表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
透明街の人喰い獏 (2)  作者: 葉里ノイ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/57

154-記録


 ユニコーンが宵街(よいまち)に遣って来た御陰で、虫の混乱は一旦は落ち着いた。まだ根本の脅威は取り除けていないが、治るのなら過度に恐れることはない。虫を抑える花もあるのだから。

 科刑所の仮眠室に待機していた変転人もヴイーヴルが戻らないことで上辺の平静を取り戻し、各自帰宅を許可された。それは一見平穏が戻ってきたようだった。


「わあああ! スミレぇ!」


 それから数日が経ち、連絡事項を貼る掲示板に妙な貼り紙が出された。

 浅葱斑(アサギマダラ)は憂鬱な顔で酸漿提灯の灯る石段を登っていたが、前方に見知った至極色の青年を見つけ、縋るように泣きそうな声を出しながら石段を駆け上がった。一時は落ち着いた恐怖が再び喉の奥から漏れそうになる。

 呼ばれた黒葉菫(クロバスミレ)は振り返って足を止める。石段に食み出した蔦に足を掛けながら、青頭が怯えた顔で迫ってきた。

「退院したのか!?」

「ああ。少し前に」

「顔色も良くなったな! 安心した」

「ありがとう。アサギもこれから科刑所か?」

「っ! そ、そうだよ! 何あの貼り紙!? あんなの初めて見た……」

「アサギもか? 俺も初めてだ。年齢を指定して呼び出しなんて、何だろうな」

 貼り紙にはこう書かれていた。『満十歳以上の無色の変転人は科刑所に集合』と。現在、黒葉菫は十四歳、浅葱斑は二十七歳である。

「スミレがいてくれて良かった……知り合いがいなかったら逃げようと思ってたよ……」

 長らく旅をしていた浅葱斑は宵街に知り合いが少ない。数少ない知り合いである灰色海月(クラゲ)と黒色海栗(ウニ)白花苧環(シロバナオダマキ)は十歳を満たしていない。少し科刑所を覗いて怖そうだったら逃げようと考えていた。

「十歳以上となると、経験を求められてる気がする。危険なことじゃないといいな」

「ちょ、怖がらせないで! ……スミレは何か冷静だな。大人って感じがする」

「変転人の大人は何歳だ?」

「わからないけど……」

 黒葉菫も緊張していないわけではないが、黒所属の十歳以上ならよく会話する者もいる。浅葱斑よりは幾らか気持ちが楽だ。

 暗い上層を常夜燈(じょうやとう)を提げて上がり、色付きの型板硝子の淡い光を踏んで二人は集合場所である狴犴(へいかん)の部屋へと向かった。

 狴犴の部屋の前にはずんぐりとした黒い影が佇んでおり、傍らには小さな机が置かれていた。二人の足音を聞き、黒い兎のような長い耳がぴくりと動く。

「こちらで所属の色を含めて名前を書いて、胸元に付けてから部屋に入ってください」

 大きな太った土竜のような姿の地霊はぺたぺたと歩み寄り、机を示した。細長い紙とペンが置かれている。名札を付けろと言うことらしい。

「何で名札……? 狴犴は僕達のこと知ってるのに」

「無色の十歳以上の中に俺達が知らない人もいるだろうし、そのためじゃないか? 白は俺もよく知らない」

「そっか……何人くらいいるんだろ。集合する部屋には入りきるだろうから、二、三十人くらい?」

「たぶんだが……そんなにいない」

「え? 少なくないか?」

「とりあえず入ろう。もし俺達が最後だったら、待たせると嫌な注目を浴びる」

「た、確かに!」

 二人は急いで紙に名前を書き、胸に貼り付けた。

 名札を確認し、地霊が扉を開ける。ここまで来ると黒葉菫も緊張感が迫り上がった。

 部屋の奥には平素の通り狴犴が座り、珍しく顔を上げる。その傍らには白花苧環が控えていた。彼は十歳を満たしていないが、普段の仕事をするために控えているのだろう。知り合いが増えて二人は緊張が和らいだ。

 手前のソファには黒葉菫も浅葱斑も面識の無い無色の変転人が三人座り、新たに部屋に入って来た彼らを無言で見上げる。浅葱斑は静かに黒葉菫の背に隠れ、彼を盾にした。

「……ん? 青髪? ……あ、灰色? 初めて見た」

 ぱっと気の良さそうな笑顔に変わったのは、長い髪を一つに束ねた白い少女だった。白は交流を持たないので一匹狼の少々怖い印象がある。特に有名人である白花苧環が恐れられているのだが、黒葉菫と浅葱斑は彼以外の白を知らない。白花苧環と同じ時期に生まれた白実柘榴(シロミザクロ)なら見掛ける機会はあるが、生まれたばかりの変転人には怖い印象を受けない。

 だが彼女の人の良さそうな笑顔は、本当は怖くないのかもしれないと感じさせるものだった。その隣に脚を組んで座る同じく白所属の女は無感動に一瞥するだけだったので、正反対の印象だったが。

「あ……浅葱斑です……」

「初めましてだね。私は金瘡小草(キランソウ)

 金瘡小草は地に張り付くように咲く薬草だ。別名を地獄の釜の蓋と言い、とてつもない毒草に聞こえるが、死にそうな人もその薬効で治せることからそう呼ばれているだけだ。落ちそうな地獄に蓋をして防いでくれる存在である。

 薬草だと思うと、何だか優しそうに見えてきたと浅葱斑は胸を撫で下ろす。薬と毒は表裏一体だが。

「こっちの無愛想な白い子は、狐剃刀(キツネノカミソリ)

「えっ、怖そう」

 名前に刃物が入っており、浅葱斑は思わず声に出してしまった。紹介された狐剃刀は表情を変えずに一瞥する。まるで睨んでいるようだ。浅葱斑は金瘡小草を見て徐々に警戒を解いていたが、覗かせていた頭を再び黒葉菫の背に隠すことになった。

 狐の剃刀は全草に毒があり、特に鱗茎に毒を含んでいる植物だ。うっかり食べると最悪の場合、死ぬ。葉の形が剃刀に似ているため、こういう名前だ。

 白い二人の向かいに座る黒柿(くろがき)色の少年は口を開かずにソファに凭れているが、名札の御陰で長実雛罌粟(ナガミヒナゲシ)という名前だとわかった。長実雛罌粟はそこいらの道端に咲く橙色の花だが、茎や葉に毒がある。罌粟と言うが麻薬成分は無い。だが厄介物扱いされている外来植物である。

「スミレ、あの黒い人は知り合いか?」

 浅葱斑はぼそぼそと小声で尋ね、黒葉菫は小さく首を振った。

「同じ黒でも全員を知ってるわけじゃないから」

 いつまでも扉の前に立っているわけにもいかないので脇に避けつつ、二人は部屋の中を見渡す。集合した変転人は二人を合わせてもたったの五人だ。まだ知り合いが来ていないことを黒葉菫は知っているが、それを合わせても少ない。


「すみません! 遅れました!」


 勢い良く扉を開け放ち、黒所属の洋種山牛蒡(ヨウシュヤマゴボウ)が現れる。然程遅くなったわけではないが、既に変転人が集まっていたので謝罪を加えた。洋種山牛蒡はユニコーンの見張りをしていたため、他の変転人に引継ぎをしていて遅れてしまった。

 その後ろから頭を下げ、こちらは退院に際しラクタヴィージャから説明を受けていて遅れた黒色蟹も部屋に入る。

 洋種山牛蒡は黒葉菫の姿を見つけ、素速く隣に並んだ。

「集まったな」

 全員の顔を確認し、狴犴は立ち上がる。ソファに座っていた金瘡小草と狐剃刀もすぐに立ち上がり、一拍遅れて長実雛罌粟も立ち上がった。浅葱斑は「もう?」と呟きながらもう一度部屋を見渡す。集まった変転人はたったの七人だ。

「何故呼ばれたか、述べられる者はいないだろう。まずは各々の顔と名前を確認してほしい。現在宵街にいる十歳以上の無色の変転人の全てだ。変転人は十歳以上で一人前と言われている。ここに居る者達はその一人前の者達だ」

 怪訝な顔をしながらも、七人は顔を見合わせる。隠れていては名札が見えないため、浅葱斑も黒葉菫の背から出る。灰色は元々数が少ないと知られているため一人でも気にならないが、黒色が四人に対し、白色はたったの二人しかいない。

「先の渾沌(こんとん)の騒動で多くの犠牲が出たことは知っているな?」

 七人は各々神妙に頷く。獣が宵街で暴れたことで、大勢の変転人が命を落とした。

「どれほどの犠牲が出たか先に調べさせてもらったが、お前達にも把握してもらいたい。残存している変転人を確認してもらうために集まってもらったのが一つだ。渾沌の件で無色の変転人は七人、犠牲となった。その内の四人が十歳以上だった」

 各々の顔が僅かに陰る。その犠牲者の中には面識があった者もなかった者もいる。面識のない者でも、死んだ事実は知り合いと等しい。

「そこで二つ目に、お前達に幼い変転人の教育をしてもらいたい」

「教育……ですか?」

 問いを返したのは金瘡小草だった。この緊迫した空気の中でよく狴犴に問い掛けられるものだと浅葱斑は感心しつつ身震いした。

「ああ。教育すると言っても、十歳未満を全てではない。比較的幼く経験の少ない二歳未満だ。現在宵街に二歳未満は二人。どちらも白で、昨年人になったばかりだ。その一人が、ここにいる苧環だ」

「苧環……?」

 名前を出されて白花苧環は頭を下げるが、金瘡小草と狐剃刀は顔を見合わせ困惑を浮かべる。二人は白花苧環と面識はなかったが、無色最強と謳われた彼の噂は耳にしている。それは去年生まれた噂ではない。もう何年も前からある噂だ。

「苧環は二人いるんですか?」

「いや。一人だ」

「私は苧環とは面識がありませんが、苧環は去年ではなく……もっと前からいますよね……?」

「ああ、そうだな」

 やはり説明は免れない。この場できちんと説明をすると、狴犴は事前に白花苧環に断っている。

 狴犴は表情を変えず、以前からいた白花苧環は昨年死んだと伝えた。白の二人は目を丸くして驚き、長実雛罌粟も眉を寄せた。あれほど強いと恐れられていた白花苧環が死んだとは信じられなかった。

「渾沌に遣られたんですか……?」

「広義で言えば、そうだろう」

「…………」

 随分と引っ掛かる、濁した言い方だ。これ以上は詮索すべきではないのだろうと金瘡小草は疑問は残るが大人しく引き下がる。十歳以上の変転人は相手の心中を察するのも早い。

 狴犴が彼を殺したことは伏せておこうと、白花苧環と共に決めたことだった。統治者が他の獣に操られたなどと言えば、宵街の治安と信用が揺らぎ兼ねない。被害者である白花苧環は狴犴を許したわけではないが、宵街に棲む変転人達を混乱させたくはなかった。それに殺された記憶はもう掠れている。

「苧環まで……犠牲になったんですね」

 十歳以上ともなると感情が鮮明に表れる。金瘡小草は表情を曇らせて肩を落とした。皆、自分より先に死んでいく。噂が流れるほど強いなら、彼は死なないと思っていたのに。

「苧環。彼女は白の中で最年長の金瘡小草だ。白の中では最も経験が豊富で、学ぶことは多いだろう」

「最年長……わかりました。学ばせてもらいます」

 白花苧環は頭を下げ、暗い顔をしていた金瘡小草は慌てて笑顔を作った。死者は尊ぶべきだが、今は生きている彼のことを考えるべきだ。

「見ての通り、教育のできる白の数は少ない。そこで所属の色は異なるが他の皆も協力してほしい」

 漸く集められた意味を理解し、それぞれ口々に了承の言葉を述べて軽く頭を下げる。危険な任務でも与えられるのかと強張っていたが、幼い変転人の教育と言うなら危険なことはない。そんな仕事なら断る理由もない。

「更に新しい変転人も増やすつもりだ。一度に増やしても行き届かないだろうから、始めに四人増やそうと考えている。増やす四人はまだ色がわからないが、面倒を見てやってほしい」

「はい。わかりました」

 金瘡小草が承諾すると、他も口々に承諾した。この面々の代表になるのはどうやら彼女になりそうだ。全ての無色を含めると最年長は黒色蟹だが、彼は寄生虫に冒され多くの負傷者を出した直後のため、教育は少々後ろめたい。

 幼い白の二人に対してこの人数で教育をするのは多いのではないかと疑問があったが、教育対象が増えるなら納得だ。

「教育を行う場は、現在閉鎖中だが図書園を利用するといい。園外で学習を行うなら、なるべく下層で行ってくれ」

「構いませんが、何か理由があるんですか?」

「渾沌の件や先日の混乱は下層の変転人に被害が大きかった。下層の有色には有事に抵抗できる者がいない。問題が発生してから駆け付けるのでは遅い。今後は最低でも二名、下層に無色を常駐させようと思っている。今回はそれも兼ねている」

「成程……数が少ない分、一石で何鳥も、ですね」

 黒色蟹が虫に寄生され暴れたことについて、有色には彼の名前は伏せられている。暴れた記憶が無いため責められても困惑するだけであり、実際は虫の所為なのだから彼の名前を出す必要も無いとした。現在は無色の一部のみが黒色蟹が寄生者だったと知る。その他の無色は虫の存在だけ共有した。花街(はなまち)の脅威を頭に入れてもらうためだ。武器を持たない有色を守るのも無色の務めである。

「確認だが、昨年人になったばかりの二人に四人加えて教育を任せるが、六人の面倒が見られるか? 厳しいなら数を減らすが」

「白は面倒を見ることとは無縁ですが、黒の人達は……」

 白同士でもあまり交流を持たない金瘡小草は黒い変転人達の方を見る。長実雛罌粟は静かに目を逸らしたが、他は頷いた。同じ色でも得手不得手はある。

「黒の人達は仲が良さそうだから、大丈夫だね」

「では任せる。他の用を頼むこともあるだろうが、七人で上手く回してくれ。新しい変転人が到着すればまた知らせる」

 危険な用を任されることがなくて心から安心した。狴犴が席につくと変転人達は頭を下げ、順に科刑所を後にする。

 無色の総数は先に把握していたが、改めて数が少ないと狴犴も思う。一人前となるには十年も掛かる。贔屓(ひき)達が去ってから狴犴一人で統治を行っていたが、手が回らないとは言えもっと早くに把握しておくべきだった。

 二歳未満だと(ばく)の監視役を務めている灰色海月も対象となるが、彼女には以前再教育を施した。なので除外した。他の変転人と知り合う良い機会ではあるが、あまり罪人から監視の目を離すわけにもいかない。

「……苧環。今の者達と上手く遣れそうか?」

「それはもう少し話してみないと何とも言えませんが、目を合わさない人はいましたね」

「そうか。問題を起こさなければいいが」

「それは相手がですか? それともオレがですか?」

 どちらとも言えない。狴犴は返答を渋り、書類に目を落とした。わざわざ十歳以上を集めたのは、幼い変転人を早期に戦力に加えるためだ。身体能力は申し分無いのだが、白花苧環には協調性を学んでもらいたい。

 これは人間の街にある学校を参考にしている。だが狴犴は人間の学校を知らないため、人を集めて先生と呼ばれる人物が知識を教えるという伝聞を参考にした。宵街では初めての試みであり、まだ手探りだ。多忙な狴犴の心労は尽きない。


     * * *


 暗い石畳と石積みの家が並ぶ誰もいない小さな街に、同時に忽然と遣って来た者達がいた。

「!?」

 接触はしなかったが、転送して降り立った目の前に人影があり、驚いて双方跳び退くことになった。

「ウニ……さん?」

「クラゲ……」

 灰色海月は灰色の傘を畳み、黒色海栗は黒い傘を畳む。灰色海月の転送が搗ち合うのは二度目だ。転送が下手なのだろうかと灰色海月は反省する。

「すみません。何処もぶつかってませんよね?」

「大丈夫。ここはクラゲの仕事場だから、いきなり来た私が謝る所。ごめんなさい」

 ここは罪人の獏が収容されている牢だ。そこで監視をする灰色海月は悪くない。

 頭を下げ合う二人に、その後ろにそれぞれ控えていた者達も距離を取り様子を窺う。灰色海月は願い事の依頼人の男を、黒色海栗は黒い少年――アルペンローゼを連れていた。

「あの……ウニさん。後ろの方は何故ここに……? 病院にいたはずでは……」

 体内に寄生していた虫を退治して発作の心配も無くなったアルペンローゼは、再発しないか暫く病院で観察しながら怪我の治療をしていたはずだ。何故病院を抜け出してここにいるのか、灰色海月は何も聞かされていない。

「この人はアルペンローゼ。お客さん。病院にいたけど、治ったから退院した。体に異常が無いって確認されたから、ここに連れて来た」

「急に話が飛びましたね。何故ここなんですか?」

「アルが宵街は落ち着かないって言うから。ここなら監視もいるし、許可が出た。えっと……軟禁」

「言葉の選択は軟禁で合ってますか?」

 アルペンローゼのことは灰色海月も知っているが、花街の客人に面と向かって軟禁などと言って良いのだろうか。何らかの問題に発展しないだろうかと灰色海月は気が気でない。軟禁をして花街の獣が怒って遣って来たら、また恐怖を植え付けられるかもしれない。黒色海栗は無表情できょとんとしていて、現状を理解していない。

 宵街では現在、十歳以上の変転人が集められ、特殊任務の最中だ。小さな雑用は十歳未満が行うことになっている。花街のこともアルペンローゼのことも黒色海栗は説明を受けたが、まだ咀嚼できていない。突然宵街とは別の街が存在すると言われても理解できないものだ。

「僕から補足します」

 それを見兼ねてか、アルペンローゼは自ら説明を買って出た。

「ヴイーヴル様や置き手紙のことがあるので、僕はまだ宵街から離れられません。宵街側もまだ僕から情報が欲しいのと、置き手紙のことがあるので僕を帰すわけにはいきません。ですが僕も獣が多い宵街に一人で居続けるのは落ち着きません。そこでこの街を提案させてもらいました。こんなにあっさりと許可を貰えるとは思いませんでしたが」

 ここは罪人の牢だ。それをアルペンローゼは知らない。自ら牢で大人しくすると言い出したのだから、拒否されることはない。

 黒色海栗はここが牢だと知っているので軟禁と言ってしまったようだ。灰色海月は漸く理解した。ここで獏と共にアルペンローゼが妙な動きをしないか見張っていろと言うことらしい。

「そうですか……では獏にも話しておきます」

「獏は元気?」

「今はくたばってます」

「死んだ?」

 黒色海栗が誤解をするので、灰色海月は少し訂正した。くたばっているが、生きている。善行中に自分にそっくりな人形を見て何度も気を失い、すっかり元気を無くしているだけだ。

 黒色海栗とアルペンローゼは何故そんなことになっているのか理由が想像できなかったが、灰色海月が落ち着いているので瑣事だろう。

「僕も一つ質問していいですか?」

「……はい」

「その後ろの方は人間ですよね? ここには人間も来るんですか?」

「あ……こちらの方は願い事の依頼人で……」

 途中で言葉を切って灰色海月は人間の男を一瞥し、アルペンローゼの耳元に小声で囁いた。アルペンローゼがこの街に居座るなら、善行のことも隠せないだろう。人間の願い事を叶える代価に食事を得ていると話す。人間にはこのことを獏自身が話すことであり、先に聞かせるべきではない。

「獣がそのように人間と密接な遣り取りをしているのは珍しいですね」

「人間嫌いですが、それは仕方無く……」

 善行のことは話せても、罪人だと言って良いのか灰色海月は口籠る。曖昧な返答しかできない。

「そうなんですか。……では、これは嫌がりそうですね」

 余計なことはしないでおこうと考えていたアルペンローゼだったが、先程から気になっていた物がある。素速く掌から両刃のレイピアを抜き、男の上着のポケットを一つ切り裂いた。破れたポケットから掌にすっぽりと収まる程の小さな物が落ち、刃の側面で弾いて自分の手の中に落とした。

「あっ……!?」

 一瞬の出来事で男は何が起こったのかわからなかったが、中性的な顔立ちの黒い少年の手に自分の持ち物が握られていることに気付いた。

「これはボイスレコーダーですね」

「ぼいす……?」

「音声記録装置です。おそらく今の僕達の会話が全て録音されてます」

「! それは駄目です……!」

 獏は写真を撮られることを嫌がる。声の記録も許すはずがない。灰色海月は慌てて録音機に手を伸ばし、男も取り返すために手を出す。察したアルペンローゼはそれを地面に落としてレイピアで貫き破壊する。人間の男は呆然と口を開けたまま、粉々になった小さな録音機を見下ろした。

「面白半分に獣を探ろうとする人間は何処にでもいるものです。獣を脅かす厄災の芽を摘むのも変転人の仕事です。変転人であろうと人間に舐められないよう気を付けてください」

「は、はい……」

「アル凄い」

 灰色海月は肩を落とし、黒色海栗は賞賛する。どちらも表情にはあまり出ない。どうやら幼い変転人らしいと推し量り、アルペンローゼはレイピアを掌に仕舞って代わりに男を睨んでおく。獣は食事のために人間の願い事を叶えているようだが、人間は願い事を叶えさせる優位な立場だと勘違いをしているのかもしれない。どちらが上か、早めに明確にしておく。

「これなら獏が元気無くても安心。私は宵街に戻る」

「はい……御疲れ様です……」

 自分が監視役なのにと思いつつ、灰色海月は反論できない。黒色海栗が黒い傘を回して消えるのを頭を下げて見送る。

 灰色海月も男に迫力の無い睨みを利かせ、気を取り直して毅然と獏の待つ古物店へと向かった。アルペンローゼは有能だが、ここでは灰色海月が経験のある監視役だ。

 彼女を先頭に店のドアを開けると、先に言った通り奥の机で獏がくたばっていた。マレーバクの面の鼻が邪魔なので横を向きながら机上に突っ伏している。ドアが開いても微動だにしない。

「差出人を連れて来ました」

「…………」

「アルさんも来ました」

「アル……さん?」

 人間には興味が無いが、聞き慣れない呼び名に獏は徐ろに顔を上げた。人間の背後に、目元に黒子(ほくろ)がある見慣れた黒い少年が立っている。

「何か親しげな呼び方……」

「ウニさんがこう呼んでたので。暫くここで彼の様子を見てほしいようです。私の手腕が認められたのかもしれません」

「様子を……? まあいいや。話は後で聞くよ。先に人間をどうにかしよう」

 簡易な椅子を机の前に出した灰色海月は机に願い事の手紙を置いて台所へと入り、人間の男は愛想笑いと言うか作ったような笑顔を貼り付けて椅子に座った。

「えっと、願い事は……」

 手紙を開け、中身を確認する。メモ帳から千切った一片に願い事が短く書かれていた。

「――あれっ!? 無い?」

 読み上げようとした獏は、素っ頓狂な声を上げた男へ顔を上げる。何か問題でもあっただろうかと首を傾ぐ。

「探し物はこれですか?」

 男の背後から、アルペンローゼは携帯端末を抓んで見せた。『録画中』を表すボタンを押して記録を中断する。

「ボイスレコーダーの次はこれですか。破壊されても随分と大人しいと思ったら。録音に録画……ここには記録を取りに来たんですか?」

「お、おい! 返せよ!」

「これも破壊しますか?」

「は!? 巫山戯んなよ!」

 手を伸ばす男をひらりと躱し、アルペンローゼは獏を一瞥する。どうするか指示を待っているようだ。獏は今の発言で何となく察した。こういう場合、記録して自分一人だけで楽しむ場合は少ないだろう。知人か不特定多数か、晒し者にするつもりだ。店に入る前にボイスレコーダーも破壊したようだ。アルペンローゼの仕事振りに獏も感心した。

「壊していいけど、先にデータを消去しておいてよ」

「承知しました」

 アルペンローゼは男の手を躱しながら片手で端末を操作する。人間の持つ機械も操作できるらしい。想像以上に彼は優秀なようだ。

 データを消去した後は速やかに端末を床に落とし、レイピアで貫いて破壊する。細かい罅が無数に走って割れた画面はもう何も映すことはなかった。

「あ……ああ……何てことしやがるんだ、こいつ……。弁償しろよ! 晒してやる!」

「端末を持たない人間が、何を晒すんですか?」

「ぐっ……」

 完全にアルペンローゼが優位に立っている。獏は両手で頬杖を突きながら眺め、これは親しく呼びたくもなると納得した。

「暇な人間が簡単に声を上げられる物を得ると碌なことになりませんね」

「ふふ……ここまで頼りになると、アルさんの願い事を叶えてあげたくなるね」

「僕ですか? この人間の願いは叶えなくていいんですか?」

「手紙を見てみたけど、平たく言えば悪いことをした人から金品を奪い取って制裁してほしいみたいだね。義賊みたいなことをさせられるのかなぁと思ったけど、たぶん私怨だね。願うなら叶えてもいいんだけど、態度が気に入らないんだよねぇ」

 自分が無許可に記録を始めたと言うのに男は恨みがましく獏を睨む。こういう人間は本気で願い事を叶えてもらおうなどと思っていない。只の遊びで手紙を出したに過ぎない。今までもこういう人間はいた。

「本当の目的を言ってごらん。どうして僕に興味を示したの?」

 獏は片方の頬杖を解いて人差し指と親指で輪を作る。人形のことを思い出し一瞬躊躇うが、ああいう事態は滅多に起こるものではない。指の輪を男に向け、口の端を微かに上げる。

「うっ、噂の検証をしてただけだろ!? 皆、獏が何なのか知りたがってる!」

「皆? 皆って誰だろ。僕の噂が広まってると言っても、そこまで広く伝わってないと思うんだけど。有名な都市伝説なんかとは違って、一部の人間の間にだけひそひそと囁かれるような、そんな噂だと思うんだけど」

 そうは言いつつ、噂を不特定多数に広める人間がいたことを思い出す。その人間は始末したが、教祖などと巫山戯たことをしていた。

 だがこの人間はそうではないようだ。すぐに取り乱し、如何にも小者に見える。指の輪で見える感情の動きも、そう言っている。

「な……何なんだよ……何が言いたいんだよ……」

「君が見てる世界はとても狭いんだろうね。小さな声が大音量で聞こえちゃう。君の言う『皆』は本当に存在してるのかな?」

 獏はくすくすと笑い、指の輪を下ろした。その前にゆらりと湯気の立つ紅茶が置かれる。

「誰にどんな制裁をしてほしいの? 言ってみてよ。叶えてあげるから。君が身を以てその目に記録すればいい」

 木漏れ日のように柔らかく微笑み、獏は紅茶を一口飲んだ。男はそれに見入るように身を乗り出し、身を以て記録するため、出された紅茶を飲んだ。そうせざるを得ないような緊迫感と威圧感が男の体に纏わり付く。

 男が刻印された紅茶を飲み、契約が完了したことに獏はほくそ笑む。契約すればこちらのものだ。

 アルペンローゼを牢の中で一人で待たせておくわけにもいかず、彼も連れて獏と灰色海月は善行へと向かった。対象がどんな悪いことをしたのか、本当に悪事を働いたのかすらわからない。それでも制裁が願いならば、それを叶える。殺しはしない、ちょっとした悪戯だ。

 その悪戯以上に、契約者の男は代価を支払うことになった。獏を無断で記録しようとした罰だ。人間如きが獣に舐めたことをするからである。その制裁をするために善行を引き受けたと言っても過言ではない。

 獏は男から、獏に会った記憶を全て喰い、代価にと視覚を喰った。失明させるには直接目を潰さねばならないので、視覚情報を脳が理解できないようにした。簡単なことだ、自分には何も見えないと思い込ませれば良い。目を潰してしまうと狴犴に御叱りを受けるかもしれないので、こうすることにした。面倒なことだ。

 善行を終えて店に戻ると獏は再び机上に突っ伏してしまう。こんなに静かで恐ろしい獣はそういないとアルペンローゼは思う。一見大人しそうで、宵街の窓口が務まるのだろうかと失礼ながら疑問を抱いていたが、それを改める。切ったり刺したり目に見える傷を付けるだけが攻撃ではないのだ。

「……あ。アルさん、この店にある本は自由に読んでいいからね。棚も自由に見ていいよ。欲しい物があったら買っていい。飲食なら、台所はそこ。クラゲさんが大体台所にいるよ」

「はい。台所があるんですね」

「僕は二階に行くから。愚かな人間の相手は疲れるね」

 何もすることが無く暇なので、獏はベッドで横になることにした。元々ベッドに転がっていたが、灰色海月が手紙を拾いに行くと言うので一階に下りたのだ。用は済んだので二階に戻る。それを見届け、灰色海月もいつも通り台所へ潜った。

 アルペンローゼは疲労の滲む獏の背を見送り、奥にある硝子の鉢で泳ぐ金魚を見る。暗い棚の陰から金色の視線も感じる。棚には用途のわからない物が並んでいる。花街の城のスコルとハティの部屋を彷彿とさせるような瓦落多(がらくた)の店だ。

 ヴイーヴルが手紙を置いたここに何か他に痕跡が無いか念のために探っておく。ユニコーンが偵察に訪れたのだから、ただ黙って待っているだけではなく変転人として協力できることはする。自由に見て良いと言われたので、何も気にせずに探れそうだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ