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透明街の人喰い獏 (2)  作者: 葉里ノイ


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34/58

158-不満


 油断していたわけではなかった。だが警戒していたのは発作だけだったことも事実だ。

 無色の変転人の監視付きで宵街(よいまち)を歩いていたユニコーンを捕まえてもう一度寄生虫の性質を聞いたが、見た以上のことはわからないと言う。発作を起こすことと体内に寄生する虫の存在、現時点で判明しているのはそれだけだった。

 発作を起こした形跡が無いのに、虫は何故体外へ姿を現したのか。ユニコーンに尋ねたが「へぇ」と関心を示すだけだった。ユニコーンは解毒が得意と言うだけで、虫の専門家ではない。そのことを留意すべきだった。

 蒲牢(ほろう)から報告を受けた狴犴(へいかん)は科刑所を彼に任せ、足早に病院へ向かった。遠足へ行かせていた変転人に問題が起こった。平坦な地形や障害物の少ない景観から、危機があっても状況を捉え易いと高を括っていた。有色の変転人の体内に脅威があるなど誰も予想していなかった。黒色蟹の発作で傷を負わされた有色は病院で検査を受けたが、全員寄生されていなかったことで安心してしまった。これは狴犴の失態だ。

 宵街唯一の病院の受付には遠足に行っていた有色達が不安な顔で座っており、狴犴の姿を視界に捉えると皆焦りながら立ち上がって深く頭を下げた。

 有色の寄生を受けて、傷の有無に拘らず全員を検査することにした。自分では気付かない程度の傷を負っていた者もいるかもしれない。

 今はまだ何の検査をしているか有色には話していない。検査が終わり、全員に寄生の疑いが無ければ話すつもりだ。もし話した後で寄生された者が見つかれば混乱は避けられない。

「……あ、あの! 狴犴様……な……何が起こったんでしょうか……」

 一人の有色が顔を上げ、皆を代表するように尋ねた。宵街の統治者に直接話し掛けるなど初めての少女は緊張しながら唾を呑み、全身が硬直して震えていた。

 その緊張を早く解くために狴犴は簡潔に答える。

「調査中だ。皆の検査が終われば話せるだろう」

「……。は、はい……わかりました……」

 本当は他にも訊きたいことがある。そんな顔をしていたが、それ以上は何も言えず彼女は顔を伏せた。

 狴犴は受付の姫女苑(ヒメジョオン)から病室を聞き出し、足早に上階へ向かった。

 空き部屋はたくさんあるが、彼は三階の奥へ運ばれたようだ。軽くドアを叩き、中からラクタヴィージャの本体が顔を出す。

「そろそろ来ると思った」

苧環(オダマキ)は」

 珍しく感情を乱して、声に焦燥が混ざる。

「無事よ。今は眠ってるけど。だから静かにね」

 目撃した有色の話によると、至近距離にいた有色の一人の体内から黒い巨大な虫が飛び出し、白花(シロバナ)苧環が他の有色を庇うために間に入った。その後も彼は有色を庇い、戦おうとした。偶然居合わせた(ばく)黒葉菫(クロバスミレ)の銃を借りて撃たなければ、白花苧環の命は無かったかもしれない。獏が首輪を外さなければ宵街は異変に気付くこともなかった。今回は獏と灰色海月(クラゲ)の機転に感謝すべきだろう。それを直接伝えはしないが。

 白い部屋の中に白花苧環は静かに目を閉じていた。布団を被っているので傷は隠れて見えないが、蒲牢から聞いた話によれば出血が多く、半獣だから失血死を免れたのかもしれないとのことだった。半獣になってしまったことに狴犴は複雑な気持ちがあったが、こういう状況では喜ぶべきなのかもしれない。

血染花(ちぞめばな)で輸血して大事は免れたんだけど、これ見て」

 ラクタヴィージャが取り出した小袋に狴犴は見覚えがあった。それは蒲牢の頭に生えていた角を入れた袋で、始末に困って輪切りにして変転人に配っていた物だった。何やら妙なことをしていると狴犴は思っていたが、白花苧環が受け取ったそれを見たことがある。

 破れた小袋から取り出した白翡翠のような角は罅割れていた。

「これが虫の顎を受け止めたみたい。これが無かったら体を貫通してたかも。蒲牢に感謝しなきゃね」

 小袋に割れた角を戻し、白花苧環の枕元へ置いておく。かなりの衝撃を受けているが、砕け散ってはいない。蒲牢の角はかなり硬いようだ。

「だけど攻撃は一発じゃなかったから……半獣の回復力がどの程度なのかまだわからないけど、獣よりは時間が掛かると思っておいて」

「……そうか。寄生虫の方は何かわかったか?」

「有色は検査中だけど、苧環は寄生されてないわよ。それはまず安心して」

「……ああ」

「虫本体を調べられないのがもどかしいけど、今まで寄生された無色と今回の有色を調べてみて仮説を出してみたわ。それで、毒の有無が虫に影響を与えてるんじゃないかと思った。無色は自分の毒で虫を抑え付けて、その抵抗の結果として発作を起こしてるんじゃないかな」

「有色は毒が無い故に抵抗できず、それで発作を起こさないことは理解できるが、虫は何故体外へ飛び出した? 有色は巣として不充分ということか? 虫の目的は何だ? 寄生するからには目的があるだろう?」

「虫だから知能はそんなにないと思うし、餌が目的じゃない? 通常、寄生虫が寄生する主な理由は、餌があるからよ。後は揺籠の役割とか」

「餌か……」

「無色は抵抗するから暫く正常みたいだけど、有色は抵抗できないから宿主としての役目があっと言う間に終わってしまって、用済みの宿主は殺されてしまうのかも。体内に損なわれた肉が無いから、血液を呑んでるのかも。少量だと気付き難いし。でもそんなに大きな生物が少量で満足なんて、ある?」

「ユニコーンが人工的な虫だと言っていた。人工的なら常識は通じないだろう。獣も暫く飲まず喰わずでも生きていられる。そういう虫が作られただけだろう」

「じゃあ何のためにそんな虫を作ったの? その虫で何をする気? そんなのを寄生させて、変転人を殺すためとしか……」

 そこまで言ってラクタヴィージャははっとした。

「まさか変転人を殺すため……?」

「…………」

 現に変転人は被害を受け、死者も出ている。

「……獣が寄生されない時点で怪しむべきだった……ううん……病だなんて誤診しなければ……」

「どんな理由だとしても、犯人は獣か。自身には寄生しないよう獣は除外し、変転人だけを狙った。寄生虫を作るなど大方獣の仕業だろうと思っていたが」

「いつから思ってたのよ。思ってたんなら言ってよ」

「獏が黒葉菫に傷を負わされた時、感染しないことに違和感を覚えた。結果としてなのか故意に感染させていないのか、判然としないが。素人の浅慮など混乱させるだけだろう?」

「本当に頭が固いわね……少しくらい助けてくれてもいいのに……」

 医者でなくとも気付きがあれば言ってほしいものだ。会話の中で医者が気付くこともある。そもそも獣と変転人は病気に罹ることなど稀だ。変転人の場合は病気の個体に人の姿を与えてしまうことが稀にあるが、それ意外に病気に罹ることはない。精々風邪をひくくらいだ。なのでラクタヴィージャは病気を診察する経験が圧倒的に不足している。

 珍しく弱音を呟くラクタヴィージャを、彼女一人に病院を任せるしかできなかった狴犴は一瞥する。彼女は今回の誤診に相当堪えているようだ。宵街の医者は彼女一人であり、相談できる者がいない。

「……わかった。今後は気付きがあれば話す。頭が固いつもりはないんだが、話すことにあまり慣れていない」

 狴犴はいつも報告される立場であり、報告する立場ではないのだ。

「それはまあ……あれだけ独りでいたら慣れてないわよね……」

「…………」

「獣の仕業だとして、一体どんな能力なの……? 花街から宵街にって、距離が物凄いわよ。遠隔操作にしても離れ過ぎてる」

(いん)の類かもしれない。だがこれ以上は私にも推測が出せない」

「印は医者にはわからないわよ……」

 これではお手上げだ。敵の輪郭が全く見えてこない。変転人を殺すことが目的だったとしても、獣なら変転人など簡単に殺せるのだから、わざわざ虫なんて作り出す必要性を感じない。

「話を戻すが、黒葉菫も入院しているか?」

 蒲牢から彼も負傷したと聞いている。黒葉菫が行動しなければ獏の初動も遅れた。病院にいるなら、彼にも謝辞を述べておくべきだろう。

「彼は腕の骨に罅が入っただけだから、入院はしてないわよ。図書園に行くって言ってたけど、自分の攻撃が通じなかったって落ち込んでたわね。ちょっと励ましておいてよ」

「……いや、病院にいないなら私は科刑所に戻る。苧環のことを頼む。目が覚めたら、仕事や習学は気にするなと言っておいてくれ」

「それは勿論、たっぷり休ませるけど……君もまた倒れないでよ」

「無論だ」

 白花苧環の顔色を確認し、狴犴は安堵したように踵を返した。黒葉菫に礼を言いたかったが、図書園はここから距離がある。今は問題の処理が先だ。早く科刑所へ戻りたい狴犴は、礼はまたの機会とすることにした。

 薄情だと思われるかもしれないが、遣るべきことを遣るしかない。看護は病院の仕事であり、科刑所の仕事は虫の被害を防ぎ、虫を放った犯人を突き止め裁きを与えることだ。

 花街(はなまち)の変転人から寄生したことから、犯人はおそらく花街にいる。花街に棲む者であっても、必ず制裁は受けてもらう。


     * * *


 図書園で新人教育を行っていた金瘡小草(キランソウ)達が死体処理の依頼を受けた時、然程驚かなかった。獣が殺した死体の処理を頼まれることは珍しくなく、よくあることだからだ。だがそれを引き受けた長実雛罌粟(ナガミヒナゲシ)が図書園に戻り、首から三角巾を提げて左腕を吊る黒葉菫が現れると空気が一変した。共に戻って来た白実柘榴(シロミザクロ)に負傷は見られなかったが、白花苧環の姿が見当たらない。

「すっ、スミレ君!? どうしたの? その腕……」

 同じ黒所属の洋種山牛蒡(ヨウシュヤマゴボウ)が驚いて駆け寄り、新人の四人も何事かと振り向く。新人達はまだ仕事を請け負ったことはないが、仕事とは負傷することもある危険なことらしいと認識を改める。

 黒葉菫は表情を曇らせるが、図書園に戻るなら必ず尋ねられるだろうと覚悟はしていた。

「……遠足中に例の虫が出たんだ」

「!?」

 新人四人はまだ虫の情報を伝えられていないため怪訝な顔をするが、洋種山牛蒡達四人は目を瞠り眉を寄せる。死体処理を依頼された時は虫が出たとは聞かされず、現場へ行った長実雛罌粟も虫を見ていない。虫に遣られたからあんなに惨い死体だったのだと彼は合点が行った。

「虫に腕を遣られたってこと!?」

「それは……」

 何と説明すべきか言葉が詰まってしまう。白の前で軽率に罪人の名を出すわけにはいかない。

「……俺の銃を獣が使って撃ったから……罅が入った」

「ああ……獣に使われたら堪らないわよね……」

 名前は伏せたがそれ以外は正直に話し、皆も納得した。黒葉菫の腕の骨は以前獏に銃を使われた時よりも傷が深かったが、罅に留まった。銃身が折れでもしない限りは骨も折れないとラクタヴィージャは言っていた。

「……黒葉菫」

 洋種山牛蒡は黒葉菫が無事で安心するが、金瘡小草が安堵するにはまだ早かった。険しい顔をして彼の名を呼ぶ。

「苧環は?」

 遠足の引率には三人が行ったのだ。なのに戻って来たのは二人だけだ。最悪の事態を想像してしまい、金瘡小草は表情を強張らせて返事を待つ。渾沌(こんとん)の一連の騒動で死んだ白花苧環がまたこんなに早く命を絶ってしまったとは考えたくなかった。

 黒葉菫はそれが一番大事なことだと慌てて返事をする。姿が見えないことは一番の不安になる。

「マキは無事だ。有色を庇って負傷したから暫く入院するが、ちゃんと生きてる」

「そう……良かった……」

 緊迫した空気が漸く弛緩する。金瘡小草は肩の力を抜き、表情をあまり変えない狐剃刀(キツネノカミソリ)もほっと安堵の表情を浮かべた。

「よく考えたら長実が苧環の死体処理をしてないんだから、生きてるよね」

 金瘡小草は笑顔で長実雛罌粟を睨み、彼は居心地悪く目を逸らした。黙っていたわけではなく、自分のした仕事だけ伝えた。それだけだった。

「ねえねえ、例の虫って何? これからそれも習うの?」

 話が理解できず退屈そうに眺めていた花韮(ハナニラ)は詰まらなさそうにペンを回す。

 無色の変転人は寄生虫の情報を共有しているので、新人達にも何れ話すつもりだった。ユニコーンが現れて虫の問題は沈静化すると思われたので話すのは後に回していたが、事態はそう甘くはなかった。

「ついでだから虫の話を先にするよ。これは最近宵街を騒がせてる厄介事なんだけどね――」

 金瘡小草は新人達に花街の変転人から持ち込まれた寄生虫について話した。花街については情報が乏しく、遠方にある宵街と似た獣と変転人が棲む街としか言えなかったが。

 我が身にも関係のあることなので四人は今まで以上に真剣に話を聞いたが、大きな古代生物のような虫が体外に飛び出す想像はできなかった。机に積んでいた虫の図鑑を開いてみるが、古代生物は載っていない。人より大きな虫がどうやって人の体に収まっているのか、疑問ばかり浮かぶ。

「掌から武器を出すって言うのも理解できないし、宵街は理解できないことが一杯……」

 野襤褸菊(ノボロギク)は椅子の背に凭れ、天井を見上げる。一度に多くのことを教えられ、混乱してきた。

「武器のことももう話したのか?」

 腕は負傷しているが口は無事なので、黒葉菫も椅子に座りながら教育の進捗を尋ねる。遠足に行っている間に随分と話が進んだようだ。

「洋種山牛蒡から人間の学校の話を聞いて、参考にしてるんだよ。人間の学校は短く一定に時間を区切って、一日に複数の授業を受けるんだって。だから全部中途半端になってるけど、今は自分の武器をどんな物にするか考える授業をしてたの。図書園には参考にできる本がたくさんあるしね」

 道理で机に本が堆く積まれているはずだと黒葉菫も納得する。白実柘榴も席につき、机上の図鑑を興味深く広げた。彼女は既に自分の武器があるが。

「そうそう、私達は皆検査して虫に寄生されてないって証明されたから安心して。貴方達も生まれたばかりで私達以外と接触してないから大丈夫。でも負傷したら、どんな小さな怪我でも病院で検査すること。その若さで死にたくないよね?」

「…………」

 四人は息を呑み、図鑑に目を落とす。酷い脅しだ。想像できないからと言って事実から目を背けられない。一刻も早く自分の武器を考えなければ。武器がなければ虫に抵抗できない。四人はそれぞれ本を手に取り、手元の白紙にペンを突いた。

 そうして遣る気を出した所で、水を差す大声が突如図書園に響いた。


「――おい無色! ここにいるのはわかってるんだからなあ!」


 騒々しい気配が図書園の出入口を跨ぎ、今度は何だと新人達は振り返る。そこには桃色の髪の少年を筆頭に、有色の変転人が複数人、出入口を塞いでいた。

「……決めた。俺の武器は散弾銃にする」

 ぼそりと呟く蝮草(マムシグサ)に、一拍置いて金瘡小草は慌てて制止した。

「ちょ、待って。敵襲じゃないから。彼らは有色の変転人だよ。さっき説明した有色」

「ああ……これが? 見た目は無色とそんなに変わらないが……派手な髪色だな」

「それに、後で詳しく話すけど、銃には適性が必要だから、誰でも使えるわけじゃないの」

 警戒する四人を手で制しながら、金瘡小草は来訪者の前へ出る。随分荒っぽい登場だ。どうやら怒っているらしい。図書園は壁の修復が終わっていないのでまだ立ち入り禁止の貼り紙をしているのだが、この有色達には見えていないようだ。

「私達は無色だけど、有色の皆さんは何用で?」

 思ったより数が多いな、と動揺する声が有色の中から聞こえるが、金瘡小草は腕を組んで返事を待つ。

 先頭の桃色髪の少年は黒葉菫達が引率した一人、捩花(ネジバナ)だ。背後に引き連れる有色の中には遠足に参加していた者もいるが、知らない顔も混じっている。黒葉菫が対応すべきだろうかと迷うが、金瘡小草の方が行動が早かった。

 誰が口を開くのかと有色は騒つくが、結局捩花が代表して話すことになった。

「おい無色! 洗い浚い話してもらうからな!」

「何を?」

「恍けんな! 何で有色がこんなに死ぬんだよ!」

「ああ……」

 緊張しているのか要点を得ないと辛抱強く聞いていたが、安心安全のはずの宵街で有色が何故死に怯えなくてはならないのか、それを問い質しに来たようだ。渾沌の一件でかなりの数の有色が死に、先日の寄生虫の発作で負傷者が続出した。そして今回の遠足で一人が死んだ。渾沌の件は獣が暴れたと有色に話しているが、発作と今回の件は有耶無耶にしてある。寄生虫のことはまだ伏せておいてほしいと狴犴に頼まれているのだ。憶測で有色に恐怖を蔓延させるわけにはいかず、確信を持てるまで虫の情報は出さないことにしたのだ。

「それは目下調査中よ」

「調査中……? 無色はピンピンしてるのに、何で有色だけこんな目に遭うんだ! お前らが俺達の盾になるんじゃねぇのかよ!」

「獣の騒動では無色も多数死んだけど? 死傷者の数がそんなに気になる? 有色の方が数が多いんだから、相対的に死傷者の数も増えるよ」

「俺達が死ぬのは仕方ないって思ってるのか!?」

「無色は有色の盾、と貴方は言ったね。確かに力を持たない有色を守るのは無色の役目よ。でも、」

 冷静に問答していた金瘡小草は踵を鳴らして有色に歩み寄り、

「!?」

 捩花の胸座を掴んだ。

「盾は心外よ。必死に戦った無色の皆への侮辱だよ。私達は死ぬしかない盾じゃない。殺すための鉾よ」

 捩花は呼吸も忘れ、氷のように冷たい金瘡小草の目から逸らせなくなってしまった。死ぬ。殺される。そう思わせるに充分な殺気だった。無色の殺気は獣には及ばないが、有色を怖気付かせるには充分だ。

 彼女が手を離すと捩花は蹌踉めいて尻餅を突き、歯噛みして睨み上げた。同じ変転人なのに、毒があるだけでこんなにも圧倒的な力の差がある。有色は守られているのではなく、ただ生かされているだけなのではないかと疑念が湧く。

 毒突く勇気は残っておらず、捩花は仲間を連れ引き返した。

 どちらも手に武器を持っていないが、無色は武器を生成できる。次に訪れることがあれば、有色は何か武器になる物を持って来るかもしれない。

「遣り過ぎじゃ……」

 虫のことを教えてもらえず、有色は不安なだけだろう。洋種山牛蒡はぼそりと指摘するが、金瘡小草に睨まれた。正義を貫き尽力する白には只の『盾』という言葉はあまりに理不尽だった。

「……わかるけど、はっきり言わないとわからないこともあるから。結果的に盾になって死ぬ人が多いのは事実だけど、道具みたいな言い方は嫌だよ」

 有色を庇って負傷した白花苧環も、死にたくて庇ったわけではない。守ろうとした結果だ。捩花の言葉はそんな白花苧環に対する侮辱でもあった。

「やっぱり散弾銃がいい」

「蝮はちょっと落ち着いて。有色は敵じゃないから」

 散弾銃は多人数を蹴散らすには良いだろう。だが多人数を相手にする場面はそうあるものではない。

「銃の適性はどうやったらわかるんだ?」

 もう教えてくれても良いだろうと話題を戻す。他の三人もそれには興味があった。敵に接近して戦う剣などより、離れて攻撃できる銃の方が痛い思いをしないと蝮草の発言で気付いたのである。

「皆、銃器に興味津々になったね……。適性は自分で探っていくしかないけど、銃を使うには平均的な無色より高い能力が求められるの。菫の武器が銃って聞いてびっくりしたよ。銃を武器にする人なんて初めて見たから。……まああんまり知り合いはいないけど」

 交流を持たない白は知らないことが多いが、無色の最年長である黒色蟹に続いて長命な金瘡小草でも、銃を使う変転人は見たことがなかった。

「黒葉菫さんは凄く強いってこと?」

 野襤褸菊はそわそわと目を輝かせる。そんな強い変転人から教育を受けるなら、自分も強くなれそうな気がする。

「強いかは私は知らないけど、無色の殆どはまず接近して戦う武器を考えるんだよ。銃器だと銃本体と銃弾を生成する必要があって、能力が高いと自動で装填できる。それから弾の大きさと飛距離が自分の能力に比例する。つまり適性が無いと極小の弾しか作れないし、全然飛ばない。速度が出ないと殺傷力も無い。真っ直ぐ撃ってもすぐに地面に落ちると思う。精々三メートルくらい? 普通の拳銃でも有効射程距離は二十メートルくらい欲しい所だから、有効射程距離の無い三メートルなんて実用性皆無だよ」

「有効射程距離……?」

 図鑑に顔を近付けていた燈台草(トウダイグサ)は怪訝に首を傾ぐ。図鑑には文字が殆ど無く、絵や写真以外の情報が入って来ない。

「発射した弾に威力があって、命中させられる距離のことだよ。体内生成された武器はその変転人の能力によって性能を変えるから、拳銃の形をしててもライフルくらい飛ばすことも可能だよ」

「それはたぶん、飛んでも標的を狙うのが難しい……」

 実際に銃を使用する黒葉菫は指摘する。遠方の標的を狙うにはある程度の銃身の長さが必要だ。

「例えばの話だよ。変転人の能力だと拳銃が限界だと思うし……」

「詳しいんだな」

「私だって……銃を使ってみたかった」

 ぼそりと漏らし、金瘡小草は不満げに目を逸らした。銃を生成するために色々と情報を集めたらしい。

「……菫は、どんな銃なの? どのくらい飛ぶ?」

「フリントロック式の拳銃だ。距離はちゃんと測ったことがないが、さっき言ってた二十メートルは飛ぶと思う」

「スミレ君、謙遜! はいはい、五十メートル以上は飛ぶわよ。装填も自動!」

 付き合いの長い洋種山牛蒡は自分のことのように楽しそうに手を挙げて訂正した。

 黒葉菫は、あまり持ち上げないでほしいと思う。寄生虫に自分の弾が効かずに落ち込んでいる最中なのだ。謙遜ではなく自信が無い。

「羨まし……う、うん! じゃあもし四人の誰かに銃の適性があっても安心だね。菫が教育できる」

「…………」

 遣る気のある新人の前で弱音を吐くわけにもいかず、黒葉菫は何も言えなかった。だが彼も他に銃を生成する無色を知らない。黒色海栗(ウニ)は黒葉菫を見て銃を生成しようとしたが適性が無く、それでも飛び道具が使いたいとボウガンを生成している。銃は無理でも弓なら生成できる者は珍しくない。

 もし他に銃を生成できる無色がいるなら、自分の銃の威力を上げるためにどうすれば良いのか聞かせてほしかった。

「でも銃の適性があっても刃物の方がいいって人もいると思うから、四人は焦らずじっくり考えてよ。一生使うことになる武器だから、自分に合った物を選ばないとね。――あ、そうそう。身体能力測定も遣った方がいいね。それで武器の向き不向きもわかってくる。今から遣ろうか」

 そろそろ武器の授業は終了する予定だったが、新人達の遣る気に水を差すのも躊躇われた。授業時間を延ばして測定を行うことにする。予定は飽くまで予定だ。

 ずっと座ってばかりだったので、やっと体が動かせると四人は即座に立ち上がる。燈台草だけは本を抱えて憂鬱な顔をしているが、無色とは言え戦闘が苦手で消極的な者は存在する。

「一つ言い忘れてたけど、攻撃する物だけが武器じゃないよ。防御するための物や、味方を補助する物だって立派な武器だから」

 燈台草の表情が少し安心したように見えた。前に出て戦うことを嫌がる無色もいるのだ、そこは無理をすることではない。

 この四人が全員すぐに武器を生成できるとは限らない。生成したい気持ちはあっても、大抵の無色は骨を掴むのに時間が掛かる。人の姿を与えられたその日に武器を生成することができた白花苧環の例は非常に稀だ。三日で武器を生成することができた白実柘榴でも早過ぎる。

「キランちゃんは武器生成どのくらい掛かった? 私は半年くらい」

「私は……一ヶ月くらいだったかな」

「やっぱり白は早いのね。噂では黒は遅いみたいなのよ」

「そうなんだ?」

 金瘡小草は初耳だったが、洋種山牛蒡の情報収集力は確かなものだ。四人には聞こえないように話す。聞こえれば気にするだろう。

 机と椅子を壁に寄せて場所を空けるが、走る程の広さは無い。図書園の中は運動するようにはできていない。一体何をするのだろうかと四人は次の指示を待つ。

「それじゃあ――私と手合わせをするよ」

 金瘡小草の言葉に、四人はきょとんとしてしまった。人の姿を与えられてまだ数日すら経っていない四人は体の動かし方すら手探りだ。

「……それって、四人一遍に襲い掛かるの?」

 花韮は眉を寄せながら、金瘡小草はどれ程の手練なのかと警戒する。

「四人はさすがにキツイかな。たぶん貴方達が腕や脚を振り回してぶつけ合って足を引っ張り合うと思うよ」

「何かすっごい舐めたこと言われてない? いいわよ、遣ってやろうじゃない。行って、蝮草」

「何で俺」

「アタシ達の中で一番大きいからよ。キミがあいつを消耗させて、アタシ達が止めを刺すの。チームワークって奴」

「解せないが」

 揉める二人を見兼ね、先に進まないので金瘡小草は「二人共掛かって来て」と挑発する。

「大丈夫、私は武器を使わないから。わかりやすく、相手の頬に平手打ちを一発与えた方が勝ちだよ」

「平手打ち……だったら怪我はしなさそう」

 折角貰った人の体が痣だらけになってしまったらどうしようと花韮は不安だったが、平手打ち一発なら大事には至らないだろう。揉めるのも面倒になってきたので、花韮は潔く脚を広げて腕を構えた。

 花韮が先に行くなら、彼女を囮に隙を突こうと蝮草は距離を取る。金瘡小草が花韮の相手をしている間に死角に入り込み、背後から一発叩けば良い。

 だが作戦は上手くは運ばず、花韮が地面を蹴って腕を伸ばした直後、彼女は金瘡小草に引っ叩かれ、振り向き様に蝮草も引っ叩かれた。一分も持たずに二人は床に沈み、野襤褸菊と燈台草はぽかんと口を開けながら戦慄した。

「来ないなら私から行くよ。少しは抵抗してみて」

「……!」

 だが殆ど抵抗をさせてもらえず、野襤褸菊と燈台草も仲良く床に沈んだ。

 こんなに圧倒的な力の差を見せつけられるだけの手合わせで一体何が測定できると言うのか。四人は頬に赤い手形を付けたまま嘆いた。

「わ、キランちゃん強い」

「歩けたり言葉が話せても、生まれたばかりの新人だから。赤ん坊みたいなものだよ」

 平時は生まれて間も無く手合わせなどしないので洋種山牛蒡は早速の洗礼に同情したが、経験の差以上に金瘡小草は元々身体能力が高いようだ。身体能力の高さと銃の適性は比例しない。

「今ので何かわかった?」

「そうだね……少なくとも、苧環みたいな規格外はいないね」

「ああ……」

「花韮は度胸があるし、両手を均等に使ってたから両利きかも。蝮草は不意を衝こうとしてたから、小さめの武器がいいんじゃないかな? 野襤褸菊は平手に一番耐えてたから足腰が強そう。燈台草は……病院に行こうか」

「えっ!?」

 地面に伏せたまま、燈台草は慌てて顔を上げた。一人だけ評価がおかしい。

「最初から変だとは思ってたんだよ。本に顔を近付けてたり、黒板の文字も眉間に皺を寄せて見てた。もしかしたら視力が低いんじゃない?」

「視力が……低い……?」

「別に病気とかじゃないんだけど、病院に行ったら視力を上げてもらえると思う。狐、彼を病院に連れて行ってあげてよ」

「わかった」

 燈台草はまだ理解できなかったが、狐剃刀に抓まれ図書園を後にした。

 洋種山牛蒡は出入口まで付いて行って二人を見送るが、燈台草の視力が低いと気付かなかった。確かに本に埋もれるように顔を近付けていたが。

「視力の低い変転人なんて初めて……」

「私も初めてだよ。変転人なんて皆、五体満足健康体で生まれて来ると思ってた。皆が全く同じ視力だとは思ってないけど、眼鏡が必要な人は……有色にもいない?」

「全員は把握してないけど、見たことないわ」

 想定外の事態になってしまったが、顔を上げてはいるがまだ地面に伏せている三人を引っ張り起こす。

「燈台草が戻るまで、自習にしよう。三人は引き続き、自分の武器を考えて。私の言ったことは、飽くまでちょっとした参考程度にね」

 金瘡小草も下がって椅子に腰を下ろし、再び座って本を眺めたり書架へと歩いて行く三人を見守る。どんな変転人も一日では自分の武器など決められない。白花苧環は特別だ。

「有色の行動も少し気になるね」

 隣に座る洋種山牛蒡へぽつりと声を掛ける金瘡小草の横顔は、何かを憂えているようだった。

「そうね。有色があんなに無色に敵意を向けるなんて、今までなかったかも」

「見回りをしてる蟹と浅葱斑(アサギマダラ)は大丈夫かな」

「レオ先輩は心配ないと思うけど」

 無色が有色に負けるはずもないだろう。洋種山牛蒡は金瘡小草ほど不安は無かった。


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