キレる彼女
「はー。御馳走になりました」
「どう致しまして」
財布をポケットに突っ込みながら、店の外に出た。女の人だらけのお店から解放され、思いっきり伸びをする。
相変わらず街は人で溢れ帰っていて、相変わらず詩織は視線を一身に集めていた。
「ユーヤ、御馳走になりついでに頼みがあるんだけど」
「何?」
「いーから、いーから」
先に歩き出す詩織。
このまま別れて帰ろうと思っていたのに…とんだ誤算だ。が、断れる勇気もなく、こっそりため息をつきながら彼女の赤いスカートを追いかける。
「わーすっごい美人」
「スタイルもいいね」
「背も高ーい、モデルじゃないの?」
皆、振り向き様に詩織へ賞賛の声を上げていく。
小さな声なので数メートル前を歩く彼女には聞こえないようだ。全く意識することなく、自由にお店のマネキンに目を奪われてみたりショーウィンドウの中を覗き込んだりしている。
------確かに美人だよなー。不良少女でなけりゃきっと人気者なんだろうに。
「少しここで待ってて、ちょっと買い物してくる」
僕から100円を受け取ると、コンビニに入っていく。
待っている間、僕はゴミ箱の前であらぬ方向を見ていた。如何にも悪そうな顔をした奴らが彼女をニヤニヤしながら外から見ているからだ。
…詩織の…友達ですよね?
嫌な予感がプンプンする。
逃げるべきか、それとも…考えているうちに自動ドアが開いて詩織が出てきた。
「ごめんごめん。暑いのに待たせちゃったかな」
「何買ったの?」
「あとでわかるよ」
平静さを装って笑う。それに釣られて彼女も笑った。
「マジかよ」
「あんな奴が?」
「弟なんじゃね」
後ろからそんな声が聞こえてくる。
----僕で悪かったですね。聞こえてますよー。
「で、こっちに行くんだー」
「ああ、うん」
また歩き出す彼女の後を追いかける。
-----そりゃ僕が隣を歩いてたら、僕でも「マジかよ」って思うだろーな。
揺れる真っ赤なスカートから伸びる長い脚。細い腕、しなやかで天使の輪が何重にも出来た長い髪。整った顔。
よくよく見て改めて思う、かなりの美人だと。
ふと、さっきの悪そうなやつらを思い出し振り返ってみたが誰もいなかった。
-----嫌な予感、したんだけど。勘違いかな。
「こっちこっち」
まるでリードを離された犬のように、彼女に付いていく。
「…行き止まりだよ?」
「いいの」
民家と民家の間、塀間に立って彼女は振り返る。
そして何やらゴソゴソとポケットから取り出した。
「はい」
手が伸びてきて、顔を軽く押された。触ってみると、凸凹してしているのに素材はツルッとしたものがくっ付いている。
彼女の手にはバンソウコウの箱。
「バンソウコウ…貼ってくれたんだ」
「今度お金は返すから」
少しモジモジした様子を見せる。さすがに借りたお金で買ったバンソウコウでは、彼女も気まずいらしい。
僕は笑いながらお礼を言った。
「と、忘れるとこだった」
「何を?」
「キレさせてって言ったじゃん」
わ、忘れてなかったか。
うまく話をかわしたつもりだったのに、話を蒸し返されてしまって言葉を失う。たぶん、もう一度話を変えてもきっと詩織は思い出す。そうなればキレるまで彼女の相手をしなくてはならないだろう。
----キレたら逃げよう。そうだ、さっきのコンビニに逃げ込もう。
腹をくくって彼女の前に対峙する。
「どうすればいいんだっけ?」
「それも調べてくれるって言ったのにーもう。とりあえず今日の所はキレさせるだけでいいから」
「じゃ、じゃあ」
人を怒らせるってどうするんだっけ?
頭を抱えながらとりあえず悪口を言ってみる。
「馬鹿、アホ、ドジ、豚のケツ、お前の母ちゃんデベソ」
「ダメ」
首を振りながら冷静に言う彼女。
子どもじみ過ぎたかな。今度は心を込めて少し大人向けに言ってみる。
「せ、性格ブス、根性なし、愚の骨頂、嫌いだ、頭悪い、面倒くさい、死ね」
「全然ダメ」
「…結構な悪口なんだけど」
僕なら絶対に腹が立ちそうなんだけど。意外に心広いのかな。
普通の悪口がダメなのかも。そういえば昨日、キレた時はなんて言ったんだっけ…?
「あーいたいた」
「こんな人気のない所で何やってんの? 昼間っから」
角から先ほどのコンビニにいた連中が嫌な笑みを浮かべて出てきた。クチャクチャとガムを噛みつつ、ダラリとした格好をした男達が近づいてくる。
----やっぱり嫌な予感は当たってた!!
体は強ばり、顔は引きつる。心臓はバクバクと音を立てて脈打ち、危険だと耳に、脳に、知らせてくる。
「関係ないでしょ? 邪魔だからどっか行ってよ」
「つれないこと言うなよ、俺たちも仲間に入れて欲しいんだ」
「そうそう」
「こんな冴えなさそうな奴放っておいてさ、俺たちと遊ぼうぜ?」
「冴えないのはあんた達でしょう?」
腕を組んで見下したように言う。
顔を見たけど怒っているだけで、まだキレてはいないようだ。
----いっそのことプッツンしてくれれば…。いやいや、女の子だし危ないよやっぱり。昨日のだって詩織が倒してるとこ見た訳じゃないし。って、あれ? 彼女、一言も倒したなんて言ってない!! 服に付いた血は、自分のではないって言っただけだ!!
さぁーっと頭から血の気が引いていくのが分かった。
「酷いなぁ、優しい俺たちでもって怒っちゃうぞ」
「そうそう。いくら美人で可愛いからって言っていいことと悪いことが…」
「ああん?」
---ヤバい、キレた!?
2段階くらい低い声を出した詩織の声にそう思った。
が、ここで見境なくキレさせるわけにはいかない。相手はひ弱で気まで弱い僕とは違う不良少年達だ、しかも3人。キレたって女の子の力じゃ敵いっこない。
「待って」
思わず彼女の手を握る。
「ぼ、ぼ、僕がなんとかするから」
呆気にとられた顔を見ながら、笑ってみせる。
正直言って脚はガクブルだし、思考だってまとまっていない。言わなきゃ良かったって今この瞬間にも思ってる。でも、やられるなら2人での方がいい。
「馬鹿言わないで。あんな奴らなんてことないんだから」
キレたと思った彼女はいつもの表情で僕の手を振り払い、一歩前に出る。
-----あれ? キレてなかったんだ。せ、せっかく僕がやられる決心したっていうのに。
勇気を出した結果、空振りになったことに落胆を覚えた。
しかし詩織は驚くべき行動に出た。
「バーカ、アーホ。あんた達なんかより、ずっとユーヤの方が冴えてるし、イケてるんだから」
-----バカぁ、馬鹿はアンタです詩織さん!! なんてこと言ってくれるんですかぁ。
「ふざけんなよ」
「黙って聞いてりゃいい気になりやがって」
こめかみに青筋を立て、汚い言葉を次々に吐き捨てている。
後ろは壁、前は不良少年3人。
どっちにしろ、やられてしまう覚悟はしておいてよさそうだ。隙があれば詩織を連れて逃げよう。情けないが僕は『逃げる』を頭の中で選択した。
「まぁ待てよ、お前ら」
一人の男が他の男を制した。
「よく見てみろよ、女の顔だけは殴るなよ。あとでスル時、萎えっからさ」
「そうだなーじゃあ腹立った分は男の方殴って解消するか」
なぜ、なぜそうなるのだろう?
思考回路が理解できずに目が点になってしまう。
いや、そんなことを考えている場合ではない。どちらにしろ2人ともピンチには変わりない。
「楽しみだなー、こんな気が強い女見たことねぇもん」
「しかも超美人だしな」
「あ? 何が楽しみだって?」
詩織はスカートを少しめくり、右太ももの辺りから何やら黒くて細いものを取り出した。20センチほどの黒い棒を上下に降ると一気に伸び、唸るような音をあげる。
-----あれは警棒…? ってかキレてる。なんで?
僕が思考を終える前に、詩織は男達に向かって駆け出した。
-----速い!!
一瞬にして間を詰め、彼女の体がふわりと浮かび上がった。
地面と平行に蹴りを入れ、一番近くにいた男が僕とは反対方向に吹っ飛んでいく。しかし彼女は地面に叩き付けられることなく、地面に手をつき勢いを利用して立ち上がる。ドサリと男が倒れる音を合図に静寂が破られた。
「てめぇー女だからって手加減してれば!!」
殴り掛かってくる男の腕を危なげもなく躱し、詩織はその腕を警棒で叩き付ける。瞬間、嫌な音と男の唸るような声。腕を押さえる男の脇腹と首の付け根にさらに警棒が食い込み、男が地面に突っ伏した。
「く、クソ!」
赤いスカートから長い脚が繰り出されたかと思うと、丁度いい具合に最後の男が彼女の間合いに入ったのか、ガッという音と共に靴底と男が同時に地面に付いた。
僕の目には昨夜と同じ気を失った男達の姿が写っていた。あれは、彼女がやっぱり倒したんだ。
どこからともなく、体が震えた。
顔だけこっちを向け、鋭い視線で睨めつけられる。
-----殴られる!!
反射的に目をつぶって腕を顔の前にかざしてガードした。しかし殴られることはなく、冷たくて柔らかい感触が手を包み込んだ。
「やっぱり賭けは私の勝ち」
「え?」
驚いて目を開けると、にっこり笑っている詩織の顔が見えた。
「キレてたんじゃないの?」
「キレてたよ」
「え、なんで? 今…」
「昨日から不思議に思ってたんだけど、ユーヤに触るとプッツンが治まるみたい」
僕と彼女の間に生暖かい風が流れた。
-----何を言ってるんだ、意味が…。
「あー、馬鹿にしてる顔!! 本当なんだから、なんならもう1回キレて!!」
「わーーわかった、わかったよ」
「ユーヤは大丈夫なのに」
「それでも僕が怖い思いするから嫌なの」
冷静さを取り戻そうと深呼吸をする。
しかしある一定以上には腕が上がらない。見れば詩織の手が今だ繋がれたままだ。
顔に血が上ってくるのを感じつつ、慎重に質問する。
「触ってないとまたキレちゃうの?」
「や、大丈夫みたい。でも…昨日服の上から触った時はキレたままだったから、直接触らないとダメみたいだけどね」
言いながらパッと手が離れていく。
「で、賭けのことだけど」
「そういえば、賭けだったんだっけ?」
君が勝手に言い始めて、押し切られただけなんだけど。
「賭けだからね、絶対に破らないでよ」
「破ったら?」
「絶対ユーヤに触れないようにしてボコボコにする」
-------僕には断る選択さえ出来ないわけね。
泣きたい気持ちを押さえて、頷いた。
「私のそばにいてほしい」