テスト
必死に勉強したこともあって、ほぼ順調にテストが終わった。
今日はテストの結果発表の日である。
テスト結果は、廊下に張り出されることになっていて、その後で一斉にテストが返ってくる仕組みだ。
私としては、特待生でいられるかどうか──つまり、この学院にいられるかどうかがかかっている。
エリザベスと一緒に廊下に出て、緊張しながら張り出された順位を見に行った。
私の名前は、一番端、つまり一位の位置にあった。
「よかった……」
一位、アリサ・トラウという部分を見て、私はホッとする。
二位は、グレイ。三位は、ビル・クォーツ。エリザベスは五位だった。
グレイは張り出された順位表を見て、ほんの少しだけ悔しそうな顔をしたけれど、私が見ているのに気づくと、にこやかに笑った。
さすが皇太子さま。人間が出来ている。
「アリサ、すごいわ」
エリザベスがパチパチと手を叩く。
「エリザベスさまと私、それほど点差はありませんから、運が良かったのだと思います」
実際、一位から五位までの点差は、十点差。私とグレイの差は、わずか一点だ。
たまたま運がよかった、というだけの一位だと思う。
「特待生って、本当に無礼なのね。殿下の上に立つなんて」
厭味ったらしい声がした。明らかに私に聞かせようとして言っている声の大きさだ。がやがやとしていた廊下がしんと静まり返る。
声の主はナーサ・メグゼ伯爵令嬢だった。
カンダスの怒りを買って部から追い出された令嬢だ。
たぶん、私のことを覚えていて、腹が立ったのだろう。
「無礼なのは、あなたの方では?」
静かな廊下に、低い声が響く。
ビル・クォーツだった。少し影のある顔つきは変わらなかったが、この前に林で見た時のような恐怖は感じない。この前は私の精神状態がおかしかったのだろう。やっぱり普通の人だ。
「何よ。あなた、同じ特待生だからって肩を持つ気なの?」
メグゼがいらいらとした声で反論する。
「あなたは、殿下の上に立つのが無礼だとおっしゃった。つまりだ。殿下に忖度して、一位にならないようにすることが正しいと言ったわけです」
「そ、そうよ。いけない?」
クォーツは大きくため息をついた。
「あなたの言い分では、今後殿下が一位になった時は、全員が忖度したということになりますよ。それは、殿下の努力に対しての最大の侮辱になると思うのですが」
「な、何よ、子爵家の分際で!」
メグゼは大声で叫ぶ。
ああ。このひとは、カンダスにあれほど言われたのに、少しも変わっていないのだ。
「ほう。では、伯爵家の令嬢のあなたは、何位に入っているのですか? みたところここに張り出されている三十位以内にはいらっしゃらないようですね。そこまで忖度なさっているとは、なんと奥ゆかしい方なのかと尊敬いたします」
クォーツは冷ややかに微笑む。容赦がないとはこのことだ。
メグゼは顔を真っ青にして走り去った。
周囲にざわめきが戻ってくる。
クォーツは私たちの方へと歩いてきた。
「ありがとうございました」
私は礼を述べる。
「お礼を言われることはしていない。次は我が身と思ってのことだ」
クォーツは不機嫌に答えた。よほど腹を立てていたらしい。
「私からも礼を言う。変な忖度などしてほしくない」
グレイの言葉に、クォーツは丁寧に頭を下げた。
「ビル・クォーツと申します。殿下にお名前を憶えていただければ、嬉しいですね」
「ああ、覚えておこう」
グレイが頷くと、クォーツは満足そうに笑んで、一瞬、こちらを鋭い目で見た。
彼が見たのは、私なのかそれとも隣にいたエリザベスなのかはわからない。けれど、また背中がゾワリとした。
このまえの第一印象の刷り込みのせいかもしれない。
助けてもらったのに、こんなことを思うのは失礼だ。
それなのに。なんだか風が騒いでいるような気がした。
テストが終わったら、エリザベスの誕生日。
金曜日の放課後、私は神官長さまに買っていただいたドレスを着て、ファーストエリアへと向かう。
私にとっては、一番のオシャレ着だけれど、たぶんこれは日常着の類だろう。コルセットがいらないタイプだし、デザインがちょっとゆったりしている。色は薄い赤紫色。袖も長くて、いわゆるアフタヌーンドレス系。夜会で着られる露出度の高いイブニングドレスとは違うものだ。
ちなみに神官服とワンピースも持ってきたけれど、公爵家のお屋敷で、私は何を着たらいいのかわからない。お仕着せを貸してもらえるとは聞いているけれど、お屋敷にいる間、ずっとそれを着ていていいものだろうか。このドレスでもいいけれど、やっぱり変かもしれない。
エリザベスにルークから出された条件を話したら、妙に感心していた。
でも、エリザベスは私の夜会用のドレスを見たかったらしい。いや、無理。そもそもイブニングドレスなんて持ってない。
夕日が傾き始めている。
金曜のこの時間は、各寮のエリアは馬車が行き交う。
ファーストエリアの寮の一階のエントランスで待ち合わせだけれど、やっぱりエリアに入るだけで緊張する。
サードエリアの人間が入ってきたのがわかるのか、衛兵がじっとこちらを見ていて、居心地が悪い。
大きな荷物抱えて、エリアをまたいでくれば怪しいと思わるのは、しょうがないとは思う。
寮の一階に入ると、コンシェルジュをしている男性と目が合った。
この前訪れた時と人が違う。きっと交代制なのだろう。随分若い男性だ。
私はエントランスの隅に立ち、エリザベスたちを待つ。
ずっとコンシェルジュが見ている気がするけれど、そこまで怪しいものではないので、許して欲しい。
結構人通りも多いので、隅っこに立っているのに、じろじろ見られる。
ファーストエリアに住んでいるのは上級貴族だから、みんな顔見知りだ。知らない人間はすぐわかってしまう。やっぱり、せめて寮の外で待っていると言えばよかった。
「トラウ嬢?」
突然声を掛けられて、顔を上げる。
「ナーザントさま」
知った顔にホッとした。出会いは最悪だったが、それほど悪い人でもない。
真面目で、思い込みが激しいけど。
ナーザントは白のジャケットを羽織っている。少しフリルの入ったシャツを中に着ていて、どこの王子さまかと思うほど、よく似あっていた。
「どうしたのです?」
ここに私がいるのが不思議だったのだろう。
そう言えば、この人、最近私に敬語を使うようになった。そんな必要は全然ないと思うけれど、この前のことをまだ気にしているのかもしれない。
「エリザベスさまと待ち合わせなのです」
「ああ。なるほど」
ナーザントは私を上から下までゆっくりと見ている。
「あの……そんなにおかしいですか?」
着なれていないドレスではなく、神官服の方がよかっただろうか。あれはあれで、目立つけど。
「いえ。古典的なデザインが、あなたによく似あっていると思いまして」
「古典的……」
つまりは古臭いデザインってことか。まあ、古着だからしかたない。
悪意はなさそうなので、嫌みを言われているわけではないとは思う。
「ドレス姿が危険、か」
「はい?」
ナーザントは何かを得心したように呟く。何を言っているのだろう。
「ここに来るまで、いつもと変わったことはありませんでしたか?」
くすりとナーザントが意味ありげに笑った。
「いえ? ああ、でも一人なのですごくたくさんの人の視線を感じますね。不審者扱いで困ってしまいます」
「不審者?」
ナーザントは首をかしげた。
「そうです。あそこのコンシェルジュさんも、私をずっと見張ってます」
私がさりげなくコンシェルジュに目を向けると、やっぱりこっちを見ていた。
さっきより顔が険しくなっている。
それを見たナーザントはぷっと噴き出した。
「あれは、不審者と思ってみているわけじゃないですよ」
くすくすとナーザントは笑う。
「むしろ、彼が今外に放り出したいのは、私の方じゃないかな」
「それはどういう意味でしょうか?」
「ほら、ルークさまですよ」
私の質問をはぐらかして、ナーザントは廊下の奥から歩いてくる人物をさす。
スカイブルーのジャケット。鮮やかな色合いも良く似合う。
アイスブルーの髪を持つ貴公子は、私たちと目が合うと、なぜだか不機嫌な顔をした。




