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 片腕を失った黒色蛍を抱えて病院へ向かう(ばく)は、道中に転がる他の負傷者を助けることができなかった。幸い黒色蛍よりも重傷の変転人はいなかったが、縋る目を振り払うのは心苦しかった。

 病院には自力で辿り着いた負傷者が待合室を埋めており、受付の姫女苑(ヒメジョオン)が一人で対応していた。傷の怖さを知る彼女は気が気ではない。カウンターの上には小さな花魄(かはく)もいるが、慌てるようにうろちょろとしているだけで、手伝っているかはわからない。

「ヒメさん! ラクタは!?」

「あっ……獏様! ラクタヴィージャ様は負傷者の治療中です。治療室にいます」

「ありがとう!」

 突然襲われて変転人達は混乱しているが、獣の存在に気付いて道を空ける。混乱の最中でも変転人――特に有色は獣を恐れる。それに加えて抱えられている黒い変転人の無惨な姿に、自分の怪我はあれより酷くはない、と青褪めて冷静になる。

 廊下の端に布に包まれた人一人ほどの大きさの物が置かれており、一瞥だけ向けて治療室のドアを開ける。変転人に包帯を巻いていたラクタヴィージャは視線を上げ、獏が抱える片腕の無い黒色蛍を見て血相を変え手術室の方向を指差した。急いで包帯を切って留め、獏に駆け寄って黒色蛍の千切れた左腕を持ち上げる。止血が施されていることだけは安心した。

「優先するから早く運んで!」

 獏は指示通りに手術室へ黒色蛍を運び、後は医者の彼女に任せる。

「私がもう少し早く気付いていれば……。レオを追えなくてごめんなさい。灰色の子を治療したくて……手遅れだったけど」

 ラクタヴィージャは申し訳無く呟くが、黒色蟹が病院で花街(はなまち)の変転人の首を刎ねたことを獏は知らない。廊下の端に置かれている布に包まれた物がそうだとは夢にも思わない。

 首を傾ぎながら獏は追って遣って来た灰色海月(クラゲ)を連れて、有色の変転人で溢れている待合室に戻った。

 待合室ではユニコーンが生娘を探してきょろきょろとしていたが、獏はもう何も言う気力が無かった。

「ウブな生娘がたくさん……でも幾ら私でも負傷者に抱き付いたりしないわよ。だからこの子にする」

「わ……ぁ……ば、獏様……こちらの方は……?」

 患者の話を聞いていた姫女苑は突然背後から抱き付かれて困惑した。

「ユニコーン……自由に抱き付いていいなんて言ってないよ。ちゃんと相手に断らないと。嫌われちゃうよ」

「!」

 抱き締めたいが嫌われたくはない。ユニコーンは一理あると素直に手を離した。変転人に抱き付いて良いかと問えば、獣には逆らわないのだから断るはずがない。だったら最初から尋ねず抱き付いても構わないとユニコーンは考えたのだが、嫌われるかもしれないとは盲点だった。

「ヒメさん。この変……な人はユニコーンだよ。レオさんの発作を鎮めてくれたんだ。ラクタの分身体は今いるかな?」

 姫女苑は落ち着きなく目を動かし、獏を隅に呼んだ。他の者には聞こえないように声量を落とす。

「患者の皆さんは誰に攻撃されたのかわからないみたいなんです。素速い何か黒いものに襲われたと話すばかりで。なので名前は極力伏せていただけると……」

「あっ……ごめん。自分の意志じゃないし、記憶にも残らないことを後で責められても困るよね。気を付けるよ」

「彼は今、何処にいますか?」

「病院の外にいるよ。ユニコーンが病を解毒してくれたんだけど、ラクタに診てもらわないと安心できなくて。だから負傷者が大勢いる病院に入れないんだ」

「あ……成程、わかりました。分身体様は御一人、アルペンローゼさんに付きっ切りで骨の観察をしてます」

「そっか……手を離せるかな?」

「分身体様に話してくるので、待っていてください」

 姫女苑は頭を下げ、足早に負傷者の間を擦り抜けて階段へと向かった。

 獏は改めて負傷者達を見る。家の倒壊などが無かった分、渾沌(こんとん)の騒動よりは傷が浅い者が多い。アルペンローゼや黒葉菫(クロバスミレ)の発作では、彼らは武器を振るい殺す気で掛かって来たが、黒色蟹は戦闘能力が高いにも拘らず何故か被害が少ない。

 そのことに首を捻っていると、姫女苑が幼い少女の姿をしたラクタヴィージャを連れて戻って来た。姫女苑は獏に頭を下げると負傷者の対応へ戻る。

 幼いラクタヴィージャは受付カウンターの中からトランクを拾い、負傷者達の視線を感じながら獏と共に病院を出た。

「本体から少し情報を共有したけど、大変なことになってるわね……。解毒がどうのってヒメから聞いたけど、本当に未知の病でも取り除けるの?」

「解毒能力を持ってる獣がいるんだよ」

「それって、もしかしてさっき待合室で獲物を狙うみたいに様子を窺ってた一本角の獣?」

「ああ……うん。間違い無いよ」

「見たことない獣だけど大丈夫なの?」

「花街から来たらしいけど、城とは関係無いみたいだったから連れて来たんだ。ユニコーンって言うんだけど、とにかく生娘さえ与えておけば大人しいよ」

「生娘納得」

 病院から少し離れた路地で待機していた(しん)椒図(しょうず)は、病院から出て来た獏とラクタヴィージャに手を上げる。黒色蟹は意識を失ったままだ。

「いつ意識が戻るかわからないから、動かないよう押さえてて。その間に採血して検査をするわ」

「本当に病が消えてたら凄いな」

 幼いラクタヴィージャは黒色蟹の袖を捲り、蜃と椒図は彼の体を押さえた。獏も脚を押さえておく。

 彼女は黒色蟹の腕に長い管を巻いて消毒し、慣れた手付きで採血した。

「じゃーん。簡易検査キット」

「何それ?」

 トランクの中から取り出した細長い付箋のような物と袋を取り出す。袋には赤い花が入っており、花片を何枚か取り出して小鉢で擂り潰した。それを付箋のような物に塗り付ける。

「これは血染花(ちぞめばな)よ。血染花には血液とほぼ同じ成分が含まれてて、体内に取り込むと血液として成長する性質があるの。でも血液中に異物があると混乱するのよね。まあ見てて」

 試験管から付箋のような物に黒色蟹の血液を一滴垂らし、暫し待つ。獣達は付箋のような物を覗き込んで変化を待った。すると擦り付けた花が血液に同化しようとじわりと滲み出した。

「あら。異物があると花は動かないんだけど……同化の方ってことは、病は体内に無いわね」

「! それって、もう発作の心配は無いってこと?」

「発作前に検査はしてないから、感染してたかわからないんだけど……でも話を聞く限りあの病の発作みたいだから、治ったと思いたいけど」

「本当に治せるんだ……」

「これが偶然じゃないなら、力を使ってもらう価値はあるわね。体に負荷が掛かるようなら怪我を負ってるアルペンローゼは後に回して……暗い顔をしてる菫を優先しましょうか」

 黒葉菫は発作を起こして獏を襲い、気持ちがすっかり沈んでいる。病が治ると知ればきっと喜ぶだろう。

「レオは目が覚めるまで病院で預かるわ。もう少し観察しないと」

 付箋のような物にもそれ以上の変化は無く、幼いラクタヴィージャはトランクを閉じた。

「じゃあユニコーンを菫の所に連れて行きましょ。獣の能力で解決できるなんて、医者いらずよね」

 一気に進展したと喜びながら幼いラクタヴィージャは立ち上がるが、獏達は大事なことを思い出した。図書園で起こったことがまた起こるなら、混雑している病院が悲劇の舞台になってしまう。

「ま、待って。病院の中で力を使うと危ない……」

「え? どういうこと?」

「レオさんを解毒した時に古代生物みたいな……虫みたいな巨大な生物が出て来て、そいつにホタルさんが襲われたんだよ」

「虫……?」

「虫はユニコーンが始末してくれたけど、あれが病院で暴れると怪我人が増えちゃう。最悪、死人も……。虫が病の原因だってユニコーンは言ってたけど……」

「……よくわからないけど、危険なのね? 体から虫がって、寄生虫の一種かな? 暴れても大丈夫な場所を探さないと……あ」

 幼いラクタヴィージャは良い場所が思い浮かんだ。あそこなら多少暴れても問題無い。

 善は急げと、蜃と椒図には黒色蟹を病室へ運んでもらう。念のために彼の枕元に発作を抑える紫色の花を飾り、書き置きをした。記憶の無い黒色蟹が病室で目覚めるときっと困惑するだろう。仕事の予約があったとしても病室を出ないよう書き置きで言い聞かせておく。

 獏と幼いラクタヴィージャは黒葉菫の病室を訪ねる。彼はベッドの上に座って頭まで布団を被り、ペストマスクを装着した顔を俯けていた。

「スミレさん、大丈夫……?」

「!」

 ぼんやりと床を見ていた黒葉菫は、二人が病室に入って来たことに漸く気付いて顔を上げた。獏は以前、彼に安眠氷砂糖を渡そうとしたが、結局発作を起こして渡すことができなかった。未だ黒葉菫は眠れずにぼんやりとしている。

「貴方の方が……大丈夫なんですか? 俺が撃ったと……腕を怪我したと聞きました」

「大丈夫だよ。こんなのすぐに治るから」

「……すみません。何も覚えてなくて……せめて意識があれば腕を押さえ付けたんですが……」

「この子、意外と繊細なのね……黒はもっと適当な子が多いと思ってたわ。レオはちょっと特殊だけど」

 正義を重んじる白は真面目で責任感が強い者が多いのだが、相反する黒は正義にも悪にも足を突っ込むので割り切った性格の者が多い。多いと言うだけで全員が当て嵌まるわけではないのだ。

「そんな君に朗報よ。病を治せる能力を持つ獣が来てくれたの」

「! 治るんですか……? 治ったらもう発作を起こさないんですか!?」

「一足先に治してもらった人からは、病の元は見つからなかった。もう少し観察はするけど、治るのよ」

 患者に不安を与えないよう、自信満々の回答を出した。患者の精神状態は医者の表情や態度次第だ。なので黒色蟹が発作を起こして暴れ回ったことはまだ伏せておく。今の疲弊する黒葉菫に聞かせても不安を煽るだけだ。

「治るんですか……良かったです……」

 強張っていた空気が僅かに弛緩し、黒葉菫から安堵が漏れた。花で発作が抑えられるとしても、完治の安心感は比べ物にならない。

「それで力を使う時にちょっとした広さと、周囲に誰もいない場所を用意しないといけなくてね、これから科刑所に移動するわ」

「科刑所に行くんですか……?」

「そうよ。思い付くのが拷問部屋しかなくて」

「!? やっぱり裁かれるんですか? 獣を撃った罪で……」

 折角弛緩した空気がまた一気に強張った。先程よりも空気が重い。落ち込んだ彼は過剰に繊細になっている。だが誤解するのも無理はない。拷問部屋を良く思う者などいないだろう。ラクタヴィージャが思い付いた場所がまさか拷問部屋だったとは、獏も予想外だった。

「菫は裁かれるわけじゃないわ。病を癒しに行くだけよ」

「ですが……」

「スミレさん。僕も嫌だけど、僕も行くって言えば安心するかな?」

「え……」

 譬え自分が拷問されるわけではないとしても、罪人が自ら拷問部屋へ向かうなど、精神的な苦痛は計り知れない。面を被っていながら既に獏から嫌がる空気が漏れている。不服な顔をしていることが手に取るようにわかった。

 獣が一人の変転人のために気を遣ってくれているのに、変転人が後込みをするわけにはいかない。それに拷問を受けるとしても、受けるに等しいことをしてしまったと黒葉菫も自覚している。拷問は過去に少し見たことがあるが、あの部屋の中に入るのは初めてだ。きっと吐きそうな気分になるのだろう。

「……わかりました。貴方にそこまで言われたら、行くしかない……です」

「治ったら退院祝いに僕が何でも一つ願い事を叶えてあげるよ。代価は無しでね」

「それは……ちょっと……」

「え?」

 喜んでくれるだろうと退院祝いを考えた獏は予想外の返事に素っ頓狂な声が出た。

 獏の善行は黒葉菫も何度も見ているので、その提案にはあまり気が乗らなかった。どんな叶え方をされるのか想像がつかない。

 退院祝いはともかく黒葉菫を連れ出すことはできた。廊下で待たされていたユニコーンは黒葉菫の姿を見るなり、やっぱりか……と肩を落とした。

「生娘の役に立ちたい……」

「病を治すことで生娘には感染しなくなって、役に立つことになるよ」

「回りくどい……」

 ユニコーンは同じく廊下で待っていた灰色海月に抱き付き、不満を解消する。灰色海月にも何か願い事を叶えてあげるべきだろうと獏は考える。

「それじゃあ、屋上に行きましょう」

「一階から出ないんですか?」

「そうよ」

 受付に座る姫女苑を配慮してのことだろうかと黒葉菫は推測を巡らせるが、よもや負傷者が溢れているからとは思わない。

 一同は屋上へと上がり、待っていた蜃と椒図と合流した。こんな大人数で行かなくても良いのだが、黒色蟹から出て来た巨大な虫は何だったのか気になるのだ。黒色蟹が偶々寄生されていただけなのか、本当に病の正体があの虫で、解毒の度に現れるのか。

 灰色海月はユニコーンに預け、黒葉菫は獏が運ぶことになった。幼いラクタヴィージャはトランクを持ち、一同は上層の科刑所へ向かって屋上を蹴る。

 突然この人数が科刑所に押し掛けて来たら、狴犴(へいかん)はどう思うだろうか。一同は何も考えていなかったため、狴犴の部屋の前で地霊が長いノックを終えるのを待つことになった。

 薄暗い廊下で来客を中へ知らせるため、地霊は旋律を刻むようにノックをする。何も知らないユニコーンは何の儀式なんだと思いながら、皆が待つので大人しく待った。

 長いノックが終わっても返事は無かったが、扉が開けられるとユニコーンは肩を落とした。もしや生娘が? と期待したが、出て来たのは無表情の白銀の獣だった。

「こんな大勢で……狴犴を殴りに来たのか?」

 蒲牢(ほろう)は表情を変えず、無表情のまま面々を見回す。地霊のノックの数を思い出しながら来客を確認し、ユニコーンを視界に入れて止まった。

「今回は殴りにじゃなくて、拷問部屋を借りに来たの」

 皆を代表し、幼いラクタヴィージャが手を上げた。幼いラクタヴィージャは身長が低く、すぐに皆の中に埋もれてしまう。手を上げて目立たないと気付いてもらえない。掌に載る程の小さな花魄の苦労が理解できる。

「拷問? 誰を拷問するんだ?」

「拷問するんじゃなくて、部屋を借りたいだけ。こちらのユニコーンが病を治してくれるのよ」

 蒲牢はぴくりと眉を動かし、訝しげに一度口を閉じた。獣には様々な能力を持つ者がいる。似た能力から、唯一無二の特権を持つ者まで様々だ。外傷を癒す力もあれば精神的な痛みを緩和させる力もあり、病を治す力があっても不思議ではない。

「……できるのか?」

「一人、治ったわよ」

「でも何でわざわざあの部屋なんだ? 病院ではできないのか?」

「何か変なのが出て来るらしくて。私も見てみたいし、部屋を借りられない?」

「訊いてみる」

 蒲牢は一旦扉を閉め、狴犴に伺いを立てに行った。拷問部屋を借りたいなどと言う要望は初めて聞く。罪人の獏まで来るのだから、病が治ると確信して来ているだろう。

 先程飛び出して行った白花苧環(シロバナオダマキ)から負傷者の発生と応援要請があり、狴犴は落ち着かない様子だ。そんな中で彼も共に拷問部屋へ行くとは言わないだろうと蒲牢は話を伝えたが、予想に反して彼は同行すると言い出した。

 次に扉が開いた時に狴犴が立っていたので、獏は静かに気配を消して後方へと下がる。白花苧環からの連絡で既に首輪未着用の件を知らされていた狴犴は、獏を一瞥するだけで指摘はしない。

「歩きながら話そう。ユニコーンは初見だな。誰が連れて来た?」

 一同を促し、顔にガーゼを当てた狴犴は暗い廊下を進む。蒲牢も病の治癒には興味があるので付いて行く。

「ねえ、この偉そうな獣は何?」

 誰かが口を開く前にユニコーン自身が口を開き、狴犴は彼女に一瞥を投げた。

 誰も口を開かないので蒲牢が教えてやる。

「狴犴だ。宵街(よいまち)の統治者だよ。宵街は初めてか?」

 ユニコーンは詰まらなさそうに灰色海月の腕に掴まる。

「興味無いな。ちょっと獏、生娘がいるんじゃなかったの?」

「あれ? 気付かなかった?」

「え? 何処かにいた? 私としたことが、気配を感じ漏らしたの?」

 ユニコーンは愕然としながら辺りを見渡す。近くには気配を感じなかった。ユニコーンは狴犴の部屋の奥に仮眠室があることを知らず、その向こうに人がいることにも気付かなかった。仮眠室に待機している(みずち)が、見知らぬ獣に見つからないよう護っているからだ。

 今の会話で大体の想像がつき、狴犴は今度は獏を一瞥する。

「どういう経緯だ? 話せば首輪の件は不問にしよう」

「……お仕置き無しってこと?」

「そうだ」

 これは良い取引きではないだろうかと獏は口を開こうとするが、狴犴の気が変わってしまわないだろうかと徐々に口が閉じていく。また白花苧環に気絶させられるのは嫌だ。

「……まあいっか。スミレさんも知っておきたいよね」

 嫌なものは嫌だが、獏は考えを改める。この場で一番不安なのは黒葉菫だ。病を治せると言っても初対面の獣に杖を向けられて恐怖を感じないはずがない。しかも普段は拷問で獣を痛め付ける部屋に連れて行かれるのだ。少しでも情報を得たいはずだ。

「ユニコーンは花街から来たらしいけど、城とは関係無いんだって。生娘を求めて遙々遣って来たそうだよ」

「……その話を信じたのか。ユニコーンからも話を聞きたい。城とは無関係だそうだが、現在花街と宵街で起こっている問題は把握しているか?」

 今の時期に花街からの来訪だと知りながら宵街へ獣を招くのは危機感に欠くと狴犴は思ったが、ユニコーンがいなければ死傷者が増えることになっただろうことは白花苧環の報告で明らかだった。

 だがこれまでは協力的でも、ここから先は未知だ。黒葉菫をどう扱うのか、この目で見て判断を下す。

「問題って? 病のこと? それはここに来てから知ったことで、花街圏にいた時は知らなかったわよ。知ってたらこんな面倒なタイミングで来ないわ」

「…………」

「城は存在なら知ってるわよ。花街に行けば嫌でも目に入るもの。王がいて大公がいて、鐘を鳴らす。知ってるのはそれくらいよ。別に仲良くもないし、城に入ったこともない。何でそんなことを訊くの?」

「私が宵街を預かっているからだ」

「へえ」

「病を癒すことができるそうだが、力の使用にあたり注意しておくことはあるか?」

「注意? じゃあ近くに誰も寄らないで。下手すると死ぬわよ」

 死ぬと聞き黒葉菫はマスクの嘴の先をぴくりと動かす。寄るなとは、感染者は含まないのだろうか。感染者は近寄るどころか事の中心である。

「死ぬとは? 失敗すると言う意味か?」

「失敗はしないわ。無色の毒気はなるべく抜かないように心掛けるけど、変なのが出て来るのよ。しかもかなり大きい。想像以上に大きかった。見てない人は、見てからのお楽しみね」

「……巫山戯ているのか?」

「巫山戯てると思うなら、私に解毒を頼むのをやめれば? 何もできない癖に」

 一瞬にして空気が凍り付く。そして丁度拷問部屋にも到着し、最悪な会話の切り方となった。

「……狴犴、近寄るなって言ってるし、覗き窓の方に行こう」

 狴犴は不満を顔に浮かべるが、蒲牢は彼の腕を掴んで引っ張って行った。近寄らない方が良いことを獏達は理解しているが、知らなければ不信感はある。凍り付いた空気の中では尚更だ。

 獏達も蒲牢と狴犴の後に続き、最後に灰色海月は振り向いた。

「……あの、スミレさんは死なないですよね?」

 ユニコーンに最後に確認を取る彼女に、黒葉菫は顔を上げた。いつまでも俯いていては、周囲に心配を掛けてしまう。そのことに気付き、黒葉菫は解毒を受けることに覚悟を決めた。彼よりもずっと年下の彼女を不安にさせるくらいなら腹を括る。

「死なせないわ! だから海月ちゃんは悲しい顔をしなくていいの!」

 ユニコーンは灰色海月を抱き締め、胸に顔を埋めた。勿論、角が刺さらないようにだ。だが抱き付くには額の角は邪魔なので、いつか自ら圧し折りたいと思っている。

 笑顔で手を振って灰色海月を見送り、ユニコーンは詰まらなさそうな顔で黒葉菫を振り返った。こいつが生娘だったら良かったのに、と思っている顔だ。

「さあ、入るわよ」

 杖を召喚し、ユニコーンは拷問部屋へ黒葉菫を押し込んだ。壁際に並んだ拷問道具を眺め、部屋の中央の椅子に座るよう指示する。

 拷問を受ける者が座る中央の椅子に座ることになった黒葉菫は落ち着かない気持ちだったが、病を治すためだと気を引き締める。

「そのマスクは外しておいて。邪魔だから」

「……わかりました」

 黒いマスクを外すと、発作を抑える花の香りが遠退く。途端に不安が襲うが、こんな所で発作を起こすまいと気合いを入れた。椅子の足元にマスクを下ろし、背筋を伸ばす。

 ユニコーンは黒葉菫から距離を取り、天井を見上げた。壁の上部に小さな窓を見つけ、そこから皆が覗いていることを確認して手を振る。

「私の力を見て戦き敬服なさい!」

 ユニコーンは杖を構え、最後に黒葉菫に伝える。

「体に力が入らなくなるかもしれないけど、一時的だから。無様に床に転がっても構わないわよ」

 黒葉菫は小さく頷き、至極色の頭を深々と下げた。

 杖の変換石が光り、振られると同時に黒葉菫の体から紫色の泡のような物が立ち上る。図書園で黒色蟹の体から染み出ていた物と同じだ。

 先の注意の通りに、黒葉菫は微かに力が抜けるような感覚を覚える。

「それじゃ、引き摺り出すわよ」

 杖を振り、黒葉菫の体がびくりと跳ねる。

 何かが迫り上がる感覚に黒葉菫は両手で口を覆おうとし、ユニコーンに「手を下ろせ!」と叱責された。

 覗き窓から見下ろす一同も窓に張り付いて目を瞠る。図書園で一度解毒を見た獏達も同じように息を呑んだ。黒色蟹を解毒する時はよく見えていなかったが、上から見下ろしているとその全体がはっきりと目に映った。

 椅子から落ちて倒れた黒葉菫の口から黒い物がずるりと吐き出され、それは天井に向かって勢い良く伸びる。無数の鰭を生やしたあの黒いアノマロカリスに似た生物だ。巨大なアノマロカリスは覗き窓に向かって強靱な付属肢を叩き付け、厚く拵えている窓に罅が入る。ユニコーンはそれを一瞥し、灰色海月が窓から距離を取らされるのを見て胸を撫で下ろす。拷問部屋の強度は虫よりやや劣っているようだ。早めに虫を始末した方が良いだろう。

 黒い巨大虫は狭い部屋から出ようと出口を探しているかのように石壁に頭や体を叩き付ける。壁に亀裂が入り、急がねばとユニコーンは杖を翳した。

 ドアを見つけたらしい虫は、その前に立つユニコーンに向かって鍬形虫(クワガタムシ)の大顎のような付属肢を振り下ろす。

「――おっと。そんな小さなドアから出られるの?」

 嘲りながら床を蹴ってそれを躱し、完全に標的にされてしまったユニコーンは拷問道具の上に跳び乗り杖に力を込めた。大技は発動まで少々時間が掛かるのだ。壁や、うねる黒いアノマロカリスの長い体を蹴って舞うように翻弄し、ユニコーンは覗き窓を一瞥して出力した。

 虫は黒色蟹の時と同じように、体内から白い杭を無数に突き破らせる。ユニコーンは黒葉菫の状態を目視して傍らに着地し、彼の口から伸びる海老のような尾を蹴り飛ばした。黒葉菫の中に残っていた尾も完全に抜け、徐々に枯れて砂のように崩れて消えていく。乱暴に引き抜いたので口内を傷付けてしまった黒葉菫は血を吐いたが、それ以外に負傷は無い。解毒は成功したと言って良いだろう。

 虫の消滅を確認し、ユニコーンは動かない黒葉菫の頬を軽く叩く。気を失ってしまったようだ。通常の解毒で気絶はしないのだが、この病とやらは特殊だ。大きさは多少異なるが、二件の解毒で同じ巨大な黒い古代生物のような虫が現れた。ユニコーンは眉を寄せ、面倒なことに係わってしまったと舌打ちする。

 終わったことを認め、窓から覗いていた一同も駆け下りて拷問部屋のドアを開け放った。騒々しく黒葉菫に駆け寄ろうとするので、幼いラクタヴィージャは彼らを制止する。まずは病が本当に消えたのか検査だ。

「……あの虫みたいなのは何なんだ?」

 検査を待つ間、蒲牢は表情は乏しいが眉を顰めて問う。それをユニコーンは鼻で笑った。

「貴方達、何であんな面倒な物を招き入れたの?」

「面倒……? 病のことか? あれは何なんだ?」

「無知は本当に可哀想ね」

 ユニコーンは杖を消し、哀れむように微かに笑みを作って拷問部屋を去ろうとする。その腕を蒲牢が掴む。

「あれは何なんだ?」

「教えると巻き込まれそうで嫌なんだけど」

「君から聞いたって言わない」

「どうだか」

 振り解いてドアに向かおうとしたユニコーンは、その前に立つ灰色海月が目に入った。無意識にユニコーンの顔は綻び、緊張感が無くなった。

「生娘が言うなら仕方無いわね……」

 灰色海月は何も言っていないが、ここは黙って話を聞く方が利口だ。

「あれは寄生虫よ」

「寄生……? 病気じゃないのか?」

「獏から少し話を聞いたから、そこから出した私の考えなんだけど。虫気(むしけ)だとかって聞いたことない? 腹の虫とか。空腹で鳴るあれじゃないわよ」

「腹が痛むって奴か?」

「そう、それよ。獣はそんな物に冒されないけど、人間だと蛔虫(かいちゅう)とかね。さっき出て来た古代生物みたいな奴がそんな感じの寄生虫よ。大きくてびっくりしたけど。発作を起こすとか聞いたけど、あの虫が脳を乗っ取って起こる癇癪みたいなものね。進行すればもっと異常が出てたはず」

「脳を乗っ取る……!?」

 ラクタヴィージャはそんな診断をしていない。だがそれが真実なら未曾有の混乱が巻き起こっていただろう。病を放っておけば多くの死人が出ていたかもしれない。

「確かにそれだと記憶が残らないのか……でもそんな物が何で体内に? しかも感染なんて……」

「私が得意なのは体から毒気を出すことなんだけど、何か引っ掛かったからさ。私が気付いて良かったわね。今回のとは大きさが全然違うけど、普通の寄生虫に冒された生娘を助けたことがあるのよ。それを思い出して、今回は毒気じゃなく虫気を取り出したの。人間なら食べ物に付いた卵を食べてしまって体内で孵化、って感じだけど、彼……と言うか今回の件はそうじゃない。これを聞くと反吐が出るわよ」

 感染する以上、聞いておかねばならないことだ。皆は黙って先を促し、ユニコーンは目元を歪めて吐き捨てた。


「あれは人工的に作られた物で、あの虫自ら傷を通して卵を産み付けるのよ」


「!?」

「どう? 虫唾が走るくらい悪趣味でしょ。あんな生物が自然にいるわけないんだから、すぐ気付いたと思うけど。あんな大きいのが出て来るなんて本当にびっくりよね」

 皆は絶句し、簡易検査を行う幼いラクタヴィージャも手が止まってしまう。自然に感染する病だとばかり思っていた。血液中に異物を発見し、それが病原体だと思っていた。変転人が病を患うことはあまりないので、ラクタヴィージャの経験不足は否めない。だが人工的にしろ、あんな大きな物が血中に紛れられるはずがない。

「ちょっと待って。私が血中に見た物が卵だったとしても、あんな大きな虫が飛び出して傷口に産卵したら誰でも気付くでしょ!?」

「あの古代生物みたいな奴は、あれは私の力で視認できるようにしてるだけよ。泡みたいな毒気も普通は目に見えない。虫は体外に出ると大きくなるみたいね。あの大きさでそのまま体内にいられるはずがないし。おそらく、血の臭いを感じて体を伸ばして他者の傷に噛み付いてる。だから両者の距離がそこそこ近くないと感染しないんじゃない?」

 見えない体を伸ばされて、それに気付くはずがない。

 まだ体内に病を抱えているアルペンローゼは、現在は病室から出ないよう言い付けている。一階に下りなければ負傷者に感染する心配は無いはずだ。もし下りれば地獄絵図になってしまう。

「口から産卵もよくわからないけど、人工的なら普通の生物みたいに考えない方がいいのね……。じゃあ花で発作が抑えられたのは……?」

「虫だって苦手な臭いくらいあるでしょ。虫除けみたいなものじゃない?」

 感染者に大仰なマスクを装備してもらっていたが、只の忌避剤程度の効果だったとは。ユニコーンが能力を使用する前に黒葉菫にマスクを外すよう指示をしたことにも納得した。マスクには発作を抑える花を仕込んでいる。虫が萎縮していれば外に出て来てくれない。

「……虫ってことはわかったけど、血中に産卵して、そこから外に出るなら、出血するでしょ。菫に喉以外からの出血が見当たらないんだけど」

「大きくなれるなら小さくもなれるでしょ。極小さな穴を空けられたんじゃない? もしくは擦り抜けたか」

「知識が邪魔ね……人工的なんだから、常識も知識も一旦忘れた方が良さそう」

「私は強制的に虫を引き摺り出して本来の大きさに戻しただけ。じゃないと殺せない」

 つまりユニコーンがいなければ、虫を殺すことはできないようだ。獏は悪夢の靄を視認したり悪夢に接触することが可能な特権を持っているが、彼女もまた特権があるらしい。

「君が来てくれて良かったわ……」

「もっと褒め称えて敬ってもいいわよ。獣でも、褒められるのは悪くない」

 得意気に胸を張るユニコーンは、褒めてもらおうと灰色海月の許へ行く。

「生娘充電」

 変なことは言うが、能力は確かだ。それは疑う余地が無い。

「他にも感染者はいるの?」

「いるわ。解毒してくれる?」

「ついでだし、いいわよ。女の子?」

「男の子よ」

 ユニコーンはぎゅっと表情を歪めたが拒否はしない。渋々だとしても男でも解毒はしてもらえるようだ。

「菫を病院に返して、アルペンローゼを連れて来るわ」

 簡易検査を終えて安堵の表情を浮かべる幼いラクタヴィージャに、解毒は成功したのだと皆も胸を撫で下ろした。

 幼いラクタヴィージャはトランクを閉めて黒葉菫の体を抱えようとするが持ち上がらず床に膝と手を突く。彼女の幼い体では長身の青年の体を持ち上げるのは不可能だ。

 椒図が手伝うと前に出るので、蜃も手を貸す。黒葉菫は意識を失ったままで、暫くは目覚めなさそうだ。疲れも溜まっているだろう。

 黒葉菫を抱えて三人が部屋を去り、灰色海月に抱き付くユニコーンを中に残して狴犴は一旦廊下へ出た。蒲牢も様子を見て部屋を出る。獏は灰色海月を置いて行けないので、居心地は悪いが拷問部屋に残った。

「……蒲牢、虫の話は理解できたか?」

 ドアから少し離れ、薄暗い廊下の壁際へ寄りながら狴犴は徐ろに尋ねた。

「何となくなら」

 ユニコーンの説明は筋が通っており、疑うにしてもそれ以上の情報が宵街には無く、現時点では信じる方に天秤が傾いている。

「獏の言う悪夢と似ているな。特権を持つ本人にしか完全には理解できない。ユニコーンが信用に足る獣かどうかはもう少し様子を見るべきだろう」

「ユニコーンの言うことを真実とすると、虫を創り出した誰かがいるってことになるけど。信じるなら、一番怪しいのは彼女自身だ」

「ああ。だが自身が怪しまれるとわかっていて話す意図もわからない」

「タイミングも良過ぎる。病のことを知らないのに、宵街に解毒できる獣が来るなんて」

「城とは無関係だと言うが、警戒しておいた方がいいな。灰色海月を気に入っているようだが、彼女は獏の監視役だ。いつまでも罪人を連れ回すわけにはいかない。変転人の女性なら……気に入るのか?」

「たぶんだけど、ユニコーンは狻猊(さんげい)と似たタイプだと思う。狻猊が煙から力を得るみたいに、ユニコーンは生娘から力を得てると思う」

「変転人を近付けると危険か?」

「俺には何とも……。海月に弱ってる感じは無いけど」

「わかった。後で確認して考慮しよう」

「でも元を断たないと病の被害は消えないよ。どうする? 狴犴」

 人工的に創られた病なら、病――虫を創った人物を叩かねば終息はしない。花街からの旅行者が感染していることから、出所は間違い無く花街だ。ユニコーンに事情を説明し、花街にいると思われる大本を叩くのが一番手っ取り早い。大本が誰かは宵街にいる限り明らかにはならないだろう。また花街へ誰かを派遣する必要がある。だが以前と違って大分拗れてしまった。

「まずは負傷者へ説明だ。黒色蟹の発作で混乱が起こっている。黒色蟹も目覚めれば自責に苛まれるだろう。変転人にはまだ全てを話せないが、それらを鎮静させる傍ら、私は策を講ずる。ユニコーンも宵街に逗留(とうりゅう)させる」

「うん。焦って躓くよりはじっくり考える方がいい。解毒できるユニコーンがいてくれれば、そこまで焦る必要は無いし」

 狴犴は会話を切り、携帯端末を取り出した。今し方聞いた話を贔屓(ひき)と共有するためだ。解毒できるユニコーンの出現は朗報と言えるだろう。彼女自身のことはまだ殆ど情報が無く、手放しで喜ぶことはできないが、病を解毒できる、それだけで救われる者がいる。


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