マリアに報告です
養女の話が出たと話した時、寮の同室のマリアは、エリザベスと全く違う視点で心配をしてくれた。
貴族の家に養子縁組されたものの、虐げられるなんて話は、実は珍しいものではない。
たとえ当主にその気がなくても家族全員が歓迎するとは限らないし、不満や欲望のはけ口の対象になってしまったりもする。
裕福な商家出身だと、単に『金づる』として見られて、吸い上げるだけ吸い上げられて、少しでも実家が傾くと追い出されるなんてのも、ざららしい。私の場合吸い上げられるものはないから、その心配はないのだけれど。
貴族が思う以上に、平民と貴族の間には壁があって、それを乗り越えることは難しい。財力ではちょっとした貴族を上回るホヌス商会の令嬢であるだけに、マリアは余計にそのことを知っているのだろう。
マリアなりに、商家のつてで、ナーザント侯爵家の評判とか調べてくれたりもした。
「それで、アリサ、寮の部屋を変わるの?」
養女の報告をすると、マリアは開口一番にそれを聞いてきた。
同室のマリアから見れば、何よりもそれが先に浮かんで当然だ。
侯爵家からいただいてきたクッキーを二人で頂きながら、マリアのいれてくれたお茶をいただく。
使役精霊のリゲルも一緒だ。リゲルは私の膝の上にのって、まどろんでいる。あいかわらず、生きているとしか思えない温かさ。水色の毛並みはふさふさで気持ちい。
リゲルのことについては、マリアには話してある。もっとも、マクゼガルド公爵家のものだとは話していない。彼女にはオーフェの神官長がつけてくれたものだと話した。ちょっと心苦しい。
「まだわからないです」
ルークは前に私をせめてセカンドエリアに移したいと言っていたけれど。
それだけでなくて、侯爵家の家格を考えるとこのままここにいるのは不自然なのかもしれない。
ただ、そうなるとナーザント家にかなり出資してもらわないといけなくなる。今の私はまだ、そこまでナーザント家に甘える覚悟が出来ていない。
でも、私自身が本当に狙われているとしたら、ここにいたらマリアを巻き込んでしまう可能性もある。
「まだ養子縁組の許可が下りるとも限りませんから」
「皇太子が立ち会ったのに、許可が下りないとかありえないと思うけど?」
マリアが苦笑する。
それはそうなのだけれど。
「長いと手続きに一年くらいかかるそうなのです。陛下の他に貴族会議とかにも許可がいるそうで」
「侯爵家の養子縁組だものねえ」
下級貴族の場合は、それほど審査は厳しくないらしいのだけれど、上級貴族になるとそういうわけにはいかない。
「一応、縁組が決定する前でも支援はしてくださるとの話なのですが、学院には認可が下りた後の報告になりますし」
侯爵家の名前に傷をつけるわけにはいかないから、認可が下りる前に今の生活を大きく変えるのはためらわれる。
寮の部屋はもちろん、食堂の仕事もそのまま続けるつもりだ。
「アリサってば、本当に真面目なのね」
マリアはため息をつく。
「お仕事は辞めてもいいのではないの?」
「ええと。でも。食堂のお仕事は楽しいです」
みんないい人ばかりだし、出してもらう賄いもとても美味しいのだ。
「だからできれば、辞めるにしてもきちんと理由をお話して、辞めたいのです」
仕事は辞めたとしても、食堂にはこの先もお世話になるのだ。きちんとしたい。
「そっか。そうなると、養子縁組が決定してからってことね」
マリアは頷く。
「養子縁組が決まったら、アリサの人生が一変しそうね」
「そんなことは」
私は首を振る。
どんなに環境が変わっても私は私だ。貴族になったら、突然淑女になるわけでもない。
「うん。アリサはそうなっても変わらない人だとわかっているよ? でも、周囲は変わるわ。例えばうちの父親とか、きっと目の色を変えるもの」
「どうして?」
「娘の同室が侯爵家の養女になったとなったら、当然そのツテを逃さないって食らいつくくらいには、商売人だから」
マリアの実家、ホヌス商会と言えば、帝国でも指折りの商会だ。当然やり手だろう。
「たぶん、アリサは、私が学院で得られる最大の人脈になるもの」
「最大はオーバーなのでは?」
「皇太子とか皇太子妃につながる人脈より大きなつながりは出来ないと思うし」
マリアはくすりと笑う。
確かにこの国の中枢人物と『仲が良い』というのは、価値があることなのかもしれない。最初はエリザベスやグレイには近づかないでいようとしたのに不思議なものだ。
そういえばナーザント──レイノルドに何度も私に価値があると言われた。きっとそのあたりのことなのだろうな。
「もともと養女の件がなくても、アリサが最大に決まっている。それは当然よ。アリサは誰よりも努力して、誰よりも苦労もしているのだから」
「そんなことは」
「あるわよ」
マリアは肩をすくめた。
「特待生であり続けるために、誰よりも勉強をしているし、休日だってお仕事をしているもの」
「それは……」
夢をかなえるにはこの学院を卒業しないといけない。この学院に通い続けるには、それしかなくて──だから、私にとってはそれが当たり前なのだ。
「今回のお話だって、アリサが努力した結果だよ」
「うん。ありがとう」
マリアにそんなふうに言ってもらえたのは嬉しい。
たぶん。一番近くで私を見てくれていた人だ。いろいろ迷惑もかけている。
「でも、これで、アリサに求婚する男子が急増するかも?」
膝の上のリゲルが起き上がって、私を見上げてきた。くるりとした瞳がとても可愛い。
「貴族になるだけで?」
「だって、侯爵令嬢になるのだもの。そうでなくても、アリサはモテるのだから」
「そのアリサは私と違う気がします」
私はいつもぼっちに近い。食堂で話しかけてくるのはルークとレイノルドだけだし、クラスでもエリザベス以外の人物とあまり話さない。
そう話すと。
「マクゼガルド公子とナーザント侯爵令息の指定席に割り込める無謀な男子が存在しないだけよ。クラスだって、公女様と一緒なのでしょう? 少なくとも夕食時に関しては、このままお二人が卒業したら、状況は変わると思うの。ねー、リゲルちゃん」
マリアは何故かリゲルの顔を覗き込む。
妖精犬は少し居心地が悪いのか、首をやや傾けて「くぅん」と鳴いた。




