別府とりっぷ #7
氷を食べ終わると、ヤユちゃんが手を出して来た。
「捨ててきます」
「え、悪いよ」
「いいんです。手も洗いたいので」
見せて来た手には抹茶の色が少量付着していた。なるほど、ちょっと零してしまったらしい。
「私も行くわ。ヤユちゃん一人じゃ心配だもの」
「あ、子ども扱いしました?」
「14歳でしょ?」
プ〜と頬を膨らませて、ヤユちゃんは小鉄さんのカップも回収する。
「すぐ戻るわね」
笑いながら歩いていく二人。美少女が二人も集まると、いつもの倍、いやそれ以上に目立つようでまわりが振り返る。きっとまわりには美人姉妹に映っていることだろう。
(でも、逆にヤユちゃんとなら安心かな)
詩織は美人と言われるとキレるけれど、自分だと認識しないとキレたりしない。ヤユちゃんと一緒にいれば彼女が美人だと言われたのだと思って詩織もキレるようなことはないだろう。彼女は結構自分の容姿に対して、過小評価気味なのだ。
(ヤユちゃんが美人って言わなければ大丈夫……って、あ!)
彼女に、詩織のこと美人って言わないでくれと頼んでいなかったことを思い出した。ヤバい!
顔面蒼白で立ち上がる。
小鉄さんも徐に立ち上がった。
「遅い」
「え?」
彼が嵌めている腕時計を指差した。彼女たちが手を洗いに行くと言って、いつの間にか10分も過ぎていた。
「まさか!」
詩織がヤユちゃんにキレた!? それとも!?
売店の端にあるトイレにかけた。
「退いてっていってるのよ、変態!」
「いいじゃん、なぁ?」
「もうすぐここも閉まっちゃうし。行くと来ないなら俺たちの宿に行こうよ」
「行かないって言ってるでしょ! 連れがいるの!」
「わかったわかった連れはいる。でも、全然迎え来ないね。俺らが怖くて逃げ出したりしてるんじゃないかな?」
詩織と男たちの声が、トイレ付近から響いてくる。
まわりには人だかりが形成されつつある。のに、誰も近づこうとはしない。
「すみません、通してください!」
人ごみを割ってトイレに近づく。
が、詩織の姿もヤユちゃんの姿も見えない。声はピンクの表札が飾られたトイレ構内から声がして来ていた。
(え、ちょ。どうしよ)
一瞬ひるんでしまった。男の僕が入っていってしまってもいいのだろうか。でも、詩織たちの声は明らかに女子トイレからで……。
僕の前を足を止めることも表情を変えることもせず、小鉄さんが堂々女子トイレに入っていった。ザワツく聴衆。僕もそんな彼にビビってしまったけれど、すぐに続いてトイレに侵入した。
女子トイレには6人ほどの男たちが、詩織とヤユちゃんを囲むようにして立っていた。真ん中で詩織が構えて女の子を護る体勢をとっている。
(ヤバい、確か一気に相手できるのは3、4人だったはず!)
「いいじゃん。それとも美人は俺たちなんて相手しないってか?」
その言葉に、詩織が躍動した。爆発したように目の前の男のスネに蹴りを喰らわせ、うずくまった上半身に容赦なく踵落しを喰らわせた。
「クソ!」
踵落しを喰らう男を脇目に一人の男が詩織の隙をついて、ヤユちゃんの腕を引っ張った。
「やめてください!」
「女、動くな! この女がどうなってもいいのか!?」
人質を取られた恰好となった詩織が、キレた状態とは言え反応を鈍らせた。
僕も、ここからでは男たちが邪魔で彼女の場所ですぐには辿り着けない。どうする……まわりを見渡した瞬間だった。
「いいわけない」
いつの間にか、小鉄さんがヤユちゃんを人質に取る件の男の背後に立っていた。
「ふぇ?」
素っ頓狂な声を上げて男が彼を見上げる。筋肉質の腕がヤユちゃんを掴む腕を捻り上げた。男の悲鳴が上がる。が、小鉄さんの動きは止まらない。無駄のない動きで男のズボンをもった。
「え、おいちょ、浮いて?」
途端に男の身体が宙に浮かび、足が馬鹿みたいにバタバタ動く。次の瞬間。小鉄さんの身体が反り返ってバックドロップを繰り出した。
ガゴン!
(べべべ、便器が!)
飛び取る洋式便器の白い破片。堪っていた水が男の顔を罰するように濡らした。
静まり返るトイレ内で、小鉄さんが腹筋を使って体勢を戻した。詩織と同じようにミゾオチと顔の前で構える動きは洗練されていた。
「頭冷やしたいヤツは来い」
「「ひいぃいいいい!」」
僕も情けなく叫んだ。だって、来いと言いつつ近づいてくるんだもの! しかも瞳孔開ききってるし!
後ずさりした男が一人、トイレの床に沈んだ。未だキレたままの詩織の蹴りだった。
「チョイ待……うご!」
詩織がアッパーカットを入れ、すぐさま回し蹴りをする。次々に男たちが倒れていく。するとコレ幸いと、まるでターミネーターみたいに無表情で無機質なまま、小鉄さんは倒れた男たちのお尻を蹴り上げて、便器に顔を突っ込んでいった。汚物は汚物の行く場所に帰れと言わんばかりに。
(じじじ、地獄は本当の地獄はここだよ! って、そうじゃない!)
地獄を作り出している閻魔な彼女に駆け寄った。ちょうど彼女が最後の男のミゾオチに突きを喰らわせたところだった。
「詩織、止めるんだ!」
チッと彼女の指先が僕に触れた。
怒気の籠った瞳が一瞬にして、柔らかな印象に戻った。
「はぁ、もう大丈夫かな?」
「えぇ。ありがとうユーヤ」
はにかむ彼女に、安堵の息を切った。視線を下げると、小鉄さんが破壊したせいで漏れ出した水(といっても綺麗なやつだけど)が足元まで来ていた。
「早く出よう。靴がビチャビチャになるよ」
「えぇ。その前に、アレ……見て」
チョイチョイと指差す先には。いつの間にかヤユちゃんを洗面台に座らせて、その前に仁王立ちして彼女を見下ろす小鉄さんの姿。
「大丈夫か?」
「はい、すみません。いつもすぐに連絡するように言われてちょるのに……動けなくて……」
思わず詩織と顔を見合わせた。
彼らの言動に引っかかりを覚えたからだ。
「知り合いだったの?」
詩織が聞くとハッとした顔でヤユちゃんがこちらに顔を向けた。
彼女から小さな叫び声上がった。小鉄さんがヤユちゃんを片手で脇に抱えたのだ。
(あれ?)
眉をひそめた。彼のその動きに見覚えがあったからだ。昨日の、詩織の思い出の場所で出逢った羊男とオオカミ少女のそれに凄く似ている。
「あ、あ。下ろしてください小鉄さん。一人で歩けますから」
「ヤユちゃんを濡らすつもりはない」
拒否し、小鉄さんはそのままトイレを出て行った。もちろん彼女の身体は地面に下ろされることはない。
それを見ていた詩織の目がキラキラと輝きながら僕を見上げた。
「ユーヤ。私も!」
イタズラに詩織が笑って、小首を傾げ、抱っこしてほしいというように両手を出して来た。可愛い。可愛いし、今すぐ抱きしめたいんだけど……。ここを出たら人がいることを僕は覚えている。ヘタレな僕は小鉄さんのように人前で色々と堂々できる訳がない。
「力関係だと、確実に僕がヤユちゃんポジションじゃない?」
血色の良い頬が膨らんだ。