僕の将来
問題を解きたいというウズウズした気持ちはなかなか抜けない、でもある意味机の下で手を拘束されているため解消も出来そうにない。
-----誰か代わって。
多分、頼めば誰もが二つ返事で了承するだろう言葉を飲み込む。
せめて記号問題を…
「詩織、もう1回職員室行きたい」
「どうしたの?」
「センター試験の勉強したいんだよ」
我ながらいいことを思いついたものだ。センターなら全部が記号問題だから丸をつけていくだけでいい。ついて行こうか?という詩織に首を振って休憩ついでにヘッドフォンを着けてもらった。青本(センター試験の過去問集です)のコピーを貰って、席に着く。
「もういい?」
「うん」
左手にシャープペンシルを持って、ゆっくり丸を書き始めた。
ようよう僕の頭もフル回転、解答を叩きだすのにスピードが上がって来た時だった。今度は外が騒がしい。何かと思えば授業が終わったようで自習室に入る人、出る人でごった返し始めた。
「新しい勉強法ですか? 利き腕を使わないなんて」
坂東が僕らの机の横で足を止めて話しかけて来た。
苦笑いをしながら、ペンを置く。
「そろそろお昼の時間なんですけど、下のコンビに行きますか? それとも皆で食べに行きますか?」
「私はどっちでも。ユーヤは?」
「僕も。じゃあ坂東もどっちもいいなら、末長と神無月さんに聞こうよ」
結局カップルの選択に任せ、ご飯を食べに行って来た。
食べ過ぎたかな? とお腹を気にしながら席を見てみれば、何やら何枚かの紙が置かれてある。
「何コレ?」
5人で覗き込むと、質問状。誰にって決まってる、詩織にだ。何やら名前が知りたいだの、どこの高校か、など質問だらけ。
「…答えないとダメかしら?」
「詩織っち優し過ぎ。そんなことしなくていいよ」
「そうですよ。名前も書いてないですから、返さなくていいんじゃないですか? 返す相手も分かりませんし」
「勉強しろ! ってんだよ」
末長が容赦なく紙を丸め、遠くのゴミ箱へシュートした。親友を初めてカッコいいと思った。
詩織への熱い視線は尽きない。
いや、むしろ増えた。
今日も彼女を見るため、自習室は押し合いへし合い状態。無理もない。見た人達がまた見ようと来て、噂を聞きつけた他の塾生もかけつけて…否、無理がある、自習室の大きさにだ。坂東に誘われて早めに来たから席に座れているものの、前は席に2人だったのに今日は3人でちょっと窮屈だ。しかもプッツンワードが常に聞こえてくるから、またしても僕はセンター問題に取り組むハメになった。そろそろ過去10年分を制覇しそうな勢いなんですけど…。
「しっかし、すごいな」
「本当。詩織っちのおかげで連日、塾も大繁盛ね」
嫌みを言いながら睨みを利かせるSカップルを見つつ、乾いた笑いを浮かべた。
「ねぇ、山田っちが『僕のカノジョだ、見るなぁ!!』って暴れてみたらどうかな?」
「嫌だよ…」
「あーあ、山田くんの外見が五十嵐番長みたいだったら、その作戦イケたのにな」
確かに…と僕が頷くと坂東も頷いた。
詩織を見ると困ったように眉毛をハの字にしていた。原因は自分にあるのだと自責の念に駆られているのだろうか? 名前を呼んで笑う。
「僕が言ってあげようか?」
「なんて?」
「そうだな『この子、本当は男の子だから!!』って」
「うわ。山田くんにしてはダメな解答だな」
「じゃあ末長だったらなんていう?」
「…『整形美人です』だな」
「衛くん…それはちょっと」
と、後ろを向いている末長の目が鋭くなった。彼の目線に導かれるように詩織の向こう側を見ると男の子達が顔を赤らめてこっちの方に歩いて来ているのが分かった。
-----しんぼう堪りませんって顔してる…。
同じ男として素早く心をキャッチした。
「私は神無月ちゃんの意見に賛成よ?」
「え?」
右手が捻り上げられ、痛いと思う間に手が挙がった。そして音を立てて机の上に叩き付けられる。何するんだ!? 怒ろうとした瞬間、右手が冷たい指に絡まれた。全体的に。
「やだユーヤったら。幾ら我慢出来ないからって、こんなとこで…」
「な!?」
もう僕は何処を見ていいか分からない。
恋人つなぎをされたまま机の上に置かれている手か、照れたような演技をする詩織の顔か。いや、まずは末永達か!?
前、横に目を向けると口角がグーンと上がったまま3人とも小刻みに震えている。しかも示し合わせたかのように同じタイミングで口元に手を当て、顔を反らされた。
-----ちょ、見捨てないでよ。
急いで詩織に目線を戻せば、ふふっと妖艶な笑み。さぁっと血の気が引いた。
だって、詩織の向こう側には一連の行動を見て勘違いを起こした男達が青筋立てて僕を睨みつけていたから。
「離し…」
「え? 離したくないの!?」
「そう…」
「そうなのね? もう、何しに塾来てるのよ」
思わず口をつぐんだ。これ以上一言でも何か発すればさらに被害が甚大になると確信したからだ。震える友人達を見ながら深い深いため息を立て続けに2回吐いた。
数ヶ月前、僕と詩織の噂があっという間に学校中に広まったのを覚えているだろうか? 今正にそれと同じことが塾で起こってしまった。噂は似たようなもんだ、いや、少し酷いと思った。内容はこう…超のつく美女が信じられない話だが背の高い華奢な男と付き合っている、と。僕の特徴は背が高くて華奢だってことだけなのだろうか? もう少し何かないのだろうか。例えば、優しそうだとか、真面目そうとか。しかも『信じられない話』って、残酷な言葉じゃない? 僕が詩織と付き合うというのは奇跡体験に近いとでも言いたげだ。でも残念。信じられない話だけど、傍にいて欲しいっていったのは超のつく美女の方ですから。…友人としてですけど。
で、その噂のせいで今度は僕まで注目の的だ。何処がよくてどうして付き合っているのかということを皆が詮索し始めたらしい。僕の顔を見てはコソコソ、あーでもないこーでもないと話し合っている。そんなにいいトコありませんか? 段々自分が悲しくなってきたよ。
それもこれも、全部この右手に置かれた白くてしなやかな指のせい。「もう堂々とできるわね」なんて言って机の上に出しているから、さらに皆の興味をそそるのだろう。しかもそうこうしてると「嘘、彼女の方がご執心なの!?」って目の前で言われてしまったし。『嘘』って…残酷な言葉じゃない?(数行前に戻ると延々楽しめます)
「詩織さん、離して頂けると助かります」
「お腹出してくれる?」
「もう、いいんじゃないかって思ってる。もう、キレて皆床に沈めばいいんだ」
そして僕だけ生き残ろうじゃないか。
笑ってやろう、積み重なった屍のてっぺんで。大いに高笑いしてやるんだ、ザマーミロと。
「ふふ。でも皆ダメね、見る目ないわ」
「何が?」
「そうでしょ? 私の親友の素晴らしさを理解出来ないなんて」
面食らった。
どういうとこが? って聞きたいのに僕は逆にモジモジ俯いてしまった。
塾通いも明日でおしまい。
僕は追い込みとばかりに赤本のコピーをとっている。毎日来ては赤本をコピーしてたけど、なりたいものを選べない僕は当然大学も選べるはずはなく、とりあえず難関大学と呼ばれるトコの問題を持ち帰っては解いてコピーしてを繰り返している。正直言って効率が悪過ぎる。優柔不断な自分が悪いと言ってしまえばそれまでなんだけど、でもなー。
詩織の言葉が横切る。『私ね、ユーヤはお医者様がいいなって思ってるの』
「医師…ね」
血を見るのは苦手だが、なんだかいいような気がしてきた。幸い医学部用クラス編制にも参加している。僕の目指す誰かの為にっていう言葉にピッタリな職業だとも思う。うん、悪くない。手に職だし、働き始めるのは皆より随分遅くなってしまうだろうけど…年棒だって悪くない。何より、父さんが喜ぶだろう。小さい頃に「ユーヤには跡を継いで欲しい」と何度か漏らしていたことを思い出した。
-----今度、相談してみよう。
にんまり笑って、医学部の赤本(同じ大学でも医学部だけ赤本が別になっているのがほとんどです)を引っ張った。
「詩織、ごめん。もう2冊…あれ?」
後ろで僕を待っていたハズの彼女がいない。不思議に思って職員室を覗いてみたけどいない。自習室にもいない。首を捻っていると下駄箱の中に彼女の靴が無いのに気がついた。
「コンビニ…かな?」
財布を持って外に出ると案の定詩織が外にいた。でも、一人ではない。やんややんやとテンション高い男達に囲まれて、一人の男の子と向かい合わせなっている。
-----告白されてるのか。
コンビニの前でよくやるよと思いつつ、塾に上がる階段の前に設置されている自販機にお金を入れた。今日の気分はサイダー。落ちてきた冷たい缶を手に取って、プシュっという小気味のいい音を聞きながら遠巻きに騒いでいる集団を眺める。前に告白をされていた時は僕の成績を持ち出して切り抜けた。でも、今回はどうするのだろう? 僕の成績が本当かどうかも分からないのに周りの人達が聞き入れるとは思わない。それに詩織が気づかない訳もないから…。
-----さぁどうする?
甘ったるい味を舌の上に感じると喉を痛快な痛みが駆け抜けていく。
「あ」
目が合った。そしてイタズラっぽい顔をする彼女。
嫌な予感はMAXだ。
「見られてるわ」
クスリと笑ってあからさまにこっちの方へ向いた。そう、詩織は答えを僕に丸投げしたのだ。面倒なことは全部押しつけられる。いつもしてやられるのは僕なのに、敢えて無茶ぶりをしてくるんだから…。
流れていく車を横目に見つつ、そっとため息を零した。
さて、どう切り抜けよう。僕がいる(彼氏と勘違いしている)くせに尚かつ告白してきた人にダメージを与えるには…思いつかないよ。
とりあえず詩織の前まで歩いてにっこり笑った。ええっと。
「ダメだよ、浮気しちゃ」
こんなジャブ。情けないとは思いつつも丸投げされた面倒を投げ返す。
「貴方なら分かってくれると思って」
最悪の答えだ。
心の中で、豪送球で投げ返してこないで!! と叫びつつ、言葉を選んで彼女の手を握った。
「よそ見ばっかりして油売ってないで勉強しよう。君の将来の為だよ」
戒めてやる。詩織じゃない、周りにいるやつらを。
僕の嫌みは伝わっただろうか?
ふっと笑って周りをこっそり見れば、明らかなダメージを受けた様子。しめしめと手を引くと、詩織の濡れた唇が開いた。
「だって、全然ヤキモチ焼いてくれないんだもの」
「ちょ」
なんだか嫌な予感がして振り返った。嫌な予感MAXどころじゃない、振り切れてる。爆弾発言必須だ。
急いで口を塞ごうとしたが躱され、代わりに微笑された。
「婚約者だからって、うつつを抜かしてるようだったから、たまにはお灸を据えたくなったのよ」
「ばっ」
逆に僕の口が詩織の白い手に塞がれた。
そして上がる悲鳴にも似た落胆の声。
僕にもその声を上げさせてくれ。彼氏からいきなり格上げ5段階(?)は皆もキツいよ。
「なんて…ね」
手を離すと同時に笑いながら男子の群れに振り返る詩織。が、やっぱり僕以外聞いちゃいなかった。皆廃人のようにポーッと空を見上げて人生とは何か、負け組は自分たちかと呟き続けていた。
かました本人は、あら? なんて言って首を傾げている。
「ブラックジョークは僕にしか通用しないことを覚えておくんだね」
パッと手を離して先に歩き始めた。
-----まぁこれで面倒ごとはなくなったかもね。
ポジティブに考えを持っていく。そう、受験生はつらい時期、せめて心の持ちようだけでも明るく振る舞いたい。階段に脚をかけた。
でも、僕にポジティブなんて言葉は無縁なのかも知れない。
その日中に僕らが婚約者だと言う噂は塾中にかけめぐり、Sカップルになじられてしまった。
「ねぇ、どうしてくれる?」
チロリと詩織を睨む。
彼女は顔を上げることもせず、古典の勉強をしながら和歌を詠んだ。
「底ひなぎ淵やはさわぐ山川の浅き瀬にこそあだ波はたて、よ」
「…はいはい、深く受け止めますよ」
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