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恋する暇などありません!  作者: 秋月 忍
一学期

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マクゼガルド家 5

 公爵は執務室に出た段階で私に休んでいくように言ったのだが、ルークが客室のほうが落ち着くだろうからと言い張った。

 まだ歩けそうもなかった私は、休んでいくといったのだけれど。

「あの。重くないですか?」

 今さらながら、私はルークに質問する。短い時間ならともかく、もうかなり長い間ルークは私を抱き上げているのだ。いくら鍛えているとはいえ、しんどいのではないのだろうか。

 重力軽減の魔術は生きているものには使えない。つまり私の体重ダイレクトの重さを抱きかかえているのだから。

「別に。お前、もっと食べたほうがいいぞ?」

 ルークはなんてことないって顔で答える。

 廊下を歩いていくとき、使用人のかたと何人かすれ違った。みんな表情を消して会釈していたけれど、たぶん好意的にはみてくれないだろうなと思う。

 ルークには婚約者がいない。そして私とルークに恋愛感情がないとしても、やはり望ましいとは思えない。

「ご迷惑をおかけしてすみません」

「迷惑だとは思っていない」

 ルークが優しい笑みを浮かべる。至近距離の笑みは破壊力抜群で、ただでさえ激しい鼓動がさらに早くなった。

 子供の頃。

 いつか王子さまが現れて、結婚して素敵なお城に住むって夢を見た。

 今の状況は、そんな幼いころに見た夢のような状況だと思う。

 思わず甘い夢に溺れそうになる。

 でもその夢は甘美だけれど、絶対に届かない。こんなに近くにいても、本当は遠いものだ。

 そんなことを考えていると、ようやく客室に戻ってこれた。

「すまなかったな」

 ルークは私を丁寧にソファの上におろしてくれた。

 そして水差しから水を注いで、私の前に置く。

「父上はアリサの魔力がどの程度か見たかったのだと思う」

「魔力を?」

「アリサは特待生だからな。マクゼガルド家としても注目している」

 ルークの目は真剣で、お世辞や冗談ではないとわかった。

「光栄です」

 そういえば、各貴族はお抱えの魔術師を持つって、前に聞いていた。

「今、マクゼガルド家には魔術師はいらっしゃらないのですか?」

「少し前までいたのだが、引退してね」

 私はルークの入れてくれたコップに手をのばした。

 マクゼガルド家は、みな優秀な魔術師だ。ルークもエリザベスも魔力が高い。わざわざ雇わずとも、なんとかなるだろう。急ぐ必要はないということだろう。

 侍女たちだって、初歩の魔術は使える人が多いみたいだった。

「とはいえ、アリサは優秀な魔術師の卵だ。ちょっと気になったのだろう」

「そうですか」

 私はコップに口をつける。冷たい水が喉に流れた。

 気にしてはくれたのかもしれないけれど、たぶん、私を雇うようなことにはならないだろう。

 マクゼガルド家は公爵だ。平民の私の就職先としては、家格が高すぎる。

 まだどこを目指すかなんて決めていないけれど。

「夕食までまだ間がある。ゆっくり休め」

「でも、私、働かないと」

 私は働くという条件でここに来たのだ。こんな素敵なお部屋でゆったりしているなんて、申しわけないと思う。

「さっきも言っただろう? お前はうちの護り石に十分すぎる魔力を注いだ。あれで今日の仕事は終わりだ。あとはエリザベスの友人としてくつろげばいい」

「でも」

 どう考えても、待遇が良すぎる気がする。私は皿洗いとか床磨きとか初日からするつもりだったのに。

「いいから休め。明日使い物にならないと、そっちの方が困る」

「はい……」

 言われてみればその通りだ。私は座り心地の良いソファに身体をうずめ、少し休むことにした。



 マナベルに案内されて、私は食堂へと向かう。

 一時的な魔力切れは、ソファでうたたねしたことで回復した。あそこでルークが制止してくれたから、大したことはなかったのだろう。

 本当は夕食にアフタヌーンドレスというのは相応しくないのだろうなあとは思ったけれど、結局何を着ても相応しくないだろうから着替えなかった。

 今日は客は私一人。マクゼガルド家が恥をかくことはない。相応しいドレスでなくて恥をかくのは私だけだから。

 食堂は落ち着いた感じで、装飾は少なめだった。ここはマクゼガルド家のプライベート。家族の空間だからなのだろう。

 それでも、壁には素敵な絵画がかかっているし、白のテーブルクロスは染み一つない。

 食堂に入ると既に公爵家全員が席に座っていた。完全に客人扱いである。身体がこわばった。

 頭の中で、礼儀作法について反芻する。習ったことはまだ十分ではない。何かやらかしてしまうかもしれない。

 ルークが立ち上がり、マナベルの後ろに立っていた私の手を取った。

「母に紹介する」

「はい」

 もちろんご挨拶は必要だ。だけど。

 ルークは当たり前のように私をエスコートする。ただでさえ緊張していたのに、私はさらに緊張してしまう。身体の動きは優雅とは程遠く、ギクシャクとしか動かない。

「母上、エリザベスの友人のアリサだ」

 公爵夫人は、美しいアイスブルーの髪をしていた。目は少し吊り目だから、エリザベスと一緒で少しだけとっつきにくい感じがする。

「アリサ・トラウです」

 私は緊張しながらぎこちなく淑女の礼をした。

「こんにちは、アリサさん。娘と仲良くしてくれてありがとう」

 優しい温かな声だった。柔らかな笑顔にホッとする。

「こちらこそとてもよくしていただいております」

「今日はよく来てくださったわ。愚息が無理を言ってごめんなさいね」

「いえ。あの、お言葉に甘えてしまって申し訳ございません」

 私は慌てて頭を下げる。『働く』を免罪符にしていたけれど、こんなにもてなしてもらうとどうしたらいいのかわからなくなってしまう。

「イライザ、そのへんにしよう。アリサ君、席に座ってくれ」

 公爵に促され、私は自分に用意された席へとルークに案内され椅子を引かれる。

「ありがとうございます」

 全身緊張しているので、一つ一つの動作がどこかおかしいのだけれど、マクゼガルド家の人々はそれを見て蔑んだり笑ったりはしなかった。

 本当に優しい人たちだ。

 私が席に着くと、料理が運ばれてきた。美味しそうな香りが漂う。

「アリサ君はどちらの出身だね?」

 公爵がにこやかに問いかけた。

「はい。ヴァンの港町です」

 私は姿勢を正して答えた。

「ヴァン。ああうちの領地のすぐそばだねえ」

「そうですか」

 私は頷く。ヴァンは小さな町だが皇族の直轄地だ。帝都から随分と離れているし、大きな港があるわけでもない。

「どうだね? 内陸の帝都は」

「はい。最初は波の音が聞こえないのが落ち着きませんでした」

 私のいた神殿は海の近くだった。常にどこかで波の音が聞こえていた。

「あと、風が潮をはらんでいません。それが一番違うと思いました」

 鼻孔をくすぐる潮の香は、当たり前だった。

「アリサは、風のオーフェの神殿育ちなの」

 エリザベスが口を添える。

「ああ、だからそんなに強い風の加護があるのね。ルークが放置出来ないわけだわ」

 得心したというように、公爵夫人が頷いた。



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