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透明街の人喰い獏 (2)  作者: 葉里ノイ


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31/56

155-異変


 狴犴(へいかん)花街(はなまち)の調査を一任された(ぬえ)は、花街圏にある西洋の人間の街をひっそりと彷徨いていた。敵を知るにはまずその周囲からだ。人気(ひとけ)の無い路地を歩いて人間を避けながら、童話のような煉瓦造りの街を見回す。調査は根気が大事だ。それを数日続けて何人か無色の変転人を見つけた。色は黒と灰で、暫く観察してみたがおかしな動きはなかった。

 その間、何処にいても視線が纏わり付いてきた。まるで小さな虫に纏わり付かれているようでうんざりした。見るだけで姿を現さない相手に苛立ちが募り、観察を切り上げて幼い眉間に皺を寄せながら逃げるように花街の中へ乗り込むことになってしまった。

 じろじろと見られ、鬱陶しくて敵わない。幾ら気配を消しても小さな視線が追ってくる。浅葱斑(アサギマダラ)はそれらを妖精だと言っていた。怖いものではないと。怖くないとしても、見られ続けるのは落ち着かない。

(もしかして不審者がいないか見張りでもしてるのかしら……。でも花街に来るなとは言われてないし、堂々としてればいいわね)

 城へは堂々と入れないが、花街の出入りは禁じられていない。

 前回の遠征では変転人を三人連れて来たが、今回は鵺一人だ。花街の王であるフェルニゲシュが語った、王すら襲う変転人が存在することが気になったのだ。花街はその調査をすると言ったが、どうにも信用できない。宵街(よいまち)も勝手に花街を調査することにした。フェルニゲシュとアイトワラスには顔が割れているが、敵と認識されているわけではないので堂々とすることにする。

(花街には悪戯をする変転人がたくさんいるみたいだから、普通に考えると変転人が多い城下町で広まってるはずよね。幾ら流行ってても獣にまで悪戯するなんて、あまりに命知らずで不可解。直接聞き込みできるかしら)

 鵺は悪戯が病だと判断され、更に虫の所為だとまだ知らない。使えない携帯端末を宵街に置いてきたため、情報が届いていない。だが原因が何であれ他人に危害を加える行為をすることに違いはないので、鵺の調査も無駄にはならないはずだ。

 変転人がおかしな動きをするのを待つのでは、いつになるやらわからない。不審者だと思われるかもしれないが、聞いて回る方が早い。

 前回浅葱斑に案内されて降り立った場所とは少し位置が逸れているが、小さな三角屋根の家が疎らに立っている。前回と同様、花街の端の方のようだ。部外者は古城から遠く離れた端から進むしかない。平坦で広大な土地にちらほらと花が咲いた野原が広がり、明かりの灯っていない丸いランタンが前回の遠征の時と同様に青い空を背に浮かんでいる。

 外には人影が無く、聞き込みをするため近くの家のドアを叩いてみる。暫く待っても返事が無かったので遠慮無く開けるが、中にも誰もいなかった。床や壁の隙間から生命力の強い草が伸び、家具も埃っぽく生活の痕跡が無い。留守ではなく、どうやら空き家のようだ。

(宵街の最下層みたいなものかしら。何処も端の方は人がいないのね)

 浅葱斑と来た時は付近の家から出て来る変転人がいたが、場所によるようだ。人に会うには城に接近する必要がありそうだ。小高い丘の上にある古城の尖塔は何処からも見えるので、方向を見失わなくて助かる。

 変転人を警戒させないよう杖は出さず、飛ばずに古城の方へと歩き、次に見えた家のドアを叩く。ここでも返事は無く、これも空き家だった。家の中は同じように草が茂っている。

 古城に近付くにつれ家の数も増えていくが、幾らドアを叩いても一つも返事が無い。空き家だらけだった。

 場所によるだろうと思っていたが、さすがの鵺も首を傾ぐ。前回花街を歩いた時は家の中を確かめなかったが、外を歩く変転人はいた。平坦で隠れる場所が少ない花街は遠くまで見通せるため、遠くで遊んでいる姿も見えていた。だが今は誰もいない。人影が一つもなかった。

「!?」

 更に異変は続き、たった一度の瞬きで青空が突然夜空になった。スイッチを押して部屋の明かりを消すように、一瞬で切り替わった。黒い空に一斉にランタンが灯り、幻想的な光が不気味に浮かび上がる。

「何……?」

 宵街の空はいつも同じ色だが、花街は変化するようだ。初めてこれを体験した人は皆びくりと驚くことだろう。鵺は小さな鈴が付いた杖を召喚し、辺りを見渡す。


「だーれが迷った」

「小鳥ちゃん」


 突如降ってきた少年と少女の声が夜に混ざり合い消える。くすくすと笑う声が闇に響いて溶ける。

「誰……? 出て来なさい!」

 空が黒くなったタイミングで声が聞こえ、何か関係がありそうだと警戒する。このような現象を浅葱斑から聞いていない。

 変転人の仕業とは思えない。変転人は空の色を変えるなんて大掛かりなことはできない。だが異常な治癒力を持つアルペンローゼと言う例が花街には居る。変転人なのか獣の仕業なのか、確証がなかった。

「誰? だって」

「こっちが聞きたい」

「何でここに来たのか」

「言ったら教えてもいい」

 鵺は耳を澄ます。交互に喋る声は二人だ。何処から聞こえるかは辿れなかった。

(悪戯……? 例の流行りかしら? 会話できるなら本人から話を聞くのは有りね。……でもこの声の意図がわからない)

 鵺は身動きが取れず、頭を必死に回して耳を澄ませる。鵺の聴覚は良い方だ。音を攻撃に変換する能力を持つため耳は良い。

「まずは姿を現しなさい。礼儀よ」

「礼儀だって」

「面白い」

 くすくすと笑う声が聞こえ、家の陰から草を踏む音が聞こえた。

「――そこ!」

 鵺はしゃんと杖を振り、空気の塊が刃となり飛来して家の角を叩き割った。同時に甲高い声が上がり、黒い塊が飛び出す。

「え……何!? 孔雀……?」

 家の陰から飛び出した雄の孔雀は古城の方へ向かってバサバサと走って逃げて行った。花街には孔雀が放されているのか。鵺は目を丸くしたが、小さな手で杖を握り直し、気を引き締めた。

「あはは。凄く驚いてる」

「孔雀は見たことない? 面白い」

 完全に遊ばれている。鵺の幼い顔は引き攣った。

「いい度胸ね……悪戯の調査はお前達のためでもあるのよ。お前達の棲む街が脅かされて、一番困るのはお前達でしょうが!」

「…………」

 しゃんと力強く地面に杖を打ち、鵺はランタンの浮かぶ暗い虚空を睥睨する。声の主が何処にいるのか全くわからない。この声が出ている方向が無いとでも言うのか、耳ではなく脳に直接届くような妙な声だった。声の方向がわからなければ、何処に攻撃を撃てば良いかもわからない。

 鵺が睨むと声は様子を窺うように止み、夜の色がまた少し深くなった。

「まだ悪戯を続けるなら、この辺りを更地にしてやるわよ」

「……悪戯の調査だって」

「何のことかな?」

 声も興味はあるようだが、何も事情を知らない可能性が出て来てしまった。知らないのなら、鵺がここに来た理由も理解されない。

「だから今、調査してるのよ」

「なんだ何もわかってないのか」

「つまんない。しっかりして」

「あのねぇ……!」

 花街が出した問題なのだから花街で手を打ってほしいものだ。鵺は苛立ち、蛇のような尾をぴんと伸ばした。

「聞き込みをしようと思ったら空き家ばっかりじゃないの! これじゃ何も聞けないでしょ! 変転人は何処に棲んでるのよ!」

「聞いて何かわかる?」

「聞いて何がわかる?」

「変転人に悪戯が流行ってるんだから、城下町で広まってるってわかるでしょうが! それに、以前からここで流行ってるのか、誰が流行らせたのかとか! よくもこっちの変転人に悪戯……なんて温い言葉ね、傷害よ! 忘れた振りまでして、頭を診てもらったらいいんじゃない!?」

 虚空に向かって攻撃を放ちたい気持ちを抑え、鵺はしゃんしゃんと杖を地面に突く。よく雑用に使っている黒葉菫(クロバスミレ)が標的にされたことに最も腹が立つ。だが相手が何者かわからない以上、下手に動けない。

「ああ成程。でも彷徨かれると目障りだ」

「勝手な行動お断り」

「今から鐘を一つ鳴らす。その余韻が消えない内に出て行け」

「さもなくば生きてここからむぎゅ」

 声は意味の無い言葉を発し、空が急に明るくなった。元の青い空が頭上に広がり、ランタンの明かりも消える。

「何なの……?」

 頭上を見渡すが、他に変わった所は無い。最初に見たのと同じ青い空だ。

 怪訝な顔を前方に戻すと、八十メートルほど距離を取った先に無表情の灰色の少女がぽつんと立っていた。先程まで誰もいなかった花街に突如現れた。黒いリボンを髪に結んだ灰色の少女はゆっくりと頭を下げる。

「……お前があの声の主……? 二人いたと思ったんだけど。もう一人は?」

 灰色の少女はゆっくりと頭を上げ、無言で踵を返した。そのまま歩き去ろうとするので、鵺は慌てて追う。

「ちょっと! 何とか言いなさいよ。変転人よね? 獣に悪戯なんていい度胸ね……」

 鵺は足を急ぐが、ただ歩いているだけの灰色の少女に一向に追い付けない。少女の方が鵺より身長が高いが、歩幅の差だけなら追い付けないはずがない。何故追い付くことができないのか鵺は首を捻るが、先程の声と言い何もわからなかった。不思議な世界に迷い込んでしまったようだった。

 灰色の少女に続いてひたすら歩くが他に人影は無く、物音もしない。無人の街になってしまったかのようだった。

 家々から離れて灰色の少女は木々の茂る森へと向かい、その入口で漸く足を止めた。彼女は首に下げた金属の短い棒を襟元から取り出し、静かに口に咥える。それを一つ吹き、灰色の少女は鵺を振り向いて立つ。

(笛……?)

 訝しげに眉を顰めて見るが、灰色の少女はそれ以上は何もせず何も言わなかった。不気味な程に静かな少女だった。

 鵺は決して警戒を弛めていなかった。なのに襟元に突然気配が現れた。反射的に身を引こうとするが、背後に()()()()


「別に首を取ろうってわけじゃない」


 頭上から男の低い声が降り、鵺はびくりと杖を握った。首に刃物を当てられ、考える暇も無く鵺は自分を起点に衝撃波を撃つ。空気が震え、背後にいた男は慌てることなく地面を蹴り、距離を取って立つ灰色の少女の傍らに降り立ちその肩をそっと叩いた。

「どいつもこいつも花街の奴は……背後からしか話し掛けられないわけ!?」

「無茶をする奴だな。俺にその気があれば首を刎ねてた」

 そこには白い頭にシャモアの角を、顎には細かい髭を生やした男が立っていた。サーベルの形をした杖を握っている。鈍く煌めいて刃物の形をしているが、実際の刃物ではない。

 蒲牢(ほろう)饕餮(とうてつ)は杖を複数所持しており、それぞれ使用する間棒(けんぼう)と刀は殴っても壊れ難い攻撃特化の副次的な杖である。それとは別に、それ自体が武器とならない主となる杖がある。

 以前の獏のような例外はいるかもしれないが、主の杖はどの獣でも所持している杖だ。主の杖は飾り気が無くまるで木の棒のようで、それ一本で能力の出力や転送も行える物だ。

 主の杖に小さな鈴が付いている鵺のような装飾や色が付いている杖は特別である。そういう杖を召喚できる獣は長命を意味する。必ず飾り付けたり変化させないといけない決まりはないのでそのまま使用する者もいるが、視覚でわかりやすく威嚇できるため変化させる者は多い。千年ほど生きると、自分の能力に合うよう杖を変化させる力が身に付く。この角の生えた男も鵺のように千年生きる獣らしい。

「漸く姿を現したわね。声が違うけど……声を変えてたのかしら?」

 姿を現したのならもう攻撃の方向は迷わない。シャモア角の男に狙いを定め、鵺は杖を構えていつでも攻撃ができる体勢を取る。

「誤解だ。先に手を出した声とは別だ。俺はあんな高い声は出せない」

「じゃああの声は誰なの? ここに連れて来なさいよ」

「連れて来ると面倒なことにしかならない。大人しくさせておく」

「こっちも舐められっぱなしじゃ立場が無いのよ」

「君の目的は声の方なのか? 宵街からの調査だと聞いて出て来たんだが」

 男は細かく生えた顎髭を掻き、杖を消して背を向ける。森の中へ入って行く彼に灰色の少女も無言で続き、鵺は訝しげに眉を顰めて二人を目で追った。

 首に切れない刃を当てられた時、殺気は感じられなかった。首を刎ねる気は無いとわかっていた。先の声とは違い、この男は話を聞く気がある。誘われて行くのは癪だが、このままでは何も情報が無いまま宵街に帰ることになってしまう。警戒心をより強め、鵺は誘いに乗ることにした。

 足元まで草の緑に覆われた森は明るく、木々は静かに立っている。草陰に茸も散見される。穏やかな森だった。

 道が無く迷子になりそうな森を突き進み、やがて開けた湖へと出る。その畔に折り畳み式の椅子が二つ並んでいた。木の幹や枝にロープが結ばれ、頭上に布が張られている。キャンプだろうと鵺にも推測できた。

 角が生えた男と灰色の少女はその椅子へ腰掛け、立ち尽くす鵺を見上げる。

「悪いな。椅子に予備は無いんだ」

「構わないけど」

「それで――悪戯とやらについて、何かわかったか?」

 鵺は怒鳴りそうになったが、寸前で堪えた。何度同じことを言わせるのかと叫ぶ所だった。

「変転人が見当たらなくて聞き込みができないって話はしたかしら?」

「ああ、街に入った瞬間から遊ばれてたのか。俺が答えられることなら、質問していい」

「お前は随分と聞き分けがいいのね。逆に罠を疑うわ」

「まあそう警戒するな。話の摘みに……これでも焼くか?」

 椅子の陰から透明なタッパーを取り出し、中身が大きく跳ねる。鵺は警戒を強めるが、中身は犇めく蛙だと気付く。

「焼く……ってことは、食べるの?」

「ああ。そっちの街では食べないのか? こっちじゃ普通だ」

「ふ、ふん……いいじゃない。食べてあげるわ」

 少々変わった物が好きな鵺だが蛙は食べたことがない。食用蛙の存在は耳にしたことがあるが、実際に目にするのは初めてだ。花街では当たり前に食べられている物だと知り、鵺は興味が湧いてきた。蝸牛(かたつむり)と言い、宵街には無い食材がここにはある。

「動物の三大欲求は食欲、睡眠欲、性欲らしいが、獣にも食欲と睡眠欲はある。特に食欲は、自分じゃ料理できない奴や入手の難しい食材もある。満足感を得るのは意外と難しい。獣はそういう食べ物に弱い。覚えておけ、ワイス」

「…………」

 それを何故鵺の前で言うのか。鵺の頬は引き攣るが、灰色の少女が無表情で頷くので鵺に言ったことではないのはわかる。この少女はワイスと言うらしい。

 男は焚火を作る道具を用いて火を熾し、スキレットと小さな俎板を取り出した。ナイフで蛙の頭を豪快に切り落としながら、男は鵺を一瞥する。いつでも話し掛けてこいという目だ。

 鵺は杖を握ったまま、近くの木の幹に凭れ掛かる。何処まで質問に答えてもらえるか不明だが、これは好都合だ。周囲には他に人影は無く気配も無い。邪魔が入ることはない。

「……じゃあ聞かせてもらうわ。変転人の間で度が過ぎた悪戯が流行ってることは把握してるわよね?」

「悪戯……と言うのは、他人を襲う件でいいのか?」

「それよ。変転人同士で戯れ合ってるだけならいいけど、怪我をさせるのはね。わざわざ宵街圏に来るし」

「こっちの変転人が迷惑を掛けているようだな」

「何か呑気な言葉ね……。花街の中ではどうなの? 変転人が暴れて問題になってないの?」

「なってるが、いつも通りだな」

「いつも通り……? 焦らないわけ? かなり前からあるってこと?」

「具体的にいつからかは俺も知らない。君達が問題にしたことで漸くこっちも認知した、が正確だな」

「呆れた……調べようとしなかったわけ? 獣が悪戯禁止って言えば、変転人は言うことを聞くでしょ」

 鵺が以前花街を訪れた時、フェルニゲシュも変転人から攻撃を受けたと言っていた。最近、変転人による悪戯が多発していると。

 フェルニゲシュから聞いた話は内緒話だ。彼から聞いたことは、この男には伏せておく。

「変転人同士の争いに獣は介入しない。ここではそういう方針だ」

 切り落とした蛙の頭をナイフで弾き、地面を赤く汚して鵺の足元に転がる。動かぬ目が鵺を見上げた。

「獣が暴れると大惨事だが、今の所は獣に悪戯が流行ってると聞いてない。俺の耳に入るくらいなら、疾うに審判が行われているだろうが」

 オリーブオイルとバターが熱で弾ける音と香りが漂う。その浅瀬に頭を失った蛙が滑り、調味料が踊る。

「変転人が幾ら過度に悪戯をして暴れても、獣には痛くも痒くもない。変転人が助けを乞うなら城も動くが、訴える変転人はいないな」

「本当に誰も助けを求めてないの? 揉み消されてるのかしら」

「どうだか知らないが、だから城でも問題視しなかった。君達がわざわざ来なければ、誰も問題にしなかった」

「今は問題になってるんだから、ちょっとは危機感を持ちなさいよ」

「持ってるさ。だからワイスは他の変転人に近付けさせない」

「ワイスって……その子よね。お気に入りの子?」

「それは君には関係無い」

 先刻までより高さを一段落として感情を殺した冷たい声が、彼女にそれ以上触れるなと皆まで言わず釘を刺す。鵺は少女を一瞥するが、彼女はスキレットの上で焼かれる頭の無い蛙を無言で見詰めるだけだった。

「……じゃあお前は? お前は何なの?」

「俺に興味があるのか? もう気付いてるものだと思ってたんだが。俺は城で大公なんてのを遣ってる」

「!」

 悪戯の問題を認知している時点で城と繋がりがあるだろうとは思っていたが、大公だとは思わなかった。

 男は木の器に焼いた蛙を放り込み、鵺に差し出す。オリーブオイルとバターの良い香りが漂い、鵺は思わず手に取ってしまった。

「確か君は……鵺、で合ってるか? この前来た獣と容姿が一致する。女性だと言うから覚えておいた」

「…………」

「俺はズラトロクだ。宵街の方はその後どうだ? 悪戯をする変転人はまだいるか?」

 鵺が宵街を出てから数日が経っている。狻猊(さんげい)が作った携帯端末の試作機は使えないため置いて来てしまった。連絡を取る手段が無いので、鵺は『その後』を知ることができない。ユニコーンという病を癒せる獣が現れたことも知らない。

「こっちも全てを把握してるわけじゃないのよ。確認中よ」

「そうか。それもそうだな。じゃあ他に聞きたいことはあるか?」

「悪戯の大本を知りたいけど。お前はこっちに敵意とか……ないわけ?」

「敵意?」

 想定外の言葉だとでも言うように、ズラトロクはわざとらしく目を丸くする。だが直後に理由に思い至った。鵺と接触したアイトワラスから、少し手を出したと聞いていた。

「俺はあいつとは違う。君が言っているのはアイトワラスのことだろ? だがまあ、君が男なら俺も似たことをしたかもしれないな」

「……さっきから女とか男とか……性別で態度を変えてるの?」

「そうだが?」

 けろりと臆面も無く答える。獣にも色々いるものだ。今度から花街を訪れる際は必ず女性を連れて行くと良いかもしれないと鵺は頭の隅に置いておく。

「アイトワラスって奴もそうなの?」

「何故あいつが出て来たのか知らないが、アイトワラスはそういうことは気にしないだろ。女だからと容赦はしない」

「……ああ、そっちね」

 最初に会った時も洋種山牛蒡(ヨウシュヤマゴボウ)の首を刎ねようとしていたのだから、女に容赦しないことも納得だ。アイトワラスがそうなら、ズラトロクが女性に甘いのは城の方針ではないようだ。大公によってその気質は異なり、こちらも態度を変える必要がありそうだ。花街の古城に棲む獣達は一癖ある者ばかりだ。

 宵街の統治は鵺も手伝っているとは言え、統治者は狴犴一人だ。狴犴のことさえ熟知していれば宵街で苦労はしない。だが実権を持つ者が複数存在する花街ではそうはいかない。面倒な話だ。鵺はフォークで焼き蛙を突き刺して頬張る。宵街にはあまり無い味付けだが、中々美味しい。

「悪戯の大本は、わかってるなら――」

 核心の言葉を遮り、遠くで地響きのような音が聞こえた。鵺とズラトロクは湖畔とは逆の森へ目を向ける。森の中は穏やかだ。音は森の外のようだ。

「花街ではよくある音なの?」

「いや。話の最中ですまないが、様子を見て来る」

「じゃあ私も行くわ」

「物好きな奴だな」

 蛙を頬張りながら器を地面に置き、鵺は杖に腰掛ける。ズラトロクは杖を召喚せず、徒歩で森を行く。変転人を連れているからだろうか、彼は急ぐ気がないらしい。

 静かな森を戻ると視界が開け、家々の並ぶ場所から土煙が上がっていた。

「……あまり騒ぐような遊びをしていたことはないんだが」

 気怠げに頭を掻き、少し急ぎ足で土煙に向かう。その途中にも音が響き、土煙が上がる。近付くと悲鳴もよく聞こえた。

「ワイス、俺から離れるな」

 灰色の少女は無言で頷く。

 距離を取って待てと言うこともできるが、何の音かまだ確認ができていないため傍を離れないよう指示する。万一の際に手が届く範囲にいる方が助けられる。

 鵺も杖から降りて構えた。

 壁が壊れる音がし、視界に広がる青空を背に、屋根の上に黒い物が身をくねらせながら飛び出した。古代生物に酷似しているが、とにかく巨大だった。

「え……何なの!?」

 黒く長い体の左右にびっしりと鰭が生え、海老のような尾が付いている。巨大な生物は鍬形虫(くわがたむし)の大顎のような付属肢で、逃げる変転人の男を捕らえる。

「あああああ! や、やめ、たすけっ」

 皆が見上げる前でその体は呆気無く両断された。夥しい鮮血が頭上から降り注ぎ、劈く悲鳴が方々から上がった。

 屋根よりも長い黒い虫のような生物は頭を振り、鰭を上下に動かし空を泳ぐように地面に向かって強靱な付属肢を振り下ろす。また誰かが犠牲になった声が聞こえた。

「花街にはあんなのがいるの!?」

「俺も初めて見た」

「え!?」

「本で見たアノマロカリスみたいだな。何でいるんだ? とりあえず引き離そう。鵺も下がれ」

 ズラトロクはサーベルの形の杖を召喚し、路地へと入る。鵺は言われた通り下がり、杖を持ったまま様子を窺う。下がれと言うなら好都合だ。彼の能力を見る絶好の機会である。花街の大公がどの程度の実力を持つのか、この情報は大きい。

 音を辿って路地を縫い大きな通りに出る頃には、そこは血飛沫や肉塊が散乱する地獄絵図と化していた。今も黒い生物は止まることなく、逃げ惑う変転人を追っている。

「早く! こっちへ!」

「ま、待っ……」

 恐怖で縺れた足は前には出ず、逃げようとした変転人の少女が転んだ。その音に反応したのか黒い生物は少女を見下ろし、付属肢を振り下ろした。

 ズラトロクは地面を蹴り、少女と黒い生物の間に滑り込む。杖で虚空に一線を引き、見開いた視界の中で黒い生物は体勢を変えることなく後方に引かれて遠ざかる。距離が開いた先で、黒い生物は誰もいない空間にそのまま付属肢を振り下ろした。

(何あれ……!? 黒い奴が後ろに滑った?)

 黒い生物は何も無い地面に二本の付属肢を突き立て、何故そこに少女の姿が無いのか理解できない。確かに少女に向かって付属肢を下ろしたのに。

 風で押し遣ったわけではなく、まるで黒い生物が強制的に後ろへと引っ張られたようだった。

「怪我は?」

 ズラトロクは黒い生物に注意を向けながら、転んだ少女へ尋ねる。少女もまた状況が理解できず、硬直したままズラトロクを見上げることしかできなかった。

「ワイス、この変転人を頼む」

 灰色の少女は静かに駆け寄り、呆然として立てなくなっている少女を抱え上げた。道の向こうで先程呼んでいた変転人を見つけ、そこへ少女を届ける。

「生け捕りは面倒だな。殺すか」

 黒い生物は誰も突き刺せなかったことを怪訝に思いつつも、目の前に現れた角の生えた男へ狙いを定めた。黒い生物の目的は何なのか、相手は誰でも良いらしい。

「腹を満たすために喰うでもなく、町を散らかすな」

 黒い生物は付属肢を広げ、ズラトロクへ襲い掛かった。ズラトロクは微塵も焦る様子を見せず、杖をついと振る。その直後に黒い生物の体は三つに分かれて離れ、勢いを殺しきれずに飛ぶ頭は縦に真っ二つとなり彼の左右に跳ねた。重油のような黒い体液が地面や壁面を汚す。

 びくびくと暫くはしぶとく痙攣していたが、やがて黒い体液諸共、砂のように崩れて跡形もなく消えてしまった。

「……獣じゃないな」

 先程までの騒々しさが嘘のようにしんと静まり、幾らかの変転人は物陰から震えながら様子を窺う。

「害虫を一匹殺した。他にもいるか? 誰か、状況説明」

 周囲に隠れる変転人達に聞こえるよう大声で問い掛ける。ズラトロクは杖を消し、腕を組んで待機した。

 鵺はまだ彼の許へは行かず、路地から様子を見る。このような恐怖を植え付けられた変転人は、知らない獣が近くにいれば警戒して出て来ないだろう。ズラトロクだけなら変転人も安心するはずだ。

 それでも暫く待つことになったが、家の陰から髪の短い灰色の少女が駆け出して来た。ズラトロクと行動を共にしていた無口なあの少女ではない。周囲を確認し、ズラトロクの前へ片膝を突く。

「すみません、安全確認を行っていました」

「いい。あの害虫は何処から湧いて出た?」

「私は直接見ていませんが、変転人の体を破って現れたようです。その変転人は死亡、害虫は見境無く変転人を襲いました。駆除に当たった無色と逃げ遅れた有色が複数死亡しました。具体的な数はこれから確認します」

「君は? 無傷か」

「はい。私は避難誘導に当たっていたので。害虫の動きが速く、駆除に当たった無色は殆ど……」

「そうか。虫が湧いた変転人の死体は何処だ? 確認する」

「こちらです」

 灰色の少女は立ち上がり、淡々と冷静なズラトロクを死者の許へ案内する。鵺は少し離れて彼らを追い、悪戯の調査に来たはずがとんでもない場面に出会してしまったと眉を寄せた。

 切断された体はもう動かないが、腕や脚の一部を失った者は呻き、無事な者達が必死に応急処置をしている。ズラトロクはそれらには目もくれない。自分の遣るべきことは治療ではなく原因解明だと割り切っている。

 黒い生物に体を破られた変転人は腹が爆ぜたように中身をぶちまけ事切れていた。その周囲にも幾らか死体が転がっている。何が起こったのかもわからず死んだのだろう。ズラトロクはそれを見下ろし、眉を顰めた。

「この変転人の生前の行動はわかるか?」

「先に話を聞いた変転人はショックで錯乱していて、少し時間が必要です。避難した他の変転人も集めて聞き取りをします。現時点でわかっているのは彼は有色で、調理した食料の販売を行う店を開いていたことだけです」

「君は他にもああいう巨大な害虫を見たことはあるか?」

「いえ……初めて見ました」

「俺も初めてだ。君に聞き取りを任せる。一応、君の名前を聞いておこう」

「ジギタリスと言います」

 ジギタリスは全草に毒がある植物で、特に葉に多く含まれている。摂取すると不整脈や嘔吐などを起こし、重症化すると死ぬこともある。猛毒だが、昔は薬として使用されていた。

「後で城から調査員を派遣するから、共有してくれ。……ああそれと、清掃員も派遣する」

「はい。わかりました」

 ジギタリスは頭を下げ、遣るべきことを遣るために立ち去る。彼女は気丈に表情を引き締めていたが、端々に疲労が滲んでいた。

 鵺も漸く顔を出し、虚空を見詰めるズラトロクを見上げる。

「……大変な所に居合わせてしまったわね。悪戯の調査どころじゃなさそうだわ」

「そうだな。こんなに大きな被害が起こってしまうと、そっちの調査は後回しだな」

「どっちも被害は出てるのよ。同時進行してちょうだい」

「まだここにいるのか?」

「何よ。邪魔って言いたいの? 確かにタイミングは悪いけど」

「暇だから相手をしていたが、暇じゃなくなった。君の相手はしていられない」

 それは事実である。暫くはあの黒い生物の所為で混乱するだろう。鵺もそれは汲み取る。聞き込みをしようにもこの有様では変転人も答えられない。

「わかったわよ。出直すわ」

 無言で見下ろされて鵺は渋々頷く。人間の移動手段では何時間も掛かるが、獣は転送できるのだからいつでもあっと言う間に花街に行くことはできる。次に来る時は害虫にも用心しておこうと気を引き締めておく。

「悪戯も嫌だけど、さっきの変な奴を宵街に持ち込むと承知しないわよ」

「それは俺一人でどうにかできることじゃない。だが獣ならあれを殺すことができる」

「出て来てからじゃ遅いんだけど」

 鵺は毒突いて数歩後退し、周囲に散らばる肉塊を見渡す。宵街が渾沌(こんとん)に襲われた時よりも被害が大きそうだ。そのことに同情する。渾沌は間接的な攻撃だったが、この虫は直接狙いを定めて餓えた獣のように殺していた。それにとにかく体が大きい。大きさだけでも厄介だ。

 くるりと杖を回して消える鵺のいた空間を一瞥し、ズラトロクは面倒なことになったと溜息を吐く。

 場所を移動したズラトロクを追い、灰色の少女――エーデルワイスも駆け寄った。

「ワイス、こいつを知ってるか?」

 破裂した真っ赤な変転人を無表情で見下ろし、エーデルワイスは首を振る。エーデルワイスは殆どの時間をズラトロクの傍らで過ごし、城下町へ買物もあまり行かない。当然知るはずがないとズラトロクも頷く。

「害虫……生物関連はあいつに訊いてみるか」

 ズラトロクは気怠げに頭を掻いてエーデルワイスを促し、悲惨な肉塊と血痕の間を歩いて古城へと向かった。


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