飯?」
ユニコーンは幾らか目を瞬き、力が抜けて椅子に転がった。杖も消え、疲れたように笑う。東洋の宵街から西洋の花街に戻ったばかりのユニコーンは、翻訳機を耳に付けたままだった。その御陰で会話ができただけだ。
「服、脱げよ。止血する」
「動きたくない」
「は? ……面倒な奴だな」
窮奇はユニコーンの口に血染薬を一粒捩じ込み、饕餮と手分けして服を脱がせた。貫通していないのが幸いだが、酷い怪我だった。人間なら瀕死か既に死んでいる。
饕餮はまだ手当てが不慣れなので窮奇が一人で穴を塞ぎ、包帯できつく締め上げた。塞ぐと言っても縫い合わせるには穴が大きいため、動物の皮で蓋をしただけだ。
「ねえ……今当てたのって何?」
「オレは怪我をした時、喰った動物の皮を切って傷口を塞ぐんだ。ちゃんと洗ってある」
「げえ……」
ユニコーンは顔を顰めるが、手当てしてもらっている立場で文句は言えない。何の動物なのか聞くのはやめた。人間から距離を置く獣に、人間のような丁寧な手当ては望めない。普通は綺麗な布だろうという言葉は呑み込んだ。
邪魔だからと背から退かされた饕餮は、一つ後ろの椅子から興味津々で窮奇の手元を覗き込む。
一仕事終えて窮奇は息を吐く。追加で二粒、血染薬を呑ませておく。
「まあこんなもんだろ」
「恩に着るわ」
「美味い飯を教えてくれればいい。饕餮は何でも喰うんだけど、オレは肉しか喰わないからな」
「本当に目当ては食べ物だけなの? 助かる……。ここらの料理と言えばピザとかパスタなんだけど、肉食なの?」
「それは見た。せめて肉が主の料理がいい」
「じゃあタリアータがいいかな。薄切り肉のシンプルな料理よ。見た目はローストビーフに似てるけど、それよりも生々しい肉を感じられる。もっとがっつきたいならビステッカ。Tボーンステーキよ」
「覚えられないけどそれにする。ステーキならわかる」
宵街を出てから数日が経っているが何も食べていなかった窮奇は、言葉を聞いただけで涎が出そうだった。
「貴方達、只の観光なの? 何でこんな所に? こんな偶然ある?」
「観光と言えば観光だな。花街を見てみたかった。ここに入ったのは、雨が凌げそうだし潜むにも良さそうだったからだ。先客がいるとは思わなかったけどな。偶然って言葉が何であるかわかるか? 偶然があるからだ」
答えになっていないが、獣が人間を避けて潜もうとすると、そんな場所は限られる。花街が本気でユニコーンを捜せば、すぐに見つかってしまうだろう。
「よくこのタイミングで観光しようと思ったわね……。私のことを知ってるなら、虫も知ってるわよね。花街は今、大騒ぎよ」
「虫の巣にでもなったか?」
饕餮の座る長椅子の隣に座り直し、窮奇はにやにやと笑う。対岸の火事だと思っている顔だ。他人事である。饕餮は呑気に人間から奪ったチョコレートを食べ始めている。
「そこまでじゃないわよ。いっそ城が巣にでもなって、ぶっ壊してくれたら面白いけどさ」
「それ、誰に遣られたんだ? まだこの辺りを彷徨いてるのか?」
突然話題を変えるが、近くに好戦的な獣が彷徨いているなら警戒しなければならない。傷を塞ぐために動物の皮を使うような野生的な獣はさすがに平和ボケしていない。
「追われてないと思うけど。花街で遣られたんだけどね、アイトワラスって奴に。わかる? 城の大公の一人よ」
「細かいことは知らねーが、花街の要職の奴か? 何遣らかしたんだよお前」
「…………」
外は暗く、人間が起床して店を開けるまではまだ時間がある。それまで暇な窮奇はユニコーンとの会話で暇を潰すことにした。
ユニコーンは傷を癒すために睡眠を取るべきだったが、恩人に礼くらいはしたい。塞いでもらった傷を押さえ、虚空を睨む。何故こんなことになったのか、聞きたいのはこっちだ。
「知らないわよ。城下町に虫に寄生された子がいたから、虫を駆除してあげたのに。後から出て来たアイトワラスに、虫を連れて来たって疑われたのよ」
「……くくっ、それでそのザマか?」
堪え切れずに笑いを漏らす窮奇に、ユニコーンは舌打ちをした。体が動けば一発殴ってやる所だ。
「寄生者は生きてるから、目が覚めたら私の疑いも晴れるわよ。その頃に城に乗り込んで、アイトワラスの野郎に謝らせてあげるわ」
「面白そうだから、疑いが晴れる前に乗り込んでみるか」
「何でよ」
「犯人がわからないんだろ? お前が冤罪を吹っ掛けられてる間なら、オレ達は疑われない。だろ?」
「馬鹿ねぇ。犯人が一人だって思ってくれてればいいけど?」
「窮奇は馬鹿ねぇ」
「おい黙ってろ饕餮」
チョコレートを頬張る饕餮の頬を、口を塞ぐように掴み、窮奇は強制的に彼女を黙らせた。
「あ、そうだ。どうせ行くんなら、フェルニゲシュの様子を見て来てくれない?」
「フェ……ああ、花街の王とか言う奴か?」
「へえ。宵街ってきっちり情報を散撒くのね」
「そんな仲良し小好しはしねぇ」
窮奇は脚を組み、吐き捨てる。窮奇だけなら情報は回っていないだろう。饕餮が宵街の統治者である狴犴の妹だから、情報が回って来るだけだ。危険には首を突っ込まないように情報を回しているようだが、それよりも饕餮の好奇心が勝っている。窮奇もまた宵街とは違う獣の棲む街に興味があり、彼女に同行している。虫の問題はあるが宵街と花街は敵対しているわけではない、と現状を認識している。
「別に話さなくてもいいから。様子をちょっと見るだけ」
「オレ達に何の利がある?」
「翻訳機をあげるわ。美味い飯を教わっても、人間と話せないでしょ?」
「…………」
確かにその通りである。看板の文字もメニューの文字も、人間の話す言葉も何もわからない。彼女から話を聞くだけでは、正確な料理の形もわからない。翻訳機があれば全てを理解することができ、欲しい物を手に入れられる。翻訳機は垂涎の褒美である。
「一理あるな。じゃあ、翻訳機と金を出せ。城に余所者が簡単に出入りできるわけないだろ? 翻訳機だけじゃ利が少ない」
翻訳機だけで満足すると安いと思われるかもしれない。相手が最初から高級な礼を出すはずがない。要求をそのまま呑むと不服な利用をされるかもしれない。自分は馬鹿ではない。そう思いながら窮奇は報酬を吊り上げた。
「金? 手当てしてもらったし、一食くらい奢るわよ」
「! いいのか?」
「いいわよ。二人分よね?」
「よし、交渉成立だ」
安いな、とユニコーンは思った。一食で満足なのかと。獣は何日も食事を抜いても平気な生き物なので、一食程度で満足してしまう。
「貴方達、頭に角が生えてるのに堂々と街を歩いてるの?」
「堂々としてれば怪しくないだろ?」
「でも目立つよね?」
生娘を求めてユニコーンも人間の前には現れるが、堂々と人間の行き交う中に飛び出したりはしない。騒がれて目立つと面倒なので、獣は潜むものだ。時代の変遷により人間は異形にあまり警戒しなくなったようだが。
「窮奇、チョコ無くなった」
「腹空かせとけ。夜が明けたらたくさん喰えるからな」
「やった」
一食の奢り、これを甘く見ていたのはユニコーンの方である。
* * *
花街の古城周辺は静かだ。建造物は無く、近付く者もあまりいない。
高い城壁に囲まれた中には花々が咲き誇る庭がぐるりと広がり、その向こうには背の高い古城が聳えている。
庭ではミモザが花の手入れをしていることが多い。一人で多量の仕事を熟す有能なアルペンローゼが手入れを手伝っていることもあるが、彼は今は不在だ。城下町に現れた虫の調査にミモザも派遣されているので、優先順位が下位である庭の手入れは少々滞っている。
アイトワラスは城壁に空いた城門を潜り、誰の姿も無い庭を通過する。城門の横には大きな傘と机が置かれているが、門番は席を外しているようだ。席を外しては門番の意味が無いが、門番が一人しかいないのが問題だ。庭にミモザがいれば防犯の面でも役に立つのだが、今は静寂が支配している。
「……あれ?」
庭の中に不自然に石の塊が出現した。綺麗に咲いていた花が下敷きになっている。あんな石はアイトワラスが出掛ける前には無かった。しかも一つではない。大小様々な石が法則性も無く散乱している。
「?」
辺りを見渡し、最後に上空を見上げる。大きな穴の空いた壁が目に入った。
(あそこは……スコルとハティの部屋か? 何の遊びをしたら分厚い壁に穴が空くんだ?)
だが有り得なくはないだろう。あの二人は何をするかわからない。そう納得し、アイトワラスは城へ入った。
ミモザがいない時は物音などしない廊下に足音が聞こえ、音の方向に目を向けて足を速める。
「おーい、ロク! リボンの付いた袋なんて持って、もしかしてワイスちゃんにプレゼント?」
「…………」
片手にラッピングされた袋を提げて一人で歩いていたズラトロクは、振り返ることもなく歩く速度を上げた。
「清々しい無視だな。……いつものことか。業務連絡があるんだけど、その話はできるか?」
「……業務連絡?」
男との会話を避けるズラトロクとて、仕事の話は無視をしない。速度を緩めて立ち止まる。追い付いたアイトワラスはひょいと顔を出した。
「それ、ワイスちゃんのプレゼント?」
「…………」
ズラトロクは再び無言で歩き出し、アイトワラスはけたけたと笑いながら後を追った。
「ごめんって! もう訊かないから! 無視するな」
「……男に揶揄われるのが一番不愉快だ。連絡だけ聞かせろ」
「城下町にまた虫が出た」
ズラトロクはぴたりと足を止め、初めてアイトワラスへ顔を向けた。
「しかも今回は犯人付きだ。ミモザを襲ってた」
「そのミモザは?」
「残念だけど、死んでたよ。現行犯だし犯人に一撃入れたんだけど、逃げられた」
「犯人の特徴は?」
「額に角が一本生えた獣。少女体だった」
「……すぐに会議をすべきなんだろうが、すぐは無理だな」
「何でだ? あ、プレゼントを渡したいなら、それくらい気にするなよ。待つ内に入らないからさ」
「違う。ヴイーヴルがいないんだ。外出中だ」
「そうなのか? 城下町にいなかったから、城にいるんだと思ってた」
「息抜きにでも行ったんじゃないか?」
「調査を任せ切りだったから?」
ヴイーヴルに調査を任せるのは、大公全員で決めたことだ。大公に知られまいと誰にも言わずにこっそりと内緒で抜け出したのだろう。いつも怯えている彼女は、休みたいとも言い出せなかったのだ。
「君は何故、城下町に?」
「ヴイーヴルさんの様子を見に。あと散歩」
「呑気に散歩している君を見たら、ヴイーヴルも文句の一つは言うだろうな」
「言わないと思うけどな。ヴイーヴルさんは」
「とにかく、会議をするならヴイーヴルが戻ってからだ」
「そういうことなら仕方無いな。適当に待機しておくよ」
ひらひらと手を振り、アイトワラスは自室へと向かった。ズラトロクも止まっていた足を動かし、自室へと向かう。
リボンの付いた袋なんて、我ながららしくない物を持っているとズラトロクは思う。横目で背後を確認し、アイトワラスの姿が見えなくなったことに安心する。
リボンの袋はハティの癇癪を見て思い付き、人間の街で調達した物だ。アイトワラスの言う通り、エーデルワイスに渡す物である。
最近のエーデルワイスは情緒が安定していない。彼女は過去の悲惨な事故の所為で心を閉ざし、夜中にズラトロクを襲うことが度々あった。それに加えてフェルニゲシュに異常が発生してから落ち着きが無くなった。アルペンローゼとゲンチアナが出て行ったまま戻らないことや、外からの侵入者の存在も影響している。プレゼントなど渡しても受け取らないかもしれないが、機嫌を取るのは悪いことではないだろう。
他には誰とも擦れ違わずに自室に戻ったズラトロクは鍵を締め、ベッドの上に目を向ける。エーデルワイスはベッドに縛られたまま、虚ろに天井を見ていた。
「そろそろ頭が冷えたか?」
尋ねても返事が無いことはわかっている。ズラトロクは縄を解き、彼女を解放した。彼女はすぐには起き上がらずに、呆然と天井を見詰めたまま動かない。
「少し話をしよう。まあ俺一人が喋ることになるんだが」
「…………」
「君はぬいぐるみには興味を示したことが無いからな。何を渡すか悩んだんだが」
リボンの付いた袋を顔の前に差し出すと、エーデルワイスは漸く目を動かした。ちらちらと顔の前に目障りなそれを叩き落とす。
「いらないなら構わないが、せめて中を見ないか?」
「…………」
エーデルワイスはズラトロクを睨み、距離を取りながら身を起こした。彼女の機嫌は直らないが、獣の機嫌を損ねると良くないことはわかる。少し頭が冷えた。
ベッドに落ちた袋を乱暴に掴み、リボンを解く。中には花の細工が付いた銀色の細い腕輪が入っていた。
(盗んできたな……)
顔を上げ、エーデルワイスはズラトロクを睨む。
「……誤解してそうだな。確かに人間に見つからないようこっそり貰ったが、代金は置いて来た。俺の角は目立つから、そこは大目に見てくれないか」
「…………」
「装飾品も君が好むかわからないが、首や耳だと付ければ君から見えない。指輪はサイズを測れる状態じゃない。ブローチは城の中じゃ特別な意味を持ってしまう。消去法で腕輪だ」
灰色の頭には仲の良かったアルペンローゼの黒いリボンがある。髪飾りは真っ先に選択肢から外した。
盗んだ物ではないことがわかり、とりあえずは袋から出す。エーデルワイスは装飾品など付けたことがない。華奢な腕輪を人差し指に通し、苛立ちながらぐるぐると回転させた。
腕輪を吹っ飛ばしてしまいそうなエーデルワイスの手首を掴み、ズラトロクは回る腕輪を抓んで彼女の腕に嵌める。仕事をする時に邪魔だとエーデルワイスは思ったが、今はもう仕事など殆どすることがない。他の大公やゲンチアナ、アルペンローゼには、ズラトロクの世話をしていると思われているが、世話をされているのはエーデルワイスの方だ。ズラトロクの部屋の掃除も湖畔での食事も彼が作っている。洗濯はミモザとアルペンローゼが他の獣の分と纏めて行なっているし、城での食事はハトとアルペンローゼが作っている。エーデルワイスは何もすることが無く、ただズラトロクの傍に飼われているだけだ。
エーデルワイスは手首に嵌まった腕輪を見詰め、力無く腕を下ろした。外す気力が無かった。
「どうやら落ち着いているようだ。これなら話せそうだ」
「…………」
「そのまま落ち着いて聞いてくれ」
エーデルワイスは目を伏せ、電池の切れた玩具のように動かなくなった。
「アルペンローゼが放り出された理由がわかった。スコルとハティはかなり前から、アルペンローゼに異常があると気付いていた」
「…………」
「アルペンローゼは宵街で異常の元を除去してもらった。近々帰って来られるだろう」
「!」
虚ろな目に光が宿り、エーデルワイスははっと顔を上げた。
「それからこのタイミングでヴイーヴルがいなくなった。おそらくアルペンローゼを迎えに行った。彼女が付いているなら道中も安心だ」
「…………」
安堵の中に不安を織り混ぜ、エーデルワイスは複雑な表情をする。アルペンローゼが帰って来ることは喜ぶが、本当にここに戻って来ても良いのかわからない。宵街にいる方が安全なのではないだろうかと思ってしまう。先日城に侵入した獏達も悪者では無さそうに見えた。ならばこんな歪んだ場所より、宵街の方が幸せに暮らせるのではないか。
「アナとアルペンローゼが戻って来れば元通りだ。君も安心だな?」
「…………」
エーデルワイスは再び目を伏せる。『元通り』は、彼女にはもう訪れない。元通りと言う言葉は、昔の彼女達が戻って来る時に言う言葉だ。彼女達はもう戻らないのだから、何も元には戻らない。
「だが二人が戻って来る前に、問題が一つ増えた。街を騒がせてる虫を連れて来た犯人が現れたらしい。額に角が一本生えた少女体の獣だそうだ。アイトワラスから聞いたんだが、ワイスはこれをどう思う?」
問い掛けに答えられる声は出ない。エーデルワイスはベッドを降り、机にあった紙とペンを取った。
『懸念は除去すべき』
「ああ。そうだな」
『アルとアナに危険が及ぶのは避けたい。私が始末する』
「できるか? アイトワラスが一撃喰らわせたそうだが。話を聞きたいから、生きたまま城に連行してほしいが」
『できる。少しでも息があればいいんでしょ?』
「最初は敵意を見せるな。穏便に連行できるなら、その方がいい。向こうが敵意を見せたら攻撃していいが、加減は怠るな。君はよく俺を襲うが、何十年も獣と手合わせしてるようなものだからな。君の実力は俺が保証している」
『恩着せがましい。不快。死ね』
「くくっ……」
ズラトロクは困ったように笑い、空になったベッドに腰掛けた。変転人の癖に頼もしいものだ。
先日の侵入者に対しては加減をするよう言い付けたが、敵意を見せた獣相手には加減などいらない。




