4.シーアイル
カタカタと馬車は音を立て、山を越えては休みを繰り返していた。ルークにとっては初の村から出た世界に母の死も忘れるかのような目の輝きであった。
ヒンターカイフェ村からミュンベル州は馬車で3日ほど時がかかるとのことで、その間、ユリウスの旅話しをルークは聞いていた。
2日目の夜、ベレーメン州にあるヴォルスという街についた。ヒンターカイフェ村よりも家や人が何倍もあるのが、ルークには新鮮であった。
「ここすごいですね‥」
ルークの輝く目を見て、ユリウスが笑っていた。
肩を叩き、呟いた。
「ベレーメン州の"ヴォルス"って街なんだけど、飯が美味いんだよな。だけどな、ミュンベル州はもっと栄えているからな。明日楽しみにしておきな。今日はひとまず、どこか宿に泊まるか」
ルークはどこが”その”街の名前を聞いたことがあった。しかし、思い出せない。
2人は馬車を置けそうな宿を探し回った。
だが、何故か一軒の宿だけ、空いてそうなのに無視をしていた。
「ユリウスさん?なんで、さっき通った『シーアイル』って宿に行かないんですか?馬車も置けそうだし‥」
何故か酷く落胆していた。
「また、あそこか‥あそこはな‥家族経営でな、父親の飯は絶品だし、手伝いの10歳の娘は可愛いんだけど、母親が本当に怖いんだよ‥」
何となく空気を察したルークは何も言わないようにした。
だが、しばらく街中を徘徊していると、突如馬車を遮るように女性が現れた。
「危な!おい、急に‥あ‥」
もう日は落ちており、辺りは小さい街灯のみだが、はっきりと見えた。目つきの怖い女性であり、ユリウスはその姿を見て、恐怖を抱いた。
「あんた!帰ってきたならこの宿使えっていつも言ってんだろうがー!」
女性とは思えない汚い口調であり、ユリウスが言っていた「母親が怖い」と言っていたことの片鱗をルークは理解していた。
「ジルさんじゃないですかー!今ちょうど宿に向かおうと思っていたんですけど、ここの少年に街を案内してたところなんですよね。なぁルーク?」
ルークは焦ったかのように何度も首を縦に振った。
「へー、ルークくんって言うの?この彼が言ってたことは本当かしら?」
魔族並みの威圧感にルークは思わず、首を横に冷静に振った。
「私が国王の友達だから、勅令受けたあんたに特別価格でやってるんだから、ここを使うのが、筋でしょうが!」
怒号を飛ばし、その女性は右手に持っていたパンをユリウスに思いっきり投げつけた。見事に口の中に入り、そのパンを咀嚼しながら、馬車を『シーアイル』隣にある馬小屋に停めた。
「お帰りなさい!」
お店に入ると、ルークは生まれて初めてみる少女の可愛さに頬を赤く染めた。だが、ユリウスも頬を赤く染めていた。
「エイミー!今まーた可愛くなったなー!」
ユリウスが言っていた。10歳の娘である。名はエイミー・ハイデン、母はジル・ハイデンであり、父はいつも厨房におり、一度も話したこともなく、名前も聞いたことはない。
2人は席に着き、サービスの水を勢いよく飲んだ。
「ユリウスさん‥」
ユリウスは思い出したかのように話を遮った。
「そうだルーク。敬語はやめろ。俺の弟子とか部下の立場かもしれないが、俺のことは歳の離れた兄貴だと思ってくれよな。だから、敬語禁止だ。」
静かに余所余所しい言い方で「わかった」と呟いた。
「なーにが兄貴よ。あんたもう30歳でしょうが。それで注文は何?いつもの?」
ジルがパンを何種か持ってきて、急かしにきた。
いつものと言うのは、自家製ソーセージとザワークラウト、コンソメスープの3種のことである。
ユリウスはルークに合う一皿をお任せで注文し、自身はいつものとビールを頼んだ。
「あ、そうだ。今度からユリウスじゃなくて、ユーリな。」
「わかった。その‥ありがとう‥ユーリ。」
唐突に感謝の言葉を告げられたユリウスは笑顔で水を飲んで、恥ずかしそうにしていた。
「おいジルさん、ビールまだですかぁ?」
「わかってるわよ!」
激しい形相でビールと何か飲み物を持ってきたジルはその2つをテーブルに置き、ユリウスの頭を引っ叩いた。
「そのジュースはサービスね。んで?ルークくんだっけ?何でユーリと一緒にいるの?」
ジュースはとても冷えており、とても甘くて、あの村で飲んだことのない格別な味わいであった。
そのジュースを飲んだ後にルークは口を開こうとしたが、ユリウスが話を遮った。
「ジルさん、悪いけど、その話は今はやめてくれ。ビールがしょっぱくなっちまう。」
ジルは意外と空気を読める性格であった。その場を何も言わずに去り、もう一度エイミーと一緒に料理を運んできた。
テーブルに置かれたハーブの香りと肉のジューシーな匂いにルークは涎がダダ漏れであった。隣の皿に目を配ると、鼻にツンと来るも食欲唆るザワークラウトとコンソメスープの旨みたっぷりの匂いにルークは失神しそうになっていた。
「はい。これがルークくんのね!」
そこに置かれたのは美味しそうなに肉団子と蒸したじゃがいもであった。
ルークはその料理を見て、目は輝かせ、口は開いたままであった。
「シーアイル名物の『肉団子のホワイトソースがけ』ね!ユーリさんは全く頼まないけど、うちのスペシャリテだからぜひ食べて!」
ルークは目前のスプーンを恐る恐る持ち、一口サイズの肉団子を口に入れた。
その瞬間、何故かルークは涙を流し、口周りをびちゃびちゃに汚しながら、ものの30秒で完食した。
「おかわりください!」
エイミーは「はいよ」と返事をして、お皿を持っていった
泣きながらも無邪気に食べていた姿を見て、ユリウスは初めてルークに幼い子供ということを実感した。
「ユーリ‥このご飯‥ママの味に似てる‥ママが良く作ってくれたのこれ‥」
ユリウスは静かにルークの頭を撫でた。
2人の様子をハイデン親子は微笑ましく見ていた。
その日の夜は黙々と飯を食し、ユリウスはビールを飲み、ルークは眠そうな顔をしていた。
2階の客室へ行き、そのまま就寝した。
ルークは夢を見ていた。
遠い海の向こうに1人の男が浮いている。
彼は視界にある海を氷に変え、眩い神々しいオーラを放っていた。
そこでその夢は切れ、目を覚ますと眩い太陽の光であった。
「おールーク起きたか。朝飯食ったら、行くぞ‥ミュンベル王宮へ」
太陽の光に目が慣れると、ユリウスの指差す窓の先には何やら大きな建物が見える。
「あの、ものすごく大きい建物がミュンベル王宮?」
ユリウスは不適な笑みを浮かべ、タバコを蒸していた。
窓の近くへ行き、じっくり見ると、ここから数キロも離れているにも関わらず、はっきりと見えるほどの立派な建物であった。昨日は辺りも暗く、それに今いる場所は2階であるから見えたようだ。ルークはドルト王国の歴史書は幾つか拝見していたが、初めて見る王宮に心打たれていた。
「おい、いつまで見てるんだよ。もうタバコ2本も吸い終わっちまったよ」
ルークは眺めているうちに10分のほどの時間が流れていたようだ。
一先ず、朝食の支度ができているらしく、2人は1階へ降りた。
「遅いわよ2人とも。ご飯冷めるでしょうが!」
朝から元気で、怖いジルさんであった。
本日の朝食は目玉焼きと分厚いベーコンにパンであった。
ルークはテーブルに置かれた食事を見て、手をつけようとしたが、今までの習慣を思い出した。
「神。“ヘルト”よ。ここにある食事を私たちの心とからだの糧となるようにお支えください。」
手を合わせて、唱えたルークを見て、ユリウスもハイデン親子も微笑ましく見ていた。
「ルーク‥ヘルト教だったのか。初めて見たぞ」
「なんか‥昨日までずっと‥よくわからなかったみたい‥でも、ちょっと寝たら楽になったみたい‥」
ユリウスは「そうか」と言いながら、頭を撫でた。
この数日間、ルークは母の死を受け入れ切れず、頭が整理できていなかったようである。この宿に来てから、心も体も休めた。
「この飯食べたら、王宮へ行くからな。夜まで食べれないからたくさん食べとけよ。」
黙々と食べていると、恐る恐るジルが近づいてきた。
ゆっくりと、ルークの隣へ近寄り、しゃがんだ。
「食べているところごめんね」
昨日の怖いジルとは違い、何だが優しい雰囲気であった。
「昨日ね。夜ルークくんが寝た時にあなたのことを聞いたのよ。良く、頑張ったね。」
そう言い、ゆっくりと抱きしめた。
「ここはあなたの家だと思いなさいね。」
実の母ではないが、数日ぶりの温もりに安心感を抱いた。
そして、寂しさも感じた。この歳の子にとっての母は偉大な存在であることを認識した。
ご飯を食べ終わると、ジルがまた、歩み寄ってきた。
「そう言えば、ルークくん‥あなたのファミリーネームはなんていうの?」
ルークはまだ口にたくさん食べ物が入っていったが、急いで飲み込んだ。
「”ウィザード”です。ルーク・ウィザードです」
その名を聞いたジルは口を開けて驚いた。
何かを言おうかと思ったが、口を閉じ、「そうなのね」と言い、厨房へ去っていった。
ルークはその姿に不思議に感じたが、それよりも先のことが気になり、その場を後にした。
2人とも客室へ戻り、出発への準備を始めた。
「ルーク、ここから急いで馬車を飛ばして、昼過ぎには到着するはずだからな。今のうちにトイレでもいっておきな」
言われた通りに1階にあるトイレへ向かった。ついでに荷造りした荷物も持っていくことにした。
「じゃぁ先に降りてるね。」
降りると、そこにジルがいた。
「何かありましたか?」
ジルはルークに近づき、両腕を頭の後ろまで回し、ネックレスをつけた。
そのネックレスには金属製の円形の枠に星が二つに重なり合うマークがついていた。
「これ、あげるわ。」
ルークは理由を尋ねたが、「また、今度来たら教えてあげるわね」と、言われ、それ以上は何も話してくれなかった。
その後、便を済まし、ユリウスが降りてくるのを待っていた。
「おールーク。お待たせ。ん?なんだそのネックレス」
ルークは首を傾げて、何も言わなかった。
その後、荷物を馬車に詰め込み、出発した。
後を振り向くと、ジルとエイミーがおり、ルークに手を振っていた。
ルークも手を振り返した。
「ねぇ?ジルさん最初は怖かったけど、優しい人だね」
「いつもはあんなんじゃないよ。人に物をあげるような人でもないしな。」
長年通っているユリウスでさえもそのようなことがないのであるから、このネックレスの意味が不思議であった。
「あ、後で少し休憩の時に読みたいから『アベル・ホフマン』の本、貸してくれないか?」
手綱を引いているため、ユリウスの肩掛けのバッグにその本を入れた。