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何でも屋と季節外れの夢  作者: 水之音 霊季
一章 アスカとルミ①
7/29

三 ようやく気付けたこと 三

「もう少しゆっくりしていった方が……」


「ううん、もう大丈夫。

 アスカのお陰で、またしばらく頑張れそう」


 こんなに安心できない“大丈夫”は初めてだ。

 本音を言えば、まだここにいてほしい。

 このまま帰すのは、やっぱり不安だ。


 でも、彼女をここに留まらせて何になる?

 私に何ができるの?

 彼女は私に何も話したくないって言っているのに……


「それじゃ、また来るね」


「──ルミさん」


「ん?」


「……あまり、無理しないでくださいね」


「うん……ありがとね」


 もっと気の利いたことが言えればよかったんだろうけど、

 呼び止めておきながら何もかける言葉が見付からなかった。



『アスカは……いなくならない?』



 どうして、ルミさんはあんなこと聞いたんだろう。


 彼女から投げ掛けられた問いが、頭の中に反響している。


 目の前に広がる景色。

 駅舎やロータリー、行き交う人々。

 そこにはもう、彼女の姿はない。


「やっぱり、彼氏さんと別れちゃったのかな……」


 ルミさんの涙の原因が彼氏さんにあることは恐らく確実。

 問題は何があったかで、

 少なくとも一ヶ月前──バレンタインの後までは

 いつも通りだったはずだ。


 ホワイトデーのお返しだって貰っていたんだし。


「彼氏さん……写真あったよね」


 確か、ルミさんに送ってもらったやつが何枚かあったはず。


 私は店内に戻り、カウンター席に腰かけた。

 そして、ひたすら携帯のアルバムを遡っていく。

 どんどん指を滑らせて、時をかけること半年。


 写真を見たくらいでは、

 その人の人間性なんてわかるはずもない。

 つまり、今回の件の解決法なんて導き出せないということだ。

 それでも、顔すらもわからないよりかは幾分ましだろう。


「あ、あった」


 ようやく見つけた一枚。

 それは、遊園地で撮られた写真。


 写っているのは巨大な地球のモニュメントと、

 その前で仲睦まじく腕を組むルミさんと彼氏さん。


「こんなにしっかり見るの、久し振りかも」


 一度だけルミさんから言われたことがある。

『アッくんに興味ないでしょ?』と。


 図星だった。

 何を隠そう、私は彼氏いない歴=年齢の交際経験ゼロ人間。

 男性とお付き合いしたことなんて一度もない。


 つまり、ルミさんが羨ましくて妬ましかった。

 羨望と嫉妬でどうにかなってしまいそうだったから、

 惚気話は絶妙に聞き流し、

 写真を見る時は彼氏さんだけ視界から

 シャットアウトしてきたのだ。


 それが今、私は彼氏さんの顔をまじまじと眺めている。

 どこにでもいそうな素朴な顔。

 優しそうだし、整ってはいるけれど、

 じゃあイケメンかって聞かれると返答に詰まる。

 あくまでも、私の基準だ。


「ほんとに、一体なにが──」


 写真の中の彼氏さんとにらめっこしていた私は、

 突如として強い既視感に襲われた。


 どこかでこの顔を見たことがある。

 どこだ、どこで見た。もっと記憶を辿れ。

 私はどこかでこの顔を見た。直接会った?

 違う。なら、別の写真? それも違う。

 ……いや、違わない。写真だ。


 でも、ここ数年、紙の写真に手を触れたことはない。

 なら、携帯に入っている写真?

 でも、彼氏さんの写真を見たのは久し振りで──


 携帯、写真、画面越しの写真……


「まさか……」


 私の記憶が導き出した解。

 果たしてそれは正解なのか。

 いや、どうか間違いであってくれ。

 思い違いであってくれ……。


 淡い希望を抱きながら、私はテレビを点けた。

 この時間帯なら、どの局もニュースを放送しているはずだ。

 あとは目当ての報道を探すだけ。

 ここは違う。ここも違う。

 それなら、ここならどうだ。


「……これだ」


 ようやく見付けた目当ての報道。

 その内容は──



『今月の一日から行方不明になっている鮫島秋文さんですが、

 現在も捜索が続いているものの、

 依然として有力な手掛かりは見付からないままです』



 情報提供を求められている鮫島秋文という男性。

 当然ながら、彼の顔写真も公開されている。

 それを見た瞬間、既視感が消えて記憶と記憶が結び付いた。


 鮫島秋文さんは、ルミさんの彼氏さんだったのだ。


「『いなくならない』って、そういう……」


 また来ると、ルミさんはそう言っていた。

 でも、それはいつ?

 こんな事実を知ってしまって、

 次の来訪を呑気に待つなんて私にはできない。

 私は衝動に突き動かされるまま、外に飛び出した。

 びっくりする通行人を置き去りに、

 私はすぐそこのT駅に向かって走った。


「ルミさん……」


 改札の向こうに彼女の姿はない。

 もう発った後かもしれない。


 追いかけようにも、私は彼女の住所を知らない。

 C県F市……この先がわからない。

 こんなことなら、

 年賀状をメッセージで済ませなければよかった。

 追いかけてもF市で詰む。

 どうしようと、私は途方に暮れた。


「いや……行こう」


 住所を知らないからなんだと言うんだ。

 今追いかければ、まだ追い付けるかもしれない。

 迷っている暇はない。


「次の電車……まだ時間はある」


 ひとまず携帯と財布を取りに行こうと、

 私は改札に背を向けた。

 けど、家に向かおうとしていた私の足は、

 一歩も歩くことなく動きを止めた。


「……え?」


 ロータリーの駅前広場にルミさんがいたからだ。

 彼女はベンチに腰掛けて、物憂げに広場の銅像を眺めていた。


 広場には他に散歩中と思しき老夫婦。

 彼らはルミさんに目もくれず、二人の時間を過ごしている。

 まるで、ルミさんのことなど見えていないかのように。


 だから、私は目を擦った。

 あのベンチに座っているのが本当にルミさんなのか、

 一瞬だけ自信を失ってしまった。


 けれど、彼女は紛れもなくそこにいる。

 幻覚でもなければ、他人の空似でもない。

 私はゆっくりと歩き出した。

 何て言葉をかけようか、見て見ぬ振りをした方がいいのか、

 見つからない正解が私の足を重くさせる。


 ロータリーの横断歩道に差し掛かると、

 タクシーが手前で止まってくれた。

 そこでいつもの癖が出てしまい、

 私は会釈をしながら小走りで横断歩道を駆け抜けた。


 答えが見付からぬまま、

 私はルミさんのいる駅前広場に来てしまった。


「アスカ……」


 ついでに言うと、気付かれた。


「どうしたの?」


「……こっちの台詞ですよ。

 まだ帰らないなら、店にいてくれてよかったのに」


「いや、コンビニ寄ってたら乗り遅れちゃって」


 恥ずかしそうにルミさんは笑うけど、

 私にはそれが嘘だとすぐにわかった。


「帰……()なかったんですよね」


「え?」


 言っていいのかな。

 でも、私は彼氏さんの写真を持っているし、

 ニュースでも散々流れているし、

 知ってしまってもおかしくない。

 それに、知ってしまったら、もう知らない振りはできない。


 私はルミさんの隣に腰を下ろした。

 さっきまでいた老夫婦は、今はもういない。

 駅の方に歩いていった。

 今、私達のことを見ているのは、

 人工の池の中に佇む銅像だけ。



「彼氏さん、行方不明……なんですよね?」



 この広場は、ロータリーの中心に浮かぶ孤島。


 道路に囲まれたこの場所は、車がよく行き来する。

 エンジン音が轟いて、音漏れした柄の悪い音楽がうるさくて、

 電車の発車ベルが人を急かす。


 様々な音が溢れている。

 私達の声を掻き消してしまいそうなほど。


 それ故に、私はルミさんから目が離せなかった。

 彼女の声を聞き漏らすのは、何より避けたかった。


「……知ってたの?」


 私の目の前で、ルミさんの表情が変わっていく。

 一瞬の驚愕を経て表面に現れたのは、

 もう見たくなかった失望の顔。


 サッと、血の気が引いた。


「知らなかった! ……本当になにも。

 彼氏さんの話をしたら、ルミさん急に泣き出したから……

 だから、何かあったんじゃないかって……。

 ついさっき、彼氏さんの写真見たんです。

 そしたら見覚えがあって、ニュースで

 見た顔だっていうのを思い出して……」


 何一つ嘘はついていない。

 それなのに、私の口は言い訳じみた言葉を羅列していく。


 こんな時、『違うんだ。これにはこういう訳があって』

 って極めて冷静に話せる人なんて

 いるのだろうか。

 いるのなら、この瞬間だけ私に乗り移ってほしかった。


 それでも、何とか私の言葉は伝わってくれたようで、

 彼女の眉間から力が抜けていった。


「そっか……まぁ、そうだよね。

 アスカ……なんか察してたし、そりゃ気付くよね……」


 ルミさんは、まだ何か言いたそうにしていた。


 けれど、彼女の口の中の苦虫がそれを許さなかった。


 私の店は薄暗い。

 だから、ずっと気付けなかった。

 涙でルミさんの化粧が落ちていたことに。


 ファンデーションの下から、濃い隈が顔を覗かせていた。


 よく眠れていないのだろう。

 当然だ。

 最愛の人が行方を眩ませてしまったのだから。


「……アスカの店、行っていい?」


 私は返事をする代わりに、彼女の手を取った。


 報道によれば、彼氏さんの失踪は今月の一日から。

 姿を消してから、一ヶ月が経とうとしている。


 その一ヶ月、ルミさんは一人きり。


 どこに行って何があったんだろうという不安と、

 明日になったら

 ひょっこり帰ってくるかもしれないという希望。


 相反する心情にギリギリと引っ張られながら、

 彼女は一人の夜を過ごしてきた。

 その行く末に待ち受けるのは、千切れて壊れる未来。



 そうなる前に、間に合ってよかった。



 あだ名しか知らなかったし、顔は見ないようにしてきた。


 二週間前、

 最初に彼氏さんの報道を見た時に抱いた既視感を

 もっと深く掘り下げていたら、私はもっと早くに

 このことに気付くことができた。


 自分を正当化する言い訳も自分を責め立てる後悔も、

 私の足を引っ張る枷だ。


 けど、忘れない。大事なのは今この瞬間。


 彼氏さんについて、遅れながらも気付くことができたのなら、

 見据えるべきはこれからだ。


 店に向かう短い道のりでさえ、

 ルミさんは私の腕を離さなかった。

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