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透明街の人喰い獏 (2)  作者: 葉里ノイ


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166-浮かれた奴ら


 可愛らしく着飾った三人は初めて降り立つ欧羅巴の街を見渡し、華やかな景色に目移りしていた。何処をどう見ても少女達が楽しそうに遊んでいるようにしか見えない――とその内の二人は思っている。

 (ばく)は動物面を外して人形のような顔を晒し、フリルの付いた白いブラウスの上に黒いボレロを、そして黒いスカートを翻す。宵街(よいまち)が居場所を把握できるよう、烙印には首輪を付けていない。しかし烙印は目立つため、リボンを巻いて隠している。

 椒図(しょうず)は頭にバブーシュカを被り、フリルが多いワンピースにゆったりとした黒いローブを纏って無理矢理に顔周りや体格を隠した。却って怪しくなったかもしれない。

 (しん)は丈の長い小花柄のワンピースに黒いカーディガンを羽織り、椒図が結んだ三つ編みのままで来た。

 普段黒衣を纏う三人は、少女の格好でも自然と上着には黒を選んでしまった。

 目の色も髪も目立つ三人は人間の視線を多く浴びることになったが、そんなことが気にならないほど周囲に興味津々だった。カメラを持たされた金瘡小草(キランソウ)も物珍しく周囲を見回して獣達の後を追う。

「蜃の創った街とちょっと似てるよね」

「ん? まあ……そうだな。参考にした所はあるからな」

 獏の牢として以前に使用していた透明な街は煉瓦の建物が並んでいた。それを彷彿とする。

「人間は何を話してるかさっぱりだな」

「あ、忘れてた。アルさんとアナさんから予備の翻訳機を貸してもらったんだった」

「早く言えよ」

「二つしか無いんだよね」

 突然の故障や紛失に備え、アルペンローゼとゲンチアナは翻訳機の予備を一つずつ持ち歩いていた。それを貸してもらった。西洋の言葉は獏達にはわからない。翻訳機を介さないと花街(はなまち)で話が聞けない。

「一つは椒図が付けたらいいんじゃないか? 椒図に話を聞いてもらった方がいい」

「僕より蜃と獏が付けてくれ。幾ら女装していても、喋れば僕は男だとバレるだろう」

「あ……そうか」

「決まりだね」

 獏は一つを蜃に渡し、自身も耳に装着した。直後から周囲の人間の言葉が理解できるようになり、感嘆の声を漏らす。蜃も耳にカフスを付け、大きな目を丸くして周囲を見渡した。一気に世界が広がったようだ。

「ふふ。人間の街も気になるけど、先に花街に行こっか」

 四人は人気(ひとけ)の無い路地へと向かう。人間の気配が遠ざかった所で、金瘡小草は白い傘をくるりと回した。

 浅葱斑(アサギマダラ)に教わった通りに花街へ至った一行は、初めて見る花街の景色に暫し見蕩れた。平坦な土地に小さな花々が咲き乱れ、明かりの灯っていない丸いランタンが空に浮かんでいる。石造りの家が疎らに立ち、遠くに森があり、尖り屋根の大きな建物が見えた。

「あれが、城……」

 遠目にも目立つ古城、そこに王や大公がいる。

 穏やかな野原に、薄青い空が見下ろす。宵街よりも明るい花街はとても眩しく目に映った。

「観光客らしく、一枚撮っておきますね」

「うん。お城が映るように撮ろう」

 金瘡小草は首から提げたカメラを手に取り、古城をファインダーに収めた。古城は小高い丘の上に立っているので、離れていてもよく見える。カメラを持つのは狻猊(さんげい)の思い付きだったが、花街に行かずとも現地の様子を撮影して見ることができるカメラは持って来て正解だった。

「今更かもしれないが、」

 撮影が終わるのを待ちながら、椒図はぽつりと呟く。

「観光客を装わなくても、花街は全ての獣を把握してないんじゃないか?」

 獏と蜃はゆっくりと目を瞬きながら椒図を見る。宵街でも全ての獣の顔と名前は把握されていない。顔を見せ、名乗ることは義務付けられていない。少し考えればわかることだった。

「何でもっと早く言ってくれないの!? 外に出られるって浮かれ過ぎてた! 恥ずかしい!」

「いいんじゃないか? 僕も浮かれている」

「椒図は冷静だからな……」

 如何にも観光に来た旅行客より、現地の獣を装った方が遙かに警戒されないだろう。

「……あ。無知な観光客の方が、城に迷い込んだと言い訳ができるんじゃないか?」

「それ今思い付いたよね? 僕達にはフェルの招待状があるんだよ。言い訳なんて必要無いよ」

「そうだが、招待状があっても、城の中を自由に歩けるかはわからない。客間に通されて動けないかもしれない」

「じゃあ結局、勝手に潜入して探検した方がいい……?」

「向こうの獣に見つかった時に招待状を出して盾にすればいいんじゃないか?」

「椒図に賛成だな。話を聞く限りだが、俺も違和感がある。王は御飾りで、実権を握るのが大公なら、王の招待状が通用するのか?」

「確かに……。大公が牛耳ってるかもしれないよね。王様に内緒でアルさんを置き去りにしてるし」

 花街へ行くにあたりアルペンローゼから城内の御浚いを聞いたが、獣に関することはやはり殆ど聞けなかった。

「アルペンローゼは獣の能力を一切吐かなかったんだろ? 能力以外でも、獣周りのことはわざと黙っているんだろう」

「は? 協力してる(てい)で非協力的だったってことか? 変転人の癖に……」

「でも獣達の部屋の場所は地図に書いてくれたよ。獣の様子も見てほしいってことだと思うけど。それから……ズラトロクは森の中の湖畔にいることが多くて、城下町にはヴイーヴルがいるかもしれない。接触する前にお城に入っちゃお」

「それも花街の変転人から聞いたことだろ? 嘘じゃなかったらいいけどな」

「僕は信じるよ。黙秘と嘘は別物だから」

 にこりと含み笑いをする獏に、蜃は付いて来るんじゃなかったと思ったが、椒図が行くなら蜃も行かないわけにはいかない。椒図を一人にはできない。どうしても死んだ時の光景が脳裏から離れないのだ。

 写真を撮って待機していた金瘡小草を促し、獏達は古城に向かって長閑で美しい花街を歩き始める。古城は見えているが遠い。

「その辺に転がされてる自転車は自由に使っていいそうですよ。浅葱斑が言ってました」

「自転車? んー……僕は無理かな」

「どう使うんだ?」

「乗り物だ。見たことはあるだろ。人間が乗ってるからな。練習しないと乗れないはずだ」

「補助輪が付いてればいいけどね」

「練習が必要ならすぐには使えないな」

「金瘡小草はどうなんだ?」

「少しなら……」

 獣達は一様に感心する。宵街には自転車は無いが、彼女は乗る機会があるようだ。

「人間の街で乗ったの?」

「はい。本当に少しだけですが。物資調達の仕事で複数の店を回る時に。荷物が多い時がありまして。荷物を籠に入れられるので楽でした」

「物資調達……って、いつもの買物?」

「そうです。宵街中の要望を聞いて、人間の街に調達に行きます」

「へえ。君はよく買物に行くの?」

「昔はよく行ってましたが……今はあまり。今は人間を狩る仕事とか……」

「人間を狩るの?」

 物騒な言葉だったが、獏は興味を示した。何せ獏は人間が嫌いだ。

「獣の存在を知る人間は少ないですが、零ではないので。情報を募っていたり、獣に関する何かしらの蒐集家がいたり……度を越す人間は安寧のために狩ります。獣も全てが自衛できるほど強い人ばかりではないですし。人間に近いと言っても完全な人間ではない変転人も、獣と間違えられて被害を受けるかもしれません。昔はそういう被害もあったそうです」

「獣に興味のある人間はいるよね」

狴犴(へいかん)は人間の街へ行くことが無いので、私達が人間の街を巡回して情報収集もします。弱者が人間に虐げられることもあるので、もし囚われている人がいれば、すぐに報せるよう言われてます」

「ふぅん……」

 何処かで聞いたことのある場面だ。見世物小屋に囚われていた獏のことを言っている気がした。狴犴は多くを語らないが、同じことが起きないよう気を配ってはいるようだ。

 金瘡小草は無色の中で黒色蟹に次いで年長ということもあり、様々な仕事を任されてきた。感情はもう充分に育っており、今の宵街の有様は心が痛む。

 暫くのんびりと話しながら歩くと、家の数が増えてきた。長閑な田舎町のような雰囲気だ。出歩く者は見当たらないが、家々の間に入って行くと理解できた。

 路地の影を通りながら、明るい道の様子を窺う。壊れた家が散見され、あちこちに血痕があった。話し声がし、息を潜める。

 金髪の同じ顔をした少女達が掃除をしていた。大きな肉片を片付けている。

「虫に遣られたのか……?」

「かもね」

「じゃあ近付くのは不味いんじゃないか?」

「話を聞くなら後の方がいいだろうな。城の中で動き難くなる」

「うん」

 四人は被害の大きい道から離れ、路地を通って家の無い方へと歩いた。花街は広過ぎて家の密集も疎らだ。障害物の無い場所が多く、隠れる場所が少ないのが難点だ。幸い金髪の少女以外は誰もいないが。

「皆家の中に避難してるのかな」

「避難か待機を命じられているのかもしれない」

「また虫が出て来るかもしれないし、おちおち出歩け……」

 家々を抜けて野原を歩いていると視線を感じた。蜃は振り返り、草花へ目を細める。

「……あ」

 草花の中に小さな黒い塊を見つけた。声を出すと三人も立ち止まって警戒する。

「猫だ」

 黒いと言うだけで悪夢を疑ったが、一声鳴いたことで猫だと気付いた。蜃は嬉しそうに駆け寄り、黒猫を拾い上げる。

「ヒジキに似てるな」

 獏の牢で飼っている黒猫に、蜃はヒジキと名付けている。確かに真っ黒な体と金色の目はそっくりだ。この猫の方がふてぶてしい顔をしているが。

「黒猫なんて皆そんな感じじゃないか?」

「わかってないな椒図。黒猫じゃなくてヒジキだ」

「……そうだな?」

 理解はできなかったが、相槌は打った。黒猫を抱いて撫でる蜃が嬉しそうなので、細かいことは気にしない。

「変転人が飼ってるのかな? それとも野良猫?」

「花街には野良猫がいるんですか?」

「それはわからないけど。でもこれだけ広かったら、いるのかも」

 宵街には獣と変転人以外に野生動物はいない。飼育されているものは把握していないが、その辺を自由に歩き回る動物は皆無だ。

「猫を連れて城に潜入できるか? 鳴き声で気付かれるかもしれない」

「う……、そうだな……。ここでお別れだ、羊羹……」

「名付けるのが早いよ」

 蜃は名残惜しく黒猫を下ろし、振り返らずに歩を進めた。獏と椒図と金瘡小草は振り向きながら、付いて来る黒猫を眺める。

 人懐こい猫のようだ。一定の距離を保ちつつ付いて来る。鳴かないので追い払いはしないが、蜃は振り返らないので気付かない。

「城はまず何処から探るんだ?」

「ん? んー……どうしようかな。やっぱり一番気になる、立ち入り禁止の塔かな?」

「いいんじゃないか? 立ち入り禁止なら、人と擦れ違う心配も無いだろう」

「地図を描いてもらった時にアナさんが言ってた書庫に行ってみようよ。情報収集と言えば書庫だよね。探検の基本だよ」

 立ち入り禁止の塔にある書庫の窓から、フェルニゲシュの言っていた墓地も見下ろせるだろう。

 アルペンローゼに描いてもらった地図も持って来たが、都度地図を開いていては判断が遅れる。頭に叩き込んで来た。注意すべきは獣のいる部屋だ。それぞれの自室、そして会議室と食堂、これらが要注意だ。頻度は多くはないが罪人を処刑する部屋も獣が集まるので危険だが、その場所は教えられないとゲンチアナとアルペンローゼは口を閉ざした。部外者にぺらぺらと話せない機密だ。変転人は獣に逆らえないものだが、二人はよく躾けられている。疲れの所為かゲンチアナは立ち入り禁止の塔に書庫があると漏らして焦って誤魔化していたが。立ち入り禁止なのに立ち入ったと言っているようなものだ。

 古城に辿り着き、一行は城門の脇に立てられている目立つ大きな傘に釘付けになった。海水浴客が砂浜に立てる傘のようだ。その下に机と椅子が置かれ、兎の耳を生やした人物が座っている。

「誰かいるね……」

 一度立ち止まり、金瘡小草はまた写真を撮る。獣達は互いの身形を見合い、女装に不備がないか確認する。襟やスカートの裾を整え、皆で正面から堂々と入ることにした。傘の下にいる人物は頭に兎の耳が生えているが、獣のような恐ろしい気配ではなかった。

 堂々と城門を潜れば呼び止められないのではないだろうか。そう楽観的に思っていたが、そう上手くはいかず、しっかりと呼び止められた。

 兎耳は少年だった。ズラトロクは女性としか話さないと言うが、城には男性も多数いるようだ。

「こんにちは、皆さん。城に何か御用でしょうか?」

 想像していたより気さくな挨拶だった。獏が対話することにした。

「こんにちは。王から招待を受けたから来たんだけど、君は……獣じゃないよね?」

「王から?」

 兎耳の少年はきょとんと目を丸くする。王の客人など珍しい。

「この耳は付け耳なので、獣ではないですよ。耳が無いと落ち着かなくて。ウサギはしがない有色の変転人、穴があったら入りたい穴兎(アナウサギ)です。門番を遣ってます。不審者は即時通報、危険があれば脱兎の如く逃げ去ります」

「あ、待って、証拠があるから通報は待って」

 穏やかに自己紹介をしているが、聞き捨てならない言葉が混ざっていた。変転人は獣に敵わないため、相手をする前に城へ報せる決まりのようだ。

 獏は慌ててフェルニゲシュに書いてもらった手紙を差し出す。早速役に立ってくれた。彼に感謝だ。

 ウサギは封蝋の無い手紙を開き、目を通す。時折獏達を一瞥し、勝手に城に入らないか見張っている。

「……確かに王のサインがありますね」

 手紙を元に戻し、獏へと返す。

「王の客人を足止めするわけにはいきません。どうぞお通りください」

「君って最近雇われたの?」

「!?」

 ウサギは心底驚いた顔をするが、すぐに冷静を取り戻す。

 城へは(ぬえ)達が以前来ているが、門番の話など聞かなかった。アイトワラスに襲われたとしか聞いていない。アイトワラスは変転人ではない。このウサギとは別人のはずだ。

「さすが王の客人ですね……観察眼が優れているのか、初々しさが何処からか漏れてるんですかね。そうです、ウサギは最近雇われました。門の前にずっと座ってるだけで食事も付いてくる。良い仕事です」

「へえ……うん。頑張ってね」

 暇そうな仕事だな。獏達はそう思ったが、話し相手にはならず中に入った。城門で長時間立ち止まっていると厄介な獣が出て来るかもしれない。

 門番に認めてもらえたので、もうこそこそと怪しい行動はせずに済む。美しい花々が咲き誇る庭には幸い人影は無く、それ以上は呼び止められず城内に潜入できた。

 幅の広い階段を上がって城に入った瞬間から警戒を強めるが、石造りの廊下はしんとしていて誰とも擦れ違わない。大きな窓は等間隔に並んでいるが、間隔が広いためか薄暗い。注意すべき部屋は避けて階段を上がる。不気味なほど静かで、気を付けないと靴が床を叩く音が響いてしまう。

 一番奥にあると言う立ち入り禁止の塔にも、拍子抜けするほど簡単に入ることができた。塔を繋ぐ渡り廊下の扉には開いた錠が引っ掛かっているだけだった。

 立ち入り禁止の塔は天辺に円柱の塔が生えているが、下は四角く広く、幾つも部屋が並んでいた。頭の尖塔だけでなく下の区画も立ち入り禁止だとアルペンローゼは言っていた。

「遭遇する可能性が一番高いのはミモザだって言ってたけど、誰もいないね。たぶん城下町の方で見掛けたのがミモザだと思うけど」

「休憩中か?」

「だったら運が良かったな。……それで、猫はどうする?」

「え?」

 書庫の前まで来た一行は立ち止まり、椒図の問いに蜃はきょとんと首を傾げた。そして背後を振り返り、漸く気付いた。

「よ、羊羹? 何で付いて来て……って、知ってたんなら言えよ椒図」

「蜃以外は知ってたんじゃないか?」

「何で俺だけ知らないんだよ!」

 もう一度黒猫を抱き上げようと手を伸ばすが、頭を振って手を引く。これ以上懐かれてしまったら、城の中で動き難くなる。

「羊羹……」

 名残惜しく呟くと、黒猫はそれに答えるように一声鳴いた。

「鳴かない猫なのかと思ったけど、鳴くなら益々連れて行けないね。君の居場所にお帰り」

 獏を見上げ、黒猫はまた一声鳴く。

「動かないね。そんなに懐かれた?」

「……あ、もしかしたらこれでしょうか」

 金瘡小草ははっと思い出して、懐から巾着袋を取り出した。

「仕事の時はいつも持って行くんです。仕事が長丁場になった時に小腹を満たすためのクッキーです」

 獣は何日も食事を摂らずとも生きていけるが、変転人はそうではない。念のために持ち歩いている。

 袋を開けると黒猫も興味を示して金瘡小草を見上げた。

「食べ物があるなら動物は抗えないな。蜃もそうだ」

「何で俺が出て来た?」

「一つあげてもいいですか?」

「あげて満足してくれるか、余計に懐くか……試してみようか」

「はい」

 金瘡小草は蹲んでクッキーを一枚、黒猫の眼前に差し出した。黒猫は顔を寄せて匂いを嗅ぐと、すぐにクッキーを咥えた。そのまま踵を返して音を立てずに去って行く。

「食べ物目当てだったか」

「一つで満足してくれて良かったです。すみません、余計な心配を増やしてしまって」

「猫は可愛いから問題ない」

 すぐに角を曲がって姿が見えなくなってしまった黒猫を見送り、戻って来て顔を出さないかと待つ蜃の腕を掴んでやっと書庫へ入った。

 四人は頭を切り換え、部屋に並ぶ本棚とそれを埋める本をぐるりと見渡した。

「当然だが、背表紙にある題名は読めないな」

「翻訳機、貸すか?」

「いや、いつ何が起こるかわからないから。蜃が付けたままでいい」

 立ち入り禁止なので明かりは点けない方が良いだろう。だが廊下は窓から射し込む光があるが、部屋の中は暗い。廊下側には窓が無く、外側の窓は全て厚いカーテンが覆っている。各々常夜燈(じょうやとう)を取り出した。

「まずは墓地が見えるか、確認してみようか」

 書庫は最近掃除がされたのか大方埃が除かれていたが、所々に白く残っている。暗いので気にならなかったが、窓に掛かるカーテンを動かすと埃が舞って咳き込んだ。

 少しだけ開けたカーテンの隙間から下を見下ろし、誰もいないことを確認する。眼下の城壁内には庭が広がり、その一部に高い壁が築かれ小さな墓地のような一角があった。墓標のような石が立っている。

「フェルが言ってた墓地ってあれのことだよね」

「墓地と言われれば墓地……そうじゃないと言われれば墓地じゃないような……」

「だが故意に置いた石であることは確かだな。九つも……並んではいないが、ほぼ等間隔に置かれている」

「ここからじゃ壁の陰になってる所もあるし、後で地下通路も行ってみようよ。ヴイーヴルが部屋にいなかったらだけど」

 地下通路の入口はヴイーヴルの部屋の中にある。ヴイーヴルが中にいると追い出すのは至難だ。

「地下通路は気になるが、墓地に屋根は無い。外から飛んで入る方が簡単かもしれない」

「あ、そっか。僕は烙印で飛べないけど、椒図は飛べるんだっけ?」

「いや、僕は飛べない」

「何で提案したの?」

 つまり飛べるのは蜃だけだ。蜃も正確には飛べるとは言えないが、飛んでいるように見せることができる。

 隙間を覗き込む男だか女だかわからない背中を少し離れた場所から見守りながら、金瘡小草は本棚を一瞥する。ローマ字なら何とか読めるが、言語となるとさっぱりだ。

「この城や墓地のことは、ここの本には書かれてないんでしょうか?」

 何気無い問いに三人ははっと振り返る。ここは書庫であり、人間の街で出版された本だけを集めた部屋だと決まったわけではない。この中に記録や資料として使える本もあるかもしれない。

「キランさん、冴えてるねぇ。情報収集とは言ったけど、雰囲気で言っただけだったから」

「恐縮です」

「翻訳機が二つしかないと、全部の本を確認すると陽が暮れそうだな。何千冊あるんだろう……背表紙で何とか当たりを付けないと」

「やっぱり椒図が翻訳機を使ってくれ……」

 椒図は尚も遠慮するが、蜃は無理矢理彼の耳に翻訳機のカフスを装着した。蜃は普段、本をあまり読まない。椒図も暫く地下牢にいたので読んでいないが、椒図の方が判断力はある。

「私も中を確認して、当たりを付けられないか見てみます。挿絵があれば内容の見当が付くはずです」

「絵なら俺でもわかるぞ。じゃあ金瘡小草は右の端から、俺は左から行く」

「わかりました」

 立ち入り禁止と言うだけあって、ゆっくりと本を探っていても廊下には何も気配が接近することはなかった。翻訳機を付けた獏と椒図は順に背表紙を目でなぞる。翻訳機は耳に付けているだけなのに、読めないはずの文字が鮮明に読み取れる。カフスからは何も聞こえないのに不思議だ。

 本は古い物ばかりで、人間の街で発行された本ばかりだった。発行年を確認すると、最も新しい本でも六十年ほど前だ。物語の本や小難しそうな本、料理や園芸の本もある。

「お城の本は無さそう……」

「こっちもだ。蜃、金瘡小草、著者が書かれている本は見なくていい」

 花街のことを書くなら著者の名前など書かないだろう。不特定多数に見せるような物ではないはずだからだ。

「それならこちらに著者名の無い本があります。絵本のようですが」

「絵本? 見てみるよ」

 椒図は本を棚へ戻し、声の方へ行く。獏と蜃も興味を示して金瘡小草のいる棚へ向かった。

「これです」

 金瘡小草の差し出した本は他の本ほどの厚みは無かったが、絵本ならよくある薄さだ。

 表紙には厚紙が使われており、何も書かれていない。狭い背表紙にも何も書かれていない。中にだけ絵と文字が書かれていた。

「よく見つけたね。これ、手作りの本だよ」

「内容は……黒い龍が人間を脅かしている童話のようだな」

「最後は……あれ? 人間を脅かしたままだね。なんて良い結末……」

「途中なんじゃないか? 頁が破れてる」

 翻訳機が無くて読めない蜃と金瘡小草は本と二人を交互に見ながら、大人しく餌を待つ雛のように翻訳を待った。

 それに気付いた椒図は絵本を読み聞かせる。悪戯好きの黒い龍が人間を脅かし、人間と対立し、だが人間は黒い龍に歯が立たなかった。『それでも龍は殺戮を止めないので、人間は涙を呑みながら、黒い龍に』という一文を最後に、破れて読めない。

「涙を呑みながら……、何だろうね? 良いことではないのは確かだけど」

「降伏した、とかか? 諦めた、とか」

「大人しくすることを選んだ、と書かれているから、諦めたんだろうな」

「途中だと思うと、気になる……」

 ぼそぼそと顔を突き合わせて絵本を眺めるが、書いてあること以上のことはわからなかった。書かれている黒い龍が実在する獣を指しているのか、誰かの空想なのかもわからない。実際に起こったことなら花街の誰かが知っているはずだが、花街の知り合いは限られる。ここにある他の本の中で一番最近の物でも六十年前ということは、手作りの絵本も六十年前かそれ以前の物である可能性が高い。三十代のゲンチアナとアルペンローゼは知らないだろう。

 口を閉じて静寂に包まれた時、微かな物音が耳朶に届いた。何かを引き摺るような音だった。獣の三人は顔を上げるが、金瘡小草は耳を澄ませてやっと僅かに聞き取れる程度だった。獏は口元に人差し指を当てて常夜燈を仕舞い、金瘡小草も声を出さずに頷く。椒図は静かに本を閉じ、音を立てずに本棚に仕舞った。

 立ち入り禁止の塔で聞こえる物音とは何なのか考えるが、人為的で無いとすれば先の黒猫のような動物くらいしか思い付かない。言葉を知らない動物なら、立ち入り禁止と言われても理解できないだろう。

 砂の入った重い麻袋を引き摺るような音は途切れることなく大きくなり、再び小さくなる。書庫の前の廊下を通過したようだ。もし人が何かを引き摺っているなら足音も聞こえるはずだが、足音は聞こえない。

 暫く口を噤むが音は戻って来ず、元の静寂だけが残った。

「……何だったんだ?」

 最初に小声で呟いた蜃に続き、獏と椒図も声量を落として呟く。

「わからない……人が歩く音は聞こえなかったよね。匍匐前進か、猫かな?」

「或いは飛んで、何かを引き摺っていたか」

「覗いていいと思うか?」

 蜃の問いに獏と椒図は黙考する。書庫の廊下側の壁には窓が無い。廊下の様子を確かめるにはドアを開けるしかない。

「ドアを開けてさ、目の前に何かいたらどうする?」

「だが出るにはドアを開けるしかない。庭側の窓は先程確認したが、開けられないよう釘が打ち付けてあった」

「釘? 立ち入り禁止だからってそこまでする? 入られないようになのか、出られないようになのか……」

「ここで籠城は嫌だぞ。ジャンケンで誰がドアを開けるか決めよう」

「いいけど。じゃあキランさん以外で」

 考えていても外の様子はわからない。潔くドアを開ける選択をする。獣三人は金瘡小草が見守る中、拳を突き出した。

 その結果、蜃が本棚に拳を打ち付けることになった。

「――くっ、君達がこんなにジャンケンが強いなんて知らなかった……」

「偶々かなぁ」

「偶々だな」

「ここで偶々を発揮するな!」

 文句を言いながら、自分が言い出したことなので蜃は仕方無くドアへ向かう。それを追って背後から椒図は手を伸ばし、自分が付けていた翻訳機のカフスを蜃の耳へ付け返した。もしドアの向こうに花街の者がいたら、言葉が通じないと話ができない。

 蜃がドアに手を掛けると、三人は本棚の陰へ隠れて見守る。蜃はドアに背を付け、猫だったら良いなと思いつつゆっくりとドアノブを捻った。音を立てずに隙間を開け、目線の高さに誰もいないことに安堵して隙間を大きくする。全て開いてドアの裏も確認し、漸く胸を撫で下ろした。

 だが床に視線を下ろして息が止まった。廊下の真ん中に赤黒い何かが真っ直ぐに引かれていた。

「……何もいない……が、赤い線がある。たぶん血痕だ」

「血痕……」

「本当に何もいないの?」

 金瘡小草を背後に、椒図と獏は順に蜃の背中から廊下を覗いた。蜃の言う通り、書庫の前には赤黒い線が引かれていた。血の色だ。左右を見渡すが、太い血痕は途切れることなく続いている。

「音は廊下の奥から、僕達が歩いて来た方へ進んでいた。始点か終点か、確認するか?」

「二手に分かれるか?」

「行くなら一緒に行こうよ。招待状は一つしかないし、別れたまま合流できなかったら面倒だよ」

「じゃあ始点に行ってみるか? 終点は何かいるかもしれない。だがもし何かいるなら、確認しておきたい気もするな」

 終点にはおそらくこの血痕の元があるだろう。想定外の場所で不意に遭遇するより、居場所がわかる今、確認しておいた方が安心できる。危険に接近することになるが、獏達の侵入には気付いていないはずだ。気付いていればドアの前で止まっただろう。

「じゃあ危なそうだったらすぐ引き返すとして、少し見に行ってみる?」

「そうだな。気付かれないように」

「本当に見るだけなら行ってもいいが……」

 獏と椒図は『本当に見るだけ』と蜃のその言葉を繰り返し、力強く頷いた。安心のためではあるが、好奇心もある。初めての旅行なので、心が浮ついていた。

 四人は背後を警戒しながら、血痕の無い廊下の端を歩いて終点へと向かう。一体何を引き摺ったのか、血が出るのだから生物であることは確かだ。

「立ち入り禁止だって言うのに、何で何かいるんだよ……」

「侵入されないように閉じてるわけじゃないからねぇ……錠が開きっぱなしで変転人だってすんなり入れる。僕達だって呆気無く入れたし」

窮奇(きゅうき)みたいな奴がいて、喰うための物ならまだ気にならないんだが」

「新鮮なお肉ってこと? それ廊下に引き摺る?」

 血痕は廊下を曲がり、螺旋階段の上へ続いていた。先程登って来た階段は幅が広かったが、この螺旋階段は狭く、四人が横に並べない。二人が限界だ。血痕を踏まないように一列になり、椒図を先頭に登っていく。壁に窓は無く明かりも無いが、隙間から外の光が漏れているのか完全な闇ではない。

 どれほど登ったか高さはわからないが、やがて終点が見える。そこにはドアが一つあった。ドアには隙間があり、その中へ血痕が消えている。

 このドアの向こうに何かがいるに違いない。四人は息を殺し、顔を見合わせて頷いた後、静かにドアを覗いた。

 ドアの中は螺旋階段よりも暗く、殆ど何も見えない闇だった。椒図と蜃、そして金瘡小草は目を凝らすが、何があるのか、部屋の広さもわからない。ただ臭いだけは鼻に届いた。錆と何かが腐敗したような不快な臭いだ。

 夜目の利く獏だけは、臭いだけでなく部屋の中も見えた。獏は人差し指を口に当て、三人に目配せする。無言で螺旋階段を指差し、もう行こうと促した。

 幾ら目を凝らしても何も見えてこない三人は諦め、言葉を交わさないまま階段を下りた。

 無言で螺旋階段を下り、血痕を辿って書庫まで戻った。

「――獏、何か見えたのか?」

「……よくわからなかった」

「そうか。明かりを点けて確認したかったが、もし何かいた場合、確実にこちらに気付かせてしまうからな。……鼻にまだ不快な臭いが残っているな。ゴミ捨て場か? あれ以上は無理だ。今度は始点の方へ行ってみるか?」

「うん」

 何も出て来なくて安心した。椒図は少し物足りないようだったが、蜃は胸を撫で下ろした。その二人の後ろを歩きながら、獏は血痕に目を落とす。

(何か……いた)

 夜目の利く獏にだけは、微かに動く物が見えていた。だがこんな所にそれがいるはずがない。見間違いかもしれない。そう思ってしまい、三人には言えなかった。幾ら夜目が利くと言っても、暗ければ暗いほど輪郭は掠れてしまう。見えたものに確信が持てなかった。

 闇の中で動いていた輪郭は、変転人に寄生するあの虫に似ていた。だがそれよりもずっと小さい。人の半分ほどの大きさだった。その足元には何かが幾つも転がっていたが、重なり合ってよく見えなかった。あれが血痕の元なのだとすると、花街の中心であるこの古城に変なものが棲み着いていることになる。古城に棲む獣達はそれに気付いていないのだろうか。知らぬ間に棲み着かれていたとしたら――薄ら寒いものを感じ、獏は険しい顔で身震いした。

(……でもあれがあの虫なのかわからないよね。もし関係があったら……)

 獣が多数棲む城にあんなものがいて誰も気付かないだろうか。誰も立ち入らないから気付かないのか、誰かが招き入れているのか――もし後者なら、この古城の中で迂闊に口にできない。立ち入り禁止の塔の上なんて、それを隠しているとしか思えない。口封じされるだろう。

(何か……嫌な感じ……)

 血痕を辿って角を曲がると、始点が見えた。血痕は唐突に途切れていた。壁を見ると近くにドアがある。

「獏、顔色が良くないが、疲れたか?」

 立ち止まり振り向いた椒図は、獏の元気が無いことに気付いた。面を被っていても手に取るように表情がわかる獏が今は面を被っていないのだから、一目見ただけで様子が違うことがわかる。

「え? ううん、大丈夫だよ。ちょっと考え事をしてただけ」

「そうか? それならいいが」

 獏は先程見たものを頭から振り払い、笑顔を作る。元の顔に戻った獏に椒図は安心するが、気を遣っているのではないかと少し心配を残す。

 今度のドアには隙間が無く、またジャンケンをすることになった。また蜃が開けることになったが、廊下は明るいので螺旋階段の時よりは緊張感が薄い。

「ここで運を発揮するなよ……」

「だって怖いもん」

「わざと負けるのは嫌だな」

 意を決して蜃はドアを開けるが、明かりが点いていない中は薄暗い。今度は夜目の利かない二人でも少し輪郭が見えて何もいないことがわかったため、常夜燈を翳して部屋の中へ入る。離れて見守っていた獏と椒図も常夜燈を掲げて部屋を覗く。その後ろから金瘡小草はカメラを構えた。

「普通の部屋だな」

「普通か? 玩具だらけだろ」

「子供部屋かな?」

 三人は口々に漏らしながら、ぐるりと見回す。暗くて細部はよく見えないが、机と椅子、ベッドがある。壁の棚にはあまり物が置かれていないが、其処彼処に玩具が散乱していた。

 幼児が遊ぶような木の玩具や子供用の安っぽい楽器、木彫りの何だかよくわからない物、ぬいぐるみ、人形が部屋を埋め尽くさんばかりに転がっている。どれも埃が積もっており、随分と掃除がされていない。

「……最近誰かが立ち入った形跡があるな。床の埃にドアを開けた跡と、足跡も幾つかある」

「蜃の靴と大きさが似てるね。ってことは、小柄な女の子の足跡かな?」

「だったらゲンチアナじゃないか? 書庫のことしか聞かなかったが、あちこち見て回ったんだろ」

 特筆すべきことの無い部屋なら、情報として話す価値は無い。黙っていたわけではなく、話す必要が無かったのだ。

「ゲンチアナ以外の足跡だとしたら不味いな。立ち入り禁止とは言え、立ち入っている人が確実にいることになる。錠が外れているんだから、そうだろうとは思っていたが」

「あ……。僕達がここに入ったのが足跡でバレるね」

「冷静に話すな。少しは慌てろよ。足跡散らして出るぞ」

 椒図と獏の背を押し、蜃は自分達の足跡を蹴散らしながら金瘡小草の待つ廊下へ出た。

「結局、終点も始点もゴミ捨て場と玩具以外は何も無かったな。終点は少し気になるが。次はどうする?」

「うーん……」

「螺旋階段のあの部屋が最上階のようだからな……下に行ってみるか?」

「下?」

 足跡を消すのを手伝わない獏と椒図は次の行き先の相談をする。蜃は不満に思いながらも処理をしてドアを閉めた。ジャンケンの敗者はここまで面倒を見ないといけないらしい。

「地下通路が一つとは限らないだろ? もしかしたらこの下にも地下があるかもしれない」

「あ、成程。ヴイーヴルの部屋に入るのは難しいけど、立ち入り禁止のここだと誰にも見つからずに行けるよね。誰もいなかったら、だけど」

 獏は血痕に目を遣り、椒図も笑う。本当に誰も立ち入らないなら、こんな大袈裟な血痕は出現しない。

「笑い事じゃないぞ、椒図」

 どうにも緊張感が無いので、蜃は一喝した。獣は適当な生き物だが、気を引き締めるべき所は引き締めるべきだ。人間に比べると血は見慣れているが、警戒はすべきである。

「すまない、蜃。地下牢だと廊下に血痕は頻繁にあったからな。慣れてしまった」

「え? 地下牢はそんなに流血沙汰があるのか? 罪人は力を使えないだろ?」

「ああ、使えない。牢から出ることもできない。だが気力を削ぐためなのか、見せしめに睚眦(がいさい)が血達磨を引き摺って歩いていた。おそらく拷問をした獣だろうな」

「え、怖いよ椒図……それ遣られてよく脱獄に乗ったね……」

「他ならぬ蜃の迎えだったからな」

 椒図は笑うが、笑い事では無い。地下牢で蜃に手を引かれた椒図は、並の覚悟ではなかったのだ。それを今更知り、蜃はばつが悪くなった。椒図が拷問された時は逃げ出すことができたが、もし逃げられなかったら彼が引き摺り回されていたかもしれない。

「……ああ、蜃が落ち込んでしまった。こんな所で話し込まないで早く次へ行こう」

「椒図……」

「謝らないでくれ。僕は気にしてない。友達だろう?」

 友達だとしても、謝っても良いはずだ。椒図は友達という存在をとても綺麗なもののように見ている。何でも許せて話せる、それが友達だと思っている。……怒る時もあるが。

 椒図は生まれてこれまで、独りで過ごした時間の方が長い。最初は関わりを避けていたが、蜃と出会って友達に憧れを抱くようになった。それまで出ることができなかった狭い部屋から外へ連れ出した蜃は、闇に垂らされた蜘蛛の糸のように輝いていた。

 二人の様子を見つつ歩き出し、獏はそれを少し羨ましいと思う。獏も生まれてこれまで独りの時間が長かった。そこまで信用できる相手がいるのは素直に羨ましかった。

「……ん? 獏もまた元気が無いな。手でも繋ぐか? 友達は手を繋ぐらしい」

「何処でそういうの覚えてくるの?」

「彼女が二人できたみたいだな」

「また変なことを言う……。椒図も今は女の格好だぞ」

 椒図は自分の格好を見下ろし、スカートを穿いていたことを思い出した。もしズラトロクに会わないのなら、これほど滑稽なことはない。

 仲の良い獣達に、後ろを歩く金瘡小草も微笑ましく思う。彼女が宵街で過ごした時間は長いが、ここまで仲の良い獣は初めて見る。啀み合うよりずっと良い。

 一行は一階に下りたが、下へ続く階段は探しても見つからなかった。

「階段は無さそうだな。この後はどうする?」

「待って。階段はドアの向こうかも」

「有り得るな。片っ端から開けていこう」

 ジャンケンをしている時間は惜しい。廊下には血痕も無いので、警戒はするが近くのドアから手当たり次第に開けていく。中は少しだけ家具が置かれた普通の部屋、もしくは伽藍堂の何も無い部屋だけだった。地下へ続く階段がヴイーヴルの部屋の隠し通路のように隠されているとしたら一目では見抜けないが、部屋を一つ一つ調べるのは時間が掛かる。血痕を引き摺るような何かがいるとわかったのだから、あまり時間を掛けたくはなかった。一見して階段が見当たらないなら次のドアだ。

 幾つ目のドアだっただろうか、下へ続く階段はわかりやすく口を開けていた。今まで歩いた城内の階段より荒く積まれた狭い石の階段が闇へ続いていた。窓も明かりも当然無い。

 先程の螺旋階段を思い出し、四人はそれを覗き込み、こくりと唾を呑んだ。螺旋階段よりも細く、一人ずつしか歩けない。

「……ここに来て一番怪しい雰囲気が出て来たな。上の階段はまだ足元が見えてたが……」

「ああ。まるで地下牢のような……」

「ちょっと、怖いこと言わないでよ」

「居心地が良さそうだと思ったんだが」

「椒図の感覚は常軌を逸してるからな」

「頼もしいね……」

 狭い暗所が好きな椒図を先頭にし、常夜燈を掲げながら一行は階段を下りる。ここまで来て引き下がるわけにはいかない。獣が闇を恐れてどうするのだ。一方金瘡小草は慣れているのか、怖がる素振りを見せなかった。

 常夜燈に照らされる壁に、等間隔に小さな凹みと突起がある。蝋燭を立てるための物だろう。

 壁に体を擦り付けなければ擦れ違えない程の幅しかない狭い階段が終わり、前方を照らすと狭い通路の左右にドアが交互に幾つか並んでいた。奥まで歩くが、行き止まりはすぐだった。左右に六つずつドアが並んでいる。地上とは異なる、重そうな鉄のドアだ。

「探検らしさが凄く出て来た……試しに開けてみる?」

「冷暗所か……ワインか死体か?」

「天国か地獄かみたいな二択やめろ」

 冗談なのか何なのか、やはり椒図の冗談はわかり難い。

「ノックしてみる?」

「死体が返事したらどうするんだよ」

「返事があったら死体じゃないと思うなぁ」

「ワインだったらどうする?」

「ワインがどう返事するんだよ」

 適当な冗談に全て答えてくれる蜃が面白くなってきた獏は、椒図に倣って蜃をからかう。場違いなほど和やかな空気が流れた時、ドアの向こうで金属が擦れるような小さな音が聞こえた。三人はびくりと硬直した。

「え? 何? 何かいる?」

「鼠か?」

「不安定な物が落ちたとか……」

 まさか螺旋階段の上で見たあれがここにもいるのだろうか。見間違いだと振り払おうとしていた獏は眉を顰め、再び警戒を強めた。

 三人がドアの向こうへ集中した時だった。後ろにいた金瘡小草が素速く振り返り、掌から勢い良く草刈り鎌を引き抜いた。

「!?」

 金属のぶつかり合う音が闇に響き、跳び退いた灰色の少女が天井の暗い照明器具に足を絡めてぶら下がる。少女は吟味するように侵入者達を凝視した。

「下がってください。変転人の相手は私がします」

「…………」

 頭に黒いリボンを結んだ灰色の少女は無言で金瘡小草をぎょろりと見詰め、手に持っている鉄球の付いた長い棒――メイスを構える。

 金瘡小草はもう一本草刈り鎌を抜き、二つの鎌の柄を変換石を用いて鎖で繋ぐ。

「まさか……別名が地獄の()の蓋だからって、武器が()……!?」

「は、恥ずかしいのでやめてください……若気の至りです」

 無色の変転人の武器は、自身の特徴から連想して生成することが多い。金瘡小草もまた、自分の別名から連想した。今は少し後悔している。自分の武器は急いで決めるものではない。

 灰色の少女は首を傾け、体を柔軟に捻って飛び掛かる。金瘡小草は鎌でメイスを迎え撃ち、力を込めて押し返した。

(重い……! それにこの人、気配が無さ過ぎる!)

 一言も声を発さず、灰色の少女は闇の中へ跳び退く。金瘡小草の背後には常夜燈の光があるため狙いを付け易い。だが灰色の少女の側には明かりが一つも無い。だとしても、闇に紛れているから、と言う以上に彼女の気配は稀薄だった。

 様子を窺う数発の攻撃の後、灰色の少女は嫋やかにメイスを振った。この狭い通路の中でも戦い慣れているのか、空間を把握している。金瘡小草はできるだけ相手を引き付け、寸前で攻撃を躱す。打ち合う金属音が闇に響く。

 メイスは容赦無く金瘡小草の頭を打とうとし、避けたと思った直後に腰を打とうとする。まるで武器を二本持っているかのような素速さだ。金瘡小草は腰を引くが、躱しきれずに攻撃を受けてしまう。

「ぐっ……!」

「キランさん!」

 幾ら相手が変転人だからと言って、黙って見ているわけにはいかなかった。三人は杖を出そうとし、不意に寒気が走った。


「――こんな所で暴れるな、招かれざる客人」


 闇から伸びた手は蜃の背後から顎を掴んで引き寄せた。ぞわりと全身に悪寒が走り、蜃の顔が強張る。

 背後には誰もいないはずだった。すぐそこには壁がある。後ろに道なんて無い。正確に転送して遣って来たのだとしても、この場の状況もわからないのに針の穴に糸を通すような芸当が可能なのだろうか。

 大きな手に顎を掴まれた蜃はそれを剥がそうとするが、びくともしなかった。顎を押さえられ、声を出すこともできない。

「蜃から離れろ! さもなくば、殺す」

 椒図は杖を手に、怒りを隠そうともせず背後の男を睨み付ける。

「威勢がいいな。だが俺は争いに来たわけじゃない」

 男は二人の変転人に向けてサーベルのような形をした杖を伸ばした。

「! 何するつもり!?」

 杖を構えるより、相手の杖を叩く方が早い距離だ。獏は男の手を殴るが、それも構わず彼の杖の変換石が光った。

 金瘡小草が攻撃される――そう思って手を出したが、彼女は無傷だった。まるで後ろに引かれたように灰色の少女が後方へ下がっただけで、金瘡小草には特に変化は無かった。

「ワイス、もういい。下がれ」

 灰色の少女はメイスを掌へ仕舞い、言われた通りに下がって静かに立った。

「俺が君達に接近するために、注意を逸らしてもらっただけだ。緑頭は杖を下ろせ。君が俺を仕留める前に、俺は彼女の首を引き抜ける」

「…………」

 椒図は今、翻訳機を付けていない。男が何を言っているのかわからなかった。声色は平坦で、表情も変わらない。感情が読めない。椒図は杖を握ったまま考え倦む。判断を誤れば蜃の命が無い。

 言葉がわからず椒図が動けないのだと気付いた獏は、彼の杖の前に手を出す。制止しないと椒図は力を使ってしまう。

「ワイス……って言ったね」

 男の手はまだ蜃を掴んでいる。二人を引き離すまで油断はできない。

「エーデルワイス……だよね?」

「…………」

「彼女といるってことは、君がズラトロク……?」

「ほう……。隠しているわけではないからな。肯定してやる」

「だったら、これを見て」

「?」

 獏は一通の手紙を取り出し、彼の前へ突き出した。ズラトロクは怪訝に手紙を見下ろし、あっさりと杖を消して手紙を受け取る。宛名も封蝋も無い手紙だ。

「片手じゃ開けられないな」

 獏は要望通り封を開け、中の手紙を広げて見せる。ズラトロクは短い手紙に目を通し、少しばかり驚いたように目を見開いた。

「……封蝋は無いが、フェルニゲシュのサインだな。これの所為でウサギは中に入れたのか……まあいい、黙って付いて来い。おかしな真似をしたら俺も庇いきれないから、大人しくしてろよ」

 ズラトロクは漸く蜃から手を離し、階段の前で待つエーデルワイスへと歩を進めた。

「付いて来ないなら、城へ侵入した罰として死刑になるかもな。俺は構わないが」

 三人は顔を見合わせ、折角ズラトロクの対策で女装して来たのだから、従った方が良いと躊躇いながら頷き合う。

 もし殺すつもりなら、わざわざ場所を移す必要は無いだろう。ズラトロクが圧されていたわけでもない。椒図は蜃と獏、金瘡小草を守るように前に立ち、ズラトロクとエーデルワイスの後を追った。

 地下から地上へ、そして立ち入り禁止の塔を出て、階段を上がる。連れて来られたのは、頭に叩き込んだ地図通りなら、ズラトロクの部屋だった。

 ズラトロクは廊下を見渡してから客人達を中へ入れ、鍵を締める。

「好きに座ってくれ。……いや、椅子が足りないな」

 部屋の中には机と椅子、奥にベッドらしき物があった。ベッドには天蓋が掛かっており、中が見えない。壁には棚が並び、本が綺麗に収まっている。

 エーデルワイスと金瘡小草に椅子を出し、ズラトロクは壁に凭れようとして思い直す。壁際の机上の引出しから小さな物を掴み、椒図と金瘡小草に手渡した。

「翻訳機だ。赤髪と黒髪は付けているが、そこの二人は付けていないからな。言葉がわからないと不便だろ?」

 と言っても椒図と金瘡小草には何を言っているのかわからないため、ズラトロクは自分の耳をとんとんと指した。

 金瘡小草は獏達を見、獏が頷くので耳にカフスを取り付ける。椒図は危害を加えようとした男から受け取った物など身に付けたくはなかったが、言葉がわからないのでは話にならない。付けるしかなかった。

 フェルニゲシュの招待状が役に立った。最悪な出会いだが、ズラトロクはどうやら話を聞いてくれるようだ。女装をしている御陰かもしれない。

 だが安堵は長くは続かず、選択を間違えたことに最初に気付いたのは獏だった。蜃を狙われて気が立っていた椒図は気付くのが遅れた。


「それで、ゲンチアナとアルペンローゼは元気か?」


 その質問で、翻訳機を受け取ったことは間違いだったと悟った。

 翻訳機が必要なら、それは花街の者では無いと言っているようなものだ。城が把握していない花街圏の獣を装うことは、これでできなくなった。命の危険があったため招待状を出してしまったが、それが早計だった。

「知らないようだから教えてやる。翻訳機は全ての旅行者が使用しているが、個人の所有物ではない。城が貸し出している物だ。個人で所有しているのは城内の者のみ。そして予備を一つずつ持っている。自分で使用する分も渡してしまえば意思疎通ができなくなる。君達は二人から予備の翻訳機を手に入れた」

「…………」

「貸し出し用の翻訳機と個人所有の翻訳機は、間違え無いよう少しデザインが違うんだ。君達の背後に立った時に翻訳機を確認した。個人所有の翻訳機を持ち、現在花街にいないのはゲンチアナとアルペンローゼのみ」

「…………」

「フェルニゲシュの招待状を君達が待っているということは、宵街近辺で接触したんだな。フェルニゲシュは少し前に花街を脱走していたが、宵街圏に行っていたわけだ。アルペンローゼに会いにか?」

「…………」

「折角話してやろうと思ったのに、(だんま)りとは詰まらないな。俺がどれだけ心が広いか先に話してやろうか? このフェルニゲシュの手紙は本物だが、今は無効になっている。効力が無い」

「!?」

「どういう……意味だ……?」

 蜃は獏を見るが、獏も困惑していた。フェルニゲシュは花街の王だ。花街で一番大きな権力を持っているはずだ。大公が実権を握っているとは言え、王の地位はある。何故その効力が無いのか。椒図も訝しげに眉を寄せ、その言葉を信じるか思考する。

「フェルニゲシュに手紙を書いてもらえる君達は信用があるんだろう。これも外部の奴にあまり話すべきじゃないが、教えてやる。フェルニゲシュは一時的に王の権能を剥奪されている」

「え……? それは、花街を抜け出したから……?」

「いや、理由はそれじゃない。君達はタイミングが悪いんだ。こんな時に招待状を頼ってしまったんだからな」

「……じゃあ君は、何で僕達を庇うの……?」

 効力の無い手紙を見て侵入者を庇うなど規則違反だろう。大公だからと言って免責されないはずだ。

「ゲンチアナとアルペンローゼだ。二人は別に悪者じゃない。何か二人の話が聞けると思ったんだ。――ここまで話したんだ、君達も何か話したらどうだ? 折角翻訳機を貸したんだ、皆喋っていい」

 背後に立たれたことに気付くこともできなかった彼に、正面から挑んでも勝てないだろう。

 彼がズラトロクで間違い無いのなら、能力の情報が少しある。鵺が得た情報だ。ズラトロクは空間を切る。空間を閉じる椒図と切断するズラトロク、どちらの力が上なのか。

 だが手を出さない限りは、ズラトロクも聞く耳を持ってくれるようだ。会話をする気があるなら、話せるまたとない機会だ。ここは穏便に運ぶべきだろう。

「……君は、女性としか話さないんだよね?」

「ん……? ……ああ、そこの緑頭とも話してやるから安心しろ。わざわざそんな格好で来てくれたんだ、特別だ」

 地下で声を出した所為もあるだろうが、椒図の女装はあっさり見破られてしまった。

「何故蜃を狙った」

「それが一番聞きたいことか? 変わった奴だな。――手近にいたのと、彼女が女性だからだ。男の君に手を遣ったら、うっかり殺し兼ねないからな」

 戯けるように話すズラトロクに、椒図は苛立つ。うっかり殺してしまわないように、それだけの理由で蜃にどれだけの恐怖を与えたか、この男は理解していない。

「過去に使用人を殺された程度で、全ての男を憎んでいるそうだな。僕には心が狭いようにしか見えないが?」

「……ほう?」

 このまま椒図に喋らせていると不味い。椒図は友達が危険な目に遭って怒っている。挑発を始めて、ここで戦うことになればこちらが不利だ。獏は椒図を制して宥める。

「その話はフェルニゲシュから聞いたのか? 思ったより喋るな、あいつ」

「ねえ、君はさっき、ゲンチアナとアルペンローゼは悪者じゃない、って言ったよね。その言葉は信じていいの?」

「真実で間違い無いが、俺に信用はあるのか?」

「悪者じゃないんだね?」

「しつこいな。疑うなら勝手にしろ」

「良かった……」

「?」

 安堵する獏に、ズラトロクは初めて表情を崩した。怪訝に眉を顰める。

「じゃあこれ見てみてよ。僕の所に置かれてた手紙なんだけど」

 獏はもう一通手紙を取り出し、ズラトロクへ差し出した。留守にした隙に獏の牢に置かれていた手紙だ。あれから狴犴が保管していたが、許可を得て借りて来たのだ。

「宛名は無いが、封蝋があるな」

 ズラトロクは中を確認し、短い手紙に眉を寄せた。アルペンローゼを殺せ、と書かれている。

「……物騒だな」

「アルペンローゼが言うには、封蝋を捺したのはヴイーヴルで、筆跡はスコルかハティらしいんだけど、心当たりはある? 手紙を置いたのはヴイーヴルだと思うんだけど」

 ズラトロクはこの手紙に関与していないはずだ。アルペンローゼから彼の名前が出なかったからだ。それに彼は今、二人は悪者ではないと言った。もしこの置き手紙を知っているなら、そんなことは言わない。花街が宵街へ頼んだことなのだから。

「……成程」

 ズラトロクは深く息を吐き、シャモアのような角が生えた頭を垂れて額に手を当てた。頭が痛くなりそうだった。

「アルペンローゼはそれでここに戻って来られないのか。フェルニゲシュが最近こそこそしていたのも、アルペンローゼのためか……」

「どう? 心当たりはある?」

「あるも何も。無い」

「え?」

「だから、心当たりは無い」

「凄く納得した感じになってなかった……?」

「スコルとハティは何を考えてるのかわからない。だから何をしても納得するんだ。あいつらもアルペンローゼの作る飯は褒めてたんだがな……何が原因だ?」

 ぶつぶつと一人でぼやき始めたズラトロクを見て、ドアの脇に立って待機していたエーデルワイスは音も無く近寄り、彼の肩をぽんと叩いた。彼女に心当たりがあるわけではなく、ただ含みを込めて肩を叩いた。

「この手紙、俺が預かっていいか? 直接問い質す」

「僕達が付いて行くのは?」

「やめておけ。話のわかる大公は俺だけだと思った方がいい。罰を受けたいなら止めないが」

「君に見つかった僕達は運が良かったってこと?」

「運にしたいなら運でもいいが」

 話は聞いてくれるが、ズラトロクという獣は明言を避ける物言いをする。掴もうとするとひらりと躱されるような、掴み所の無さがある。

「ああそうだ、君達の名前を聞いておこう。君達だけ俺の名前を知っているのは公平じゃない」

「……獏だけど」

「お前に名乗る名前なんて無い」

 仕方無く答えた獏の後に、椒図は蜃を庇うように立つ。ズラトロクを完全に敵だと認識している。

「完全に嫌われたな。不審者を捕まえようとしただけなのに」

 男に嫌われた所で痛くも痒くも無い。ズラトロクは薄く乾いた笑みを浮かべる。

「……で、話はこれだけでいいのか? ここじゃ茶も出せなくて悪いな」

「あっ……それじゃあ、この際だから、他にも訊きたいことが。まずは……墓地のこととか」

「! ……見たのか」

「あれは誰の墓地なの?」

「俺も知らない」

「…………」

「そんな不満そうな顔で見るな。知らないものは知らない」

「……じゃあ、立ち入り禁止の書庫に絵本があったんだけど、人間を脅かす黒い龍って本当にいたの?」

「絵本……?」

「手作りの絵本だよ」

「それも知らないな」

「君、知らないことしかないんだね」

「本は知らないが、内容は心当たりがある」

「え、じゃあ実在したの?」

「絵本の内容次第だな」

「結局何も答える気が無いんでしょ!」

「機密に抵触する可能性がある。うっかり話せば俺が罰を受けることになる」

「花街も厳しいんだね」

「街と言うか、城の中は規則だらけだ。うっかり口を滑らせないか、毎日肝を冷やしてる」

「ゲンチアナとアルペンローゼは知ってるの?」

「知っていたら誰かが罰を受ける」

 つまり秘密が多いのは大公の獣の方と言うわけだ。変転人の耳に入らないようにするための規則のようだ。

「知らないことと言えないことばっかりで、何も教えてもらってないんだけど」

「そういう質問ばかりするからだ。俺は答えてやる気満々なのに」

 城が規則だらけと言うなら、答えられることは限られる。規則に関係しない話なら幾らでも答えられて当然だ。知りたいのは規則で縛られた方だ。

 突っ掛かっても回答が引き摺り出せるわけではない。何なら答えられるんだと考え、先程の廊下の血痕が頭に浮かぶ。だが塔の上に蠢いていた物を話題にするのは保留にする。もしズラトロクが噛んでいて知られたくないことだった場合、首を引き抜かれるかもしれない。血痕の話は少し掠るが、塔の上に言及しなければ大丈夫だろう。

「書庫の前の廊下に何かを引き摺ったような血痕があって、上の階に続いてたんだけど、あれは何なの? これは答えられる?」

「血痕? 上には行ってないから見てないな。後で確認しておく」

「また知らないこと……。じゃあ今から確認しに行こ!」

「今から……?」

「一緒に見たら、言い逃れできないでしょ」

「熱烈だな。君達は不審者の自覚が無いのか? 立ち入り禁止とは言え……ああ、俺の客人にしろってことか? 図々しいな」

 椒図は敵意を剥き出しにしているが、折角ここまで来たのだから土産は欲しい。このまま帰ったら本当に只の観光だ。獏は何とか取り入ろうと考えるが、ズラトロクは女性としか話さない、という情報しかなく、懐に入り込めない。

「……あれ? そう言えば、男は嫌いなのに、効力の無いフェルニゲシュの手紙を捨てずに気に掛けてくれたのは何でなの? アルペンローゼも男なのに。実はそこまで嫌ってない?」

「…………」

 ズラトロクは少し間を開け、吟味するように金色の双眸を見て口を開く。

「一応、王だからな」

「でも普段は喋らないんでしょ?」

「あいつ……さては口が軽いな」

 首輪の感情制御の所為なのか、頭も口も緩いフェルニゲシュにズラトロクは呆れた。規則違反は脱走だけにしてほしいものだ。

 傍らに立っていたエーデルワイスは呆れるズラトロクの袖を静かに引く。彼女は気配の消し方が上手いどころではなく、消さずとも元々気配が薄い。

 地下で金瘡小草と戦った時、エーデルワイスの動きは人間離れしていた。アルペンローゼだけが特別ではないようだ。花街の変転人は能力が高過ぎる。

 ズラトロクは黒いリボンを結んだ灰色頭を見下ろし、見上げたエーデルワイスと目が合う。

「……ワイスがゲンチアナとアルペンローゼを心配してるんだ。フェルニゲシュの手紙を捨てないのは、その前提があったに過ぎない。君達が宵街に戻ったら、アルペンローゼに伝えてくれ。ゲンチアナとは係わるなと」

「え? それってどういう……」

「今から血痕を見に行くんだろ? 行くなら早く行く」

 壁から背を離し、話は一旦終わりだと言うようにズラトロクはドアへ向かった。エーデルワイスはその背を見詰めた後、獏達に向かって深々と頭を下げた。ゲンチアナとアルペンローゼの無事を伝えたことを、感謝しているようだった。

 ズラトロクからエーデルワイスが離れたことで、漸く彼女に接近できた。地下で会った時から気になっていたことがある。

 獏は部屋を出る瞬間に彼女に接近し、ズラトロクには聞こえないよう囁く。

「……君、最近、悪夢を見る?」

 突然の問いにエーデルワイスは瞬きを忘れる。妙な質問をする獣だ。

「ごめんね、脅かす気は無いんだけど、重そうな悪夢だなぁと思って」

「…………」

「放っておいても君は精神力が強いみたいだから大丈夫そう。心配なら食べてあげるけど」

「…………」

「……いきなりこんなことを言われても困るよね」

 何も言わず表情も変えないエーデルワイスに、獏の方が遠慮してしまった。彼女の頭部を抱くように黒い靄が掛かっているのだが、それは獏以外には見えない程度の悪夢だ。見えない物を指摘されても困るだろう。放っておいても自力で消化できる程度の悪夢なので、獏もそれ以上は言わなかった。ズラトロクが振り向いた所為もあるが。

 一同は誰とも擦れ違うことなく再び書庫の前へ行くが、廊下の真ん中を走っていた血痕は何処にも見当たらなかった。

「何で……? 階段の方にも、あれだけ引き摺ってた血が無い……」

「白昼夢でも見せられたか?」

「白昼夢?」

「いや、こっちの話だ。ついでだ、書庫も見て行くか。絵本はどれだ?」

「ちょっとくらい何か教えてよ……」

 塔の上の部屋どころか血痕も見間違いだったのか。そんなはずはない。部屋の中はともかく、血痕は四人が目撃している。

「俺は面倒に巻き込まれたくない」

 ズラトロクは何も話したくないようだ。獏は頬を膨らせ、書庫のドアを開ける。

 蜃は後方で椒図に遮られている。友達を傷付けられそうになり、椒図は護ることに必死だ。同じ空間に関する能力と言うこともあり、警戒を緩めない。

 ズラトロクは一直線に窓へ行き、豪快にカーテンを開けた。残っていた埃が舞い、咳き込む前に口元を手で押さえる。

「…………」

 眼下を見下ろし、すぐにまたカーテンを閉める。墓地がはっきりと見えた。

「立ち入り禁止にするなら、ここの本も移動させたらいいのに。こんなにあるんだから、誰の目にも入らないのは勿体無いよ」

「俺が書庫を放棄したわけじゃない」

 獏が本棚から抜いた薄い本を上から掴み取り、ズラトロクは表紙に何も書かれていないそれを裏返したり繁々と眺める。どう見ても手作りの本だが薄っぺらなので、他の本の間に紛れられたのだろう。ぱらぱらと捲って中身を流すように確認する。結末は破れていて確認できない。

「……破れているな。これなら規則違反にはならない」

「じゃあ何か教えてくれるの?」

「過去にやたら絵の上手いゲンチアナがいた」

「え?」

 ズラトロクは絵本を閉じ、本の間へそれを戻した。

「ゲンチアナが描いた本ってこと?」

「今のゲンチアナじゃないが」

「?」

「ゲンチアナとアルペンローゼとエーデルワイスが代々城で働いてるんだ」

「へえ……お気に入りなの?」

「野暮だな。知りたいことは確認した。君達はもう帰れ」

「えっ、僕達は何も知れてないんだけど!」

「本当にそうか? 君達は彷徨き回って、色々見ただろ?」

「見たけど……わからないことだらけだよ」

「仕方無いな。俺は心が広いから、ヒントを遣る。そこの白い変転人、カメラを持ってるな」

「! は、はい」

 呼ばれるとは思わず、離れて様子を窺っていた金瘡小草はカメラを手に駆け寄った。

「古いカメラだな。拡大はできないか」

「そうですね……拡大して撮影はできないです」

「そのカメラで墓地を撮っておけ。現像する時に引き伸ばしてもらえ」

「墓地を撮るんですか? 幽霊とか……写らないでしょうか?」

「可愛い変転人だな。幽霊を信じてるのか」

「えっ」

「俺は幽霊を見たことが無い」

 金瘡小草も幽霊を見たことは無いが、心霊現象は存在すると思っていた。人間の街でそういったテレビ番組を偶然目にしたことがある。そこで心霊写真の存在も知った。目には見えずとも、写真には写るかもしれない。

 ズラトロクは今度は控え目にカーテンを開け、その隙間から金瘡小草は恐る恐る眼下へカメラを向ける。

「興味深い物が写ったら教えてくれ」

「は、はい……」

 失敗を恐れて念のために二枚撮り、手を引く。最初に見た時と同じ、変化の無い墓地をカメラに収めた。

「墓地がヒントなの? 他に何か教えてくれないの? 僕も何か教えてあげるよ?」

「君が何を教えるんだ?」

 カーテンを閉め、威嚇を続ける椒図の許へ戻る。あまりに威嚇するので、蜃は後ろから彼の頭をとんと軽く叩いた。蜃よりも身長が高い椒図が前に立っていたら何も見えない。折角何か教えようとしているズラトロクの姿が見えない。

「……蜃」

「君に護られなくても、俺だって獣だからな。寧ろ俺が椒図を護る。俺もあいつらの話が聞きたい」

「……。ズラトロクには背後を取られた。油断できない」

「獏は普通に喋ってるだろ。会話はあいつに任せておけばいいが……最早、世間話かってくらい話してる」

 蜃はぽこぽこと椒図の頭に手を落とし掴まれたが、彼は渋々理解を示した。警戒は解かないが、話を聞けないなら花街に来た意味が無い。

 獏は窓の外を見るズラトロクの後ろから椒図に、大人しくと手で指示をする。ズラトロクは簡単に背後を取らせてくれる。つまりそれほど自分の力に自信があるのだ。ズラトロクと敵対するのは得策では無い。

「花街と宵街に出て来た虫のこと、花街はどれくらい調査が進んでるの?」

「虫? 悪戯の方じゃないのか。その話でここに来たんだと思っていた」

 悪戯が本題だと思っていたズラトロクは、何が目的なのかわからない獏達に痺れが切れかけていた。

「僕達の目的は観光だよ」

「そういう偽装はもういい。悪戯ではなく虫の調査で来たんだな?」

「……? もしかして……まだ情報が無いの?」

「?」

 互いに疑問符を浮かべる事態になってしまった。花街も調査していると言うが、何も進展していない。

「悪戯と虫は同じだよ」

「…………」

 ズラトロクは無言で停止した。何を言っているんだという顔をする。

「えっとね……悪戯じゃなくて病気だってことになってたんだけど、それも違って、寄生虫が宿主を暴れさせてたの。それを僕達は発作って言ってる。体内にいる虫が外に飛び出して、花街でも暴れたんだよね? こっちでも同じことがあった。大きなアノマロカリスみたいな虫だよ」

「……ああ」

 ズラトロクは漸く理解した。城下町に出現した虫と同じだ。あれが悪戯を引き起こしている元凶であり、正体の寄生虫だと言う。

「そもそも悪戯だと言い出したのは宵街だからな。……で、自主的な悪戯では無かったと?」

「そうだよ。大きな虫が原因」

「誤報を嬉々として流すのはやめてくれ。自ら悪戯をするのと虫が仕向けるのとでは訳が違う。混乱させる気か?」

「それは僕の所為じゃないし……。花街は情報が確定しないと何も流さないんだね。待ち時間が長いなぁ」

「宵街は気の短い奴ばかりなのか?」

「僕は短くないよ。でもあんまり自由に動けないから、僕が調査できる範囲は限られる。今回は花街に観光で来られたけどね」

「観光を押し通すのか。……それで、宵街は虫の調査はしているのか?」

「してるよ。人工的に作られた、とかね」

 ズラトロクは城下町で見た以外に虫のことを本当に知らない。彼と話をする内に獏は確信した。核心に迫る情報を与えても口封じに消されたりはしないだろう。

 さあ驚くといい、と得意気に情報を口にする獏を、ズラトロクは何でもない風に受け止める。

「ああ、それは知っている」

「何で……?」

 てっきり知らないだろうと思っていた。宵街はユニコーンの御陰でやっと知れたことだ。花街でもユニコーンが助言したのだろうか。

「調査したからだ。虫は人工的で人為的。人災だ。どう犯人を炙り出すか考えている所だ」

「あれ……? 結構ちゃんと話が進んでる……?」

「ちゃんととは何だ。犯人の炙り出しを考えているのは城の総意ではないが」

「どういうこと?」

「理由は二つある。一つは、話を広めると炙り出し難くなる。犯人が警戒するからだ。だからこのことは情報共有を行っていない。獣に秩序なんて無い。もう一つは、それどころじゃなくなった。虫より火急だ」

「花街は忙しいんだね……。でも理由の一つ目がそれなら、僕達に言って大丈夫なの?」

「君達は宵街側だ。犯人はおそらく宵街側じゃない。何か気付いたことでもあればと思って話したが、宵街は遅れているな」

「仕返し……?」

 花街は情報が遅いと言った仕返しだろう。ズラトロクは無感動に遣り返す。

「教えるのはこの辺でいいか?」

「不完全燃焼だよ。結局歩き回っただけで、墓地も絵本も血痕も、何もわからないままだよ」

「俺と会えたんだからいいだろ。そろそろ帰ったらどうだ? もうすぐ夕食の時間だ。皆廊下に出て来る」

「えっ、それはちょっと……」

「城を出る所までは送ってやる。ワイスが見てるからな」

 早くしろと言わんばかりにズラトロクは獏を急かした。夕食にはズラトロクも勿論出席する。不審者がいるから食事の時間に遅れる、などと言えばもう庇えない。

 背中を押されながら獏達は書庫を追い出され、誰とも擦れ違わないまま城外に放り出された。

 庭を出る時にズラトロクは大輪を咲かせる美しい赤い薔薇を一輪手に取り、茎に生える棘を一息に剥ぎ取って蜃に手渡した。

「背後を取って怖がらせた詫びだ」

「捨てろ、蜃」

「目の前で捨てると拗れるだろ……」

 椒図は最後までズラトロクを睨み、蜃はズラトロクの機嫌を損ねないように薔薇を手にしたまま庭を歩いた。ズラトロクは椒図と金瘡小草から翻訳機を返してもらい、ポケットに捩じ込む。

「――獏。アルペンローゼにはすぐに帰って来いとは言えないが、ゲンチアナはすぐに戻って来いと伝えてくれ」

「ゲンチアナはフェルニゲシュに追い出されたんだけど? 凄く怯えてたよ」

「大丈夫だ。フェルニゲシュには反省させた」

「これからフェルニゲシュに会える? 夕食の後にでも」

「今は無理だ。それは王の代わりに謝ってやろう。遠路遙々来てくれたのに、すまないな」

「……君って、誰の味方なの?」

「……? 敢えて言うなら、エーデルワイスだ」

 早く城から離れようとする椒図と蜃を追い、獏は背を向けるズラトロクとエーデルワイスから離れる。城門の脇に座る門番のウサギは城から出る者には興味が無く、顔を上げずに本を読んでいた。

 終始表情を変えなかったズラトロクは、終始エーデルワイスの幸せだけを望んでいた。エーデルワイスは何も言えない。その彼女の代わりに、ズラトロクが危険を排除する。

 古城から離れると、離れるにつれ椒図の気持ちは落ち着いていった。徐々に理性を取り戻し、最初に獏に謝った。

「……すまない、獏。もっと話を聞き出せるよう穏便に進めるべきだったのに、感情的になってしまった……」

「いいよ。本当に殺されると思ったもんね」

「ああ……。友達を……蜃を喪うのが怖かった」

「帰ったら情報を整理しよ。僕もお面が無くて落ち着かなかったから、何か見落としがあるかも」

「そうだな」

 城の中を全て見て回ることはできなかったが、気になることはたくさんあった。ズラトロクはその全てには答えをくれなかったが、意味深長なことは言っていた。宵街に戻ったら、土産話はたくさんある。


「――あぅ!」


 考えながら歩いていた三人は、背後への注意が疎かになっていた。唐突に背後で上がった声に振り向く。金瘡小草の体が地面に倒れる所だった。白い背から赤い血が宙を舞っていた。

「キランさん!?」

「敵襲か!?」

「退避! 離脱!」

 城を探検して目的を達成した一行は、これ以上花街に留まる理由が無い。もう観光どころでは無い。蜃と椒図は杖を召喚し、蜃はくるりと杖を回した。四人は瞬時に転送され、その場から消え失せる。

「不審者……」

 出血は少ない。散った血は草花に紛れる。背後から襲った青年は紐が切れて草花に落ちたそれを拾い上げ、虚空を見詰めた。

「ロクは本当に女に甘いな……今回は、命は取らないでおくよ」

 拾ったカメラを手に、青年――アイトワラスは無感動に踵を返した。


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