それは悲しい女の物語
聖と魔が入り混じる混沌の時代があった。大地を魔が闊歩し、聖なる者は気紛れに弱きに手を差し伸べた。
人はその混沌の中を懸命に生き、足掻いていた。
美しいプラチナブロンドの髪に、黄玉の様な宝石の瞳。誰が見ても息を呑む様に彼女は美しかった。細い身体も、可憐に、健気に笑うその姿も彼女の美しさを、この世のものではないほどに際立たせた。
彼女はその身体の小ささからは想像できないほどの魔力を体内に宿していた。だが、それは人には過ぎた量だ。外に漏れ出しては他者を傷つけた。
膨大な魔力が外に漏れ出ぬよう体内に押さえ付ける度、それは身体を駆け巡る。心臓を全身を大量の魔力が行き交うたび、彼女自身を傷付け弱らせた。
身体の弱かった彼女は床から起き上がることも出来ず、庭を駆け回る兄妹達を見ながら、胸の痛みに堪えながら育った。
妬ましい。愛おしい。苦しい。愛おしい。寒い。寒い。寒い。心が寒い。
両親は彼女を可哀想に思い、精一杯、慈しんだ。兄妹は彼女を愛し、労った。
家族は彼女に花を、暖かい食事を、美しい宝石を、広い外の話を、愛を与えた。
そんな家族を彼女も心から愛していた。与えられる愛に応える様に、疎まれぬ様に、必死に健気に微笑んだ。
愛されているのに、心はいつも寒かった。
何故、私はこんなにも醜いのか。
あぁ、神よ。精霊よ。私が欲しいのは、こんなものじゃない。役に立たないのなら、いっそ奪ってくれればいいのだ。
この魔力を、この身体を、この醜い心を!
美しく醜く独り嘆く彼女を、精霊の王は不憫に思った。神の様に美しい彼女に、人間らしく醜い彼女に、加護を与えた。
眷属である獣を与え、自由を授けた。嬉しそうに幸せを噛み締めながら涙を流す彼女の姿は、精霊の王の眼にも眩しい程、美しかった。
加護に守られた彼女は持っていた膨大な魔力を操り、忽ちに高度な魔法を使いこなす大魔法使いになった。
彼女は精霊の王を友と呼び、誓った。一度、投げ捨ててしまおうとも思った力を、身体を使い、人間の世に、精霊の世に安寧をもたらすと。
平和な世を。そう共に誓った勇者と手をとり合い、必死に魔と戦った。悪しきものから愛するものを全てを守る為に、森、大地、海、空に住むすべての精霊の為に。
魔の血を浴びながら、美しい髪を揺らしながら戦姫の様に剣を振り、魔法で燃やし尽くす彼女はさながら戦いの女神の様だった。
魔を祓い去り、暗雲から朝日が差し込んだ。その光に照らされ大輪の花が咲いた様に笑う彼女を愛さない者がいるだろうか。
勇者は聖王となり彼女と共に国を作った。大地に残った傷跡を、人の世を共に建て直して行こうと。愛し合い、手を取り合い、分かち合い、共に生きようと。
激しい戦いの爪痕は想像以上に深かった。魔の傷跡、澱み、濁り、魔の断末魔は大地を呪っていた。それは、人々から大地の恵みを踏み躙り、人々の身体を蝕んだ。
彼女は努力した。しかし、守り屠る力はあっても癒しの力だけはなかったのだ。彼女の努力を笑う様に澱みは広がり続けた。
そんな時、どこからともなく聖女が降り立ち、浄化の祈りによって魔の傷跡を、澱を、呪いを次々に癒やしていった。
世界にやっと安寧が訪れたのだ。
明るく快活な聖女に。曇りなき魂を持つ聖女に、彼女と愛を誓ったはずの聖王は転がり落ちる様に恋をした。
聖王は聖女を慈しみ、愛し、側において、彼女を遠く辺境に遠ざけた。
あぁ、あぁ、何故、何故なのか。あんなにも愛し合っていたのに。
私に癒しの力がないばかりに。私には奪う力しかないばかりに。
消えていたはずの醜い感情が、炎が燃え広がる様に身体を蝕んでいった。
そんな彼女に手を差し伸べる者。抱きしめる者がいた。彼女の友、精霊の王だった。
人は裏切るもの。人は醜いもの。私の手を取りなさい。
彼女はその手に泣きすがった。
眷属の獣は彼女が大好きだった。
だから間違ったのだ。
間違いを犯してしまった。
誰が、聖女を呼んだのか。聖女の加護は何なのか。幼い獣は真実を振り翳した。
彼女に喋ってしまったのだ。真実が彼女の心を切り刻む刃になるとは思いもせずに。
精霊の王は彼女を深く深く愛してしまった。美しく輝くプラチナブロンドの髪を、黄玉のごとく輝く瞳を、儚く笑う彼女の笑顔を、その心の奥深く虚に溜まる憎しみを、彼女の魂の全てを愛してしまったのだ。
彼女が欲しかった。
だから、邪魔だった。だから、奪った。
他人を愛する彼女が憎らしかった。彼女を愛する他人が妬ましかった。だから、彼女から奪ってやったのだ。愛する者からの愛を。聖女を産み落とし、浄化と魅了の力を与えて。
友だと、思っていたのに!!
彼女は精霊の王の手を振り払った。拒絶し、睨め付けた。
何故、聖女を遣わした?何故、私に浄化の力を与えなかった?何故、私から彼を奪った?
愛する者から裏切られ、友から全てを奪われた。絶望が心を黒く塗り潰していく。
美しい世界、愛おしい民達、大好きな家族、大好きな私の猫ちゃん。
みんなそこにあるのに、何故、彼はいないのか。
つらい、苦しい、妬ましい、憎い、寒い、寒い、寒い!!
精霊の王は彼女の醜ささえも愛おしかった。しかし、彼女の拒絶と絶望は許さなかった。人を憎み、私を愛せと、彼女に愛を迫り、彼女からの愛を求め、彼女を捕らえ閉じ込めた。
眷属の獣は自らの行いを悔い、彼女の兄と共に反旗をとった。
精霊の王から、彼女を取り返すために。
彼女の兄は戦いの最中、見事に精霊の王の首に剣先を突きつけた。
その時、
「お兄様、やめてください。もう、いいんです。私がいけなかったの。私の様な醜い魂が、美しく愛おしい、この世界にある事が、初めから間違っていた。」
一筋、涙を流すと美しく儚く笑った。
そして、自らの胸にナイフを突き立てた。
「この美しい世界に、永遠の祝福を」
兄に抱き止められた彼女は小さく微笑んだ。美しい黄玉が燻んでいく。
彼女の幸せを願っていた。彼女の笑顔が大好きだった。愛おしい妹。あぁ、あぁ、逝かないでくれ。ただただ笑っていて欲しかった。幸せになって欲しかったんだ。その資格が君にはあったんだ。
彼女の頬に縋りながら兄は泣き叫んだ。
暗く澱んだ眼で、命尽き行く彼女を見ていた精霊の王は、そっと加護を謳った。
魂の輪廻を。
許しはしない。私から逃げるなど、絶対に許さない。
永久の時を待ったとしても、彼女の魂を必ず手に入れる為に、彼女の魂を呪ったのだ。
それは、己の愛から逃げる彼女への完全なる憎悪=愛だった。
愛は尊く、美しいものだ。その宝石の様に透明で輝かしい愛の底には、醜い暗い澱みが溜まっていく。
愛憎は全てを狂わせ壊すのだ。
これは、悲しい女の物語。誰も語り継ぐ事のない、安寧の影の中に落とされた深い闇の物語。