第五十三話 ちゃんづけ
「ちゃんと歯を磨いてきたぞ!」
「顔も洗ったか?」
「当然じゃ! 我を誰だと思ってる!」
得意げな顔をしながら、エルヴァーナはテーブルの前に座る。
春重は、あまりの微笑ましさに、思わず頭を撫でてしまう。珍しく、エルヴァーナは嬉しそうに目を細め、されるがままだった。
こういうときは、かなり機嫌がいい。普段なら、手を払いのけられて終わりだ。
「エルちゃん、えらいねぇ」
「ふふんっ!」
真琴からも褒められて、エルヴァーナは胸を張る。
「マコト! 飯はまだか!?」
「もうできるから、運ぶの手伝ってくれる?」
「分かった!」
素直に返事をしたエルヴァーナは、わくわくした様子で、キッチンに向かった。
相変わらず、真琴にはやけに素直だ。ただ、最近になって、春重もエルヴァーナの気持ちが分かるようになりつつあった。真琴の言葉には、不思議と有無を言わさぬ力がある。
先ほどは否定したが、パーティ内における母親ポジションが誰かと言われたら、彼女しかいないのかもしれないと、春重は思った。
「どうぞ、召し上がれ!」
ダイニングテーブルに、真琴が作った料理が並ぶ。
春重は、そのクオリティに息を呑んだ。春重のために用意された目玉焼きは、形が整っていて、何より触れずとも分かるくらいぷるぷるだった。共に皿に載っているベーコンは、とてもかりかりで、いい匂いがする。添えられたサラダは、見るからに瑞々しく、特にレタスの色が鮮やかで、目を惹く。
「実はレタスって、五十度くらいのお湯に浸すと、しゃきしゃきになるんです。知ってました?」
「そうなのか……! 高級なやつかと思ったよ」
「えへへ、これぞ生活の知恵です」
そう言って、真琴は得意げに笑った。
エルヴァーナの前にある料理は、春重のものとは違う。いわゆる、BLTサンドというもので、こんがりと焼かれたトーストに、ベーコン、レタス、トマトが挟まっている。その他にも、目玉焼きも挟まっていて、とても具沢山だ。
「み、見たことないのが挟まっとる……! この赤いのはなんじゃ!?」
「トマトっていうんだよ」
「血みたいで美味そうじゃ!」
物騒なことを言いながら、エルヴァーナはBLTサンドに齧りつく。
「っ! 美味い……! なんじゃこれは!?」
「BLTサンドって言うんだよ。この前ダンジョンで食べたサンドイッチの仲間」
「ほうほう!」
分かってるんだか、分かっていないんだか。エルヴァーナは、夢中になってBLTサンドに齧りつく。トマトが嫌いな子供は多いが、幸い、エルヴァーナはお気に召したようだ。
「真琴! 我、毎日これがいい!」
「えー? 他にも色んな美味しいもの作ってあげようと思ったんだけどなぁ」
「じゃ、じゃあ! それも食べる!」
「ふふっ、仕方ないなぁ」
真琴は嬉しそうにしながら、ケチャップでべとべとになったエルヴァーナの口を拭く。
なんて微笑ましい光景だろう。春重は、いつの間にか笑みを浮かべていた。しかし、若い少女たちの戯れを見て、自分のようなおじさんがにやにやしているのは気持ち悪いのではないかと思い、すぐさま真顔になる。
気を取り直して、春重は目玉焼きを口に運ぶ。最初に見たときの印象通り、口の中でぷりんっと弾けるような食感があった。火加減が絶妙な証である。
「どうでしょう……?」
「めちゃくちゃ美味しいよ。真琴は本当に料理が上手だな」
「そ、そうですか? ありがとうございます」
頬を赤らめながら、真琴は言った。
「普段から自炊しててよかったです」
「……でも、本当にいいのか? 毎日来てもらうなんて、さすがにしんどいと思うんだけど」
「大丈夫です! 私がやりたいことですから、むしろやらせてください!」
真琴は、そう言ってぐっと拳を握る。その気合いに満ちた表情を見て、春重はもう、何も言えなくなった。実際、春重とエルヴァーナからすれば、ありがたいことしかないのだ。彼女のほうからそうしたいと言われたら、断る理由などない。
「分かった。それなら、素直に頼らせてもらうよ」
「はいっ! じゃんじゃんリクエストくださいね! こう見えて、レパートリーにも自信ありますから! そうだ! 今日の夜は、春重さんの好きなものを作りますよ!」
「今日の夜って……来てくれるのは朝だけじゃないのか?」
「はっ……! そ、そうでしたね」
先走ったことを言った真琴に対し、春重は困惑気味な表情を浮かべた。
「あの、その……夜ご飯も作りに来たら、迷惑でしょうか?」
真琴は、きゅっと縮こまると、か細い声でそう訊いた。
「うーん……気持ちはすごくありがたいけど、さすがに申し訳ないなぁ。こっちから返せるものなんて、ろくにないし」
春重は、腕を組んで考え込む。
朝食を作るに当たり、真琴が用意してくれた材料の費用は、すべて春重が出している。それに追加で手間賃を払おうとしたが、真琴からは、頑なに断られてしまった。
では、それ以外に何かできないかと考えてはみるものの、春重の中に気の利いた答えなどあるはずもなく。
「春重さんにはいつもお世話になってますから、せめて夏休みの間だけでも……だめですか?」
懇願するような視線を向けられ、春重は困った顔をする。
むしろ、懇願するのは春重のほうではないのか。状況のちぐはぐさに、軽く混乱していた。
「マコトの飯が食えるなら、大歓迎じゃ! いつでも来い!」
「ありがとね、エルちゃん。ほら、エルちゃんもこう言ってくれていることですし……!」
「いいじゃろうが! 毎日美味い飯が食えるんじゃぞ!?」
それだけの話じゃないんだよ――――と言っても、エルヴァーナには伝わらないだろう。
彼女に、義理人情を理解しろというのも酷だ。
「……分かった。じゃあお願いするよ」
「っ! はい!」
「だけど、そこまでしてもらうからには、何かこっちからもお返しさせてほしい」
「そんな……お返しなんて別に――――」
「それじゃ俺の気持ちが収まらないんだ。施してもらってばっかりじゃ、対等な仲間とは言えないだろう?」
「……た、確かに」
真琴は、納得した様子で頷いた。そして、申し訳なさそうに目を伏せる。
「でも……ほんとに、お返しをもらうようなことじゃないですし」
「だったら、何か俺にしてほしいことはないか?」
「へ?」
「俺にできることならなんでもいいんだ。真琴が俺にやってほしいことを、言ってみてくれ」
「そ、そうですね……それじゃあ」
真琴は、しばらく考えたあと、いまだ葛藤が残っている顔で、口を開いた。
「買い物に行くとき、一緒に来てくれませんか?」
「買い物?」
「はい。食材とか、日用品とか買うとき、ひとりだと荷物が多くて大変なので、手伝ってもらえたらと思ったんですけど」
「そんなことでよければ、お安い御用だ。いくらでも付き合うよ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
そう言って、真琴は嬉しそうに頭を下げた。
真琴が喜んでいる姿を見て、春重は心が温かくなるのを感じた。大切な人が喜んでくれるなら、それだけでいいのだ。今更ながら、真琴が自分のために尽くそうとしてくれた気持ちが、分かったような気がした。
「あ、そうだ。今日の予定は変わりないですか?」
「ああ、大丈夫だ」
春重は頷いて、テーブルの上に置かれたパンフレットを手に取る。
そこには〝ダンジョンズ・パーク〟と書かれていた。
〝ダンジョンズ・パーク〟とは、探索者だけが利用できる、国営の超大型総合レジャー施設である。様々なスポーツ施設に、温泉、リラクゼーション、カラオケやダーツバーなど、施設の数は百を超える。
そして、一番の特徴は、この施設内では探索者としての能力を使用できること。
鍛錬のために、施設を利用する者もいれば、日々のストレス発散のために、施設を利用する者もいる。探索者は、ダンジョン以外では能力を使うことを原則禁止されているため〝ダンジョンズ・パーク〟は、探索者にとってうってつけの娯楽施設なのである。
「おーい! こっちこっち!」
春重と真琴が、エルヴァーナを連れて待ち合わせ場所に向かうと、そこにはすでに、丹波と桜子の姿があった。
「早いですね、丹波さん」
「おうよ。一時的とはいえ、あんたらのパーティに入れてもらってるわけだからな。遅刻するわけにはいかねぇだろ?」
そう言って、丹波は「なはは」と笑った。
現在、丹波は春重たちのパーティに一時加入している。経験値も共有できるし、ダンジョンに入る際、別々に探索申請を出さずに済むようになるからだ。
「なんだその顔。俺が早く来るのが、そんなに意外か?」
「まあ、ちょっと」
「なはは! 桜子ちゃんにも驚かれたぜ!」
丹波がそう言うと、桜子は眉間にしわを寄せて、彼の胸ぐらを掴み上げた。
「おい……その桜子ちゃんという呼び方はなんだ」
「あ、いや……可愛いかなぁと思いましてぇ」
「可愛い、だと? ――――春重、どう思う?」
桜子は、何故か春重を見て、そう問いかけた。
突然の質問に、春重は一瞬固まる。桜子は、そんな春重から目を逸らさない。答えるまで逃がさんと、その瞳が言っていた。
「ま、まあ、可愛いとは思うけど」
「……そうか。それならいいか」
何が納得するきっかけになったのかは分からないが、桜子が丹波の胸ぐらから手を放す。
どうやら、許されたようだ。
「せっかくだ。春重も、ちゃん付けで呼んでもらって構わんぞ」
「いや、それはちょっと……」
「何故だ!?」
「な、何故と言われても……」
桜子は、再び不機嫌そうに頬を膨らませた。




