【file4】レディー・ココミック
日曜日はココミックの日
俺の名前はオオカミ・ケン。地球を守るヒーローの一人だ。
必殺技はウルフ・パンチ。拳から生えたアダマンチウムのツメで敵の顔面をえぐる。こいつを三発以上受けた敵はいない。その前に倒れるからだ、血まみれでただの肉塊のようになった顔で。
最近は地球を侵略にやって来る宇宙人も少なくなった。特にここ日本は意識的に避けられているようだ。誰もが俺に顔面を真っ赤な肉塊に変えられるのを恐れているのだと聞いた。まぁ、どんな宇宙人でも、相手を見る時にはまず顔を見るものだ。家でいえば玄関ともいうべきその部位をグチャグチャにする俺の必殺技は、いわば『外道のごとき行為』とも言えるだろう。しかしそれしか俺には必殺技がないのだから仕方がない。それを恐れて宇宙人が日本を攻めて来ないのだから、まぁ、いい抑止力だとでも思ってくれないかな。
しかしそんな俺に挑戦状を叩きつけて来た宇宙人がいる。
ココミック星人というらしい。
俺はその宇宙人に疎かった。少し噂を聞いただけで、興味の対象外であると判断したし、闘うことは一生ないだろうと高を括っていたからだ。
ネットで予習する暇もなく、ココミック星の戦士はやって来た。
「ごきげんよう」
そう言いながら、ピンク色のマントを翻し、浮遊能力で空から降りて来た戦士の姿を見て、俺はちょっとうんざりした。
わかっていたことだが、女と闘うのは好きじゃない。ココミック星人の人口は100%が女だとは聞いていたので、知ってはいたのだが。
「わたくしの名前はレディー・ココミック。挑戦を受けていただき、誠に感謝いたしますわ、地球の勇者オオカミ・ケン様」
いや、受けてない。勝手に挑戦状をメールで送りつけて来て、その一時間後に勝手に『今から参ります』と電話をかけて来て、俺に返事をさせる暇もなく勝手にやって来たのだ。
特設ステージを準備する暇も当然なかった。それでも海辺の公園には話を聞きつけた観客が3万人ぐらい押し掛けて来ていた。情報社会って凄い。
「どういうことです?」
いつもの狼コスチュームに着替える暇はなんとかあった。
「ココミック星人は侵略には興味がないと聞いていますが……」
「ええ。わたくし達は全員が女性ですので、そういう野蛮なことには興味がございません。せいぜい他星人と殺伐とした口喧嘩をするぐらいですのよ」
そう言ってレディー・ココミックはくすくすくすと笑った。
「これは純粋に、ココミック星を代表する戦士としての、試合の申し出なのです。受けてくださり、誠に感謝しております」
「いや、受けてない……」
「でも貴方は来てくださった」
彼女は熱いまなざしを細めて、俺を見つめた。
「やる気マンマンなのでございますわよね?」
「あんたがここに降りて来ると言うから、民衆を守るために来ただけだ」
俺はそう言うと、改めて試合前の一礼をした。
「まぁ、スポーツのような試合だと言うのなら、俺も地球を代表する戦士です。挑戦されたなら、受けるのが礼儀でしょうね」
「スポーツだなんて思わないで頂戴」
彼女は挑発するようにピンク色のマントを翻すと、やたら平たい胸を張った。
「本気で殺す気でいらっしゃい」
そして闘う前から勝ち誇ったような顔で、フフンと笑う。
なんとなく、彼女が広い宇宙の中から対戦相手に俺を指名して来た理由がわかったような気がした。
彼女は平たい胸にハートの描かれたスーツを着ている。腰下に穿いた黒いちょうちんブルマーのようなハーフパンツが少しダサいが、全体的な印象は、とてもガーリーだ。そして、その顔だ。長いブラウンの髪はライオンのように勇猛さを感じさせるが、その中央についた顔が、とても美しいのだ。
殴れないと思っているのだろう、俺に、その美しい顔面を。
ふざけるな、と心の中で軽蔑した。
闘いを冒涜している。俺が敵の顔面を殴るヒーローだと知って、しかし女性の美しい顔を真っ赤な肉塊に変えることには抵抗があるだろうと思って挑戦して来たのなら、それは間違いだと教えてやらねばならない。俺は敵に敬意を表する。たとえ相手がかわいい猫であっても、己の技を磨いて闘いの場に出て来たのなら、そのかわいすぎる顔面を俺はボコボコにする。それが闘いにおける敬意だ。
遠慮なくその美しい顔面を梅干しのように変えて差し上げよう。整形手術代も払わない。それを授業料だと思ってほしい。神聖なる闘いを舐めたことを後悔させて差し上げよう。
「では、行きますよ?」
俺は拳からアダマンチウムのツメを伸ばすと、厳かに言った。
「いつでもどうぞ?」
レディー・ココミックはふざけたようにそう言って、笑う。
「その前に……、聞いていなかった。この闘い、何を賭けるのです?」
「強いのは地球人か、ココミック星人か……、それだけで充分ではなくって?」
「了解しました」
俺はそう言うと、いきなり必殺技を彼女の顔面に叩き込んだ。
「ふんっ!」
ぽよよよよ~ん……
顔面にクリーンヒットした。確かに、彼女の左頬を、俺の拳は、捕らえた。しかし俺はその手応えのなさに、思わず後ずさってしまった。
レディー・ココミックは笑っている。表情ひとつ変えずにだ。俺は恐怖した。その頬には傷ひとつついていなかった。ただ頬紅を差したように、少し赤くなっているだけだ。
「あら、そんなものですの?」
彼女は目を細めて、梅干しを食べたような口を笑わせて、言った。
「あなたのご自慢のパンチは、そんな程度ですのね」
「うううううっ……!」
得体の知れない恐ろしさに腰が引けたが、俺はそれを吹き飛ばそうとするように二発目を繰り出した。
「おりゃああああっ!!」
ぽよよぉ~ん……
まただ! またしても吸収された! こいつの顔面柔らかすぎる! まるで斬鉄剣が唯一斬れないコンニャクのように攻撃を受け流す! これか! やつの自信の源は! 見くびっていた! 俺こそが闘いを冒涜していた! やつは紛れもなく戦士だった! 正々堂々と俺に勝てると思って、闘いを挑んで来たのだ!
しかし敬意を表しているような余裕は俺には既になかった。今まで3発で沈められなかった敵はいない。次の一撃で倒せなければ、俺は心が折れるだろう。気合いだ、気合いで打ち抜くしかない! 餅を斬ろうとするから斬れぬのだ。餅を乗せている台ごと斬るつもりで、俺は3発目の拳を放った。
「キエエエエエエエッ!!!」
ぽよっ……よ~ん……
負けた……。俺の心が折れた。
ホホホホホホ!と高笑いしながら、やつの腕が振り下ろされた。
なんて重たいパンチだ。まるで鍛えあげた太い脚で蹴られるような重たさだ。
俺は300メートル吹っ飛ばされると、そこで立ち上がる気力を失った。
ココミック星人は闘いを好まない、優しい種族だと聞いていた。確かに、優しいのかもしれない。彼女が俺を吹っ飛ばした方向には観客が1人もいなかった。たまたまではない。ちょうど犬のうんこが落ちていて、みんなが避けているそこを、狙って彼女は俺を吹っ飛ばしたのだ。
必殺の拳が通じなかった。とんでもなく重たいパンチで吹っ飛ばされた。背中に犬のうんこがついてしまった。観客のいない狭い隙間を見事に通して吹っ飛ばされるような余裕も見せつけられてしまった。
俺が地面に倒れたまま、心折れていると、レディー・ココミックがゆっくりやって来て、ぽかぽかの太陽を背に、俺を見下した。
「フフフ……。地球人さんて、弱いのねえ」
立ち上がれと挑発しているのがわかった。俺に、立ち上がって、もう一度戦えと、焚きつけているのだ。しかし、俺は……
「敗北を認める? 認めるのなら、この日本をわたくし達の植民地にするわ」
なん……だと……?
「あなたは守れなかった。なら、わたくし達が好きにしてもいいはずよ? この日本を、わたくし達ココミック星人の欲望を満たしまくるための土地とし、男どもは奴隷に、女どもはココミック星人に改造し、国名も『ココミック・ジャパン』と改名し、わたくし達の勝手なパラダイスにして、楽しませてもらうわ」
俺は……
……守る!
この日本を守る……!
俺はヒーローなのだ!!
「あら、立ち上がったのね、素敵」
レディー・ココミックが余裕を見せつけて、笑う。
「立ち上がって、どうなさるつもりなのかしら?」
やつの言う通りだ。
必殺技が通用しなかった俺に、もう勝つ術は残されていなかった。
漫画の主人公ならこういう時、リミッター解除とか、スーパーなんとか人とか、まだ奥の手を残しているものだが、残念ながら俺にそんなものはない。
俺の足を立たせているのは、ただこの日本を守らなければという使命感、意地……。そんなものでしかなかった。ただ立ち上がっただけで、俺に何をする気配も感じないのを察すると、レディー・ココミックは残念そうに、笑った。
「さよなら、ね……」
そう言うと、キックのように重たい腕を、振り下ろす。
「グッバイ・マイ・ヒーロー」
来る! 今度は死ぬ! 殺される! 俺は日本を守れない!
「うわああああああっ!!!」
ヤケクソだった。まるで子供の喧嘩の動きだ。俺は駄々っ子のように足を振り上げると、ずっと気になっていたレディー・ココミックの黒いちょうちんブルマーめがけて、キックを繰り出していた。
もちろんそんなところを蹴ったところで何も起こらないだろう。本当に、ただのヤケクソだったのだ。相手が男なら、最後の最後に反則技を使ったと罵られようとも、そこは急所だ。どんな手段を使っても勝てばいいのなら、狙う価値は充分にある部位だ。しかし女性のそこに出っ張っているものはなく、しかもがっしりと太ももで守られていて……
カキーン! みたいな音がした。
「あうっ!?」
俺のキックを股間に受けて、レディー・ココミックが苦しがっている。
俺のつま先には、まるで鼻を砕いたような感触があった。
「あれ? これって、こいつ、弱点?」
俺はもう一度、苦しがって隙だらけになっているレディー・ココミックの、そこを蹴ってみた。
コッキーン……!
「へぶっ……!」
レディー・ココミックが上半身を不自然に、幟を揺らすように揺すり、激しく苦しがった。
見つけた! レディー・ココミックの弱点は、なんだか知らないが、この黒いちょうちんブルマーの中身だ!
必殺のアダマンチウムのツメの生えた拳をそこに叩き込もうかと思ったが、低すぎて届かないので、俺はそこを何度も何度も蹴りつけてやった。
「あべっ……!」
「ひびっ……!」
「おぶっ……!」
「もっ……、もぉっ、やめっ……てっ……!!」
やつの黒いちょうちんブルマーが鼻血のような色に濡れて行く。蹴り続けているうちに、彼女は明らかに戦意を喪失してうずくまり、俺も可哀想になって来たので、攻撃を止めた。
守った……。
俺は日本を、守った!
観衆の大歓声を期待して、俺は拳を振り上げ、顔を輝かせてみんなを見回した。
みんなの声が聞こえて来た。
「ひでえ……」
「レディーの顔を蹴るなんて……」
「男じゃねえ……」
えっ? 顔?
いや、コイツ、女のふりした男だったんじゃねえの……?
だって、あそこに、ぞうさんの鼻みたいなのついてる感触、あったよ?
俺は一生闘うことはないと思って、あまりにもココミック星人について無知だった。彼女らは紛れもなく女性で、彼女らの顔面は顔面に見せかけたお尻であり、本当の顔面は黒いちょうちんブルマーの中に隠されているなどと、みんなが知っていることを知らなかったのだ。
俺はネットで叩かれた。
俺のブログは炎上した。
俺は闘いに勝ち、世論に負けた。