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透明街の人喰い獏 (2)  作者: 葉里ノイ


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35/69

159-神出鬼没


 何の変哲も無い人間の民家が並ぶ住宅街。そこに窮奇(きゅうき)饕餮(とうてつ)は退屈そうに歩いていた。

 二人の頭には人間には無い角が生えているが、堂々と歩いている。堂々としていれば人間は只の髪飾りだと勘違いしてくれる。昔はそうではなかったが、現代では頭に何が生えていようが気にする人間は殆どいない。よもや人間ではない者がその辺を歩いているとは思わない。

 花街(はなまち)や寄生虫に注意しろと饕餮は兄弟から伝えられ、窮奇にもそのまま話した。花街も謎だったが、もう一つ謎が増えた。変転人に寄生する虫がいるらしい。

「窮奇は虫は食べられる?」

「喰えないことはないが、喰いたいとは思わねーな。小さ過ぎて腹が膨れないだろ」

「じゃあ寄生虫は? 滅茶苦茶大きいらしいし」

「喰うかよ! んなもん」

 饕餮はまだ食料と変な物の区別が付かない。何でも食べるので、一般的に何が食べられる物なのか理解していない。そんな彼女でも寄生虫は食べないが。

 窮奇が饕餮と初めて会った数百年前も彼女は生まれて然程経っていなかったのだが、あの頃よりも物を理解していないように感じる。体はそのままで中身だけ化生してしまったからなのか、それとも馬鹿になってしまったのか。

「……あ。そういやあの店の近くだな、ここ」

「店? 家しかないよ」

「飯の話になったし、飯でも喰うか」

「喰う!」

 饕餮は目を輝かせ、ぴょんと跳ねた。今の饕餮はまだ色々と食べたことのない物がある。毎日何かに期待している。その反応が窮奇には少し面白く感じる。窮奇は肉しか食べられないからだ。

 角を曲がって歩くとやがて突然赤い暖簾の店が現れた。年季の入った佇まいで、街に溶け込んでいる。その引き戸を窮奇はカラカラと開け、客のいない狭い店内の一番奥へと入って行った。

 窮奇は人間を主食としているので、人間の店で食事を摂ることはない。そのはずだが何故店に入るのか、饕餮は首は傾げながら後に続く。

 人間は昼食の時間を終え、丁度暇な時間のようだ。がたいの良い店主の男が座って退屈そうにカウンターの上に置いているテレビを見ていた。

「――って、おいおい! (つの)のガキじゃねぇか! 久し振りだな!」

 唐突に立ち上がり大声を上げるので、饕餮は驚いて男を殴り倒しそうになった。寸前で踏み止まり、窮奇へ駆け寄る。

「カノジョも一緒か! いつもの奴でいいか? いいな?」

「おう。それでいい」

 窮奇は男の方は見ずに、一番奥のテーブル席に座った。饕餮もその向かいに座り、腰を浮かして彼にひそひそと話す。

「窮奇! 何なんだあいつは!? あいつを食べるの?」

「あいつは喰わねーよ。風の強い日にここの暖簾が吹っ飛んだんだけどな、偶々オレにぶつかりそうになって、風を操作して暖簾を掴んだんだ。それで、暖簾を追い掛けてきたそこの人間がやたら感謝してきてな……店のラーメンを奢ってやる、いつでも来い、って言われたんだ」

「ラーメン?」

「ここだ。ラーメン屋。麺の一種で……まあ喰えばわかるだろ」

「麺? 麺ってあれでしょ、肉じゃない奴。窮奇は食べられるの?」

「喰えるわけない」

 では何を食べに来たのだと饕餮は首を捻る。窮奇が食べられるのは肉だけだ。

 そう疑問を浮かべているとあっと言う間にラーメンが二人の前に運ばれてきた。饕餮は初めて見る紅白の器に入ったラーメンに息を呑む。窮奇の癖に美味しそうな香りが漂う料理を知っているとは。饕餮は彼を見直した。彼はいつも人間の生肉ばかり食べ、人間の食べる物など碌に知らないと思っていた。

 湯気の立つラーメンは琥珀色のスープに麺と薄い肉と葱、半分に切られた煮卵、そして渦巻き模様の平たいよくわからない物が載っていた。自分の前に置かれた器をたっぷりと凝視した後、向かいの同じ器に目を遣る。輝いていた饕餮の目が一気に険しくなった。

「何か……窮奇のは……」

 スープに薄い肉がたくさん浸かっている。煮卵も浮いているが、随分と物足りなかった。

「しょうがねぇだろ。麺も野菜も喰えねーんだから。あの人間にはアレルギーだとか思われてる。自慢の自家製チャーシューとスープだけでも、どうしても喰わせたかったんだと。あと卵なら少し喰える」

「麺が無いラーメンは只のラーだろ」

「お前のは普通の醤油ラーメンだから、まあ喰えよ。金はいらねぇ」

 金がいらないのは店主の厚意だが、窮奇は自分が奢る気分で饕餮に勧めた。彼女もそういうことは気にしないので、冷めない内に箸を割り麺を掬った。

「んー! 旨いな!」

 一口麺を食べただけで、窮奇のラーはどうでもよくなった。栗鼠(リス)のように頬を膨らませながら頬張る饕餮に、店主の男も気分が良くなる。アレルギーで食べられないのは仕方がないが、やはりラーメンを全て食べてもらえる方が気持ちが良い。

 窮奇もチャーシューを食べ、ここの肉は悪くないと味わう。

「お前は人間が主食じゃねーからな。喰えるなら色々喰え」

「窮奇も色々食べられたら良かったのにね」

「喰えない物は美味そうに見えないからな……」

 がつがつと食べながら喋る二人の前に、店主は二人前の餃子の皿を置いた。

「サービスだ。久し振りに店に来たからな」

「金は無いぜ」

「ハハ、サービスだって言ってんだろ」

 高が暖簾一つで人間は気前が良いものだ。男は笑いながらカウンターの向こうへ引っ込んで行く。

 だが窮奇は餃子を食べることはできない。二人の真ん中に置かれた皿を饕餮の前へ押す。

「全部喰っていいぜ」

「食べられない物を食べたら窮奇はどうなるの? 死ぬ?」

「さあ……肉食動物だと草は消化できずにそのままウンコになるらしいけど。獣はどうなるんだろうな。腹が痛くなるとか?」

「肉食は大変だな……私が食べてる時にウンコとか言うな」

「お前が訊いたんだろ」

 二人は綺麗にスープを飲み干し、饕餮は餃子にも箸を伸ばす。獣は規則正しく一日三食の食事を摂らずとも生きていけるが、食べない時間をより延ばすためにある程度たくさん食べて溜め込むこともできる。饕餮もまた、普通の人間の少女よりもたくさん食べて溜め込める。

「このサービスも旨いね。どうにか肉だけ穿(ほじく)って食べられないの?」

「手間に見合わねーよ」

 どうやら饕餮は窮奇と同じ物を食べたいようで、少し詰まらなさそうだ。

 窮奇は自分が肉食であると知っているので野菜などは食べたことがない。今まで避けてきた。食べたらどうなるのか自分でもわからないのだ。だが改めて問われると、食べたらどうなるのか気になってきた。一度確認をしても良いかもしれない。もし危険な場面でうっかり食べて不味いことになったら大変だ。

「……一つだけ試してみるか。立てなくなったらお前が病院に運べよ」

「いいぞ」

 店主がテレビの方を向いている間に、窮奇も餃子を一つ抓んで口に放り込んだ。つるりとした皮に包まれた肉と細かく刻まれた野菜が一体となり、口の中にじゅわりと広がる。初めての食感だった。特につるつるとした皮が奇妙な感じだ。舌触りは煮卵の白身のようだ。

「包む必要があるかはわからないけど……まあまあだな」

「おお、これからは肉以外も食べられそう?」

「それはどうだろうな。体は今の所何ともないけど」

 遅れてじわじわと腹が痛くなってくるかもしれない。覚悟をして食べたのだから、後悔はしない。河豚を食べる人間はこんな気分なのかもしれない。あれは予め毒を取り除いてあるが。

 窮奇が同じ物を食べて満足した饕餮は、店主の「何じゃこりゃあ」という声に水を差されて不満な顔をするが、その視線を辿ったテレビに釘付けになった。店主が見ているのは虚構ではなく、ワイドショーのニュースだ。

「窮奇! 食べ終わったらあそこに行こう」

「あ?」

 窮奇も彼女の指差すテレビを見て眉を顰める。作り物の怪物が暴れているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。画面には鍬形虫(クワガタムシ)の大顎のような物を振り上げる大きな黒い生物が暴れていた。人間達が悲鳴を上げて逃げている。その画面は視聴者が提供した動画のようだが、正体不明だと画面に書かれていた。

「人型じゃない獣か? 地霊みたいな」

「地霊の仲間?」

 二人は首を捻るが、それが例の寄生虫には結び付かなかった。具体的な大きさを聞いていないのだ。変転人に寄生するのだから、大きいとは言えそこまで大きいとは思っていない。

 見たことがない物には興味がある。好奇心旺盛な二人は急いで餃子を飲み込んだ。


     * * *


 花街で病の調査を任されていた(ぬえ)は、結局何も情報を得られず宵街(よいまち)へ戻ることになった。花街では新たな問題が発生して頭が痛いだろうが、成果が無く帰るのも足が重いものだ。

 帰り道では特に問題は無く、宵街へ戻った鵺は赤い酸漿提灯の並ぶ狭い石段に仄かに安心感を覚えた。広大な花街は解放感があるが、長年過ごした街の方が居心地が良いようだ。今まで宵街をそのように思ったことはなかったが、離れてみて初めてわかることもあるらしい。

 暗い石段を杖に乗って飛び、暗い科刑所にいる狴犴(へいかん)の部屋の扉を開け放つ。

「帰ったわよー。またエスカルゴを買ってしまったわ」

「こんな時に何をしているんだ……?」

 殺風景な部屋の真ん中に置かれているソファに座ろうとした鵺は、いつもの席に座る狴犴が視界に入った瞬間に足が止まってしまった。

「え……誰か死んだの?」

 机上には常のように書類が広げられているが、狴犴はそれを見ているようで見ていない。暗く沈み込んだ顔でぼんやりとしていた。

「……そうだな」

 呟くような狴犴の声には覇気が無く、渾沌(こんとん)の件で変転人が大勢死んだ時にも見せなかったような憂鬱な空気が纏わり付いていた。つまり鵺が不在の間にそれ以上のことが起こったようだ。鵺はごくりと唾を呑む。

 鵺は部屋を見渡して観察し、一つ違和感に気付く。いつも傍で仕事を手伝っていた白花苧環(シロバナオダマキ)の姿が無い。

「まさか……マキちゃんが死んだの!?」

「いや、苧環は生きている」

「そ、そうなの……?」

 何か仕事を与えられて席を外しているだけのようだ。新たに生まれて一年も経たないのに死んでしまったのかと取り乱してしまった。

「生きているが、暫くは入院だ」

「え!? わ、私がいない間に何があったの……? 調査報告の前にそっちを聞かせてよ」

「有色を遠足に行かせた」

「……こんな時に何をしてるの?」

「有色の中に寄生者……いや、その前にお前にも病の正体を話しておく必要があるな」

「病の……正体? 何かわかったの!?」

 折角花街に行ったのに無駄足だったのかもしれない。だがそれよりも、何か掴めたのなら早く聞きたい。鵺は早足で木履(ぼっくり)を鳴らし、狴犴の机に両手を置いた。

 狴犴は暗い顔で目を伏せながら、病の正体は寄生虫だと鵺に話した。変転人の体内から飛び出した虫のこと、そしてユニコーンとその能力もだ。その話を聞き、鵺も青褪めた。花街で見た巨大な虫と特徴が一致している。

「そのばかでかい生物……花街で見たわ! 有色の体から出て来たみたいだけど……大公のズラトロクが始末した。かなりの被害が出てたわ……」

「花街でも同様の被害があったのか? 例はまだ少ないが、無色は発作を起こすが、有色は発作を起こさず虫が体外に出ると仮定した方が良さそうだ」

「宵街でもその虫が暴れたの?」

「いや、遠足中だから宵街ではない。死者は寄生されていた有色一人だ」

「一人……。花街の被害を見た後だと不幸中の幸いって言いたいけど、一人でも死んだら何も良くないわよね」

「出現した虫から他の有色を守るために、苧環が重傷を負った」

「それでその暗い顔……ってわけね」

「怪我の有無に拘らず、有色は全て検査してもらうことにした」

「それがいいわね」

 身を挺して守ったのは立派だが、死ぬかもしれない攻撃を受けるのは感心しない。過去に苧環に庇われ死なせてしまった経験のある狴犴には堪えられない話だ。

「マキちゃんは無事なんでしょ? だったらシャキっとしなさいよ。私の方は病の追加情報は得られなかったけど、あの虫がそうだって言うなら話せるわ。大公のズラトロクって奴の力も見たわよ」

「……苧環は蒲牢(ほろう)から貰った角の御陰で虫に貫かれずに済んだらしい。今後はもう少し長い角を持たせておきたいな……。失血が酷かったようだが、内臓は無事で四肢も欠けていない」

 狴犴は一度目を閉じ、深く息を吸った。それをゆっくりと吐き出し、静かに目を開ける。安全だと思って仕事を任せたのに彼が重傷を負ったと聞き、取り乱してしまった。今までも苧環が死ぬ度に落ち込んでいたが、最初の病気の個体を除いて、一年も経たずに喪いそうになったことは初めてだった。人前でこんなに取り乱したのは初めてかもしれない。あまり表情を動かさない狴犴にも心はあるのだ。

「虫の情報をもう少し擦り合わせましょ。私達でも殺せるなら悪夢よりはマシでしょ」

「……ああ。そうだな」

 悪夢のように特権持ちではないと触れられないわけではない。虫はただ外皮が硬いだけで、どの獣にも始末することができる。遠足中に出現した虫は、幸い利き腕に罅が入らなかった黒葉菫(クロバスミレ)に報告書を提出してもらい、遭遇した有色の変転人と(ばく)からも話を聞いて纏めた。机上に置いていたそれらを鵺に渡し、彼女も花街で見たことを報告書に纏めるためにソファに腰を下ろした。中々座り心地の良いソファだ。もう無かった頃には戻れない。

「――ズラトロクの能力も見たんだけど、聞く?」

「ああ」

「私にはよくわからなかったんだけど、杖を振ったら虫がその体勢のまま後退したのよ。虫は自分が移動したことがわかってないみたいだった。虫を切断した時も、その体勢のまま引き離されるみたいな感じだったわ。見えない手で引っ張ってるのかしら?」

「……少し面倒な能力かもしれないな」

「面倒?」

「その話だと、空間を移動させているように聞こえる」

「え?」

「箱に物を入れた時、箱を動かすと中の物も箱と共に動く。箱の中は空間ごと動くからだ」

「…………」

 鵺は狴犴の言葉を頭の中で反芻し、頭の中で箱を動かす。漸く理解した。確かに狴犴の言うような動きをしていた。

「切ったのは虫本体じゃなくて、空間……ってこと?」

「その可能性がある。その獣は敵に回したくないな。空間切断は変転人だと逃げようがない」

「ズラトロクは女性には親切みたいよ。そいつと話すなら女の子に任せればいいわ」

「それは使える情報だな。その局面があれば女性か、女性に扮して欺ける者に任せよう」

「変装なら少年体がいいかしら。青年体以上は上手く変装できたとしても声でバレるでしょ」

「蒲牢が歌う時に出す声なら欺けそうだが」

「蒲牢に行かせる気? 確かに戦える獣が行くべきだけど」

 変転人もだが、獣も人手が足りない。宵街を留守にするわけにはいかないため、自由に動ける獣は限られる。

「鵺は使える獣の知人はいないのか?」

「私も仕事ばかりで交友はあんまりなのよね……。今後の計画が決まったら上層で一応呼び掛けてみるわ。期待はしないでよ」

「ああ、助かる。だが花街は未知の部分が多く、綿密な計画は立てられない。臨機応変に動ける判断力と信頼のある者が望ましい」

「交友無しからいきなり即戦力を望むんじゃないわよ」

 信頼とは一朝一夕で得られるものではない。それは狴犴もわかっている。だがあるに越したことはない。

「まあとりあえず、知り合いに聞く所から始めるわ」

 二人は互いに得た情報を共有し、現状を整理する。鵺がいない間に状況は変化した。狴犴から話を聞きながら、確認したいことが山となる。ユニコーンにも会っておきたいし、獏の所へ行ったアルペンローゼの様子も確認したい。

「アルペンローゼも気になるけど……有色の方を先に見ておこうかしら。病院にいる?」

「獏の牢へ行くのは構わないが、アルペンローゼを刺激しないようにな」

「……しそうな気がするわ。出会いがアレだもの」

 酒入りのケーキを出されたことを思い出し、彼の様子を見るのは控えておこうと考え直す。

「検査が終わったかは知らないが、遠足で有色の負傷者はいない。それと病院に行くなら一つ言っておこう。黒色蛍は面会謝絶だ」

「え? 腕を負傷したって言う子よね? そんなに酷いの?」

「片腕を切断されたんだ、酷いだろう。腕を繋げるために縛り付けて固定し、暫く絶対安静だそうだ。この間に何か起これば彼の腕は繋がらないかもしれない」

「そうね、クラゲちゃんの切断の時は手だものね。腕となると少しでも体を動かせば負荷が掛かるわ」

「苧環の見舞いなら、もし目覚めていたら知らせてほしい。私も行く」

「ああうん。先に有色を見てからね」

 狴犴は相変わらず白花苧環のことが心配だ。今まで彼は何人もの苧環の死を見てきたが、今の苧環が一番危なっかしい。

「……ああ、それともう一つ、図書園は修復中で立ち入り禁止にしているが、新人教育に使用している。新しい無色を四人増やした」

「ん。わかったわ」

 長旅から戻ったばかりだが休む暇は無さそうだ。鵺は手早く報告書を作成して科刑所を後にする。

 杖に乗って暗い上層から薄暗い下層へ下り、ふと思い立って病院を通過し図書園に向かった。客観的な有色の様子を先に聞いておこうと思ったのだ。

 まだ修復が終わっていない図書園に足を下ろして覗くと、座って雑談をしていた金瘡小草(キランソウ)が真っ先に気付いて立ち上がった。

「御疲れ様です」

 鵺が花街へ調査に行っていたことは知らされている。金瘡小草が頭を下げると、釣られて他の変転人も立ち上がって頭を下げた。新人の三人は本に夢中で気付いていないようだ。

「虫が出て大変だったみたいね」

 杖を仕舞い、ぽくりと木履を鳴らして新人達の様子を窺う。何の教育中なのか、熱心に本を睨んでいる。

「スミレちゃんも負傷したのね」

 三角巾で左腕を吊る黒葉菫は自分の腕を一瞥し、暗い顔をした。虫に歯が立たなかったことを思い出してしまう。

「……はい。武器が破損したので、修復が終わるまで戦えません」

「じゃあゆっくり休んでちょうだい。狴犴から聞いたけど、虫を相手にするのは獣がした方が良さそうね」

「アルペンローゼは虫に傷を負わせていたので、俺にも傷を負わせることができると思ったんですが……」

「虫にも個体差があるかもしれないわね。それで、有色達はどうしてる? 仲間が死んで、また怯えてしまったかしら?」

 変転人達は互いに顔を見合わせる。それなら有色が殴り込みに来た所だ。代表してその相手をした金瘡小草が前に出る。

「有色は怯えると言うより……怒ってます」

「あら、そっち?」

「何故有色の死傷がこんなに続くのかと。無色は盾になれと言われました」

「言うわね、有色も。言う通りにはしないと思うけど、一応言っておくわ。お前達は有色の盾にならなくていい。盾になった所で、有色だとそのあと殺されるのが目に見えてる。戦うことも一人で逃げることもできない有色は、標的にされた時点で終わりだから」

「…………」

「白にはちょっと厳しい言葉だったかしら?」

「いえ……。理解しています」

「文句を言うだけなら簡単よね。お前達は気にせず教育を続けて。新人達はどう? 使えそう?」

「少し手合わせをしましたが、平均的な無色です。今は自分の武器を考えてる所です」

「武器を持って体が慣れてきたら()()()子もいるから、長い目で見てあげて」

 鵺は黒葉菫を一瞥する。彼はゆったりとした性格で、初めて武器を生成したのもかなり遅かった。だがそれを補って余りある銃の適性を持つ能力の高い無色だった。早くに武器を生成できなくても体が上手く動かせなくても、経験と共に能力を伸ばす者はいる。早熟だけを評価するのは早計だ。

 新人達もこれから化けるかもしれない。そう思いながら鵺は新人達の様子を窺う。

「……あら? 一人いないみたいだけど」

 書架の陰にでも隠れているのかと思ったが、やはり三人しか視界に入らない。

燈台草(トウダイグサ)は病院です。おそらく視力が平均より弱いです」

「え? 矯正が必要なほど視力が弱い変転人は初めてね。眼鏡ってすぐに作れるのかしら? 変転人は皆、視力が良く生まれるものだと思ってたわ」

「私もです。後程科刑所に報告に行くつもりでした」

「じゃあそれも私が狴犴に伝えておくわ。お前達は教育に専念して」

「はい」

 金瘡小草と鵺が話している間もずっと新人三人は本から顔を上げなかったが、集中力を削ぐわけにはいかないと声を掛けずに鵺は図書園を後にした。

 有色はどうやら相当の不信感を抱いているようだ。喧嘩にはならなかったようだが、どう有色を宥めるべきか鵺は頭を抱えた。


     * * *


 人間の街に現れた黒い巨大生物は、ビルの壁面を打ちながら暴れていた。壁には罅が走り窓硝子は割れ、人間は何処へ逃げれば良いのかと大騒ぎだった。

 そこへ至る道路は急ぎ封鎖されたが、細い道は漏れが多く、情報の行き届いていない人間が虫のいる区画に迷い込む。中には虫を一目見ようと携帯端末のレンズを向けながら忍び込む者や、逃げ遅れた者などもいた。近付き過ぎた者は無慈悲に虫の大顎に貫かれ、肉塊となる。

「……選りに選って人間の多い場所に出現するとは」

 十階以上もあるビルの屋上の柵に立った少年の鉛色の髪が風に揺れる。赤褐色の瞳が地上を見下ろし、周囲を観察する。手には長い杖を提げ、一向になくならない人間の気配に困り果てていた。

 そうこうしていると上空からヘリコプターの音も降って来る。巨大な黒い虫をカメラに収めようとする報道機関のヘリコプターだ。

 鍬形虫の大顎のような付属肢を除いても体長が十メートル程もある黒い生物に人間はどう対処するのか。少し興味はあったが、逃げたり好奇心で遣って来たりするばかりで、鎮圧しようとする動きが無い。

(聞いていたより大きいな……人間だと武器を持って来ないとどうにもできないだろう。許可が下りないのか? 僕が遣るしかないか)

 黙って見下ろす少年の頭上にひらりと紙切れが舞い、抓んで広げる。

『これ以上待つと被害が』

「そうだな。報道の人間は引き付けておいてほしい」

『わかりました。近辺の監視カメラも破壊しておきます』

 カメラにはあまり映りたくない。人間の街で暮らす彼は特に、擬態しているとは言えあまり多くの人間に姿を見られたくない。

 人間を守る義務はないが、変転人に被害が及ばないよう駆除しなければならない。これは人間のためではない。

 上空のヘリコプターが動きを変えたことを確認し、贔屓(ひき)はとんとビルから飛び降りた。気配を隠す殻を被ってはいるが、注目を浴びている虫と対峙すれば殻は薄れる。

(広範囲の攻撃は得意じゃないんだが)

 空中で杖を振り、人間が構える携帯端末に軽く加重して地面に叩き落とす。小さい物、或いは加重の程度が控え目だと、同時に複数箇所へ力を使える。集中すれば広範囲にも力を使える。だが漏れはある。動く物を狙うのも難しい。物陰に隠れている場合は贔屓から見えない。贔屓は索敵ができない。

 乗り捨てられた車を付属肢で突き刺す虫に狙いを定め、街灯をとんと跳び移りながら杖を振る。

 虫の体全体ではなく、小さな一点に力を集中させて加重する。まるで銃撃でも受けたかのように虫の体に穴が空き、黒い体液が散る。身を捩らせ踠く体に間髪を容れず連続で穿つ。

 虫はのた打って地面や外壁に体をぶつけ、隠れていた人間にも被害が出るが、贔屓は表情を変えずに加重を続けた。

「硬いが、始末できそうだ」

 硬い外皮全体に死ぬまで加重を行えば、贔屓も傷を負うだろう。生物に対しての加重は、同等の重みを彼自身も受けることになる。一撃で彼が致命傷になることはないが、連続攻撃で削る方が負担は少ない。

 加重の集中攻撃は虫の体を引き千切り、やがて幾許も動かぬ屍となる。

 街灯の上から見下ろす贔屓に、紙切れが一片舞う。

『死ねば砂のように崩れて消えるはずです』

「ああ。だが虫の息だ。直に消える」


「――あ!? もう遣りやがったのか!?」


 突如聞こえた大声に贔屓は振り向く。見落とした人間だろうかと警戒するが、見知った角頭が駆けて来た。

「おい贔屓! 下りてこい!」

 その速度のまま、窮奇は街灯の根元を思い切り蹴った。振動が上まで伝わり、贔屓は重心を調整する。

「……窮奇……に饕餮か」

「テレビに映ってた奴だろ? 動いてる所を見に来たのに……いやまだ動いてるか? 吹き飛ばすか?」

 窮奇は透かさず杖を構え、饕餮も杖を召喚した。一番見つかってはいけない二人に見つかってしまった。こんな所で更なる問題を起こしている場合ではない。

「やめろ。あれはすぐに消える。それより、もうテレビに取り上げられたのか? 早く離脱した方が良さそうだな」

「吹っ飛ばせ、疾風(はやて)!」

「おい」

 制止の声を聞かず、窮奇は杖を振った。だが強風は巻き起こらなかった。寸前で止めるとは気の短い窮奇も成長したものだと感心を溜息に乗せ、贔屓は地面へ降り立つ。

 虫が砂のように崩れ始めた。危険が去ったとなると人間が集まってくるはずだ。

「宵街へ行こう」

 きょとんとする窮奇と不思議そうな顔の饕餮を共に、贔屓はくるりと宵街へ転送する。

 視界が切り替わって酸漿提灯の見下ろす石段へ現れた三人は周囲を確認し、饕餮は窮奇へ目を向けた。

「窮奇?」

「……何でだ……風が出ねぇ!」

「ん?」

 贔屓も怪訝な顔をする。

「贔屓! おい!?」

「僕は何もしていないよ」

 思わぬ濡れ衣を着せられそうだったが、他人の能力を封じる力は贔屓には無い。

「ま、まさか、肉以外を喰ったからか!? いつものキレが無い……温い風しか出なかったぞ!?」

「じゃあ肉を食べたら元に戻るんじゃない?」

「そ、そうか……お前偶には頭いいことも言うな……」

「失礼だな」

 饕餮は不満そうな顔をするが、力が使えないらしい彼のことは心配している。

 何やら想定外のことが起こったらしいと贔屓も杖を仕舞って話を聞く。窮奇は肉食だと言うのに、興味本位なのか肉以外を食べたようだ。食べないなら、食べられない理由があるものだ。

「じゃあ人間を喰いに行く」

「私も行く。風を出せない窮奇は心配だし」

「言うんじゃねぇ!」

 早々に立ち去りそうな二人を贔屓は呼び止めた。理由は何であれあの虫を見た二人には説明が必要だ。饕餮には話しているが、見るのは初めてのはずだ。

「二人共、さっきの虫が最近宵街を騒がせている寄生虫だ。獣には寄生しないそうだが、念のために気を付けて」

「は? でか……」

「あれが変転人の体の中に……?」

 二人は険しい顔をしながら忙しなくくるりと転送してしまった。風が起こせないなら一大事だ。早く肉を食べたいことだろう。

「近くに変転人の死体は見当たらなかったな。鴟吻(しふん)、寄生主を捜せるか?」

『捜してみます』

「助かるよ」

 鴟吻に礼を言い、贔屓は虚空に微笑む。千里眼で覗いて盗聴器で声を拾っている彼女は魚のような尾を無意識に振り回した。彼女の安全のために傍らで手を握っている黒種草(クロタネソウ)には音声が聞こえていないため何故尾が振られたのかわからなかったが、彼は腰を何度も叩かれた。

 贔屓には勿論、彼女の様子は見えない。

(あの虫……少し妙だったな。普通の小さな虫ならともかく、あれだけ大きな生体に加重すると僕も重みを感じるはずなんだが……それが無かった。まるで虫や動物では無いような……)

 人間の街に出現した虫のことを狴犴に報告しておこうと、彼は足早に科刑所に向かった。


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