148-駆除
ゆっくりと覚醒していく頭はまだぼんやりと、開いた視界には白い天井が広がっていた。
音は無く、風も無い。ただ心地良い花の香りが鼻腔を撫で、もう一度目を閉じる。
「――あら、起きたのね」
すぐ近くで少女の声がし、目を開けて少し顔を傾けた。束ねた赤紫色の長い髪に白い帽子を被った浅黒い肌の幼い少女がペンを止め、顔を上げる。
「縮んだ……?」
「私は分身体よ。身長性別を自由に設定できる。体が小さい方が、消耗が少ないのよ」
「僕は……」
「話す前に口を開けて見せて、アルペンローゼ。歯の成長を確認する」
手と脚に痛みがあり、少年の体は意思の通りに動かせなかった。言われた通りに口を開けると幼いラクタヴィージャは真剣な顔を近付けて、細長い棒で歯を突く。そして手元の紙に何やら書き留める。
「植物の成長記録を付けてるみたいな感じね。見る?」
「何ですか?」
落ち着いた静かな声で、アルペンローゼはぼんやりと問う。
「君の治癒力を調べてるの。失った歯は順調に生えてきてるわよ。意識不明で病院に運ばれてから約十五時間。折れた骨は上手く固定してやれば修復が早いわね」
ベッドに横になっている彼に、書いていた物を広げて見せる。細かく刻まれた時間の横に、骨と歯の状態が記されていた。
「普段の治癒力もこんな感じ?」
「拷問の……続きですか?」
ラクタヴィージャは小さく目を見開き、紙を下げる。科刑所の拷問部屋で意識を失った彼はまだ介抱されていることを知らないのだ。
「ここは病院よ。拷問はもうしない。安心して。今のは只の質問だから。治療の仕方も変わってくるから、治癒力のことを知っておきたいの」
病院に戻って来たのだと聞き、アルペンローゼは少し気持ちが落ち着いた。予想よりも拷問の質問が少なかったが、気絶してしまったからかもしれない。だが拷問はもうしないと言う。その言葉に安堵した。傷はすぐに治るが、痛みがあることには変わりない。もっと耐えられると想定していたのだが、どうやら疲労も溜まっていたようだ。十五時間も眠っていたとは、寝坊も甚だしい。
「話を……して……」
「ああ、浅葱斑に話をするのよね。心細いかもしれないけど、もうちょっと待って。骨が付いてからね。まだ意識がはっきりしてないみたいだから質問は後にして、またレントゲンを」
ぶつぶつと言いながらペンを置き、ベッドの下から何やら鉄の塊のような機械を引っ張り出した。ベッドの下へ線が繋がれた長いコの字型の、一見すると枷のようなそれを幼い両手で持ち上げる。少し重そうだ。
「これは簡易レントゲン装置よ。動かし難い患者とか、レントゲン室まで運ぶのが面倒な時に使うの。小さい装置だから、何処の骨が折れてるか位置を把握してないといけないんだけど」
布団を剥ぎ、両手と脚の下に薄い板を敷き、コの字型の装置をまずは左手に被せるように置く。まだ骨は付いていないので動かすと痛むが、我慢できる痛みだ。
「宵街には便利な物があるんですね」
「花街より凄い?」
「僕は診療所の世話になることが無いので、医療機器はよく知りません。休んでいれば治るので」
「いつもすぐに治るの?」
「怪我の程度によります。一番酷い怪我をしたのは、人の姿を与えられて間も無く、山から滑落した時です。突然根が動くようになって、上手く歩行できず……。全身強打、出血多量、骨も何本折れたかわかりません。死んだと思われました」
「それが自力で治ったの?」
「治療しても助からないと思われ、暫く放置されました。獣が立ち去った後で僕は意識を失いましたが、医者を連れて戻って来たようです。その時にはもう出血は止まっていたそうです。完治までは確か……五日だったと思います。輸血はしましたが、治療を殆どせず、しかも一週間も経たずに完治したので驚かれました」
「凄いわね……獣並みだわ。獣より早いかも」
「その大怪我が一番治癒が早かったですね。人の姿を与える時に注がれた獣の力を利用したのではないか、との見解です。怪我もですが、この治癒力の所為なのか風邪にも病気にも罹ったことがありません。なのにこんな厄介な病に罹ってしまうなんて……」
動かないよう手で制され、アルペンローゼは思わず息を止めた。
「その話を聞けて良かったわ。治癒力の話を聞いてから、ずっと考えてたのよ。怪我を治癒できるなら、病も自力で完治できるんじゃないかってね。でも病の方は変わり無し。風邪にも罹ったことがないなら、この病はかなり特殊ってこと」
全ての骨折の箇所を撮影してコの字型の装置を外し、ベッドの下へ戻しておく。ベッド下の機械から出て来た葉書ほどの大きさのレントゲン写真を手に取り、ラクタヴィージャは記録を付けていく。
「綺麗に折ってたみたいだから、骨も順調にくっ付いてきてる」
「病はその後、何かわかりましたか?」
「参考にできるものが少ないから仮説だけど、変転人間の傷口からの感染が有力ね。抵抗力があるからか獣には感染しないみたい」
「獣に感染しないことだけは朗報ですね」
「そこで気になるのは、君がいつ何処で誰から感染したかよ。これだけ治癒力が高いなら、怪我をしても傷がある内に感染者が近くにいるって状況が発生し難いと思うんだけど」
「覚えの無い銃創が脚にあった以外、目立った怪我は最近してません」
「! それって……」
頑なに認めず発言を避けていた、黒葉菫が放った銃弾の傷だ。アルペンローゼにその時の記憶は無く、黒葉菫を襲っていないの一点張りだった彼が遂に認めた。
「襲った記憶は無いですよ。彼が撃った物かもわかりません。でも確かに脚に二つ、銃創がありました」
呼吸も心音も安定している。アルペンローゼは穏やかに傷があったことを認めた。ラクタヴィージャはそれを彼の口から聞けて安心した。無理に聞き出したり決め付けるより、本人が自主的に話す方が良いに決まっている。
「……うん。話してくれてありがとう」
ラクタヴィージャも穏やかに微笑み、アルペンローゼに布団を掛けた。椒図が言っていたように彼は悪い人ではないのだろう。浅葱斑と話したかったのも、知らない者だらけの宵街でフェルニゲシュと繋がる人物と話をすることで心細さを埋めたかったからだ。だが狴犴は宵街を預かる統治者だ。裏が取れない不穏分子は警戒する必要がある。拷問は遣り過ぎだとラクタヴィージャも思うが、狴犴と同じ立場ならアルペンローゼを信用するのは難しい。
「お腹は空いてない? まだ歯が生え揃ってないからナンじゃなくてお粥とかになるんだけど」
「いえ。まだ他人の作った物は食べる気分になれないので」
「君も大概警戒心が強いわね……」
* * *
頭を冷やす椒図は一旦病院に置き、感染の疑いが晴れた獏は蜃に送られて小さな街に戻った。暗い空にぽつりと街灯が浮かぶ。
並ぶ石造りの家の一部が壊れ、石畳の地面に瓦礫が山となっている。
「……何かあったのか?」
「すっかり忘れてた……修理を頼まないといけないんだった。蜃、宵街に言ってくれる?」
「は? まあどうせ宵街に戻るし構わないが、花街の奴に遣られたのか?」
「ううん。窮――、敵じゃないよ」
「きゅう?」
蜃は小首を傾げて獏を見るが、重い首輪を早く外してほしい獏は話を打ち切って古物店に向かった。
「……あれ? 蜃ー、開かないんだけどー」
古物店のドアを開けようとした獏は困り果てた声を上げて振り向く。動物面を被り顔が隠れているのに、困り顔をしていると容易に察することができる。相変わらず感情が素直に駄々漏れだ。
「何で俺に言うんだよ。君はいつも触れずに鍵を開けてるだろ」
「鍵は締まってないよ。鍵なんて無いし。おかしいなぁ……何か引っ掛かってるのかな?」
「瓦落多の一つや二つ、転がってるのかもな」
数歩下がって店を見上げるが、破損も無く異常は無い。蜃もドアに手を掛けてみるが、確かに開かなかった。
「獏、下がれ。どうせ転送できるようになるまで時間が掛かるんだ、ついでだ開けてやる」
「ありがとう。頼りになる」
獏をドアから離し、蜃も下がって長い杖を召喚する。バールでも作ってドアを抉じ開けるのだろう、と獏は穏やかな気持ちでドアが開くのを待った。蜃の能力は便利だ。
「大きさは……こんなものでいいか」
杖を振ると、巨大な鉄球の蜃気楼が現れた。頭より大きな鉄球は鎖で繋がれて宙に浮いており、まるで振り子のようだった。
「え」
獏は思考が停止したが、蜃は杖をついと動かし、鉄球は勢いを付けてドアに叩き付けられた。ドアに触れる瞬間だけ実体となった鉄球は轟音を立ててドアを打ち抜く。ドアは腰を折るように拉げ、修復不能なほど破壊された。
「よし」
霧散する鉄球と成果を目に、蜃は口角を上げた。
「よしじゃないよ! 想像の十倍は凶悪な物が出て来たよ! バールとかじゃないの!?」
「バールだと時間が掛かるだろ。別に店の中は潰してないし」
「ほ、本当に……?」
「ドアの前に人がいたら大惨事だが、気配は無かったから大丈夫だ」
「じゃあドアも修理してって言っておいてよ。僕が遣ったんじゃないってちゃんと言っておいてよね」
壊してしまったものはもう元には戻せない。覚悟を決めて獏は壊れたドアを蹴り、亀裂を広げた。足でドアを割って中を覗くと、確かに棚には当たっていなかった。掠って傷は付いているが。足元を確認し、二匹の猫も巻き込まれていないことに胸を撫で下ろす。
破片を踏んで中に入って振り返り、何故ドアが開かなかったのか理解した。内側から細長い板を何枚も釘で打ち付けた跡がある。人為的だ。
獏は腕を組んで薄暗い通路の先を見る。いつも獏が座っている机の向こうに灰色の頭が見えている。踵の高いブーツを履いた身長の高い彼女は隠れきれない。
「……クラゲさん?」
呼び掛けると灰色頭がぴくりと動いた。
「起き上がって動き回れるくらい回復したのはいいけど、何かあった? 変な人が来たとか? ドアを開けられなくした?」
距離は詰めずに獏は灰色頭を注視して暫し待つ。何かあったのかと蜃も怪訝に中を覗き込む。
「あっ……ああー痛い痛い痛い!」
「!?」
突然腕を押さえて苦しみ始めた獏に、灰色海月 突然腕を押さえて苦しみ始めた獏に、灰色海月は驚いて顔を出した。蜃も目を瞬いて眉を寄せる。
「クラゲさん」
冷静な声に呼ばれ、灰色海月ははっとした。彼女を誘き出すために獏は芝居を打ったのだ。
「だ、騙し……」
「怪我をしたのは本当だけどね」
「怪我をして病院に行ってたんですか……?」
漸く話す気になったようだ。心配する気持ちは何物にも代えられない。
「ここに花街の置き手紙があったから宵街に届けに行ってたんだけど、そこでちょっとね。治療はしてもらったし大丈夫だよ」
病に感染した黒葉菫が発作を起こして撃たれた、とは言わなかった。灰色海月の情態がわからないままで言うことではない。黒葉菫が感染したと聞けば、折角落ち着いた恐怖が戻って来てしまうかもしれない。
「クラゲさんの方は何かあった?」
「…………」
灰色海月は一旦口を噤み、顔を伏せた。机から覗く灰色頭が動き出すのを根気強く待ち、再び顔を上げた彼女に獏は微笑み掛ける。
「……また置いて行かれたのかと……」
「ああ……クラゲさんにも手紙を置いて行けば良かったね。ごめん。思ったより目覚めるのが早かったみたいだ」
「外には瓦礫があったので、敵襲があったんだと思ったんですが……どうしたらいいかわからなくて……。今も店を破壊しようと……」
「そっか……敵が店に入って来たら危ないよね。今後は敵かもって思ったら僕のことは気にせず宵街に転送して逃げてね。理由があって僕が外出することもあるだろうし、その時はどうするか対応を考えておいた方がいいかもね。因みにドアを破壊したのは蜃だよ」
「理由があって外出する罪人って何だよ」
出入口から覗きながら蜃が口を挟む。尤もである。
「俺はそろそろ宵街に戻るからな。じゃあな」
「うん。ありがと、蜃。椒図にもよろしくね」
「頭冷えてるといいな……」
薄く笑いながら、蜃はくるりと杖を回して姿を消した。大人しく氷で頭を冷やしてくれているなら、外側は充分冷えているだろう。
「さて……と。クラゲさん、具合はどう? もうベッドから離れて大丈夫なの?」
「大丈夫です」
「それなら良かった。僕はちょっと色々あって疲れたな……」
警戒が解けた空気を感じ、獏はいつもの席へ漸く歩を進める。宵街へ少し手紙を届けに行っただけなのにこんなに疲れるとは。
「疲れたなら、願い事は叶えませんか?」
「願い事? ……もしかして、手紙を回収しに行った?」
「仕事をしない監視役なので貴方は出て行ったのかと……」
「クラゲさん……」
それを責めるのなら監視対象ではなく上司の方だろう。獏は訂正しようかとも思ったが、やめておいた。獏も疲れているが、灰色海月も疲弊している。机上に出された手紙を拾い、中を確認する。
「クラゲさん、気分転換に外の空気を吸いに行こうか」
「散歩ですか……? 罪人が呑気に散歩は許されないんじゃないかと……」
「散歩の許可は確かに下りないだろうけど、この手紙の善行だよ。差出人を連れて来るより僕が行った方が早いし、転送してよ」
疲れてはいるが、獏も気分転換をしたい気分だ。人間の街は嫌いな人間がうじゃうじゃといるが、都会の密度でなければ然程気にならない。
「善行なら御供します。どんな願い事ですか?」
灰色海月は勢い良く立ち上がり、急いで机の前に出た。休んでいた時間を取り戻そうと遣る気を見せる。
まだ心配はあったがこの反応速度なら恐怖も相当治まっているだろう。蒲牢の歌の御陰だ。引き金さえなければ平静でいられるはずだ。
「畑に現れる害獣の駆除、だってさ。畑があるなら長閑だろうし、害獣は動物だからね。可愛い動物は癒されるよ」
どう考えても癒されなさそうな内容だったが、灰色海月は思考を放棄した。外の空気を吸うのは確かに良いかもしれない。小さな街の姿をしているが、ここは罪人を収容する牢なのだ。精神が落ち込んでいる時に居るべきではない。
灰色海月は手紙を預かり、獏に付いて壊れたドアを踏み店を出た。獏の首には既に重く冷たい首輪が装着されているので、それをそのまま利用する。掌から引き抜いた灰色の傘をぽんと開いて、くるりと転送した。
瞬きの間に視界には明るい青空が広がり、田畑はあるが家も纏まって建っていた。それ以外にも距離を開けて疎らに家がある。想像よりは家が多かったが背の高い建物は付近には無く、息抜きには充分だ。
人影の無い塀の陰に足を下ろした獏は顔を出し、辺りを見渡す。
「えっと……差出人は?」
「あちらの家です」
舗装されている道に飛び出し、灰色海月が指差した方向を見る。纏まって立つ家とは少し離れた位置に、二階建ての比較的新しそうな家が立っていた。その家の前には道に面して申し訳程度の塀がある。
接近して人差し指と親指で作った輪を向けると中に気配を感じた。気配が多い。
「一人じゃないね。家族かな」
更に近付き、一階と二階をゆっくりと指の輪で覗く。一階の気配は二つ、二階は一つだ。
「上から行ってみようかな。気配が少ない方から」
灰色の傘を掌に仕舞う灰色海月に踊りを申し込むように獏は手を差し出し、彼女も一拍置いて手を置いた。いつもならすぐに手を置くのに、まだ少し恐怖が燻っているようだ。
周辺に誰もいないことを確認してとんと地面を蹴り、獏は窓へと手を翳す。ベランダのような着地できる場所は無く、ついと指を動かして触れずに窓を開け飛び込んだ。突然窓から不審者が飛び込んで来て悲鳴を上げようとした少女の口を、獏は素早く塞いだ。
少々乱暴だったかもしれない。目に涙を溜めながらガクガクと震える少女に獏は手紙を見せる。
「こんにちは。君が獏に手紙を出した人?」
少女は手紙に視線を動かし、青褪めながら必死にこくこくと頷いた。
「窓からごめんね。一階に人がいるみたいだったから。早速願い事について聞かせてくれるかな?」
獏は微笑み、そっと手を離した。少女は妖しい動物面にまだ混乱しながらも、手紙は確かに自分が書いた物だと認める。
「……思ってた感じじゃない……」
「ん? 窓から入ったから、驚き過ぎちゃった?」
どうやら彼女の想像を外してしまったようだ。少女は不信感を湛えた目で、妖しい動物面を被り柔和に微笑む獏と無表情で佇む灰色の女を凝視し、獏が持つ手紙に視線を移した。土足で飛び込んで来たことには気付かず、少女は数歩後退って距離を取る。
「困ったこと……何でも解決してくれるそう……ですよね? 家の前を通った人が話してたのを聞いただけなんですが……」
見ず知らずの他人の言葉を信じて得体の知れない獏に手紙を出したようだ。呆れる程に警戒心が無い。簡単に騙されそうな人間だ。
「困った時は宛先に『ばく』と書いた手紙をポストに入れるだけ! 何でも解決、超優秀! って言ってました。便利屋なのかと思ったんですが……玄関から来ると思ってました……」
「何その謳い文句……。便利屋じゃなくて、願い事を叶えるだけだよ」
間違ったことは言っていないが、あまりの胡散臭い文句に獏は困惑した。
「作業着の人とか来ると思ってました……」
「もっと現実的で地に足の付いた業者だと思ったの? ふふ……人間だったら、君の住所も書かずに来られるわけないよ」
「あ……」
そう言えばそうだ。少女は宛名に『ばく』と書くのみで、相手の住所も自分の住所も書いていない。そのことに気付き、ならばこの獏はどうやってここを突き止めたのか、急に背筋が冷たくなった。
「物凄く抜けてるうっかりさんなのかな。それで、願い事だけど」
「あ……あ、ああ……え、えっとですね……そ、そそその……」
「かなり遅れて怯えだしたね。害獣の駆除を願いたいみたいだけど、畑はこの近くなの?」
「あっ、はははい、家の裏にあるんですけど……」
「見てもいい?」
「えっ、あ、そ、そうですね……親に何て言えば……」
「窓から出るから、一階は通らないよ」
見つかることを恐れているのなら都合が良い。獏もあまり人に見られることを望まない。
少女は苦笑いをしながら、屁っ放り腰でドアに手を掛けた。帰ってもらった方が良いのではないかと考え始める。
窓に足を掛けながら少女が玄関から外に出るのを見下ろして待ち、一階の壁の向こうから彼女が姿を現すと獏は灰色海月の手を取り地面に飛び降りた。
少女の案内で家の裏へ回ると確かに畑があったが、想像していたよりも小さく、容易に全体を視界に収められた。農業を営んでいるわけではなく、家庭菜園のようだ。家庭菜園の中では広い方かもしれない。
「こ、これが畑です……」
手入れの行き届いた畑には収穫を待つ根菜が地面から顔を出していたが、所々で葉が折れたり大根や人参が掘り起こされて折れていたりと被害が見受けられた。畑の周りには塀が無く、生け垣のように低木が少し生えている程度だ。出入りは自由にできそうだった。
「確かに荒らされてるね。願い事を叶えたら代価を戴くから、何を差し出すか考えておいてよ。代価は君の心の柔らかい所をほんの少しだけだから、安心して」
「え? あ、そうですね。代価……」
獏が畑を眺める傍らで紅茶を淹れていた灰色海月はカップを少女に差し出し、少女も反射的に受け取った。灰色の女はいつの間にかティーカップとポットを手に持っていて、それを何処から出したのかと少女は疑問が止まらない。
獏も紅茶を飲みながら畑の周囲を観察する。契約の刻印を呑ませるためとは言え、屋外でも座って飲みたい所だ。
「……おかしいな……」
手が塞がるので早々に紅茶を飲み干し、カップを灰色海月に返して獏は畑に蹲む。折れた根菜や一列に生える葉の間を覗いて首を捻る。
「な、何かわかりましたか……?」
釣られて少女も紅茶を飲み干し、少し離れて同じように蹲んだ。
「君の言う害獣って、何の動物なの?」
「何の……? あ、いえ、姿は見てなくて……でも朝起きたらこんな風になってて、これは害獣ですよね? 猪とか……?」
「近くで猪の目撃情報があるの?」
「わからないです……」
「動物なら、少しは野菜を齧った跡とか、糞や足跡なんかがありそうなんだけど、見当たらないんだよね」
「え? ……と言いますと……?」
「人間の仕業かもしれないってこと」
「は!? 何でですか!? 酷いです!」
「うん、酷いよね。畑が荒らされたのは一回かな? いつ?」
「たぶん二回……最初は昨日で、次は今日……。最初に荒らされた後、頑張って現場を見ようと起きてたんですが、うっかり寝てしまって……」
「夜だよね? じゃあ今日は僕が見張ってあげる。君は寝るといいよ」
「いっ、いいんですか!?」
「そういう願い事だし。それじゃあ、明日の朝にまたね」
「あっ、ありがとうございます! 代価は幾らでも収穫していいです!」
「野菜は代価にならないよ」
「え!?」
話を聞いていたのだろうか。だが話はしたので獏は少女に手を振り、灰色海月を促した。話を理解していなくても、代価は等しく戴く。
少女の家からはやや離れているが、見える距離に木々の茂る場所がある。畑に動物の痕跡がないにしても、動物が居そうな場所は調べておくべきだろう。
少女と別れた獏は少し雑木林を歩いたが、動物と鉢合わせることはなかった。御陰で殆どの時間を休暇のようにのんびりと過ごせた。さらさらと揺れる木漏れ日と小鳥の囀る声、そして所々に生える淑やかな桜の花が疲労を忘れさせてくれた。
辺りが暗くなる頃、少女の家から少し離れた隣家の屋根に跳び、畑が見える位置に隠れた。少女の部屋の窓からは明かりが漏れている。
「朝まで屋根の上ですか?」
「何かが出て来たら降りるよ。クラゲさんもあんまり動かないようにね」
「はい」
「小動物だったらいいねぇ」
「駆除し易いからですか?」
「熊だとこっちが逃げるけど、小動物は可愛いでしょ?」
「確かにお店にいる猫は可愛いです」
猫が畑を荒らしに来るのだろうかと、灰色海月は畑の方を見た。もうすっかり暗く、街灯も無いので畑がよく見えない。
獏は夜行性で夜目が利くので、家の陰になり月明かりもあまり届いていない闇の中の畑も見えている。屋根に伏せて頬杖を突き、まだ夜は始まったばかりだと根気強く待つ。
時計が無いので正確な時間は不明だが、契約者の家の明かりが消えて少し欠けた月も随分と高く昇った頃、獏は動くものを捉えた。それは突如現れ、かなりの速度で走っている。人間の速度ではない。
(動物……?)
だが小動物と言える大きさではなかった。もっと大きい。
「クラゲさん。屋根から降ろすけど、待ってて。僕一人で近くに行くから。安全を確認できたら来てもいいけど」
「わかりました」
灰色海月には見えていないが、何か出て来たのだろうと察する。畑からは死角になる塀の陰に降ろされ、気配を消したまま駆け出す獏を見送る。気配を消した獣は、譬え目で追っていても見失いそうになる。
月が雲に隠れ光が潜み、黒衣を靡かせて獏は姿勢を低く音を立てずに暗がりを駆ける。近付くほどに標的の輪郭が鮮明になり、人の形を捉える。
その人影はまだ幾らか距離がある内に畑から視線を上げ、気配を消す獏へと横目を向けた。人影は、獏からは体の陰となり見えない方の手を小さく動かし、持ち上げる。その瞬間、空中に現れた白く長い杭が、射られた矢のように獏へと放たれた。
獏は駆けながら咄嗟に地面を蹴って回避する。白い杭は舗装された地面に深々と突き刺さった。この速度だと一撃で串刺しだ。
(嘘でしょ……害獣って獣!?)
可愛い動物を見られたらいいな。なんて軽い気持ちで受けた願い事なのに、とんだ爆弾ではないか。烙印がある上に負傷している今の獏では荷が重過ぎる。
目の前の獣は警戒している。それはそうだろう。突然一直線に見知らぬ獣が走って来れば誰でも警戒する。
(さりげなく迂回しよ……)
すぐには止まれないので進行方向を逸らして畑から遠ざかるように走るが、白い杭は獏を追うように間髪を容れず次々と繰り出される。様子を窺っているような気配もあるが、刺さるなら刺され、の攻撃だ。大声で敵意が無いことを叫びたい所だが、眠っている人間が目を覚ますのも面倒だ。
契約者の家の表側へと回り、申し訳程度に立てられた塀へ身を隠す。それでもお構い無しに白い杭は飛来し、石造りの塀に突き刺さった。小さな爆発のような音が響き、堪らず獏は地面を蹴り家の屋根へ跳び乗った。これでは人間が目を覚ますのは時間の問題だ。
屋根に杭が刺さる前に跳躍し、両手をよく見えるよう翳しながら距離を開けて地面に着地する。杖を持っていなければ攻撃の意思が無いと認めてもらえるはずだ。
「――ちょ、ちょっと待って! 話をしよう!」
獣は杖を止め、訝しげに眉を顰める。雲から顔を出した月明かりで、その額にある白い一本の角が照らし出された。色付き始めた紫陽花の柔らかな色の長い髪が漣のように風に揺れ、無感動に獏を見る。
「話……聞いてくれる……?」
突然走り寄って来た動物面に妙なことを言われ、獣の少女は暫し動きを止めた。
「夜行性の動物がいないか見てたんだ。そしたら動くものを見つけて」
「……軟弱な動物と獣を見間違えたってこと?」
獏は一方的に喋り続けることになるかと思ったが、会話をしてくれるようだ。これは話がわかる獣に違いない。
「間違えたと言うか、ただ動くものってだけで来たからさ。君は気配を消してるでしょ? 気付かないくらい君の潜伏が上手いってことだよね」
「…………」
獣の少女は杖の先を小さく振り、獏の前に白い杭を一本突き刺した。マレーバクの面の鼻先が掠りそうになったが、当てる気は無いと見て獏はその場から動かなかった。
「それよりこっちには来ないで」
「うん、わかったよ」
「それで、動物じゃないってわかったと思うけど、貴方は立ち去らないの?」
「君の足下に畑があるんだけど、誰が荒らしたのか知りたくてね」
「……ああ。それで動物」
「君は知ってる?」
「私が遣ったけど。それを知って貴方はどうするの?」
「誰が荒らしたか知れればそれで充分だよ。あと、これからは荒らさないって言ってくれると更に満足かな」
「……よくわからないけど、戦闘回避のために変な理由を捏ち上げてるだけなら、串刺しにして火に掛けるわよ」
淡々と惨いことを言う。だが杖は下げたので、信じてくれるようだ。
「それで、あっちにいる子は? ずっとこっちを見てるし、知り合いでしょ?」
「!」
距離は離れているが灰色海月が塀の陰から覗いていることに気付いているようだ。獏に意識を向けつつも遠方の彼女の視線を察知している。気付かなければ話すつもりは無かったが、隠すことはできないだろう。
「確かに共に行動はしてるけど、彼女は只の変転人だよ」
「連れて来て」
「え?」
「ここに連れて来て。じゃないと串刺し」
「君が危害を加えないならいいけど……」
「加えるわけない」
ひらひらと両手を振って少女は杖を消す。断ればまた杖を召喚しそうだ。腕を負傷している獏は可能な限り戦闘を避けたい。
獏は手を上げ、灰色海月の方へ向かって招くように手を振った。白い獏の手は夜の中でも視認し易い。それでも変転人の目に見えるだろうかと心配だったが、動いていることは伝わったようで、灰色海月はしっかり見ようとじりじりとこちらに接近する。
手招いていると明白になってからは、灰色の長いスカートを両手で抓んで駆け出した。
「貴方、名前は?」
灰色海月が到着するまでに獣の少女は静かに質す。
「獏だよ。君は?」
「獏……ああ、絶滅が危惧されてる奴ね」
「そっちじゃないよ」
灰色海月が二人になったのかと思った。獏はマレーバクではなく獣である。説得力の無い面を被っているが。
灰色海月は獏の許に到着すると息とスカートを整え、獣の少女に会釈をした。その瞬間、獣の少女は不意を衝いて灰色海月の胸に飛び込んだ。
「!?」
見知らぬ獣に飛び付かれ、灰色海月は何も反応できなかった。強烈な殺気を思い出して腰が抜けてしまった。一度植え付けられた恐怖は簡単に消えるものではない。引き金となるものが現れれば顔を覗かせるものだ。恐怖は無意識に反射的に表に出て来てしまう。簡単に消せるものなら、そもそも恐怖と言うものは感じないだろう。
獏は慌てて少女を引き剥がそうと手を伸ばすが、負傷している腕を叩かれ小さく声が漏れる。
「何もしないわよ。ただ抱き付いただけ」
「獣がいきなり抱き付いたら怖いんだよ! 角が刺さりそうだし!」
灰色海月の胸に顔を埋めていた少女は顔を上げ、彼女の表情を確認する。表情は乏しいが、確かに怯えた目をしている。
「怖がらせた? ごめんね。でも久し振りに飛び付く生娘は最高なのよ。見てこのウブな顔。可愛い」
「……君、名前は?」
先程まで引き締めていた顔が今や幸せそうに綻ぶ少女に、獏は頬が引き攣りながら苦笑いを零した。
「私はユニコーンよ」
ユニコーンと言えば、処女好きで有名な獣である。またの名を一角獣と言う。頭に生えた角を見て察するべきだった。
「昨今の人間は警戒心が強いのよ。中々抱き付かせてくれない」
「そ、そうなんだね……」
名前を知って獏は少し安心した。ユニコーンなら少なくとも生娘――灰色海月を傷付けはしないはずだ。
「ふわふわ……」
「あ、あの……」
だが突然抱き締められた灰色海月には何が何やらだ。地面に座り込んだまま、殺気の恐怖を思い出し立ち上がれない。
「えっと……ユニコーン、クラゲさんが困ってるから」
「ふわふわ……」
「クラゲさんは最近獣関係で怖い目に遭ったから、怖がってるよ」
「っ! そんなに怖い? それは良くない。私は怖くないのよ」
途惑いながら見上げる灰色海月に、獏もとりあえず頷いておく。
「警戒はされるけど、最近は一部の人間に何故か『ゆめかわいい』なんてチヤホヤされてるみたいなのよ、私。だから怖くないよ。意味はわからないんだけど」
「夢可愛いって何ですか……? 獏も夢可愛いですか?」
「僕もよくわからないけど……」
人間に接近する日常を送っているユニコーンは人間の話題にも精通しているようだが、それを問われても獏は答えられない。だがユニコーンは可愛いものではない。それはわかる。人間、或いは変転人の処女以外に向ける攻撃性は先程の通りだ。
「やっぱり穢れの無い生娘は最高ね。これぞ夢心地」
「……それで、何で畑なんて荒らしてたの?」
漸く本題に戻り、ユニコーンも灰色海月を抱き締めたまま潤けた顔で答える。
「この畑の主にイラッとしたからよ」
「イラ……?」
畑の主とは願い事の契約者のことだろうが、理由が何だか軽い。
「生娘が世話してて、私は優しく見守ってたの。すぐに抱き付くと警戒されるから」
「そうだね……」
「なのに……私が見守ってる前で事もあろうか男と交尾をしたの。許せない」
「最低だね」
「わかる!?」
「悍ましいね」
「わかってくれた!」
二人の獣の気持ちは一つになった。生娘を失う精神的な苦痛と、見世物小屋で聞かされていた覗き穴の嬌声や覗いていた多数の人間への不快感が一つとなった。
「それで畑を滅茶苦茶にしてやったの。一回で全部抜き取っても良かったんだけど、じわじわ甚振ろうと思って」
「僕も賛成だけど、今回はそろそろ引いてくれるかな?」
危うく頷く所だったが、獏は目的を思い出した。この家の少女は害獣の駆除を願っている。殺せとは言われていないので、追い払うだけで構わないのは助かる。獣を殺すとなると相応の覚悟が必要だ。そうなれば代価も命を差し出してもらわねば釣り合わない。
「何で引くの? 貴方も荒らしたいから?」
「この家の人間に畑の被害を止めてほしいって言われてるんだよね」
「……? 何でそんな言うことを聞くの?」
「狴犴の命令だから……かな」
罪人の刑だの善行だのと説明が億劫になった獏は、全てを狴犴に丸投げした。
「狴犴……? それも獣?」
「え?」
この国にいれば狴犴の名は何処かで知る機会があると獏は思っていたが、どうやら知らない獣もいるようだ。
(そう言えば僕も捕まる前は名前を知らなかったっけ……)
宵街を訪れたことのない獣ならそんなものなのかもしれない。
「宵街に行ったことがないとわからないかな」
「宵街?」
「あれ? それも知らない……?」
「あ……ああ、この辺りの獣の街? ってこと? 私、花街から来たの。この辺りのことは全然わからないのよ」
その言葉で獏は反射的に警戒し、灰色海月からユニコーンを引き剥がした。花街から来た獣と聞いて、最大級の警戒をする。
「どうしたの? 急に怖い顔して」
「君……何しに来たの」
「え? 生娘を求めてだけど」
「…………」
満足そうににこにこと笑う彼女が嘘を吐いているようには見えなかったが、警戒は緩めずに獏は灰色海月を庇うように前に立つ。
「私から生娘を奪うなら殺すわよ」
「花街はちょっとね……宵街は今、花街を警戒してるんだよ」
「そうなの? 知らなかったわ。特定の獣とかじゃなくて、街全部を警戒なんて、喧嘩でもするの?」
「さあ? そっちの城の人が喧嘩を売ってきたけどね」
「へぇ……」
ユニコーンは途端に笑みを消し、冷めたように鼻で笑った。
「貴方は花街がどんな所か知らないみたいね」
「どういうこと?」
「獣は城の奴らとは係わらない。腫物のようなものよ。だから城が喧嘩を売ったからって、私には関係無い」
「花街にも獣はあんまり棲んでないの……?」
宵街と花街は似ているのだろうか。統治者を厭い宵街を去った獣のように、花街もまた王と大公達を嫌悪して去ったのか。
「棲んでるわよ。棲む分には何ともないもの。城の連中には触れないってだけ」
「何で触れないの?」
「面倒に巻き込まれたくないからよ。ある日突然今の王が即位して、その王が極悪な獣で、悪事が好きな獣は浮かれたけど一瞬だったわね。王は力を封じられてお終い。どうやって封じたかは城の人しか知らないんじゃない?」
「…………」
王――フェルニゲシュの力を封じているのはあの黒い痣のような首輪だろう。ユニコーンの話には矛盾や違和感は無かった。
「とりあえず信じるよ。君は病に感染してないよね?」
「病?」
「花街の変転人が病を持ち込んでてね。ちょっとした騒ぎになってるんだよ」
「それは可哀想ね……生娘が」
「まだ薬も無くて、だから花街を警戒してるんだよ」
「そうなの? 私の力で治してあげられればいいのに」
「? もしかして、治癒の能力があるの?」
「治癒と言うか、解毒ね」
「! そ、それ……! 本当!? 本当なら宵街に来てくれる!?」
「生娘が困ってるならいいわよ」
ユニコーンはほわほわと満面の笑みを浮かべている。生娘を助けられるなら本望だと顔に書いてある。治してほしい者には男もいるが、この性格なら幾らでも利用できる。もし彼女の力で病が取り除けるなら願ってもないことだ。騙してでも宵街に連れて行って力を借りたい。その価値がある。
「じゃあ、ちょっと用を済ませた後で一緒に宵街に来て!」
「いいわよ。街には他にも生娘がいるのよね? 生娘の膝枕で眠りたい」
「黙ってようと思ったけど、君の欲望はちょっと……特殊だよね。生娘って言うのも直接的過ぎて」
この少しの会話の中で、ユニコーンの印象は『かわいい』ではなく『こわい』になりつつある。生娘への執着は異常だ。
だが彼女を宵街に誘導することで畑の被害は無くなり、未知の病まで治せるかもしれないとは上手く行き過ぎて怖いくらいだ。
獏は灰色海月を畑から移動させ、笑顔で付いて来るユニコーンを預かってもらう。ユニコーンの性格なら灰色海月に危害を加えることはない。灰色海月は抱き付かれる経験が無いので途惑いはあるが、獏が大丈夫だと言うなら大丈夫だろうと、獏が善行を終えるのを硬直しながら待つ。頼られているのだから、寧ろ喜ばしい。
生娘がいればいつまでも擦り寄っている幸せそうなユニコーンを一瞥し、獏は明かりの消えた契約者の部屋の窓へ飛び込む。朝になってから報告するつもりだったが、善は急げだ。夜明けなど待っていられない。ぐっすりと眠っている少女の布団を剥いで無理矢理起こした。
病を治せるかもしれないユニコーンに出会えたので戴く代価は少し割り引き、獏は寝惚けている少女から躊躇しつつも代価を食べた。ユニコーンが交尾だのと言うので嫌悪感が前面に出てしまった。人間を食べる獣もいるので、数を増やす繁殖は悪い行為ではないが、どうにも嫌悪感を抱いてしまう。見世物小屋で人間の汚い手に触られ過ぎたからだ。
用を済ませて二人の所へ戻ると、ユニコーンはまだ幸せそうに灰色海月に擦り寄っていた。まるでお気に入りの抱き枕だ。獣は気難しい者が多いが、ユニコーンは生娘がいれば大人しくなって扱い易くて助かる。――などと本人に言えば鋭い槍のような杭が飛んで来そうだ。
獏は宵街にユニコーンを連れて行くため、座り込んで立てなくなっている灰色海月に手を貸した。