クッキー
夕食。
私はクッキーを持って食堂へ行った。
エリザベスに、ルークとナーザントに渡すようにって言われたのだ。ナーザントはともかく、ルークにならエリザベスが渡した方がいい気もするのだけれど。
まだ公式ではないけれど、ナーザント、もといレイノルドは義兄である。
作ったクッキーを差し入れするのは、当然と言えばその通りだ。
「こんばんは、アリサさん」
「相変わらず、一人だな、アリサは」
「こんばんは。ルークさま、ナーザントさま」
ルークと共にナーザントがやってきて、いつもと同じように私の前に二人並んで座る。
まだ義兄と呼ぶのはためらわれ、どうしても家名呼びをしてしまう。
ナーザントは少しだけ苦笑した。もっとも、私の名前を呼び捨てにしないあたり、彼もまだ遠慮というかためらいがあるのだろう。
「家名呼びはやめましょうと言いましたけど?」
「正式に決まるまでは、ご迷惑がかかるといけませんので」
「そういうところ、本当に律儀ですよね」
ナーザントは苦笑する。
「アリサは信じがたいほど用心深いからな」
ルークは頷く。
「万が一にでも審査が通らなかった時を考えると、学院では今まで通りにしておきたいのだろう」
「万が一とか、あり得ないのですけどねえ」
ナーザントは軽く肩をすぼめた。
「なんと言ってもマクゼガルド公爵のお墨付きですし、皇太子殿下自ら立ち会ってくださいましたから。これで決まらないとしたら、この国がひっくり返る時ですよ」
「それは……そうだとは思うのですが」
正直に言えば。
私はナーザント侯爵家の名前を背負うのが怖い。
養女とはいえ、侯爵家の娘となる以上、礼儀作法や立ち居振る舞いは今のままではダメだ。
少なくともマナーの授業でつまずいているようでは、お話にならない。
「アリサは、信じがたいほど自分に自信がないからな」
ルークは夕食の魚にナイフを入れる。その所作がとても美しい。
「努力で得られなかったモノ、学んでいなかったモノに自信がないのは仕方がないことだ。ただ、今アリサが持っていないと自分で思っていることは、お前が努力してきたいろいろなことでカバーできる。だからこその養子縁組だ。もっと自分に自信を持っていい」
「……はい」
努力してきたことを認めてもらえた結果なのだとはわかっている。
「もっとも、急に変えることはできないだろうからな。ゆっくりでいいんじゃないか?」
「そうはおっしゃいますが、たぶんひと月も経たぬうちに許可は下りるでしょうね」
ナーザントはパンにバターを丁寧に塗っている。
彼はバターたっぷりが好みだ。剣術をやっている彼は、いわば体育会系男子。上品であっても、食の好みはスタミナ系というところなのだろう。
「そんなに早く?」
「殿下が介入されましたからねえ。すべてにおいて最短で処理されるでしょう」
ナーザントが柔らかく微笑む。
「認可が下りる前に、決めておかねばならないことはたくさんあります。寮の部屋をどうするかとか、屋敷との連絡法についてとか、使用人をつけるのかとか」
それらは私の事情というよりは、ナーザント侯爵家としての『格』の問題なのだろうと思う。
養女とはいえ、『娘』となる限りは、ただの『名義貸し』にしてもそれなりの生活を保障しないと、ナーザント家の『誠実さ』を疑われる。
「それに。認可が下りたら、すぐにでもお披露目パーティを開き、社交界デビューをさせたいと母が手ぐすねを引いていますからね」
「社交界!」
夏休みにニーハでルークの誕生会にプチ参加はさせてもらったけれど、あれは『社交界』とは言い難いらしい。集まったメンバーから見てあれ以上『高貴』な界はあり得ないのだけれど、内輪のプチパーティ扱いということなのだそうだ。
「さすがに早くないか?」
ルークが心配そうに口をはさむ。
「貴族令嬢のデビューと考えたら、むしろ遅いですよ」
貴族の子女は、たいていは学院に入学する前に社交界にデビューしている。
だから学院でも顔見知りが多いし、連帯感があったりしているわけだ。
「でも私、その、淑女としてのマナーに不安が。ダンスも踊れませんし」
「大丈夫です。デビューの時は私が義兄としてエスコートしますから」
「……はい」
とりあえずダンスとマナーの授業、頑張らないと。
「レイノルドがエスコートするのか?」
「それはそうですよ。義兄ですから。もっとも父もエスコートしたがるかもしれませんがね」
ナーザントは楽しそうだ。
その優しい目は今まで彼を見た中で、一番穏やかな気がする。家族になるという選択を私が受け入れたことで、何かを乗り越えたのかもしれない。
「そういえば、お二人に少しずつですがこれを」
私はクッキーのつつみをルークとナーザントに渡した。
「今日、学院祭用のクッキーの試作をしましたので、おすそわけです」
「この前の?」
「はい。今日は殿下も一緒に作りました。殿下がとても器用で」
「まあ、エリザベスが率先してやるからには殿下もそうなるか」
ルークが苦笑する。
「かなりロイヤルなお菓子ですね」
「そうですね。食べ残したら不敬罪になりそうです」
グレイもエリザベスも、そんなことで人を罰したりする人ではないけれど。
「学院祭の頃には、アリサさんは侯爵家の人間になっていそうですから、後夜祭のドレスも用意させないと」
「あの……私は、後夜祭は裏方なので」
「ああ、そうか」
ナーザントは首を傾ける。
「実行委員でしたね」
「社交界はともかく、学院でアリサを必要以上に目立たせるのは、まずい」
こほん、とルークが咳払いをする。
「学院祭は誰が来るのかわからん。俺たちも生徒会だからあまり目を配れないしな」
「本当に私は狙われているのでしょうか?」
ルークの話を疑うわけではないけれど。
学院祭はいくら部外者がはいってくるとはいえ、警備は決して緩くはない。かなり難しいことだと思う。
「杞憂であればいいと思っている」
ルークの目はかなり真剣だ。
「ただ水面下で、かなり何かが動いている。部外者だけが危ないというものではないしな」
「まさか、そんなことが──」
あるわけないと言いかけて。
ちょうど今は、原作の私がニギリアの信者として手下を増やし、学院で派閥を作っていた時期に重なる。
現実の私はニギリアの信者ではないし、手下もいない。
ただ。
原作の私もオーフェの神殿出身で、オーフェの加護を受けていたとしたら。
学院のどこかで、ニギリアの信者と接触し、堕ちていった可能性もある。
ニギリアの信者は邪神の刻印を受けた私を狙っているらしいけれど、本当に標的は私なのだろうか?
小説と同じで、光の巫女であるエリザベスって可能性はある。
もしそうなら、私がエリザベスを守らなきゃ。
「心配しなくても大丈夫ですよ。私の義妹に護衛がいたところで、何の不思議もありません。必要とあれば、今からでもつけます」
ナーザントがにこやかに笑う。
「そのために、私はあなたの義兄になったのです。恩に着てくださいよ? ルークさま」
「へ?」
なぜそこで、ルークが恩に着なければいけないのだろう?
コホッ
ルークは、飲んだものが気道に入ったのかむせたらしい。
「そもそも私が義兄風吹かせられる期間は短そうですからねえ。大義名分を手に入れたら、なりふり構わなくなるでしょうから」
「レイノルド、お前──」
「違わないのですか?」
ナーザントはまるでルークを煽っているかのようだ。
「あの?」
「アリサは気にするな。大した話じゃない」
ルークはナーザントの方をちらりと睨むと、大きくため息をついた。




